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込山洋一

社員旅行

日曜日の朝。娘のサイエンスプロジェクトの写真のピックアップのためにトーランスのCOSTCOに来ている。勝手に午前9時から開くもんだと思ったら10時でした。一時間、早く着いてしまった。

ちょっと曇り空のパーキング。外の温度は14.5度。カラスがカァカァ飛んでいる。

今週はお楽しみの、ライトハウス本誌メンバーの社員旅行がある。木曜日から二泊三日でラスベガスのMGMホテルに滞在する。

世界的なエンターテイメントが集まる街なので、今回の旅行はチームビルディングよりも、多様なエンターテイメントにふれてもらうことに重きを置いている。
まあ、単純に頭を空っぽにして楽しんでもらったら良いのだけど。

2階(ライトハウス本誌メンバーのフロア)では、何のショーを見るかで盛り上がっているようだ。何でもミラージュホテルの「LOVE」が一番人気らしい。

ボクはどうもシルクドソレイユの良さを感じ取る感性が乏しいようで、(ビートルズが好きだから)「LOVE」はともかく、「O」も「KA」も「MISTERE」も「ZUMANITY」もあまり面白いとは思わない。とくに面白いはずのピエロや肥満の女性がずっこけたり、客を弄(いじ)る場面で観客が大爆笑するのがさっぱりわからない。

むしろ、見てわかる、聴いてわかるディビッドカッパフィールドのマジックやセリーヌデュオン(いよいよ今年で講演は終わりそうだけど)のコンサート方が千倍楽しい。

ちなみにボクは去年のロンドンに続いて、ラスベガス版「MAMMA MIA!」を観劇する予定。

余談だけど、ラスベガスの情報は,
www.lvtaizen.com
が豊富で詳しい。
ナイトショー、ホテル、カジノ、ショッピング、レストラン、スポーツなど読者視点でしっかりと取材してある。なかなか辛口評価もあって、ラスベガスに行かれる際はぜひご参考にされてください。

あとはブラックジャックでこづかいを増やすか。

これでカードにはけっこう強くて、この数年で言うと勝率8割くらい。根っこがギャンブルに執着がないのが良いようで、たいていお土産を持って帰る。

決めた金額のラインまで負けたら、仲間といても、お金に余裕があっても、そこであっさり部屋に帰るようにしている。逆に目標の金額に達したら、そこでもあっさり換金してギャンブルはそこで止める。決して高望みはしない。

戦利金はそのまま持ち帰ることもあるが、もとよりカジノで勝った金は「泡銭(あぶくぜに)」で、投資額は非日常を味あわせてくれる「場所&雰囲気代」と思っているから、誰かへのプレゼント用にエルメスやシャネルのネクタイを買ったりする。

たぶん、「勝ちにいかない」のが良いのだと思う。負けても腹が立たないし、勝ったら勝ったで素直に喜べる。

カードゲームが面白いのは、偶然同じテーブルを囲む見ず知らずの客同士が、いっしょに勝ったと言ってはハイタッチして、親(ディーラー)の一人勝ちが続くと首を振って天を仰ぐ、そんなライブ感だろう。

さあさあ、今回のラスベガスはどうなることやら。

スタッフの大喜びする顔が見られたらそれが一番のお土産だろう。

03 26, 2007

土曜日の朝に想う

土曜日の朝。息子のリトルリーグの練習に来ている。

マラガコーブのグランドは青々とした芝生で満たされ、その向こうは太平洋をのぞむ。休日の海にパワーボートが白い線を引いて沖を走る。海からの風はそのままうたた寝しそうなくらいに心地が良い。

