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込山洋一

鬼の家族

大晦日の昼過ぎ。いや、実に清々しい。

昨日から鬼のように、家の中の要所要所を徹底的にキレイにした。鬼が掃除をするかどうかが問題ではない。

手始めにガレージから始まった。

工具箱は開けっ放し、使いっぱなし。サウナはいつの間にか靴箱と化し、それでもスペースが足りなくて散乱状態。相方と逸(はぐ)れたサンダルが痛々しい。中途半端にガスが残った風船のボンベ2缶。棚や道具箱には、文具やスポーツ道具、衣類や本がゴッチャになってどこから手を付けてよいかわからない。子供たちがサッカーや外で遊んで落とした芝生や泥が事態をいっそう深刻にしている。

一瞬頭がクラクラしたけど、エイヤでガレージの外にいったんすべての荷物を運び出すところから始める。

靴は、家族を集合させて、ガレージセールのようにすべて並べる。そしてその場で、これからも大事に履く靴と、もう履かない靴に分けさせる。履かない靴でも、ボロボロになった靴はご苦労さんで破棄。まだ、使えるけどサイズが小さかったり、誰かに使ってもらえそうなものは箱に入れてサルベーションアーミー用に分ける。

乗れなくなった子供の自転車や、小さくなった服、おもちゃ、お菓子、頂き物だけど自分たちが使うより喜ばれそうなものもこの機会にまとめて寄付にまわす。

娘のひかるは、寄付に出すボクの靴をピカピカに磨いてくれた。息子の玄(はるか)はボールを投げたり、自転車に乗ったりすぐに気が散る。

それでも家内がキッチンやファミリールームを片付けているうちに、ガレージは見違えるようにピカピカになった。そしてビックリするくらい広くなった。久しぶりにスイッチを入れたサウナもしっかり暑くなった。このガレージを今すぐコンテストに出したい。そんなのないけど。

そして今日。

目覚めてそのままサルベーションアーミーへ寄付を届けに行った。

運び込む荷物をボランティアのおっちゃんが手伝ってくれる。

いったんは不要になったものが、また新たな主(あるじ)のもとで第2の人生を歩む。誰かの身体を暖めたり、あるいは着飾ったり、オモチャはどこかの子供に笑顔を届けてくれるかもしれない。そんな光景を思うだけで心が満たされていく。

アメリカは消費大国の側面ばかりがクローズアップされるけど、一方で、心ある人たちの手によってリサイクルを繰り返している。サルベーションアーミの方たちに感謝。

さて。

今日のメインイベント、家中の便所掃除に取りかかる。

ボクはいっしょに担当する息子に力強く言った。

「どうせやるならパロスバーデス市で一番キレイな便所にするぞ!人が見て感動する便所にするのだ。掃除は芸術だ」

お客さんが多い我が家は便器が5つ。

まずは昨日のうちに日系のスーパーで買っておいたトイレマジックリンで、ひとつずつ便器の外側、内側、とりわけ内側については、外から見えない部分に念入りにスプレーして回る。

ちょっと時間をおいてから本番スタート。まずブラシで擦る。摩擦で発火するくらい激しく擦る。続いて手を突っ込んでスポンジ、最後はタオルで何度も磨き上げる。あんまりピカピカになるから、途中で用が足したくなったけどしばらくガマンした。もったいなくって使えない。

便所を磨いていると、床の落ちた髪の毛やホコリが気になって仕方がない。洗面台も合格点は出せない。あっ、こんなところにもホコリが。もうどうにも止まらない。気がついたら、家中のバスルームが引っ越してきて以来、一番キレイになっていた。冬なのに汗だく。もう自分にMVP。家内からは「すごい!スーパー掃除男」とおだてられ、拳を突き上げて応える。

掃除熱が飛び火した息子は、憑かれたように自分の部屋を片付け始めた。やるじゃん。家内も負けてられないと鼻の穴をふたつ大きくふくらませた。こうして我が家は鬼の家族となって、狂ったように掃除をするのだった。

