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込山洋一

自転車旅《バンクーバーーポートランド編》

8月13日の日曜日。自転車の旅から帰ってきて1週間あまり。

今回の自転車旅のルートは、カナダのバンクーバーとポートランドを結ぶ400マイル(640キロ)。ロサンゼルスからポートランドの往復2000マイル(3200キロ/35時間)は車で、ポートランドからバンクーバーへの往路は路線バスを使った。

カナダ(BC州)はもちろん、もともと美しいワシントン州とオレゴン州が一番美しい季節に訪れることができた。

どちらの州もバイクフレンドリーで、多くの公道は自転車専用レーンがよく整備され、一部の区間は自転車と歩行者しか通れない、まさに「専用レーン」が何十マイルも続いていた。

大型トレーラーが真横をビュンビュン走る大陸横断ルートとかは、あまり人にお勧めできないけど、今回のルートには初心者や体力に自信がない方でも十分楽しめる区間がたくさんあった。

僕らは毎朝5時前に起きて、夜明け前から走るのだけど、やがて東の森から無数に放射される緑と金色の朝日を全身に浴びながら、川沿いの小道を走る時、天国があるとしたらこんな光景だろうなと想像した。

そして毎日が、毎時間が、二人して叫んだり、ため息を吐(つ)くほど、美しい風景に満ちていた。

そんな今回の自転車の旅は、これからどういう旅をしたいのか、考える時間を十分に与えてくれた。

10年で大陸の横断と縦断という目標も、「体力があるうちにこそできることをやっておかねば」という考えから来ているのだけど、体力が維持できたら70代でも80代でもチャレンジできるし、目標にとらわれて、アメリカやカナダ、そして世界の本当に美しいルートを後回しにすることは本末転倒だと気づいた。

制限時間など設けず、やりたいことは全部やる。

それと最短ルートとか、1日の走行距離とかにこだわるのもヤメ。(今回、1日の走行距離ではレコードとなる108マイル(173キロ)走れたので、これで区切り)

出発地点と目的地を結ぶルートの中で、遠回りでも不便でも、もっと嗅覚に任せて一番「楽しそうな道」を走るのだ。

今回そんな試みのひとつで、最短コースではなく、シアトルの沖に浮かぶバション島にフェリーで渡って、島を経由するルートを選んだ。

地図にはあるけど、 観光名所でもない人口1万人の生活の島。 店も中心部にわずかに軒を連ねるくらい。

仕事目的でも生活者でもない僕らが、青空と森と牧場と、それ以外は地平線まで伸びる真っすぐな道だけの風景の中、島に暮らす人々の生活や、自分がこの島で生まれていたらどんな人生を送っていたか想像しながら走る、そんな時間が心を洗濯してくれた。

そうそう。日々進化するGoogle mapに感謝せねばならない。

初めての土地でも自転車が走れる道を瞬時に示してくれる。

が、本当にこれがGoogle推奨ルートなのだろうかという路地裏や怪しい道も平気で選ぶ。

ご近所さん以外通らないような狭い路地裏で、洗濯物を干している悩ましい格好のおねえさんと目が合ったりすると嵌められたのか、ご褒美なのか、Googleに体温を感じずにはいられない。

体温といえば、東もそうだけど、北の人もまた親切で人懐っこい。

肌が黒焦げになりそうに暑い昼下がりのガソリンスタンドで、汗だくでアイスクリームをかじっていたら、自転車ごと車で運んでやろうと申し出る人がいた。

髪を緑色に染めたタコス屋の女の子は「この辺は車が荒いから気をつけてね」とやさしく助言してくれた(助言通りで感心した)。

自転車好きの郵便配達のおにいさんは、僕らが会ったことのない彼の従兄弟が、どれほどタフな自転車乗りか(配達の遅れが心配になるくらい)延々と語ってくれた。

ポートランドからの帰り道のサブウェイでは、僕と同年輩の男性が若い女性からトレーニングを受けていた。真剣な表情で耳を傾ける男性。僕らのリクエストに、具材の野菜を入れすぎてサンドウィッチがうまく挟めない。「(がんばれがんばれ!)」心の中で応援してたら、ちらっとこっちを見て照れ臭そうに笑った。

