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込山洋一

説教オヤジ

先週も来客や会食が多かった。

月曜日は、昨春、地中海のクルーズにいっしょに行った石川夫妻がお泊まりで来て、限りなく業務用のカラープリンターを設置してくれた。大判の印画紙にプリントアウトされたそれは、写真館の写真に負けないくらいの高品質で驚いた。

大切な人を写真で撮ったら、額に入れて贈ろうと思う。

石川氏の本業は、ヨーロッパを中心に世界中に向けての、e-コマースによる天体関連商品の販売。だから、その周辺の高性能なプリンターやパーツも扱っている。

夕食では、彗星や日食についてのムズカシイ話をわかりやすく解説してくれる。実践的なヨーロッパでのマーケティングの仕方も参考になる。

それだけでなく石川氏は、商社マン時代、長い間サウジアラビアに駐在したり、中東諸国とも取引をしていたから、世界の商習慣やマーケティングに明るい。かれこれ18年のつきあいになるけど、ビジネスにプライベートに教えてもらってばっかりだ。

水曜日は、ノスコという映像制作やイベント、広告代理業の会社を営む小林社長と番頭の濱田さんと「山水亭」でカルビとホルモンをつつきながら新年会。

小林さんの会社は、昨年のB’zのライブツアーのDVD「MONSTER’S GARAGE」を制作したり、日米の有名ブランドのコマーシャルやプロモーションビデオを作っているクリエーター集団だけど、その洗練された映像と、名古屋出身の剣道四段、信州大学教育学部卒業の無骨な風貌がどうしても結びつかない。ソフトボールの試合では、その丸太のような腕で、公園の外のテニスコートまでボールを運ぶ。どうもクリエーターから遠い。

一方、番頭の濱田さんも小林さん同様体育会系のスポーツマン。熱くて、礼儀正しい立ち振る舞いが前面に出るけど、思慮深くストリートスマート。すごく楽しみな人だ。

市場調査も強い小林さんとは、日本から中小企業でも、元気の良い会社が進出できるようお互い協力しましょうと誓う。

また、小林さんが親しくしている、ポートランドで(一代で)年商数百億円のグループを築いた吉田ソースの吉田社長を、(本人不在で)いっしょに訪ねることにする。吉田社長の自宅のパーティには500人の名士が集まり、州知事が仮装してはしゃぐという。すごい日本人がいたもんだと思う。ぜひ会って学びたい。

翌日の木曜日の午後は、知人のお嬢さんとその友だちが会社を訪ねてくれた。20歳代半ばのふたりは、半年間かけて世界一周17カ国を訪問した。ロサンゼルスはいよいよ旅の最後の町。

以前に日本で会った時は、お父さんの会社の制服姿で、色白のおっとりした娘さんだったのが、20キロの荷物を背負って、世界各地を旅したせいか、小麦色で精悍な表情に変わっている。話し振りもなんだか自信がついて頼もしい。う〜ん、かわいい子には旅をさせよか。お父さんも勇気がいったことだろう。

もうひとりの女の子は、フランス人と日本人の両親を持ち、一見すると女優さんのような顔立ち。少し話しただけでキチンと愛情と躾(しつけ)を受けて育ってきたのを感じる。

旅の途中には、南米で荷物を引きちぎられそうになったり、インドで付きまとわれたりもしたけど、その多くは感動し、工夫し、楽しい旅であったようだ。

就職を控えたその女の子が「ホントは起業したいけど、親が心配をするから就職しようと思う」ともっともらしいことを言うので、

「娘が起業すると言ったら、親は心配をするかもしれないけど、それは人生の中の点や瞬間でしかない。すべてのことを本質で考える習慣をつけて。決して、目先で考えてはならない。常識だって時代とともに変わっていくんだ。目先や常識にとらわれない本質の目を持って。

本質で考えるなら、親は子が幸せであることが幸せなんだから、キミは自分が幸せになることを考えたらいい。じゃあ、幸せって何かと言えば、人生を通して夢中になれることや、大切なものを持つこと。そして、それによって目の前の人を幸せにすることじゃないか。

仕事だって、家庭だって何だっていい。5年後、10年後、20年後のキミが、目の前の人たちを幸せにしていたら、きっとキミ自身の人生は素晴らしいものだし、キミの人生が素晴らしければそれは立派な親孝行だと思うよ。少なくともボクは、自分の子供たちがお金やモノに囲まれて暮らすことより、まわりの人に感謝され、愛されるような人生を目指してくれることを望む。

大切なことは、起業するか組織に属するかではなく、自分は人生で何がしたいか、何ができるか、そして誰をハッピーにできるかなんだ。起業も組織もその方法に過ぎない。ましてその判断基準に、親の心配云々というのは問題のすり替えでしかない。

本質で考えて。そしてもっと言えば、お金やモノではなく、人の感謝や笑顔を追いかけて。欲望には際限がないけど、人の感謝や笑顔は、無限のエネルギーと心の平安をもたらしてくれるから」

うるさいオッサンだと思う。だけど若い人たちにはついチカラが入ってしまう。自分が助けてもらってきたようについ放っておけなくなる。

少しだけ吹っ切れたようなふたりを見送った。
若いふたりの幸せを祈る。

(その夜、ふたりからそれぞれ、ていねいなお礼のメールが来ていた)