ふだんからやっとけと。

12 31, 2006

T弁護士(その2)

日本出張から一週間。

T先生からいきなり一本のメールが来た。「28日から3泊ロサンゼルスに行きます。手配はKさんがします。番号は***まで」なんじゃい、それは。

ぶっきらぼうだけど、イヤな感じはしない。

「29日なら空いています。お昼でもごいっしょにいかがですか」と戻した。

それが今日。

パステル調のストライプのジャケットでT先生がライトハウスにやってきた。お供には、立派な会社の会長さんや社長さんの仲間を連れて。

店でお会いしたときより元気でよく笑う。いきなり、いろいろなことを質問攻め。よく話すと水戸黄門のような人で、話の輪郭を辿るほどに後で思えば、何かボクの力になれないか模索してくれていたのだった。

「アジア最大の某国のナンバーワンの日系メディアのトップを紹介しよう。業務提携してはどうか。きっと双方にメリットがあるよ」と言ってくれたので、「その地域のナンバー2が昔から知っている親友だから不義理はできない。微力だけど、むしろ彼と組むことで彼をナンバーワンに押し上げたい」と言ったらニッコリ笑ってうなづいてくれた。

いっしょに蕎麦屋でランチをした帰り際、T弁護士が300校を越える私立大学の協会の顧問もしていることを教えてくれた。

それから、
「次回あなたが日本に来る時に、お蕎麦のお礼に、その団体のトップを紹介しましょう。そこであなたの会社の海外研修や事業内容をプレゼンテーションしてください。私が5分だけ連れていきます(笑)」

そしてこう付け加えた。

「ひとつひとつ学校に営業をかけるのもいい。ただし、それでは時間がかかり過ぎる。大きいところのトップから切り崩してください。あなたのところが良い仕事で応えて、協会の理事長クラスが業界紙に良い感想を書いたら、あとは行列です。ビジネスとはそういうものです。頑張ってください。次回、日本で食事もしましょうね」

「偶然はない」と、T先生たちを見送りながら改めて思った。

このチャンスを大切に活かしたい。
千恵子さんと奥村先生に感謝!!

12 29, 2006

T弁護士(その1)

今年最後の出張、72時間の強行軍で日本に行ったのは、つい先々週のことだった。

出張2日目の夜は、ライトハウスCEの財務担当の役員で、昔からライトハウスの顧問をお願いしている奥村先生が馴染みにしている西麻布の「M」にお供した。

星条旗通りにひっそりと佇むその店は、千恵子さんという、それは上品で美しいママがひとりで切り盛りしていて、たまに奥村先生に連れて行ってもらっては、ちょっと背伸びをして、気持ちよく大人の酒を飲ませてもらっている。

その夜は先生が大阪に日帰りで、最終便に乗るために午後8時40分に店を後にした。「込山さん、ゆっくりして行ってな」ママの傘の中、先生は雨の西麻布からタクシーに滑り込んだ。

言葉通り素直に受け取る私は、先生のご馳走で、千恵子さんとのおしゃべりを楽しんだ。ご好意に甘えることも先輩に対する礼儀だ。

そうしていると、書類を抱えた70歳過ぎの紳士が、入ってくるなり資料を広げて、ほどなくテープに何やら用事を吹き込みながら仕事を始めた。注がれたビールに口をつけながら、こっちをチラッと見たところで目が合った。眼鏡のそこはなんだか優しい。

ママが気を利かせて、ボクのことをさっそく紹介してくれた。
(そう、ママはいつもこの店に通う各界のリーダーに対して、実力100倍くらいにボクのことを紹介してくれる)

聞いているこっちが恥ずかしくなるくらい、ボクのことを良く言ってくれた。もう、世界を動かしてるくらいの勢い。ありがとうございます!!それでもT先生というその70歳を越えるであろうオジさんは、あまり表情を変えずに、大根の煮物を箸で突つきながら適当にうなずくだけだった。

ほんの2、30分でオジさんは店を後にした。

後からママが「あの方は、日本でも5本の指に入る弁護士さんよ。きっと込山さんの力になるわ」と話してくれた。

千恵子ママの気持ちはもったいないくらいうれしいけど、だからと言ってピンとはこなかった。ただその気持ちだけで十分だった。

(ドラマのようにつづく)

12 29, 2006

伝えていきます、これからは!