昨夜は夕方には仕事を切り上げ、副社長の片山と制作の中山くんを自宅に招いた。
いや、ただの飲み会。

家内は息子の剣道で家を空けるので、手料理でもてなそうと帰りにスーパーで鍋の材料を買って帰る。切って土鍋に放り込むだけだから「手料理」というほどでもないのだけど。

そういえば、この間、編集長の川嶋くんとLCEの大野くんが来たときも鍋だったかも。なんか、年中鍋を囲んでいる。

中山くんは主にライトハウスの記事のレイアウトを担当するデザイナー。入社して4年目でその前は東京のデザイン事務所で長い間働いていた。

彼は朝の勉強会で発表のとき、車に例えて話すのが好きだ。その内容もなかなかスパイスが効いている。

先週の勉強会の中山くんの発表は、従業員側を車のポルシェ、マネージメント側をドライバーに例えた。

「いくら高性能を持つ車でも、運転がヘタクソだったらその能力を発揮することはできないし、時に壊してしまうこともある。

だからこそ、その能力を引き出せない者(上司)は運転(マネージメント)すべきではないし、トップはそういう人選をしてはならない」

その通りだと思った。

自分たちをポルシェに例えるところが生意気にも取れるけど、プライドを持って仕事をしている表(あらわ)れだ。それで良い。

管理職たるもの、不断の努力で自分を磨き続けなければメンバーに認めてもらえない。

その指示が、ミッションやビジョンと矛盾したり、横着であったり、意味を見いだせない時、部下は表情に出さずとも決してそれを見逃さない。本人が自分を納得させているつもりでも部下は見透かしている。そして静かに心が離れていく。

ボクは18年余りの経験の中でそういう過ちを犯してきたのだと思う。笑顔の底では失望して会社を離れたメンバーもいるだろう。今もよほど意識して自分を戒め続けないとすぐにブレそうになる。過ちを繰り返してはならない。

部下は(そうそうあってはならないが)そのジャッジが結果として失敗を招いても、潔く認めるボスを受け止めるし、それが原因で信頼関係が崩れることはない。

しかしその時に、失敗を部下や外部要因にすり替えた時、部下はそれを許さない。

上司の保身に対して、部下はとても敏感だ。

自分を売った上司のことは一生忘れないし、許さないだろう。

管理者は決して責任を押しつけてはならない。そのときはバレなくても必ず人生の中でしっぺ返しが来る。

「手柄は部下に、責任は自分に」が鉄則だ。

それができない人間は部下を持ってはならない。

スキルが部下より劣っていてもいい。多少、言葉が足りなくてもいい。

管理職は何よりも、人間として「誠実」であることと、部下への「愛情」が大切だと思う。そして誰よりも「努力」すること。それだけでも困るけど、その3つがあったら信頼関係が崩れることはない。

会社に一番大切なのは「信頼の場」だ。みんながお互いの背中を預けて、ベクトルを重ねなければ大きな仕事はできない。そのためにも、上司は自分を磨き続けて、信頼に足る人物でなければならないし、部下は上司になった視点で物事を考え、仲間を信頼し、「批判の人」ではなく、自らが「創造する人」でなくてはならない。
「言うだけ番長」は要らないのだ。

再び鍋にもどる。

冷蔵庫でキンキンに冷やしておいたスペインとカリフォルニアのシャンパンは、うまいうまいとあっという間に空になった。鍋も大量に仕込んだ具材がみるみるうちに減っていくから気分が良い。

中山くんもエンジンがかかってきて、得意のモノマネを披露する。

うちの会社で、青木くんと中山くんのモノマネは腸がねじれるくらい可笑しくて巧い。ただ、みんな社内のメンバーのマネだから社内の人間しかわからないし、外では通用しない。

「青木さんがする社長のモノマネ」というのもある。

「うん、うん、うん(神妙にクビを傾げて頷く)、オッケ」とやるらしい。
まさかと思ったら、それを眺めながらやっていた。オソロシイ。

メンバー3人くらいの日常の会話をそれぞれ演じ分け、そこに落ちがつくと笑いが止まらなくなる。

「社内のナゾ」と言うも初めて聞いた。

週に4日、半日会社を手伝う父親は時々、誰に憚(はばか)ることなく、フロアいっぱいに響くくらいの大きな音で「カーーッ!」とやる。(その度にボクはドアを閉めた社長室の中で身を縮める)

「その後、お父さん(と、みんな呼んでいる)はそのままなんです。カーーッの後どうしているのかナゾです。飲むんでしょうか」

オレに聞くな、そしてナゾに包まれるなよ、親父。

来月からボクは2階(ライトハウスの本誌のメンバーのフロア)にも、デスクとちょっと寛げそうなソファーセットのスペースを確保する。これまでは、3階(LCEや経理、食堂のフロア)の社長室にこもって仕事をすることが多かったのだけど、これからは一日のうちの何時間かでもメンバーの顔の見えるところで仕事をすることにした。