初めての街の日常にふれる非日常。

それが僕にとっての旅の醍醐味だ。

 

08 13, 2017

勝利の美酒

青空が目に眩しい6月の土曜日の午後。

水曜日の夜中から原因不明の高熱と嘔吐と下痢でダウンして、今朝方までヨタヨタしていたのが遠い昔のように気分が良い。心や体は繋がっているというけど、本当にそう思う。

今日は父兄児童来賓1700人が集う西大和学園カリフォルニア補習校の3校舎合同の大運動会にゲストとして参加させてもらった。

運動会といえばリレー、リレーといえば「保護者・教員・卒業生対抗リレー」である。

今年も校長先生にお声をかけていただき、返信メールで厚かましくも「1番手で走らせてください」とこっそりお願いしておいた。

僕のチームは、大人が二人と卒業生(主に高校生)、10代から50代で構成される年齢幅の広い混合チーム。みんな明るく素直で本当にかわいらしい。今年はこの仲間のために全力を尽くすのだ。

上等のオリーブオイルのような純度の高い闘志が、腹の底の方から湧き上がってきた。

1番手を走る6人は、誰も腕(足?)に覚えのある感じの若手のお父さんと先生たち。

隣を走るカモシカのような男前のお父さんに尋ねたら、30代半ばで元短距離選手という。自信に満ちた笑みを浮かべる。

「私はもう50代ですから、ケガだけしないように楽しく走ります(ヨボヨボ)」

にわか老人になって、まわりを油断させる作戦に出た。これでけっこう老獪なのだ。

少しだけ勝算はあった。

トラックのほとんどは大きなカーブなので、最初の直線さえリードしたら、あとはカンタンに抜かすことはできない。カーブまでのルートを頭に描き、スタートダッシュで低いポジションから爆発するように回転数を上げ(イメージだけ)、一気に先頭につけた。後半失速したけど、なんとか1番でバトンを渡して、あとは少年少女たちがぐいぐいリードを広げてくれた。そして一度も順位が入れ替わることなく1等賞の栄誉を少年少女たちと分かち合った。

さあ勝利に酔いしれるのは今晩まで。
明日からまた練習だ(なんの?)。

06 03, 2017

フラッグスタッフからラスベガス・250マイル自転車の旅(前編)

40代の終わりの頃に思い立ち、この広いアメリカ大陸を縦断と横断の両方自転車で走破しようと、年に数回少しずつ走り始めた。

カナダのバンクーバーからメキシコ国境までの縦断ルートが約2700キロ(1700マイル)。昨年から取り組み始めた横断ルートは、ロサンゼルスとニューヨーク間が約4800キロ(3000マイル)。

総距離7500キロ、10年くらいかけてゆっくり楽しもうと思う。

縦断は、すでに全体の4割に当たるサンフランシスコからメキシコ国境までの1000キロを何度も走っていて、これからは横断も並行して進めることにしている。

ここでも書いたけど、横断の第一弾として、昨秋ニューメキシコ州のアルバカーキからアリゾナ州のフラッグスタッフの約500キロを走った。記憶には犬に追いかけられたことばかりが残っている。まあよい。

今回はその第二弾。フラッグスタッフからラスベガスまでの400キロを先週4日間かけて走ってきた。

前回はAmtrak(寝台列車)を使って出発地点まで移動したけど、今回はレンタカー で日中に移動。

自転車を積んで、相棒のCPA石上氏とロサンゼルスを出発したのが5月9日(火)の午前9時過ぎ。 東北東に約800キロ、交代で運転しながらフラッグスタッフに到着したのは午後5時、まだ陽が高かった。

毎回心がけていることなのだけど、僕たちはアスリートでも冒険家でもない、酒が少し強い、ただの丈夫なオジサンなので、決して無理はしない。安全第一。毎回無事に帰ること、ケガや事故に巻き込まれないことをすべてにおいて優先する。

だから盗賊や獣に襲われたり、体調を崩さないために野宿はしないし、体力を超えたスケジュールはできるだけ組まない。

1日の走行距離は、高度差と気温・天候を勘案して、1日100キロから160キロの範囲に抑える。宿泊施設も青少年の貧乏旅行ではないので、なるべく疲れを癒すためのジャグジーやプールがあって、快適に過ごせそうなホテルを選ぶ。