こうして若い人をつかまえては語って聞かせるボクを、カミサンは説教オヤジと呼ぶ。彼女こそ一番本質で考えてほしいもんだ。

01 28, 2007

思いをのせて

この週末に、目を通す書類が電話帳の束くらいある。一気に頭に入れるのに、集中できる週末はありがたい。

チビを土曜日の日本語補習校(西大和学園カリフォルニア校)に送った後、奥歯が凍りそうなプールでひと泳ぎ。頭がいっぺんにスッキリ。

毎日じゃないけど、この季節、起きたらそのままプールで泳いで目を覚ます。水は冷たいけど、明け方のキッパリした青空のもとで、清々しい気分で一日がスタートできる。

その昔、冬こそ冷たい水を毎日浴びると風邪は引きませんと教えてくれたのは、名古屋の美人助教授の原田さん。しばらく会ってないけど元気ですか。

実践してみたら、ホントに風邪だけじゃなく病気も寄ってこなくなった。原田さん、ありがとう。今も続けてます。

そんなことで、スッキリした頭で、昼過ぎまで集中して書斎にこもった。

思い立って、ハガキを買いに郵便局に行こうとしたら、家内につかまって「ついで」に買い物を託(ことづ)かった。

郵便局は家から5分。日系のスーパーは30分。

「ついで」か、とぶつぶつ家を出る。

唐突にハガキを求めたのは、懐かしい人たちにふと手紙を送りたくなったから。それと、礼状もなるべく手書きにしようと思い立ったから。

毎日の多くのやり取りは、電子メールのキャッチボールの中で用を足してしまう。要件を伝えたり、情報を共有するにはこれほど便利なツールはない。電話のように割って入らないから気遣いもいらない。

ただ、気持ちや温度を伝えるには心許ない。しばしば、言葉が尖ってしまって人を傷つけたり、騒動の種になったりする。

余談だけど、毎年クリスマスや年始に送られてくるカードのなかには、サインはおろか、まったくの印刷物、ダイレクトメール状態で送ってくるものがある。

義理で送るならやめればいいのにと思う。ボクなんかは開封して、そこに人の手が入っていなかったらガッカリする。もしその相手が仕事以外の関係なら、そういう感性の人とはつきあえない。

だって本来カードは、一年の節目に、会いにいくことはできないけど「ありがとうな、お互いに元気でな」と、相手への思いを伝えることが目的だったはず。人生もうちょっとていねいに生きろよと思う。

そんなことをふと思い、そうだ節目だけじゃなく、思い立った時に手書きの便りを送ろうと郵便局に行った次第。

想像してみる。

節目でも、誕生日でもないフツウの日の郵便箱に、汚い字が並んだハガキが届いていたら、相手は、気を良くして缶ビールを1本くらい多めに飲むかもしれない。
ある仲間は「アイツも社会で揉まれて、漢字で手紙が書けるようになったよ。オマケに宛名も英語じゃないか」とボクを肴にして奥さんと笑い合うかもしれない。

懐かしいヤツらの笑顔が浮かぶだけでこっちも楽しくなる。

さぁ誰に書こうか。250枚も買ったから、きっと3年くらいかかるかもしれない。そうすると切手代が上がって、またここに並ぶんだろうな。

と、車のキーをひねった時、お使いのメモを家に忘れたことに気づいた。家内の呆れた顔がフロントガラスに浮かんだ。

01 27, 2007

底冷えのする剣道場から

もうすぐ午後8時。
トーランスにある息子の剣道場で書いている。やや腰が冷える。

今日は午後の5時から、東京、京都、大阪、そしてロサンゼルスの事務所の4拠点で、スカイプを使ってLCE(ライトハウスキャリアエンカレッジ)の遠隔経営会議を行った。いや、ホントに便利でありがたい時代に事業をさせてもらっている。
これがいちいち会っていたら1年の仕事が10年かかる。否、10年の仕事が一年でできると言おう。

会議では、手狭になった日本橋のオフィスの移転や、就職のための登録サイトの公開、採用の計画、予算の承認、業界大手との業務提携、日米の就業規則、LCEとライトハウス間のコンプライアンス、決めねばならぬことが山ほどある。どれも手が抜けない大事なことばかりだ。

何とか午後7時20分に今日の議題をすべて終了。
車を飛ばして息子の剣道が始まる7時半ギリギリに道場に到着。

家内とは路上でバトンタッチする。家内はそのままトンボ帰りで娘が留守番する家に帰る。ボクは家内に貰ったおむすびを道場の前でかぶりついてひとまず充電。ハラペコのままだと道場で気を失うからね。

それにしても考えてみたら、家内に限らず、こっちの多くのお母さんは、朝から晩まで学校や習い事の送り迎えばかりしている。自分のことは後回しで、イヤな顔もせず黙々と運転手を務める。世のダンナは忙しいと言っても、そこは飲んで憂さ晴らしもできるけど、お母さんのガス抜きの場は限られているからストレスもたまるだろう。まして働くお母さんならことさらだろう。世の中のお母さんの肩をもんで回りたい。

話を道場にもどそう。

出張や会食が入っていない剣道の夜は、こうしてお母さんたちに混じって、ノートブックを持ち込んで仕事するのが常だ。オフィスも良いけど、こうして環境が変わるとかえって良いアイデアがでたり、捗(はかど)ったりする。たまにお母さんたちとしゃべるのも違う世界を知ることができて楽しいもんだ。

ガラスの向こうでは竹刀(しない)の音が激しく響く。

年末の世界選手権の準決勝戦で、アメリカ選抜チームが、40年以上無敗だった日本選抜チームを破ったもんだから、主力選手のほとんどを出した名門トーランス道場の盛り上がりはすごい。

剣士もそれを見守る親たちもいっそう熱が入る。

先生や運営するお母さん、みんな手弁当のボランティアだから頭が下がる。本当に先生や先輩たちが良く面倒を見てくれる。礼儀も指導してくれるし。おかげで息子は剣道が好きでしょうがない。

こうして送り迎えはたいへんだけど、トーランス道場で剣道を習わせてもらって本当に良かった。感謝している。

そう言うボクは、スケジュール帳を眺めると、3月まで道場に来てやれる日がほとんどない。あと一日返事待ちの会食が決まったら、1月23日から2月末まで、会食や出張など用事が入っていない(週日の)夜が一日もないのだ。

来週は日本からの出張者。再来週はサンフランシスコ、その翌週はボストンとニューヨーク、2日空けて日本に飛んで、3月3日の息子のリトルリーグの開幕に間に合うよう帰ってくる。

どの出張も、業務提携や大切なプレゼンテーションが控えていて一分の隙もない。すべてが未来を拓くための大切な勝負だから全力投球!