今日は12月29日、今年もあと2日。

朝会社に行ってメールをチェックすると、「一月に講演するのをテレビで告知してたぞ」と友人の石川氏から。

そう、来月中旬、僭越ながらロサンゼルスの女性経営者の会でお話をさせていただくことになった。大切な年始の集まりで。

ボクを知っている人にはけっこう意外だと思う。

実はこれまで、自分のような未熟者が、講演や祝辞をするのはおこがましいと重々承知しているし、アガリ症で人前で話すのが苦手だから、たいてい丁重にお断りさせてもらった。

もう、どうしても義理のある筋だけ。けっして勿体つけているからではなく、自分が力不足なのを心底にわかっているから。

そんな自分だけど、ちょっと変化があった。

先日のブログでも書いたけど、稲盛さんの前でお話をする機会をいただいてから「やや」(100%じゃないのが意気地ない)腹を括った。70歳を越えてなお、稲盛さんが「利他の心」で命を削るように尽くしておられるのに、自分ごときが、共感者を得る機会をいただいて何を躊躇しておるっ!!と。

だから、機会をいただいたら、できる限り伝えていこうと思った次第。

「世界中、どこでも日本人が活躍できる世の中づくり」のベクトルを創るために、機会を頂戴したら、時間の許す限りどこにでも出向いて伝えていきたいと誓う年末でした。頑張らねば。

今年も残り50時間を切った。人生は時計が秒針を刻むペースで死に近づく。もっと一秒を大切に。後に続く人たちに道をつけたい。

この次は今日の楽しい出会いをブログに記したい。

12 29, 2006

暴力反対!

休暇から帰ってきて、メールを開けると商船学校の仲間の本多から「思ったより頭が後退してないな。ブログ、マメに更新しろよ」と指令がきていた。最後に飲んで何年も経つのにいきなりこのモノ言いだ。呆れたけどうれしい。

年末の忙しい時期に、ボクのブログを過去に遡って読み込んでくれたようだから、会社ではかなり責任が重いと見ていいだろう。

最後に本多と銀座だか新橋で飲んだときは、無礼な後輩を殴って謹慎になったと言っていたけど、それはうまそうに酒を飲んでいたから、その事態の大きさを本人は理解できていなかったようだ。

着信したメールアドレスの末尾が同じ社名だったから、幸いにもリストラにはあっていないようで、大手企業の懐の広さに感心しつつ、会社があるであろう東京の方角に見当をつけて手を合わせた。本多を頼みます。

本多に限らず、中学から同じ商船学校に進んだ山内は、チンピラをコテンパンにして海外駐在が流れた過去を持つ。30歳を過ぎて山内が馴染みだという銀座のクラブに連れて行ってくれたけど、学生時代に行った「飲み放題歌い放題2500円」からあいかわらず進歩のない粗野な飲み方で、四国育ちの底力の弱さを露呈した。

そういう素行の悪い仲間とは距離を置こうと思っていたけど、この夏、渋谷の歩道橋で、女性のスカートの下を携帯のカメラで撮っているアホがいた。年格好が20歳半ばでスーツ姿のビジネスマンだ。こいつは懲らしめてやろうと、背中を鷲掴みにしたら、大暴れされて思わず手を離してしまった。と、思ったら、隣の事業パートナーの高畠が瞬時にもう一度掴んで、階段の下へ放り投げた。男はゴロゴロ転がり落ち、跳ねるように逃げていった。