そう。ホテルに泊まる前提の旅なので、僕らの装備は必要最小限で収まる。

背中に背負うバックの中には、予備の水と食料、携帯のバッテリー、修理工具、1日分の衣類、あとは洗顔セットとサンダルだけ。衣類は毎日シャワーを浴びる時に手洗いしておけば、朝には乾いている。サンダルは外出するにも室内履きにも重宝するので必需品。

同様に欠かせないのがユニクロのダウンとアンダー。軽くてかさばらず、気温の変化にも対応できる。ふだん着には好んでパタゴニアを着ているけど、ここ一番はユニクロが頼りになるのだ。

さて後半はいよいよ旅の道中の話。

二人は無事に帰って来られたのか、運命やいかに!?
(って帰ってきたから書いているのだけど)

05 21, 2017

フラッグスタッフからラスベガス・250マイル自転車の旅(後編)

標高2200メートルに位置するアリゾナ州フラッグスタッフの朝の気温は2℃だった。

夏用の手袋の指先はかじかむし、しばらく走っても身体が温まらない。昨日までTシャツ短パンで過ごしていたロサンゼルスの気候からは程遠い。とにかくユニクロのダウンで寒さをしのいだ。

低く垂れ込める鉛色の雲、道路の両脇をゆっくり流れる寒々しい森林の風景に目を向けると、野生の鹿や小動物の屍(しかばね)が転がり、それにコンドルがたかっている。

いかにもクマが出てきそうな景観。
と、突然「BEARIZONA」という大きな看板が目の前に現れた。アリゾナってクマが有名だったんだ。「勘弁してくれよ」とため息をつき、用心しながら強くペダルを踏んで一帯を走り抜けた。

2日目以降は一転して気温が30℃近く、1日で真っ黒焦げになるくらい強い日差しの暑さだった。

バケツの水を浴びたように流れる汗。その横1メートルの距離を、時速130キロの大型ロレーラーが駆け抜ける。トラックの跳ねた小石が稀にヘルメットを直撃する。

クシャクシャになってひっくり返った乗用車が進路を塞いでいることもあった。炎上して黒くなった車体は元の色がわからない。

僕らが走ることのできるフリーウェイの路肩のコンディションも劣悪で、ネバダ州に入るまでの多くの区間はひび割れ、剥がれ落ち、パンクしたトラックのタイヤの残骸が散乱していた。路面の凹凸は自転車を通して振動となって身体に伝わる。

しまいに走れる状態ではなくなって、自転車を抱えてフリーウェイを降りた。土の道を走ると今度は足場が不安定で、タイヤが流される。そのうちに二人とも転倒して、全身を激しく地面に叩きつけた。

ある時はローカルの道を迂回しながら、その日のゴールにじりじり距離を詰めた。知恵を絞り、止まらない限りはゴールが近づくことを僕らは知っているのだ。

たいへんなことばかりのようで、実は自分たちがコントロールできない出来事や環境を、僕たちは素直に楽しんでいる。

想定通りのことばかりじゃ面白くない。

例えば、すべての旅がそうだけど、旅先で出会う人と交わす会話や心の動きを計画することはできない。

売店では、女主人が売り物のペットボトルの勘定を受け取ってくれなかった。

隣のテーブルに座った屈強な運転手は、トラックでも過酷なそのルートに「心理カウンセラーに相談してから来たのか」「誰に金をもらって走ってるんだ」と冷やかすけど、ラズベガスに抜ける道のコンディションを丁寧にアドバイスしてくれた。

母親くらいの歳のウエイトレスは、水分をしっかり摂るようにと何度も水を注ぎに来てくれた。

ネバダ州に入って、フーバーダムからラスベガスへ向かう最終日は、ローカルの人しか知らない日の出が美しいバイクレーンを、出会ったばかりの地元バイカーが案内してくれた。