一方で、日本のパートナーたちもそれ以上に身体を張って頑張っている。ライトハウスやLCEのメンバーも同様だ。手を合わせたくなるくらいみな頑張ってくれる。

朝、元気で起きられるだけで幸せなのに、こうして大好きな仲間と、大好きな仕事を(オマケに大好きな土地で)できる幸せに心から感謝。毎日を大切に全力で生きたい。

そうそう、1月から4月にかけて、どっちの会社も頼もしいメンバーが続々と合流する。

ライトハウスには3名入社。営業や編集に配属される。みな面構えが良い。将来のライトハウスや日系社会を担っていくメンバーだ。

LCEには、幹部社員から新卒まで7名が入社する。これから会うメンバーも含め各分野のエキスパートが多い。みな引く手数多(ひくてあまた)の「人材」なのに、大手企業ではなく、このLCEを選んでくれた。ライトハウス同様、多様な背景と価値観を持つメンバーが集まり、新しい企業風土を醸成していくのが楽しみだ。

彼らが会社を創っていく。彼らと社会を創っていく。

01 23, 2007

西原くんからのメール

日曜日の午後、買い物から帰ってきてこの原稿を書いている。

買い物と言っても、趣味や洋服のショッピングではなく、お米や肉野菜といった日常の食材。ひとりでぶらっと行くのが結構好きだ。

学生の時からそうだけど、一通りの食品の値段が頭に入っているから、一般の主婦よりチェックの目はキビシイ。決して「特売」とか「店長おすすめ」に踊らされることなく、本当にお値打ちかどうか自分の目で判断する。

野菜はぱっと見で選ばず、八方から見て、触って、時にはノックするように叩いてみて、その感触を確かめてから初めてカートに入れる。真剣な表情だからきっと浮いていると思う。それは、顔を斜めに、ボクの様子を窺うオバちゃんと目が合ったりするからわかる。

知り合いの奥さんなんかに会うと「あら、ご家族は?!まぁ、おひとりで!偉いわね〜っ」と、ポチが買い物したみたいにほめてくれる。
大人として、そこはとびきりの笑顔で返すけど、それは一流の板前や剣の使い手に「あんた、上手じゃない」と言うようなものだと思ってる。

さておき。

暖炉の炎がゆれるボクの書斎からは、カリフォルニアらしい澄んだ青空と豊富な緑、その隙間に、少しだけロサンゼルスの町並みや、背後のエンゼルフォレスト国立公園をのぞむことができる。

海や山は眺めているだけで幸せになる。そこに足を踏み入れたらことさらだ。今年は仕事同様、自然にも大いに挑みたい。

先週末は高津家と親父、うちの家族でマリブの山を登った。

360度見渡せる夕暮れ前の風景は、空も海も黄金色に燃えるようだった。ここなんか、トーランスから1時間半もあれば登山口に着く。そこから頂上往復は、シニアや子供(中学生くらい)の足でも2時間で帰ってこれそうだ。午後ゆっくり家を出ても晩ご飯の頃に帰ってこれる。

実はロサンゼルスやサンディエゴの近郊には、こんな手頃なコースから、上級者向けのトレイルまで、数多くのハイキングコースが存在する。

編集長の川嶋と、近郊のハイキングや、ちょっとした旅の情報を、今年はライトハウスの誌面で紹介していこうと盛り上がっている。

旅と言えば、中南米を旅している西原くんからメールが来た。

西原くんは中京大学を卒業してからアメリカに留学。ライトハウスのソフトボールチームの助っ人として活躍しているうちに、そのシャープな守備と打撃を買われてライトハウスの入社が決まった。大型新人のために契約金として、「さぬきの里」のトンカツ定食(小うどん付)を特別に用意した。

ライトハウスの入社には、ソフトボールがうまかったり、酒が強い人材のために、「スポーツ推薦枠」、「アルコール推薦枠」が存在する。

ウソです。すみません。

今日は頭がハイのようだ。話を西原くんにもどそう。

その西原くん、社会人になる前に思い出に残る旅をしようと、友達と二人で中南米のさまざまな国を訪ね歩いている。

あんまりその文章が瑞々しくってステキなんで、メールの一部だけ引用したい。

(以下、一部を引用)

中米は英語が全く通じずスペイン語ばかりで苦戦してますが旅本片手にがんばってます.
言葉ではなく,心ですね!思いは通じます.^^
グアテマラといえばコーヒーということで空港でコーヒーを飲んだらおいしかったです.
小さな幸せですが,こんな毎日が続いてます.
旅が始まり一週間,すばらしい笑顔と出会うことが多いです.
ベリーズからグアテマラのフローレスに向かう途中,バスのなかで少女に出会いました.
写真を撮ろうとすると逃げ隠れして笑顔が絶えませんでした.
その子は決して裕福ではありません,ですが心はとても裕福なんだぁと感じました.
裕福で心が貧しい人よりも,貧しくても心が裕福な人のほうがよっぽど幸せであることを
ここで出会う人たちは教えてくれます.