インターフォンが要らないと言われるくらい声が大きいボクだから、けっこうメンバーには迷惑かもしれないけど。

ライトハウスを「笑顔」と「思いやり」、「お互いへの感謝」でいっぱいの会社にしたい。

03 24, 2007

クルーズの休日

フリーペーパー泥棒を捕まえた週末は、刑事の張り込みのような人生から一転して、ビバリーヒルズに住むO夫妻の招待で、夫妻の持つ49フィートのクルーザーでサウスベイ沖のクルーズを楽しんだ。

朝、マリナデルレイのマリーナに集合して、船長のJBの操船でやや曇り空の海を航海する。

メンバーもO夫妻が応援する若手(?)メンバーでみなさん知った顔ばかり。

ロサンゼルスというよりアメリカを代表する病院シダースサイナイの名ドクターTさんの親子や、UCLAで泌尿器系の研究をするドクターのHさん、プライベートバンクのHくんとその彼女、そして我が家一家四人。

久しぶりのあいさつを交わし、午前10時過ぎに出航。

斜め前にはクルーザーがもう一艘、医療機器の会社を経営する仲間のリチャードの「ゲイル4号」が走る。「ゲイル」は奥さんの名前。「4号」はこれが夫婦で購入した4艘目のクルーザーだから。なかなか日本人のメンタリティだと勇気がいることだ。

ちなみにO夫妻のクルーザーの名前は「アバカス」。

あろうことか、「ソロバン」という意味。
その話が出ると、「ゲイル」と比べてあまりにも身も蓋もない命名に、O婦人はホッペタをふくらませる。一代でゼロから大企業を育て、いつもユーモアにあふれるO氏らしいネーミングだ。

船はパロスバーデスの沖、数百メートルのところまで行った。
いつも眺めている景色を海の方から眺める。

お目当てのクジラを見ることはできなかったけど、途中、イルカが並走したり、ラッコが人懐っこくそばを泳いだりして子どもたちも大はしゃぎ。大人はシャンパンを片手に贅沢な休日を満喫する。

帰航してから、そのままO夫妻が所属する「マリナデルレイヨットクラブ」でピアノの演奏を聴きながらシャンパンブランチを楽しんだ。

このクラブは、ヨットやクルーザーのオーナーで構成される歴史ある会員クラブで、食事をしたりパーティをしたり、メンバーの社交の場として使われる。

メンバーになるには複数の会員の推薦と審査が必要なのだそうだ。
O夫妻に勧めていただいたけど、少なくともここ数年は仕事と家族の時間を優先しようと思う。ソフトボールのホームラン王を狙えるのもここ数年が勝負だからね。

それにしても、ボクもOさんがそうしてくれているように、ビジネスはもちろん、男らしい生き方や社交の世界、粋な遊び方を若い人たちに教えてあげられるような豊かな歳を取りたいと思った。

03 21, 2007

フリーペーパー泥棒(後)

フリーペーパー泥棒の張り込みの金曜日もあいかわらず慌ただしい。

朝は日本や米国内からのインターンの学生たちに、仕事やキャリアについて話をする。「人と比べない、自分のモノサシで生きよう、自分の持っているチカラを信じよう、謙虚であろう」「20歳代にこそ許されること/知らないが許される10年、甘えて懐に入れる10年」そんな話を2時間くらいした。

この日は講演の2階建て。

夕方から米国住友電工のみなさんが来社。
こちらは若手社員から社長まで幅広い年齢層の大人に向けて一時間半の講演。
創業から現在までの話や、生き方とかキャリアについて話をさせてもらった。

みなさん、最初はけっこうガードが固かったけど、途中からよく笑い、よく頷いてくれた。多くの方が熱心にメモを取ってくれて、終わった時にはこっちも全身が汗でビッショリだった。

講演後はそのまま幹部の方たちと会食に流れた。

今晩の見張りに備えて、「軽く」のつもりが経営談義に花が咲き、いや燃え上がり、果ては天下国家の話になって、時計を見たらいい時間になっている。急いでマッサージに飛び込んで眠気を吹き飛ばす。

待ち合わせ場所には防寒着を着た青木くんが先に待機していた。

午後11時から午前の3時半を目安に張り込みをする。

そう言えば、青木くんとはお互いにいつも忙しくてじっくり話す時間もなかった。
話す時は必ずと言っていいほど、目的とお尻(何時まで)がハッキリしているから潤いもなければ遊びもない。

だから青木くんに限らずだけど、仕事以外のバカ話をするゆとりが十分なかった。そういうふだんからのコミュニケーションを取っておくことが、実は信頼関係を築くうえで大切なんだけど。