同じ道を走っても、二度と同じ出会い、同じ経験をすることはできない。だけど旅に出るとそこに必ず新たな出会い、新しい経験が待っている。

自転車でしかできない不自由な旅。次の計画に思いを巡らせるその時間もまた人生を豊かにする旅の一部だ。

05 21, 2017

至福の時

今年も残すところ2週間。

昨夜はライトハウスのクリスマスパーティだった。
ふだんはメンバー同士直接会う機会の少ないシアトル支局やサンディエゴ支局のメンバーも、この日は全員ロサンゼルスの本社に集まり、一年の頑張りを労(ねぎら)い称(たた)え合う。

一年が終わる頃、このパーティで全社のメンバーが仲良く笑い合い(じゃれ合い?)楽しそうに過ごす様子を眺めるのが人生の至福の時だ。

今年もチャレンジと試練がてんこ盛りの良い一年だった。

とくにこの2年あまりは、複数のプロジェクトを進めるために頻繁に日本に行っているから、創業時さながらに現場で体当たりの連続だった。

アメリカにいると28年培ってきた信頼のベースの上で仕事をさせてもらえるし、多くの部分をメンバーが担ってくれるけど、日本はまだまだこれからだから、ひとりで乗り込み、ライトハウスを知らない方に自己紹介から始めるのも当たり前だ。特別扱いのない、素の自分で勝負する経験を積ませてもらっている。

おかげでアメリカだと近頃は経験できないような悔しいことや切ないこと、惨めなこともふつうにあるけど、その分、50歳にもなると錆(さび)たりたるみがちな性根が鍛えられ、市場を肌で感じ、チャンスを直に捉えることができる。そして何よりその成果が現れている。

そう、こうして会社を空けてチャレンジができるのは、社長の植野を始め仲間たちのおかげであることも忘れてはならない。

パーティ会場に戻ろう。

パーティにはメンバーの家族も招待する。毎年その子供たちの成長の早さに驚く。一年でお母さんを見下ろすくらい背が伸びたお嬢さんもいるし、ゲーム大会に負けて泣く女の子に、自分がもらった景品をやさしくプレゼントする4歳の男の子もいた。

一年という時間は、彼らの心も体もこんなにも成長させるのだ。

この場面を脳裏に刻んでおけば、また一年たいていのことには挫けない。いやいや、何があっても挫けない。毎年この至福の時を過ごすために。

12 17, 2016

ルート66を走る(その3)

11月11日午前10時19分、ニューメキシコ州アルバカーキから530キロの町アリゾナ州フラッグスタッフに、僕らは無事に到着した。ロサンゼルスを出発してから6日目。
僕は小学生の頃から自転車が大好きで、その時代その環境で許される自転車旅を重ねてきたけれど、4日間で500キロの距離(1日平均125キロ)を走れたこと、とくに3日目に160キロの距離を1日で走り切れたことは大きな自信になった。30歳の頃の自分に負けていないと思う。
30年アメリカに暮らしていて新たな発見もあった。
往路のアムトラックで乗り合わせた乗客との交流から、宗教上の理由で飛行機を使わない人たちの存在を知った。男性はみなアゴにたっぷりの髭をたくわえていて、その風貌といい日常生活でなかなか接する機会がない。
その一人、夕食をともにした28歳のミッチェルは、背丈より大きな十字架を背負って、1年がかりでアメリカ大陸を歩いて横断して、その帰路だという。野宿や教会、信者の家に泊まりながら旅を続けたというが、冬はマイナスを切る気温に凍え、夏は40℃を超えるアスファルトの道で倒れそうになる日もあっただろう。何を思い、どんな旅をしてきたのかもっと聴いてみたかった。
もうひとつは自らの身を守ることについての考え方。
幸いにも銃と無縁の生活をしてきたけど、ニューメキシコ州では家屋はもちろん自動車の車内にもケースなしで装填済みの銃を持つことができる。
隣家が遠く離れ(あるいは無く)、警察が来るまで時間がかかる地域では、犯罪から身を守るために銃を備えるという考え方が、彼らの立場に立つと理解できたし、多くの家で犬を放し飼いにしている理由にも納得した。不審者(僕たち?)には猛然と向かっていくくらいでなくてはならないのだ。
途中珍しい生き物にも遭遇した。
たぶん、ハイエナ。
進行方向の草原から数匹のハイエナが現れて、じっとこちらの様子を窺っている。背筋がヒンヤリしたが、せめて目の力で負けないように、目力を込めて睨みつけ、目を逸らさずゆっくりその横を通り抜けた(学生時代、地方の繁華街でヤンキーに睨まれた場面を思い出した)。
もう追いつけないところまで走って、「怖かったぁ〜〜」と相棒と目を潤ませて笑った。
あとで検索すると、アメリカにハイエナは生息していないようだけど、面構えや長い前肢、まだらの斑といい、図鑑の写真といっしょに見える。
それもこれも含めて、無事でよかった。
当たり前だけど自転車の旅は、自分自身はもちろん、相方が病気や怪我をしたら前に進めない。競走ではないから、互いのペースを合わせるのはもちろん、相手のコンディションや体力、精神状態を酌みながら、ベストなパフォーマンスを発揮できるように助け合うチームプレーだ。
それに加えて天候や道路事情、事故などの外的な要因もあって、自分たちだけでコントロールできない。
先が見えないどこまでも続く上り坂があれば、風を感じながら爽快に進む下り坂もある。どちらか一方だけではない。
そんなすべてが人生や組織と似ているように思う。
「そもそもお金と時間と健康があっても、列車や道路や帰りのレンタカー、道中の食事やベッドがなかったらこの旅はできなかったね。自転車だってそうさ。部品を作る人、運ぶ人、組み立てる人がいる。いろんなおかげがあって、今オレたちはこうして冷たいビールが飲める。ここは感謝をこめて、もう一杯いっとこう!」
夜遅いトーランスの飲食店の片隅で、僕らは2杯目のビールを力強く乾杯した。