(引用、ここまで)

スマン、西原くん。勝手に載せました。

彼のメールを読んでると、知らない土地に旅がしたくなった。

気をつけて帰ってこいよ。
旅の話で酒飲もう。

01 21, 2007

女性経営者の会

それにしてもこの冬のロサンゼルスは寒い。

オマケにボクの部屋がある3階はあろうことか、こんな時期に暖房が故障してしまい、部屋の中は冷凍庫のように寒かった。先週、身の危険を感じたメンバーがヒーターを買いに走ったがどこもすでに売り切れていた。いやはや、毎日マフラーを巻いて仕事をしたのはアメリカに来て初めてだ。

そう言えば、パロスバーデスではスプリンクラーから溝を流れる水が凍っていた。その一方で、ボストンでは暖冬で桜が咲いたらしいからわからない。来月のボストン、ニューヨークの出張はどんな格好でいこうか。

それはさておき。この1月17日、ロサンゼルスの女性経営者の会で講演をさせてもらった。

テレビで告知をしてくれたのと、主催者の皆さんが宣伝してくれたおかげで、会場の定員を大幅に上回る方が駆けつけてくれた。心で手を合わせて感謝。

「ずいぶんお断りしたからもっと広い会場を借りたら良かったです」という主催者のお世辞に気を良くして、副社長の片山に聞かせたら「社長はふだん表に出ないから珍しかっただけじゃないですか」とまったく価値を理解していない。助手席から路上に落とすスイッチを押しそうになった。

当日、会場には女性ばかりかと思ったら、男女半々くらいで、年齢層も20歳代から、70歳を越える方まで幅広い。どうやら一般参加の方が多いようだ。

考えた結果、講演の内容は「個人事業主や独立を目指す方に、勇気と元気、経営のヒントを持って帰ってもらう」「ライトハウスのファンになってもらう」、この2つに目的をしぼる。
まずできるだけ共感してもらえるよう自己紹介をして、その後に具体的な手法を紹介する2段階で原稿を準備した。

この日も幸い、参加者のみなさんが一言一言に頷いてくれたり、反応してくれるのに勇気づけられ、すぐに自分のペースで話すことができた。時々、自分はこんな高いところから話すなんて傲慢なんじゃないかという思いも頭をかすめたが、最後まで自信を持って話した。

実は始まってすぐにまったく緊張していない自分に驚いた。原稿を眺めながらも、半分くらいアドリブで話すことができた。なんかすごい自信がついた。

講演は大きな大きな花束と拍手をいただいて無事に終えることができた。

講演が終わってからも30人くらいの方が名刺交換をしてくれた。

「創刊から応援しているんですよ」
「息子をあなたの会社に入れてほしいわ。あなたと同い年の息子だけど(笑)」
「勇気がでました」
「明日から社員に対する態度を改めます」
「何でもチカラになれることがあったら言ってください」
「うちの会社でもインターンシップの受け入れ協力します」
「今度、私の主宰する会でもぜひ話していただけますか」
「ソフトボールやりましょう!」?
「私のこと覚えてますか」???

直接、たくさんの方と言葉を交わして本当に温かい気持ちにしてもらえた。自分はこの方たちと、このコミュニティとつながっているんだと改めて実感した。
これからももっともっと伝えていきたい。

(おまけ)長文になるけど、講演の原稿を添付しました。

以下、原稿:

みなさん、はじめまして。ライトハウスの込山です。
すみません、この中でライトハウスを読んでくださっている方、手をあげていただいてよろしいでしょうか。
(いなかったらどうしようと不安でした)

私にできるお話は、みなさまにとっては釈迦に説法のようなものですが、全力でお伝えしますので、どうか全力で聞いてやってください。

まずカンタンに自己紹介をさせてください。

私は1965年に四国の高松で生まれ、高松の漁師町で育ちました。
中学卒業後は5年半、商船高専の航海学科で外国航路の船長を目指しました。

残念ながら、学生時代はラグビーと陸上に明け暮れて、国家試験はことごとく滑り落ち、就職活動もせず落ちこぼれたままでした。

一度、親に留学をさせてほしいと相談したら、次回そういう家庭に生まれなさいとアドバイスを受けました。

幸い、卒業前の一年間の航海実習で、1986年にロングビーチ港に寄港したのがきっかけで、アメリカへの憧れの思いがいっそう強くなり、同年、卒業と同時にアメリカに渡りました。

渡米後は、ウェラコートの「串の坊」で串カツを揚げたり、当時は珍しかった帰国子女向けの学習塾を経て、88年に自分で学習塾を立ち上げました。そして、学習塾や家庭教師をやりながら、89年1月、現在のライトハウスを創刊しました。

起業の理由は、出版社を始めたら、きっと取材や営業ということで、いろいろな成功者に会えると思ったからです。

資本金は3000ドルくらいでした。ワープロとコピーマシン、備品を買って、見本誌の印刷をしたら、さっそく資本金が尽きてきました。余談ですが、創業から数年は自分の給料なんてろくにでません。それでも創業間もない大切な時期に、借金もせず、出資も受けずにやってこれたのは、学習塾や家庭教師の収入のおかげでした。

最初のオフィスはガーデナの179通りの2ベッドルームのアパートでした。
オフィスとしては、通勤時間0秒、キッチン付、洗濯機をまわしながら仕事ができる便利な環境でした。おまけにルームメイトからの家賃が入ったから、限りなくコフィスとしてのコストはゼロでした。

実は、起業と同時に結婚をしたので、新婚生活の舞台としてはいかがかさておき、お金もマンパワーもない中、コストを最小限に抑えて、家内や友人が仕事が終わったら集まって、夜中まで編集や制作作業を手伝ってくれたおかげで命をつなぐことができました。

実際、創業時の成功者に会いたいという単純な願いが実現するまでずいぶん時間を要しましたが、この1月で創業19年目を迎えることができました。

2001年にはトーランスの自社ビルに移転。業績も17期連続の増収増益で、出版事業単体で、2006年度は年商が4ミリオンを越え、利益率も、近年は30%以上を確保しています。別会社で、教育とHRの会社ライトハウスキャリアエンカレッジを合わせると10ミリオンも視野に入ってきました。

こうして成長を続けることができたのは、創業当時からの読者や広告主のみなさん、恩師、ベンダーさんやスタッフのおかげに他なりません。

その一方で、各論のところで成長することができた要因を自分なりに考えてみました。本当に釈迦に説法ですが、少しでも参考になったら幸いです。
5つの要因

(1)    お客さんを知ることと、自分たちの商品に、手間とお金をかける
ライトハウスのお客さんは「読者」と「広告主」です。「広告主」は「読者」の中にいます。そういう意味で、読者を知るためのリサーチには手間とお金を徹底的にかけています。読者が、何に困って、何を求めて、何に喜んでくれるか、何に感動するか、それを記事を作るのが情報誌の仕事です。