そんなことで4時間余りバカ話ばかりして過ごした。
青木くんが人気のマジシャンのネタを口で説明してくれるのが可笑しかった。

交通量は午前0時を過ぎ、2時を過ぎると段階的に少なくなる。一方、パトカーは12時を過ぎて、とくに1時から2時の間が多かった。

トラックやバンが来ると、青木くんはビデオカメラのスイッチを入れて、ボクはラックの辺を凝視する。と、一部ずつピックアップして帰っていく。こんな真夜中にピックアップに来てくれる人がいるのだ。

フットボール選手のような二人組が、トラックでラックのあたりに来ると思わず身構え、通り過ぎたら胸を撫で下ろした。アイツらじゃなくて良かった。

おしゃべりをして、温かいお茶をすすっていたら、何だか夜釣りに来ているようだ。
3時を過ぎると車もほとんど通らない。

LALALAのみなさんに告げて、3時半には店じまいをしてその日は諦めることにした。瀬尾さんは怪しい車があるのでもう少し粘ってみるとのことだった。

ボクの車がパロスバーデスの坂を登り切ったあたりで携帯が鳴った。

「コミヤマさん、捕まえました。やはりJでした」

そのまま音を立ててUターンして現場に向かった。この時ほど、無人の交差点の赤信号が歯痒かったことはない。

現場ではパトカーが3台、Jのバンを囲むような形で停めてあった。

Jのバンには英語圏の無料誌が30センチの高さほど埋めてあって、その上に、今盗み始めたLALALAやライトハウス、その他の日本語情報誌が無造作に散らばっていた。そして思ったより大柄でヘアバンドを巻いた日系人のJは、みんなの監視のもと、情報誌をもとのラックに戻していた。

メンバーの顔が浮かぶ。

「許さん」

Jを両手で鷲掴みにして2、3回揺すって、その後に力一杯突き飛ばした。
自分でも驚くくらい、Jは数メートル向こうに飛んでいった。

次の瞬間、

警察に囲まれたのはボクだった。

「ジェイルに行きたいのか」
「ジェイルに行くのはオマエだぞ」
「落ち着いてくれ。怒りはわかるがそれはいけない」

「ビジネスマンがこんなくだらないヤツのためにジェイルに行ってはならない」

深呼吸をして、警察と握手する。

確かにそうだ。ジェイルに行ってる場合じゃない。

その場で森さんたちとこれからの対策を打ち合わせる。今後は、Jが二度と過ちを繰り返さないよう、また自分たちのメディアを守るために、コブシではなく、法律によって解決を目指したい。

みんなと解散したのは4時半をまわっていた。
まだ暗い道を走らせながら、自分たちのメディアは自分たちで守らねばと思った。
そしてこれまであまり意識したことのない、同じエリアの他メディアへの連帯感や愛情が湧いてきた。

03 21, 2007

フリーペーパー泥棒(前)

ニジヤのサンドウィッチをつまみながらの移動式ランチが習慣化しそうなこの頃、日本語情報誌「LALALA」を発行する会社の社長、森さんから電話をもらったのは先週の月曜日のことだった。

「金曜日の夕方にガーデナのPマーケットに配布した号が翌日の朝には無くなっていた。同店は配布ポイントでは数少ない屋外の設置ポイント。1年半前から2回に渡って捕まえたフリーペーパー泥棒のGの仕業かもしれない。

最初は偶然、残業明けのメンバーが盗んでいるのを見つけてこっぴどく注意した。Gは日系に限らず、深夜にあちこちのフリーペーパーを盗んでは、古紙回収業者に納めて数十ドルのカネを手にしている。

二回目も同じガーデナの日本食レストラン前のラックにあるフリーペーパーを盗んでいるところを発見して警察をよんだ。パトカーが8台来てくれて調書も書いてくれた。二度とやらないと誓わせてそれを映像にも収めた。自宅も突き止め、免許証のコピーも取った。費用もかかることだし、反省している様子だったから訴訟は踏みとどまった。

その後は、配布後に極端な減り方をしたり、不審な様子もなかったので安心していたが、また盗難になっている可能性がある」

そういう内容の電話であった。

さっそく今後の対応について、LALALAの森さんと番頭の瀬尾さん、こちらは配布の責任者も兼務する制作マネージャーの青木と私で、二日後の水曜日にミーティングを持った。