ライトハウスに18年執筆してくださっている阿木先生も、ついこの間の日本帰国時、混雑するエスカレータの真後ろで、若者がタバコをふかしているから注意したら逆ギレして文句を言ってきたそうだ。先生はこれ幸いと、安心してぶん殴ってやったと空手で鍛えた拳を見せて笑った。70歳を控えていかがなものか。
行儀が悪かったのだろうが、若者を気の毒にも思う。

尊敬する師匠から、仕事の相棒や親友がこれだから、その中にあって温厚な自分に感心している。やっぱり暴力はいただけない。絶対。きっと。

12 28, 2006

高津ファミリー

12月27日
あっという間の五日間だった。

スキーの感想で言うと、最終日こそ吹雪で滑れなかったけど、23日は朝から14本、24日はなんと20本も滑ることができて大満足。

もう滑り倒した感じ。

「上級者のみ」と書かれた看板を前に、思い切り怯(ひる)む子供たちを、煽(おだ)てて騙(だま)してゴンドラに押し込み、サミット(頂上)をアタックすることができたし、難コースでは雪煙をあげて大転倒しつつも果敢にチャレンジすることができた。

初めてのハーフパイプではトップでの切り返しのコツがつかめず、和式便器に流されるようにダイナミックに流れ落ちた。

一日中滑って、あれだけ豪快に転んでも、カラダに堪えなかったのは自信にもなった。去年は昼過ぎには足腰がガクガクしてたから、一年通して鍛えた甲斐があったというもの。仕事も遊びもやっぱりカラダが資本だ。

ところで、友人の高津さんはプロ並みに達者に滑る。まったくの恐れ知らずでズンズン滑り降りるからとてもついて行けない。いや、途中まで必死でしがみつくんだけど、瘤(コブ)やスピードについて行けなくなって、必ずドッカーン自爆する。そんな高津さんに、娘のひかるはついて行っているから彼女もどうかしている。

高津さんと言えば、半世紀生きているけど、その昔は山岳部のキャプテンとしてならし、なんと雪崩には2回も流された経験を持つ。一回は、轟音とともに2キロほども流された。雪崩に流される一分あまりは、一本背負いを千回繰り返した感じだったと言う。「雪崩が止んだ瞬間に、光が射す方にかき上がろう」と、その間にも冷静にチャンスを窺っていたという。高津さんのこの手の話は、雪崩に限らず、滝壺に落ちたの、雪山で遭難しそうになったのと留まるところを知らない。

高津さんの話はこのくらいでお休みして、雪山の楽しみはスキーだけではない。

料理は朝晩にお互いの腕を振るう。日が暮れると、熱々の鍋やジューシーなローストビーフを囲む。ベランダの雪で冷やしたスーパードライ、それと新雪を浮かべた焼酎のロックは、一年の疲れやザラザラをゆるやかに溶かしてくれる。うまく行ってないこともある。いや、そんなことばっかりだ。それでも、今年もよく頑張れたと思う。スタッフやまわりの人に今年も助けてもらった。心からありがたいと思う。

子供たちはクッキーをこしらえたり、ゲームをしては笑っている。
お腹が落ち着いてきたら、高津さんがギターを弾く。時々、交代しながら、歌ったり、語ったり、笑ったり。贅沢な夜は尽きない。

思えば高津家とは、ライトハウスを創業した89年からのつきあいになる。

物質的にはそうでもなかったけど、両家ともに当時から心はとても豊かだった。親戚以上に助け合ったし分かち合った。言葉にできない試練もあった。幸いどっちの家にも、当時から来客や居候が絶えない。

子供にはそれぞれ93年、94年と続けて恵まれた。
偶然にも、長女(長男)、長男(次男)の誕生日は一週間と違わない。生まれたときから兄弟のように育ち、感心するくらいに仲が良く、みな、とても優しい。
いや、本当に4人とも素直にまっすぐ育ってくれている。健康でいてくれる。こんなありがたいことはないし、こんな幸せない。いつまでも健康で仲良くあってほしい。