我々の商品は「記事」であり「情報」です。ライトハウスは、日本の通信社やスポーツ新聞から、できあがった記事を買うというより、この日系社会で暮らす人が必要としている情報を、自分たちの足を使って集めることを大切にしています。自社記事は手間もお金も何倍もかかります。そのほとんどは地道な作業の積み上げです。しかし、それは結果として、マネができないものを積み上げることができると思っています。これまでも、これからも自分たちはこの日系社会に根ざした情報誌であり続けたいと思います。

(2)    年間契約をスタンダードにする
創業から4、5年の、広告の契約期間が1回とか、1ヶ月、せいぜい数ヶ月の頃、お客さんのところに更新の話にばっかり通っている自分がいました。契約のお願いは、言ってみたら「お願い」です。その関係は、どこまでいっても、頼み頼まれる関係です。入り口においてそれは必要なんだけど、そればっかりの歴史だと、自分やスタッフが歳を取った時にそれは辛すぎるし、そんな仕事には誇りが持てないと感じていました。どうしたら、営業マンが頼りにされる、お客さんと視界を共有して、いっしょに成長していくような関係になれるだろう、いつもそればかり考えていました。社員や社員の家族が、知り合いから「ライトハウスに勤めていて良いね」とどうやったら言ってもらえる会社になるだろう。
そうして行き着いたのが、年間契約をスタンダードにして、単発の広告掲載の料金設定を2倍にすることでした。長期契約を割り引くのではなく、短期を高額にするのは勇気のいることでした。導入当初は、呆れられたり、叱られてばかりでしたが、営業マンの契約更新にかけるエネルギーを、お客さんへのケアや提案にシフトすることで、少しずつですが、お客さんとの関係性が向上するとともに、売上が飛躍的に安定成長しました。現在では80%以上の広告主が年間契約なので、先の売上の見込みが立つのも強みです。近年は、それでも営業のマンパワーが追いつかない状態が続きましたが、年末から今年にかけて、ようやく戦力が整ってきたので、初心に立ち返り、ケアと提案力アップにもチカラを注ぎたいと思います。

(3)契約書はゴールではなくスタート
ライトハウスの広告のベースになる12分のサイズは一回の掲載料金が130ドルです。年間では約3000ドルになります。3000ドルの商いは、10年で3万ドル、30年では10万ドルになります。実際には、お客さんの事業が成長したらサイズもそれに伴ってアップするから、その取引は20万ドルにも30万ドルにもなります。私たちが繁盛する一番の近道はお客さんの商売繁盛です。時には、お客さんのはやる気持ちを抑えて、広告を出すタイミングを待ったり、小さいサイズを提案することもあります。お客さんとは、向き合う関係ではなく、視界を共有して、同じベクトルにチカラを重ねる関係でありたいと思います。

(4)毎週の社内勉強会の実施
ライトハウスでは社内勉強会にとてもチカラを入れています。10年以上前から週に一回、テーマを決めて、朝の8時から45分、様々なテーマについて、考えたり、話し合ったり、伝えるトレーニングの場でもあります。
ライトハウスの弱点をみんなで考えたり、伝える技術を磨いたり、自己実現について頭を整理したりします。そんな中で、おりにふれ、会社のミッションやビジョン、私の考え方を直接メンバーに伝えます。

(5)スタッフの将来をともに考える
会社の最大の「資産」であり、「宝」はスタッフです。経営者とスタッフの関係は、親分子分だし、親子のようなものだと思っています。
また、スタッフが、その会社に人生の大部分を重ねるに足る価値のある「場」でなくてはならないと思います。スタッフには人生の重心を預けて、アクセル全開で頑張ってほしいし、経営者は「物心」でそれに応える関係が理想だと思います。
ライトハウスでは、そのひとつの形として401Kにチカラを入れています。
年間に、社員が1ヶ月、会社からも1ヶ月、合計で2ヶ月ずつ積み立てられるようにしています。30年務めたとして、その間の平均月給が3500ドルとすると、一年間に7000ドルの積み立て。30年複利で積み立てると、過去の利回りでいくと50万ドル以上の備えが可能になります。60歳でいったんリタイアした時に、家のローンを払い終わって、そのうえで50万ドル、100万ドルの備えがあったら、単に気持ちを重ねて夢を追いかけたというだけでなく、物心ともに豊かな老後が現実的になっています。私も含めて、やがてスタッフは老います。その時にこそ、この会社で働いてきて良かったと思ってもらえる会社を目指したいと思います。

何とか今日までやってくることができた「理由」より、こうありたいという「理想」ばっかりになってしまいました。理想をあげて、現実が追いついていないことも多々あります。でも、根っこのところは、そんな思いで日々の経営をしています。

ライトハウスは19年目といっても、私を含めて本当に未熟者の集まりです。
ただ、この日系社会を思う気持ちと、自分たちが創る「ライトハウス」を愛する気持ちは、誰にも負けないくらい熱々です。

どうかこれからも、ライトハウスを応援していただけますようよろしくお願いします。今日はこの場をいただきありがとうございました。

01 20, 2007

ボクのパートナー

土曜日の朝。子供たちを日本人学校に送って近所の洗車屋で書いている。
天気予報によると、むこう一週間快晴が続くせいか、朝から洗車屋は混雑している。それはいいんだけど、開店早々にコーヒーが切れてしまってちょっと閉口。半分はコーヒーを楽しみに来たのだけど気を取り直す。