 

11 12, 2016

ルート66を走る(その2)

「いたいたいたいたいっ!」
自転車旅2日目の夜、僕はホテルのベッドで入念にストレッチをしている。
アルバカーキからフラッグスタッフまで530キロの自転車旅は今日で2日目。
想定外のオンパレードながら、中間地点のギャラップまで到達することができた。
1つ目の軽い想定外は、前回のセントラルカリフォルニアの旅に負けないくらいグーグルマップのルート表示に翻弄されていて、個人の所有地(畑や牧場)を突っ切るルートだったり、マウンテンバイクでないと走行不能なルートに右往左往せねばならなかった。
そこへ持ってきて、ルート66は気まぐれに消えたり生えてくるもんだから、突然現れる通行止めの標識に途方にくれたりした。
気温が0℃近くまで急激に下がる日の入りは待ってくれない。さらに宿場町から次の宿場町は100キロを超える距離。
選択肢がない中で、深さがわからない泥水の水たまりを抜け、砂利道で足をさらわれ、時には高速で大型トレーラーが真横を走るフリーウェイを走り抜けた。
もうひとつの想定外は「犬」。
初日の午後、突然遠くから2匹の大型犬が真っすぐに僕らを目掛けて走ってくるではないか。
友好的な雰囲気でないことは真横まで迫った険しい表情でわかる。
身の危険を感じた僕らは必死でペダルを踏み込む。まだこんなに力が残っていたのかと感心するくらいの超スピードで。
それでも低い声で吠えながら、2匹の大型犬はしばらく僕らを追いかけてきたが、最後にはようやく諦めた。
怖かった。
久しぶりにキラキラ目が潤んだ。
それでもドラマは終わらない。。
大型犬を振り切ったと思ったら、しばらくして今度は10数匹の小型犬の群れが反対方向から向かってくるではないか。いい大人が子犬に追いかけられてまたまた全力で逃げる。
もう笑うしかなかった。
おかげで一夜明けた今日は、2、3匹の小型犬が追いかけて来ようものなら逆に怒って吠え返したし、牛が横切っても馬が現れても驚かなかった。
おっかない話ばかり書いたけど、風景はどこまでも壮大で、人は温かい。シアワセな旅をしている。
橋の上から眺める長い列車は地平線まで届いたし、グランドキャニオンのような神秘的な岩肌の山が、僕らを見守るようにどこまでも広がっていた。
食堂や水を補給する店では、店員や客がどこに向かうのか笑顔で尋ねる。通り過ぎる車はクラクションで僕らを励まし、すれ違う村人は人懐っこい顔で手を振ってくれた。
計画通りにいかない旅だからこそ、ふだん使わない脳みそや生きるための本能を呼び覚ましてくれる。
さて。この250キロはひたすら登り道だったけど、明日からは下りに転じる。80キロ先の宿場町にするか、その次の160キロ先の町にするか、出たとこ勝負で決めるのだ。