掃除をすぐにサボる子供たちを眺めながら願いを込めた。

片付けを徹底的にやるのも両家の流儀。「来る前よりも美しく」を目指して、キッチンも寝室もすっきりキレイに掃除する。

楽しい休暇だった。来年はハーフパイプを格好良く滑ろう。

便器を擦りながら頭はもう来年の冬に行っている。

12 28, 2006

26日の午後の窓辺で

12月26日の午後。

窓の外で雪が舞うのを眺めながらこの原稿を書いている。
山小屋の背後に広がる針葉樹の森を、横風が力任せに揺さぶっている。部屋の中では暖炉の炎がゆれる。

この一年は間違いなく、後で振り返ったときに節目となり、転機と言える一年であったと思う。

とりわけ一月に、京セラの名誉会長で、KDDI創始者で顧問の稲盛和夫氏が主宰する経営者のための学びの場「盛和塾」のアメリカ支部に入塾したことは大きかった。

3年ほど前に、ロサンゼルスに支部を発足すると知人に声をかけてもらったにもかかわらず、その時は心の準備ができていなくて見送った。もっと言うと、当時は人の話に耳を傾ける謙虚さも学ぶ姿勢も薄かった。恥ずかしながら自信過剰で唯我独尊だった。空っぽの。

時を経て、今年の一月に体験入塾したときの自分は成長に飢えていた。創業以来、17期連続で業績を伸ばしてきたけど全然物足りなかった。自分の中の天井を粉々に壊したかった。シフトチェンジしたかった。

群れることを嫌い、昔からグループで行動できない自分だけど、盛和塾だけは一年を通して参加した。ロサンゼルスの塾生が親切に、温かく迎え入れてくれたことも大きかった。みんなホント前向きでやさしい。

毎月の勉強会や、夏の全国大会、11月の市民フォーラムなどで、何百億、何千億円の年商をあげる経営者から、生まれたての個人事業主まで多くの経営者と交わることができた。話せない苦労や課題も、同じ塾生という連帯感で違和感なくぶつけ合えたし、ノウハウはお互い気持ちよく分かち合えた。

成功している塾生ほど謙虚で、自分を磨こうとする真摯な姿勢にふれ、素直に謙虚な気持ちになれた。稲盛和夫氏自ら、70歳をまわってなお、世の中のためだけに人生を捧げる生き様にふれて「利他の心」を学んだ。

同時に、効率を追い、物質主義の世の中に翻弄される自分の弱さや卑しさを恥じた。今この瞬間も煩悩まみれだけど、19歳の夏に坂本龍馬を読んで、世の中を前に進める人生を送りたいと誓った自分を取り戻しつつある。

11月にはロサンゼルスで、稲盛氏を囲んで、日本、ブラジル、NY、西海岸から塾生170名が集まり、市民フォーラムの前夜に、塾生だけの盛大なイベントが開催された。その中の「経営問答」というコーナーで、壇上の稲盛氏を前に、20分もの時間をちょうだいして、自社の経営を報告する場をいただいた。ステージに上がる前は、心臓が破裂するくらい緊張したけど、いざステージに上がると、稲盛氏や塾生の温かい視線の中でだんだん心が静まり、途中から自信を持って堂々と話すことができた。アガリ症のボクだけどすべて出し切ることができたと思う。

この発表を受け、稲盛氏が20分も長い時間、ライトハウスのためにコメントをしてくださった。

「何も言うことはない。本当によく考え、工夫してやっている。利益率も素晴らしい。新規事業で、日本から人材斡旋をして、アメリカで働ける日本人を増やすということは、ビザや距離など困難は多いだろうが、がんばって実現してほしい。尊いことだ。ひとつだけ注文をつけたら、50億、100億の売り上げというのはすぐに実現できるものではない。急ぎすぎないように」

飛び上がろうかと思った。大声で叫ぼうかと思った。

目の前3メートルに、自分がこの世の中の経営者で、最も尊敬する稲盛さんが、自分の事業についてアドバイスをしてくれている。そのままでいい、そのまま走れと笑顔で励ましてくれている。たった一代で、年商4兆2千万円の世界的なグループを創造した稀代の経営者が、ライトハウスを褒めてくれた。ボクの構想を応援してくれた。やってきたことを肯定してくれた。