仕事始めから2週間あまり、ありがたいことにいきなりトップスピードの毎日だ。

先週後半は、日本から、ライトハウスキャリアエンカレッジ(LCE)のパートナーの高畠と竹内がロサンゼルスを訪れた。

メンバー全員がロサンゼルスに集結して、それこそ72時間、寝ている以外はずっと事業全体の流れについて、細部の細部まで打ち合わせを重ね合宿のような毎日。

腕時計を見る度、3時間も4時間も経っている。全然時間が足りない。さっき朝だったのがすぐに深夜だ。限られた時間の中、納得いくまで徹底的に議論をぶつけ合う。もうスパークの連続で、それこそ二人が帰国した夜はさすがにヨレヨレで泥のように眠った。

そう。国際間の教育研修事業に加え、新たに国際間の人材斡旋事業をスタートさせたので、とくに竹内を中心に、昨年後半から戦争のような毎日が続いている。

今回はその中でも、全体の流れを完成させるための重要なミーティングだった。
(注:後にふれるけど、2つの会社の事業を継承して、2006年11月に「ライトハウスキャリアアンカレッジ(LCE)」を設立。東京、京都、ロサンゼルス、サンディエゴに拠点を置く。トップは代表取締役社長の高畠。竹内がHR事業をまとめ、ボクは取締役会長として、主に外交面や、米国を含む海外のインフラづくりを担当する)

二人のパートナーのことを話したい。

高畠とは、彼のリクルート時代から数えると、いっしょに仕事をして8年目になる。竹内は、高畠の誘いを受け、昨年のLCE設立の構想段階から合流した。

高畠と竹内はともにリクルート出身で、在職中はともに若くして幹部になり、教育や人材の事業部でその手腕を振るった。二人を知る後輩たちは、残っていたら二人とも役員になったと口を揃える。

身内を誉めるのも何だけど、二人は妬けるくらいに人望が厚い。それは退職後の今も変わらず、残ったメンバーや、会社を離れた後輩にも慕われ、労をいとわず本当に良く仲間の面倒を見る。

また、いっしょに仕事をしてつくづく感じるけど、二人揃って呆れるくらいに仕事ができる。これまで多くの経営者と会ってきたけど、実際の経営と執行において、こんなにオールマイティでバランス感覚の取れた人間には会ったことがない。いっしょに仕事をしながら学んでいる。尊敬できる仲間と仕事ができることは人生の幸せだ。

リクルートで揉まれ、束ねてきた二人が新会社のエンジンになっているのは言うまでもない。ボクも二人やメンバーに愛想を尽かされぬようパワー全開で走りたい。

「ライトハウスキャリアエンカレッジ(LCE)」

この会社のミッションは
「国境を越える個人のキャリアを支援する」「個人と企業の国境をなくす」

ボクは残りの人生のすべてを賭けて、ライトハウス(情報誌)とLCE(教育、HR)、この二つの翼で、世界中で日本人が活躍できる世の中を創りたいと思う。

乞うご期待。

01 20, 2007

小学生日記

今日はビバリーヒルズに住むO夫妻のご招待で、リビエラカントリークラブでゴルフをラウンドした。リビエラと言えば、USオープンやUSシニア、近年はNISSANオープンの舞台となる名門コース。

晴天の中、難しいコースに、クラブを5本も6本も担いで右へ左へ一日走った。入会金が20数万ドル、年会費が2万ドルを越えるというから、一回でもたくさん振らないともったいない。

ご夫妻は、数年前にあるプライベートバンクのトップに引き合わせてもらって以来のおつきあいで、ビジネスのことでずいぶんアドバイスをいただいている。

業界の人が聞いたらすぐわかるような有名企業を一代で育て上げた成功者だ。70歳になった今は、事業を息子に任せ、住まいを東京とビバリーヒルズに置いて、一ヶ月おきに海外旅行で世界各地をまわる。

今年は、夫婦でクリスタルクルーズでヨーロッパを巡るのと、日本舞踊の海外公演の応援に行くのを楽しみにしている。

Oさんからは、企業の買収や提携の仕方から粋な遊び方、ベタじゃない心に残る接待の仕方まで、ホントたくさんのことを教えてもらっている。そして、いつもユーモアいっぱいで、決して偉ぶらないし、恥をかかさないように知恵やヒントをくださる。

今日も日本の有名な経済誌の創業者を紹介してくださることに。

「あなたに損はないはずだから」

いつもそう言ってチャンスをくれる。
(夜、「先方に話をしておいたから」とさっそく電話をくれた)

こんなステキな歳を重ねたいと思う。

ラウンドを終え、午後の早い時間にOさん夫妻と別れ、今日はまっすぐ家に帰る。

明日から、新会社の事業パートナーの高畠と竹内が来るので、たまっている仕事やメールのチェック。

メールは返信するより、着信が増えるペースの方が早い。何てこったい。メールで卓球をしているみたい。会社からも片山や西川から報告や相談のメールが続く。おつかれさん!

9時過ぎにようやく勝利、いやほぼ返信。

今日は龍馬を読んで明日からに備えよう。

と、キッチンを通り過ぎる時、洗い物が目に入る。昨日から、息子の玄(はるか)が体調を崩して、家内は手が回らない。ステレオを持ってきて「ユーミンベスト」を聞きながらチャッチャッと洗う。食器を大小や形状ごとに工夫して食器棚に並べるのもこれはこれで楽しい。整然と並ぶピカピカの食器や鍋を眺めてひとり自信に満ちた顔で笑う。窓ガラスに映った己と目が合うとちょっと悲しい。

ということで、ゴルフをして、仕事もできて、ご飯をいっぱい食べて、とても充実の一日でした。

なんかまるで小学生の日記。ご容赦ください。

01 09, 2007

友に感謝

金曜日の夕方から二泊、ニューヨーク帰りの中川さんが遊びにきた。

日本で運送会社を経営する中川さんは、ここ5年、年末年始は家族を大阪の実家に帰し、ニューヨークで自分を見つめ直すという口実のもと一人旅を楽しむ。

ミュージカルを見物したり、コンサートを鑑賞したり、あるいは五番街で買い物をしては、キビシク自分を見つめ直している。ボクも自分を見つめ直したくなってくる。

中川さんはボクより4つ先輩。数年前、彼の会社が毎年開催している「世界フリーペーパー祭」に、ライトハウスを出展させてもらったのをきっかけに、個人的にも親しくなった。