 

11 12, 2016

ルート66を走る(その1)

11月6日午後6時10分。東に1300キロ、ニューメキシコ州のアルバカーキに向けて、アムトラックはとっぷり日が暮れたロサンゼルスを出発した。
車窓をオレンジ色の街灯がゆっくり流れる。
今週は休暇をとって、自転車の相棒H氏と、アルバカーキを起点にアリゾナ州フラッグスタッフまで約500キロの道のりを、ルート66に沿って自転車で走る計画。
大陸を横断するルート66(国道66号線/3755キロ)は、中東部のイリノイ州シカゴと、西部のカリフォルニア州サンタモニカを結び、アメリカ西部の発展を促進した重要な国道だ。
何年掛かるかわからないけど、このアメリカ横断ルートとアメリカ縦断ルート(カナダのバンクーバーからメキシコ国境)を、無理せず無茶せずぼちぼちと自転車で走破しようと企んでいる。
それにしても今回の道中は、最低気温がほぼ5℃以下、とくにフラッグスタッフは0〜1℃だから冷蔵庫並みの寒さとの勝負。
とりあえず軽くてかさばらないユニクロのダウンやヒートテックをリュックにまとめて詰め込んだ。
がんばれユニクロ!いや、がんばるのはオレか。。

11 12, 2016

カリフォルニア中部自転車旅

レイバーデイの連休はカリフォルニア中部を仲間と自転車で走った。
初日はサンタバーバラの北にあるゴーダまで車で移動して、そこからは自転車で西海岸に沿って1号線を北上。カーメルに1泊した後、モントレーを経由して内陸に切り込み、ブドウ畑の真ん中を南下してキングシティで宿泊。3日目は4回路線バスを乗り継ぎ、終点のハーストキャッスルからゴーダまでを再び自転車で走った。カリフォルニア州の真ん中をぐるっと1周。
途中北風に吹き飛ばされそうになったり、悪路にタイヤごと破裂したり、自動車の幅寄せにヒヤリとすることもあったけど、3日間で全行程180マイル(288キロ)、高低差ビル800階分の自転車旅は感動と発見の連続だった。
コース全体がワインの産地なので、毎晩ローカルワインで1日の疲れを癒し、日中もワイナリーに寄り道してテイスティングに舌鼓を打った。
グーグルマップの示す(目的地までの)自転車推奨コースはまだまだ発展途上で、私有地を突っ切ったり、走行不可能なトレイルだったりするので、鵜呑みにしてはならないことを知った。それでも事前の計画段階での確認さえ怠らなければ、とても頼りになるのも事実。今後も欠かせないツールだ。
休日の酷暑の日に、手作業で畑仕事をする大勢のメキシコ人の存在にふれた時には、食物への感謝を思い、決して食事を残したり捨てるまいと決意した。
3日目のハーストキャッスルへの路線バスでは、僕らが北にルートを取ることを知った年配バイカーと運転手から「向かい風を厭わないのかい!」と大笑いされた。それもそのはずで強烈な北からの向かい風に、全身を使ってこいでも身体がなかなか前に進まない。隣を見たら、同じ方向に飛ぶ鳥が静止していた。
息を飲む大自然の数々は写真に任せよう。
走っていた時にはあんなにしんどかったのに、旅を終えるともう次の旅に気持ちが行っている。旅先のワイナリーから送ったワインを飲みながら、グーグルマップで次のルートを思案する時間もまた豊かで楽しい。

09 19, 2016

縁あってシアトル

9月の土曜日。シアトル支局では初めてのセミナー開催の立会いに来ている。
シアトルはロサンゼルスと比べてコンパクトな日系社会だけど、その分みんなが協力し合い、人と人が近い。そしてあたたかい。これはアメリカ人もアジア人も同様。親しい人も初めての人も笑顔で迎えてくれる。
縁あってシアトルの会社を引き継いでから間もなく4年。水と緑が豊かで、人の情が厚いこの街がますます好きになっていく。

09 19, 2016