この感激と感謝は一生忘れられない。
稲盛さんが生きておられる時代に間に合い、知識と人脈、気力、体力、組織力、財力、すべてにおいて黄金時代に入るこのタイミングで、この機会をいただけたことは決して偶然ではないと思う。

見えない偉大な力が、この機会を与えてくれた意味について、長い冬休みの間、考えてみたい。事業計画にも腰を据えて取り組もう。

そう、初心に返って、司馬遼太郎の「龍馬が行く」を読み返すことにしている。20年経って、どんな気づきがあるか楽しみだ。

今までで一番幸せで、安らかな気持ちで迎えることができたこの冬休みを目一杯楽しんでみたい。

12 28, 2006

41歳の誕生日に

12月26日。今日は41歳の誕生日。

ロサンゼルスから、車で北に5時間の町マンモスの山小屋で、昨年に続いて、友人の高津ファミリーと過ごしている。マンモスはスキーリゾートとしても知られ、33のバラエティに富むコース(リフト)と、サラサラのパウダースノーが堪能できるスキーのメッカだ。

到着から四日目の今日は、朝からの吹雪でスキーはお休み。子供たちは外で雪合戦。大人は映画を見たり、音楽を聴きながら読書をしたり。

ボクは新会社ライトハウスCE(キャリアエンカレッジ)のミッション、ビジョン、バリューについてじっくり考えを整理したり、ライトハウスがこの1月で19年目に入るのに備え、今一度目指すべき方向性について思いを巡らせている。

50年後、100年後、日本や日本人が世界のリーダーシップを取れる国であり、国民になってほしいと願う。そのために「今」ライトハウスは何ができるか。世界中で、日本人が活躍できる世の中を創ることだ。

小さな会社だけど、出版社として情報を発信することができる。
情報を通して、人々に「夢」や「勇気」を持ってもらえることができると思う。
日本を含めた世界中の日本人の共感を得ることで、「世界中で日本人が活躍できる世の中を創ろう」というベクトルが生まれると信じる。

2007年は、学問や先端技術、ビジネス、芸術の世界で活躍する日本人を、誌面やウェブを通してもっともっと紹介したい。それによって、勇気や元気を届けるだけでなく、後に続く人たちが、その道を志すにあたって、少しでも回り道をしないですむように、「情報」でそのハードルを低くしたい。また世界中で暮らす日本人の様子も届けたい。南カリフォルニアの読者のみなさんに楽しんでいただくのはもちろん、日本で暮らす(思いはあるけど飛び出せない)人たちが、海外に飛び出せるようその背中をグイと押したい。「情報」にはその力がある。

11月1日に設立されたライトハウスCEは、ライトハウスのグループ会社ライトハウスCP(キャリアプラニング)と、日本側のパートナー高畠のキャリアエンカレッジ社の、夢や思いは継承しつつも、まったく新しくスタートを切る新会社だ。
就業規則も企業風土も、ライトハウスやキャリアエンカレッジを下敷きにするのではなく、ゼロから作り上げていく。

目指すところは、どちらも「世界中で日本人が活躍できる世の中を創る」ことだけど、ライトハウスとライトハウスCEという異なる人格とアプローチを持つふたつの会社が、世の中にどんな価値を提供できるかは、ボクの後半生を賭けた勝負だ。助け合い、磨き合いながら100年後も成長を重ねていたい。世に価値を提供し続ける集団でありたい。