これまでも、海外のメディア経営者や提携先の候補を紹介してくれたり、逆にこっちが紹介したり。また温泉やゴルフに行っては、お互いに経営者の視点でビジネスの相談やアドバイスができる、そんな貴重な仲間だ。

業界や、歩んできた道がちがう分、斬新なアイデア、知り得ない情報や知恵が交換できるのもありがたい。

今回も雑談の中から、新会社のマーケティングが必要なボストンで、何人か現地の顔役を紹介してもらえることになった。顔も広いのだ。

冒頭であんなことを書いたけど、家庭人の中川さんは、週末は家族に三度のご飯を作ったり、娘に見せられない行動はしないと、一切の遊びごとをしない実直な「お父さん」でもある。

ボクのまわりは、(視認できる範囲では)家族を大切にする連中ばかりだけど、その中でもとりわけ家庭を大切にする人物だ。
また、それを支える奥さんや娘のエミコちゃんも良く大黒柱を尊敬し、慕っている。

晴天の土曜日。マリブまで足を延ばして二人でゴルフを楽しんだ。

起伏に富んだ山岳コースで、ボールを打ち損じたり、パットを外しては一日笑い合った。お互いにアドレス(スィングの構え)に入ると、話しかけたり、視界の中で踊ったりするから行儀が悪い。

幸い、前の晩に中川さんに貸すゴルフクラブに呪文をかけておいたのが効いたようで、ラウンド後はうどん2杯食べられるくらいの小遣い銭がもらえた。

マリブからサンタモニカヘ続く海岸線の帰り道、中川さんは創業期の話をしてくれた。

前職の一部上場企業のサラリーマン時代は、月に30億円に余る予算を任されていたけど、独立して最初にもらえた仕事は、ダイレクトメールに切手を一枚2円の手数料で、700枚貼付けるという地味な仕事だった。

その晩、それを家に持って帰って、テレビもつけず、奥さんとふたり黙々と貼付けていた。時計の針の音だけが響く夜半過ぎに奥さんが尋ねた。

「この仕事っていくら貰えるの」

一枚2円というのが恥ずかしくて、一瞬、全部で2万円とか大きく言おうかと思った。だけど、嘘は言うまいと意を決し、ありのまま正直に応えた。

奥さんは「けっこう貰えるんだね」とニッコリ喜んでくれた。

「退職してから、もう一度(前の)会社に戻してほしいと、上司に土下座をする夢ばかり見ていた自分だった。だけど、この瞬間に腹が決まった。

もう後戻りしない。やっていくぞと。

もしあの時に家内が、ガッカリしたり、僕のことを非難をしていたら、気持ちが折れていたと思う。少なくとも、今の会社や自分はなかった。家内の思いやりに救われた」

それから10年弱。

夫婦で切手を貼っていた会社は、池袋サンシャインの40階に、東京を見渡せる広いオフィスを構え、主要都市には拠点を置き、年商は10億をゆうに超える。社員は社長に似て、礼儀正しく熱い。

もうひとつエピソードを紹介しよう。

2円のダイレクトメールの仕事をくれた担当者は、その後他の会社へ転職してからも、中川さんの会社を指名した。

これまでの受注金額の合計はとうとう20億円を超えた。

「ラッキー」

という話ではない。

「その人に会っていたら、ワシも成功した」

という話でもない。

2円の仕事を毎回誠実にやったからこそ、今日の20億円につながったんだと思う。言い換えたら、一見小さな仕事に全力を尽くさずして、大きな仕事は任されない。

今、目の前のお客さん、目の前の仕事に、丁寧に、全力で向き合いたい。

今日もまた友に感謝したい。

01 07, 2007

先輩たちとの新年会

1月3日、今朝は少し早起きをして、年末から着手している新会社のミッションやコンセプトについて、ひとつひとつ言語化している。言ってみれば、将来に渡っていっしょに力を重ねる人たちのルートマップを作るようなものだから、人生を重ねるだけの価値があり、普遍性があるものでなくてはならない。書いては消し、消しては書きを繰り返す。

そんなことで、脳味噌がグツグツ煮立ってきたのでちょっと息抜き。

アメリカの恩師に、(先のブログで書いた)ビルさんと同じくらいお世話になっている方がいる。ライトハウスの創刊時から、アンカーコラム「ロス日記」を執筆いただいている作家の阿木慎太郎先生だ。

ビルさんのおかげで、ボクはアメリカが大好きになり渡米を決心した。最初に描いた経営者のモデルはビルさんだ。それは今も変わらない。

阿木先生は、大人になって一番叱ってくれたし、今でも一番おっかない。おっかない人がいることは幸せだ。(カミサンがおっかないとしたら、それは幸せかどうかわからない)

阿木先生は生き様を通して、品格を持って生きることの大切さを教えてくれた。そして、出版という仕事の尊さ、出版の責任の重さを叩き込んでくれた。恥ずかしながら、会社勤めの経験のないボクに、根気よく社会人としての基本をずいぶん指導してくれた。

そしておふたりから共通して、人間として、男としての美学のようなものを教えられた。ボクの中では、見返りを求めない愛と言ってもいいし、自己犠牲の精神と置き換えることもできる。

ビルさんと阿木先生の存在なくして今の自分はあり得ないだろう。

昨夜は、その阿木先生のご自宅で、毎年恒例の新年会にお邪魔した。

ボクの関連は、ライトハウスの片山と西川、親父、家族、弟家族、なんか多い。参加者の半分くらい。

あとは平均年齢65歳くらいの先輩方。

偶然だけど、参加者のひとりの森田さんという女性は、最初にボクが実習生で来た練習船の乗組員向けに、お土産を販売する会社を経営していた。当時ボクは、森田さんやスタッフに、アメリカで働くにはどうしたらよいか熱心に聞いていたのでよく覚えていたのだそうだ。