テーブルに広げられた前回の証拠写真を手にすると怒りがこみ上げる。

われわれは1人でも多くの方に読んでいただけるよう、(一冊の本が)1人でも多くの方に回覧していただけるよう日々工夫に工夫を重ねている。それはどこの出版社もおなじであろう。この業界に携わるすべての人たちが、それこそ命がけで作っている情報誌を、「無料だから」という独りよがりな屁理屈でリサイクルにまわすとは絶対に許せない。

青木も怒りでぶるぶる震えている。

入社14年目の彼は、口下手だが、最もライトハウスを愛するひとりで、ライトハウスの誌面のことならボクより良くわかっている。

さっそく、その週の金曜日の夜に、LALALAチームはGマーケットに、われわれはSレストランの前で張り込むことにした。

(つづく)

03 21, 2007

青臭くても、泥臭くても

今朝は週に一回の勉強会。
今日は出版のメンバーのみ参加。

先週末から夏時間で、時計の針を一時間進めたことで、8時の開始の時はみんなエンジンがかかっていない。だけど、テキストを読んで、ディスカッションに入って5分くらい経ってくるとじわじわと自分の言葉で意見が出始める。

今日のテーマは「道を切り開く」ことについて。

3〜4人のグループで15分くらい議論して代表者が発表する。

「どんな環境でも、悪いところを数えるのではなく、良いところを見いだすことが大切」

「まず最初に、感謝することから入ろう」

「環境が悪ければ、自らが改善する、環境を創るひとりひとりであろう」

「目先の辛い、しんどいじゃなく、長いスパンで考えよう」

「人生の目標をキチンと持って、そこを見ていたら苦しくても乗り越えられる。それと照らし合わせたら、道を外しそうになってもブレない」

「言葉のチカラは侮れない。ネガティブな言動は自分のためにもまわりのためにも慎もう。ポジティブな言葉を心がけよう」

そんな意見がメンバーから出た。

ボクからもメンバーに伝えた。

「天国も地獄も、そういう場所があるんじゃなくて、すべてはアタマの中であって、気持ちのありよう。仕事にしても、人生にしても、楽しいことを待っているんじゃなく、自分自身が楽しさや面白みを見いだすことが大切だ。

苦しいことや失敗をした時に、それが何を意味することか考える習慣をつけよう。かならず意味や原因がある。謙虚であるか、慢心していないか、思いやりはあったか。すべての事象に偶然はない、すべて必然。

ライトハウスは山に例えたら、やっと二合目。
頂上ははるか彼方だけど目指し続けよう。

18年前も、10年前も、5年前も、今も、これから将来も、きっと試練はいっぱいある。だけど、その中にヨロコビを見いだしていこう。

日系社会を活性化拡大しよう。日本からもっともっと人が来て、活躍できる足場を作ろう。世界中どこでだって、思いがあれば、働く国や暮らす国を選べる世の中を創ろう。

出版という仕事は、読んでくださる方たちに、元気や勇気や楽しさを情報を通して提供するのが仕事。だからこそ、作り手のオレたちは前向きじゃないといけないし、元気じゃないといけない。元気でいこう」

実は、朝から暑苦しいオッサンと思われているかもしれないけど、青臭くても、泥臭くても伝え続けていきたい。このメンバーと成長したい、このメンバーで乗り越えたい。

03 14, 2007

新しい東京オフィス

日曜日のトーランスの剣道場から書いている。

今日は先生方から、剣道の心構えやあいさつの仕方、道具の手入れ、袴のたたみ方など一日講習を受ける息子の付き添いで来ている。

ボクは何の役にも立たず、道場のはしっこの方で朝からメールの返事を書いたり、企画書や稟議書に目を通したり一日ここで仕事をしている。

ようやく明日の仕込みも一段落したので、今日は前回の出張中のことを書いてみたい。

今回の出張中に初めて、LCE(ライトハウス キャリアエンカレッジ)の新しい東京オフィスに行った。

これまではテンポラリーで、知人の日本橋にある事務所を間借りしていたのだか、設立から3ヶ月経った先月、ようやく新宿に自分たちのオフィスを構えることができたのだ。

間借りをしている間も、大家さん側の社員さんが、われわれメンバーが肩身の狭い思いをせぬようとても良くしてくださったのだが、いつまでも厚意に甘えるわけにはいかないし、いよいよ手狭になって来たので今回引っ越した次第。