12 28, 2006

2007年もよろしくお願いいたします

 こうして、ライトハウスとして新年のご挨拶をさせていただくのは19回目になります。そして翌2008年の新春は節目の20回目です。

 89年の創刊当時は、東芝のルポ(ワープロ)に人差し指で原稿を打ち込み、それをコピーマシンで縮小して、カッターで切り貼りした手作り版下 を、まるでガラス細工でも扱うように箱に入れて、印刷所に持ち込んでいました。タイトルや広告コピーなど級数の大きな文字は、リトルトーキョーの写植屋さ んでこしらえてもらいました。もちろんタイトルもコピーも記事もすべて自分たちで書きます。版入直前の真夜中に誤植を発見した時は、髪の毛がバッサリ抜け る思いでした(今も名残が残っています)。印刷の機械が故障したり、紙が破れて2、3時間遅れは当たり前で、そうこうしていると日刊紙の印刷に割り込まれ て、ようやく刷り終わったら明け方という日もありました。

 今では、記事も広告もPC上でレイアウトして、そのままデータで版入ができる便利な時代になりました。それでも吐く息が白くなる真夜中や明け方に、機械から刷り上がる1冊1冊を、ライトハウスのスタッフが真剣な眼差しでチェックする風景は今も昔も変わりません。

 皆様が読んでくださるライトハウスは、紙でできているけど、血の通った私たちの分身です。

 2007年。この1年は今一度原点に立ち返り、何より編集記事の充実に全力を注ぎます。また、今では分業化されて機会が遠ざかっている、メンバーによる配達も年内に復活します。軍手でカートを押すメンバーを見かけたら、ぜひ声をかけてください。

 新しい1年も、どうぞライトハウスを応援してください!

12 22, 2006

おだやかに過ごす週末

週末に日本から帰ってきた。実に一ヶ月ぶりの更新です。

時間軸を逆行しながらこの一ヶ月を振り返りたい。

まずは静かに過ごしたこの週末から。

日本での3日間の出張では、時差ぼけと忙しさで9時間しか眠れなかったおかげで、成田を離陸したトタンに熟睡。ウトウト目覚めた時には着陸の準備に入っていた。このくらい眠れると実に爽快だ。

以前に、海外出張が多い年配社長が「時差ぼけにならないコツは、前の日にあまり眠らないで、飛行機では一切アルコールも食事も採らないでひたすら眠ること」と言っていたけど納得。カラダが実に軽い。

家内の出迎えで会社に直行。急ぎの用事を片付けて自宅へ帰る。

ボクは出張から帰ると、まずカンペキに荷物を片付けをしないと落ち着かない。洗濯物とクリーニングを振り分け、資料を整理して、細かいものは次回の出張に備えて収納しておく。今回は編集者やデザイナーに読んでほしい本もどっさり買ってきた。会社にはこっち。年末年始に読む本はこっち。

そんなことをしていると、クローゼットの乱れが気になりだして本格的に整理整頓を始める。仕事着、遊び着、長袖、半袖、それぞれ納まるべきところに整頓。

やがて掃除の勢いは洗面所にも飛び火して、シンクを徹底的に磨いたり、パイプの流れをスムーズにする液体洗剤を流し込んだりし始める。

挙句の果てに、便器に手を突っ込んで、ピカピカに磨き上げたところで納得。

腕組みをしてひとりニヤニヤ。

几帳面な性格かというと、まったくその逆で、小学校の時には毎学期の終わり、PTAの案内や宿題、テストなどが石のように硬いパンといっしょに机の置くからグチャグチャになって塊(かたまり)で出てきたし、父親に殴られるまで、どんなに汚くても不衛生でも部屋の掃除はやらなかった。

おバカな過去はさておき、どうやら人間は人を好きになったり、社会に出たり、所帯を持ったりするうちに、自然と自覚が芽生えてそういうことも身につくような気がする。

午後は息子の仲間たちを連れて、話題の冒険映画「オラゴン」を観にトーランスへ。ハリウッド映画らしく、上映の後はゲームやグッズ、DVD販売をするモクロミが透けて見えるのだけど、それはそれで、ストーリーが単純明快で面白かった。クライマックスでもしっかり泣けた。

夜は友人の高津家と深夜まで鍋を囲む。日本で買った雑誌の、鍋特集の中から相撲部屋のちゃんこをこしらえたんだけど、なかなかの出来栄え。白菜ではなく、キャベツと豆もやしがクリーンヒット。ポン酢は「オタフク」を推したい。