それが何ヶ月も経たないで、リトル東京のレストランに入ったら、あの真っ白な制服姿の青年が、真っ黒なサラシを巻いて「へぃ、いらっしゃいっ!!」とカウンターに立っていたから魂消(たまげ)たそうだ。

森田さんはアメリカで一番長いおつきあいということになる。

別の参加者で、数え年で76歳になった小川社長は、ライトハウス創刊の89年からのおつきあい。オフィスを借りるお金もなかった当時、小川社長が持つアパートの一室を、住居(新居)兼オフィスとして使わせてもらった。(当時はそこにルームメートがいたし、時々居候が転がり込んだ)
その後も小川社長が持つオフィスビルに引っ越し、8年もお世話になった。日商の副会頭や、日系社会の要職を数多く務めた小川社長から、ずいぶん大勢の方のご紹介をいただいたものだ。

小川社長もまた、我が子のようにボクにアドバイスをくださる。
「洋ちゃん、けっして驕ってはいけないよ。謙虚に、謙虚に。初心を忘れてはいけないよ。攻めるばかりじゃなく、守ることを忘れてはならないよ。ビジネスは手堅く、守りが大切だよ。これまで築いてきたものを守るんだよ」
小川社長はゼロから巨万の富を築いた人生の中で、数え切れない挫折や失敗を乗り越えてきた方だから説得力がある。

一時ライトハウスを手伝ってくれていた中田さんは、60歳代半ばに差し掛かるというのに元気は一番。昨年はプライベートコースで歩いて164ラウンドしたという。酒量も食欲も、大食のボクが敵わない。

テーブルに収まりきらないほどの豪華な料理をご馳走になった後、阿木先生がスパイスから作る名物のライスカレーを2杯もいただく。つい食べ過ぎたことを後悔していたら、「ひとりで食べるのもなんだから」と、中田さんがお互い3杯目になるライスカレーをよそってくれた。
この人にはかなわない。

そんなありがたい先輩たちに囲まれて楽しい夜を過ごすことができた。

話題は、世界中の旅先の想い出話から、稲尾の三連投、西鉄のクリーンアップ、日本映画の黄金時代と話題は尽きない。どの話も、その方の人生と時代背景をキラキラと浮かび上がらせてくれる。

また戦中戦後のみなさんの都内や疎開先での体験をうかがうと、空襲、防空壕、原爆、ヤミ米、ロシア人がやったこと、戦死といった教科書の中の話が、立体的に現実として浮かびあがってきた。教科書では学べない歴史がある。

一夜明けて、阿木先生にお礼の電話した。

すると、子連れのボクらが午後10時前に帰った後、先輩たちは深夜過ぎまでカラオケで盛り上がったのだそうだ。そのパワー恐るべし!

01 03, 2007

スーパーうどん2号店開店

正月からありがたいニュース。

弟が経営する「スーパーうどん」の2号店がトーランス市にやっと今日開店した。

実は店自体を購入したのは昨年の2月だったのだが、市の衛生局がなかなか認可を出してくれなかった。弟は黙ってガマンしてきたけど、ボクから見たら重箱のすみを突ついて、いたずらに延ばされているようにしか見えなかった。

ギリギリの資金で始めた弟が、毎月空家賃を払わされるのは心身ともに堪えたろう。トーランスに限らずだけど、役所の認可待ちに苦しむ経営者は多い。他地域や、東はマンハッタンの仲間からも同じことが聞かれる。

人から頭を下げられる一方の仕事をしていると、本来尊い仕事であることを忘れ、中には、自分が偉くなったと勘違いしてしまう輩がいるのだろう。開店をスピーディにすることで、雇用が生まれ、税収が入り、市が潤うということに気づかない。決して便宜を図れという話ではない。「役所仕事」という言葉があるが、役人こそ、庶民の身になって、大局で物事を見てほしい。

それはともかく。ようやく開店に漕ぎ着けた。

一昨年6月にオープンした一号店は、開店から数ヶ月で、卸業者さんから「アメリカのレストランの中では一店舗あたりのうどん玉の消費がナンバーワン」と言ってもらえた。今でも業績を伸ばしている。その地力はすごいと思う。

本人もまわりもその勢いで行きたかったろう。

自力でどうにもならない毎日の中で、本人は辛かったろうけど、ボクはトントン拍子にいかなくて良かったようにも思う。

センスはあるけど、末っ子特有で、粘りや緻密さに欠けるところがある。うまくいくとすぐに舐めてかかるところも危なっかしい。今回のことはきっと将来の糧になるだろう。

と、身内にはつい辛口になるが、スーパーうどんは辛くないです。ご近所の方はぜひ試してやってください。新登場のちらし寿司もおススメです。ちょっと売れないと根気がないのですぐにメニューから姿を消します。一号店のロール寿司みたいに。だから、早めにご賞味ください。

トーランス通りとホーソン通りの北東にあるガススタンドの北側のモール内、「稲葉」さんと同じモールです。

さて、ドアを開けると、初日の店内は幸いほぼ満席で、知った顔が大勢駆けつけてくれてた。ありがたい。

入り口の横には、親父が贈った招き猫が鎮座している。高津さんは社員みんなをネクタイ姿で連れてきてくれた。別のテーブルでは高津さんの奥さんと子供たち。ライトハウスのメインバンクのカリフォルニアバンク&トラストのヨシコ支店長とロレーンさんも来てくれた。焼肉の「たまえん」や、奥村先生からも大きなプラントがお祝いに届けられている。みなさんのこういうご恩は一生忘れません。もう、ひとりひとりにお酌をして回ろうかと思った。入る人、帰る人、全員100回ずつ胴上げをしたいくらい。お正月から感謝の気持ちでいっぱいだ。

そういうことで愚弟の2号店がようやく開店いたしました。
お近くにお越しの際はぜひのぞいてやってください。
どうぞよろしくお願いします。

01 02, 2007