それにしても、人もモノも揃わない設立時に、物心両面で受入れてくれたのは本当に助かったしありがたかった。心から感謝である。

新オフィスに初めて訪れたのは2月25日の日曜日。

その日は家内の実家の四日市を早朝に出て、品川で社長の高畠と合流して、山手線を新宿に向かった。電車の中では嫌がうえにも期待が高まっていく。

新しいオフィスは甲州街道沿いの駅から5分(やや早足)に立地する。
ちょうど、新宿パークハイアットホテルの向かい側。都庁や高層ビル群は歩いてすぐのところだ。

JR新宿駅南口を出て、甲州街道沿いに西新宿に向かって歩く。

道が広いおかげで空も広い。
空が狭いと息苦しくなるボクには実にありがたい。

その日は冬に逆戻りしたような寒い日だったけど、その分うんと雲が高くて、いつまでも眺めていたいような清々しいキッパリとした青空だった。自然足も軽い。

オフィスのあるビルは、西新宿の高層ビルに比べたら、鉛筆のように小さくて心許ないけど、立ち止まって地面から見上げると感慨深いものがある。ここがボクらの東京の城だ。

LCEのオフィスは、4階のフロアすべてのスペースを占有している。
狭いエレベータが開いて、ドアの前の表札を確認したとき、胸の奥の方が熱くなった。初めて訪れた場所に、(当たり前なんだけど)自分たちが創った会社の表札がある。

ドアを開くと、内装工事を終えた真新しいオフォスがあった。

メンバーのデスクのある大部屋、大小のミーティングルームが3つ、大きい会議室の遠隔会議用のモニターがカッコいい。

家具は中古を含めて、竹内やメンバーが上手に調達してくれたおかげで統一感がある。

本当にこの数ヶ月は、事業を急ピッチで推進せねばならないし、限られた合間をぬって、日本橋、浜松町、渋谷、新宿と条件に適いそうな物件があったらその都度竹内やメンバーが足を運んでくれた。行ってみたらボロボロだったり、決まったと思ったら流れてしまうことの繰り返しだった。

一方で家具や備品についても、ほとんどゼロから揃えなくてはならない中、メンバーができるだけ余計なお金がかからぬよう工夫して、ムリをおして準備してくれたのを知っているだけに、感謝の気持ちでいっそう胸が熱くなった。

うれしくて涙腺が緩んできたので、窓を開けて広い甲州街道を流れる車をしばらく眺めていた。

そして思った。

こんなメンバーの集まりだからこそ、近い将来一等地に引っ越して、みんなと会社の成長を喜びたい、そして新宿のあそこが原点だったと言えるように早くなりたいと。

その翌日、高畠とボクは夕暮れの東京駅の丸の内側を、有楽町の方に向かって歩いていた。

このあたりは再開発が進んでいて近年新しい高層ビルが林立している。もとより区画も広く取っているから、もともとあった重厚な建物との調和がうまく取れていて街全体に落ち着きがある。人は多いのに不思議と猥雑でないのだ。

「ターさん、あのビルどうですか。いや、あっちのほうがエエかな」

「どっちもエエなあ。コミヤマさん、このあたりにいつか引っ越したいなぁ」

「うん。日本の真ん中、東京駅の前のあのビルがうちです、って!」

「このあたりはアクセスもいいし、社会人にも学生にも、まして地方からの人には最高の場所やなあ」

「ついて来てくれている日米の社員も、ここに引っ越せるようになったら大喜びしますよ。それに、LCEの登記や就業規則ができる前に、新卒で入るのを決めた小阪さんや上村くんのお父ちゃん、お母ちゃんも大喜びしてくれますよ。早く見せたいなあ。

それと、子どもたちにも見せてやりたい。ともちゃんと大ちゃん(高畠の長女と長男)もビックリしますよ。お父さん、カッコええって。そら、鼻高いですよ」

ふたりして力強く頷きながら、まだ寒い東京を足早に歩いた。

03 11, 2007

帝国ホテル

日本出張からあっという間に一週間が過ぎた。
忙しい毎日に風邪のほうもかまってもらえないから退散したようだ。

LCE(ライトハウス キャリアエンカレッジ)は、昨年の創業の時から東京、京都、ロサンゼルス、サンディエゴの4拠点の離れた環境でスタートした。

最初のうちは、離れているがゆえに、誤解や摩擦や行き違い、説明不足が原因で心を痛めることもあったけど、常に「お互いの信頼」という原点に帰ることで乗り越えることができた。