今回の日本では、高津さんからの紹介で、とても気持ちの良い若者に会うことができたのでお礼を伝える。素晴らしい経歴より、留学のために4年間デパートの惣菜でアルバイトを続けられたこと、そして真っ直ぐ目を見て話す姿勢に好感が持てた。早ければ1月からライトハウスに仲間入りする。

高津さんとはお互いに、日本からの人がここでもっと就職できる環境や世の中を創りましょうと語る。こういう夢の話は尽きない。

最後は良く覚えていない。良く飲んだことは良く覚えているのだけど。

目が覚めたら朝の10時だった。それにしても気持ちいいくらい良く眠れる。

この日は娘とデートの約束。

と言っても、彼女のクリスマスプレゼントを買うために、ダウンタウンのウェアハウスでやっているデニムのセールに行くんだけど。

「ライトハウスの広告を持っていったら、3ドルの入場料が無料になるの」と娘は2冊のライトハウスを持参。

ゆっくり行ったのに、会場のコンベンションセンターでは行列ができていた。

受付けのところには、現地(英語)メディアの広告の束に、ライトハウスの広告がけっこう混じっている。なかなかいいぞ。

広い会場には、ざっと日本人が100人前後いる感じ。ひとり200ドルの客単価と見て、一日で200人くらいの日本人を動員しているとしたら、日本人売上が約4万ドル。「1回1200ドルのハープページ×数回」の広告掲載はまずまずのコストパフォーマンスか。大量のデニムを抱えた業者らしき日本人もいたから、けっこう良い商売になっているようだ。

若者に混じって、無造作に並ぶデニムを選ぶという作業はやや気後れするけど、これもひとつのお祭りと割り切って楽しむ。

数百ドルのデニムが100ドル以下で買えるんだから若い人たちが夢中になるのもわかる。単に安いだけでなく「デザイナーブランド」が「大量にある在庫から選べる」ことも大きな魅力なんだろう。なんてオジサンぶっておいて、しっかりディーゼルのデニムを2本購入。娘と戦利品を手に笑う。

夕方は、剣道のクリスマスパーティから帰ってきた家内と息子が合流して、UCLAでやっている前衛的なお芝居を見に出かける。これは残念ながら何が面白いのかわからず中座する。こういうこともある。

余談だけど、今年観にいった演劇部門のベスト3で言うと、

1番はロンドンで見たミュージカル「マーマミア」。何回でも見たいくらい楽しい。

2番はラスベガスの「ラブ(ビートルズ)」。酸っぱいような遠い記憶が一曲ごとに滲み出てくる。

3番はステープルズセンターの「ワールドアイスショー」。金メダリストの荒川静を始め、世界のオールスター夢の共演。もう生身の芸術という感じ。圧巻。彼ら彼女たちが天才にして、気の遠くなるような稽古を積み重ねてきているのを知っているから手を合せたくなるくらい感謝の気持ち。努力は美しい。

スポーツに目を向けると、早稲田実業の斉藤くんと、苫小牧の田中くんが快投を演じた日米高校野球はバッサバッサの三振ショーで実に頼もしかった。おじさんも打席に立ちたかったよ。投げたかったし。

また全日本選抜チームが、(背水の陣から)世界優勝へのキッカケになったアナハイムスタジアムでの日本選抜×メキシコの試合も素晴らしかった。

来シーズン、この世界大会をMVPで飾った松坂にはぜひ大活躍してほしいけど、何よりメジャーで日本人が活躍する道をつけた先駆者野茂に、打ち込まれてもいいから、三振を取れなくってもいいから、最後に彼が納得のいくマウンドに立ってほしい。アメリカに住む日本人がどれほど彼に勇気をもらっただろう。誇りに感じただろう。今年は不本意なシーズンだったと思うけど、それもこれも含めて今年も野茂に感謝したい。

12 18, 2006