信頼は日を追うごとに強くなる。もちろん、ホンモノになるにはこれからだけど。

今は拠点が離れていることを強みに、日米であるからこそ24時間、同じ夢に向かってベクトルをかさねてブルドーザーのように前進し始めた。

さて。先週はお客さんが日本を含め方々から大勢来てくださった。

水曜日には、帝国ホテルのロサンゼルス事務所の所長の小川賢さんがごあいさつに来社。

帝国ホテルとは10年余りのつきあいになる。

日本の出張で帝国を利用するようになったのは、その当時所長の青木さんと知り合ったのが縁だ。当時は背伸びして泊まっていたのだけどね。

青木さんとはお互い20歳代後半だったろう。
飲みに行ってはお互いの価値観や夢を語った。

「僕はこの帝国ホテルの社長になりたいと思って入社した」

「ある時、常連のお客さんに教えてもらったんだよ。一流のホテルマンになりたいなら一流の目を養わないといけない。身銭を切れ。ムダ遣いをしないで一流の店に行け、美術館や博物館で目を肥やせって」

一流のホテルマンであろうとする真っすぐな青木さんが好きになったし、そんな彼の生き様を通して「帝国ファン」になった。
それと同時に「目を肥やす」ということを人生の中で強く意識するようになった。彼もまた自分を磨いてくれた友だ。

実は初めて「帝国ホテル」の名前を知ったのはもっと前に遡(さかのぼ)る。1986年の1月5日、ボクが航海訓練所の実習生の時だ。

帆船日本丸で、酷寒の北太平洋にルートを取って、ホノルルへ向かう遠洋航海の出航前のセレモニーで、その当時の運輸省のエライサンが来賓挨拶でこう言った。

「実は本日、みなさんの日本丸でランチをご馳走になりました。みなさんは本当に恵まれている。本船のカレーライスは、日本一の帝国ホテルのカレーよりおいしいのです!」

命がけの航海を前に、あまりにピントのずれた話題選びに感心したのと、「日本一の帝国ホテル」というフレーズがずっと耳に残った。

近年大掛かりな改装工事をしてハード面はいっそう充実したけど、帝国の素晴らしさはソフト面の充実だろう。

明日の天気から交通機関の時刻や乗り継ぎ、複雑な依頼や伝言にもいつだって気持ち良く対応してくれる。

高くて硬めの枕が好きなボクのために、指定しなくても籾殻(もみがら)の枕を2つ用意してくれている。

毎朝6時前には、日経とジャパンタイムスが新聞受けにさされる。

施設の充実も素晴らしい。

ボクの場合、日本出張中はアポイントをパツパツに入れるので、朝食もビジネスミーティングを入れることが多い。

そんな時、一階「ユリーカ」(2007年3月から「パークサイドダイナー」にリニューアルオープン)の名物のパンケーキはゲストを大いに喜ばせる。そうそう、忘れてはならない。この「アゼリア」のカレーライスはホントにほっぺたが落ちる。運輸省のおっちゃんもよく持ち上げたもんだ。

また、本館最上階のバッフェで東京の景色を眺めながらビジネスの話をするとでっかい仕事ができそうな気になってくる。

今回も、ニューヨークで情報誌を発行する新谷さんと、LCE の副社長の竹内と3人で朝食を摂りながらのミーティング。新谷さんは前日に日本入りして、その日の午後には香港に発つから忙しい。

また昼食には、大切なお客さんとの会食に、地階の「なだ万」の個室が重宝する。予(あらかじ)めお尻の時間を伝えておいたら、それに合わせて料理を運んでくれるし、夕食に比べたら、一流のサービスと味が手頃な料金で得られるからぜひおススメしたい。

さらに夜は夜で、銀座や新橋で会食の後、クライアントや仲間と語らうなら、2階の「オールドインペリアルバー」がしっとりしていてなかなか良い。カウンターはグラスの辺だけ丸くスポットライトが照らしてくれる。バーテンダーは余計なことを言わない。

ひとりなら、シングルモルトに大きくカットした氷を浮かべて、ゆっくり味わいながら一日の疲れを溶かすのもいい。

大きな仕事ができたときは、ドンチャン騒ぐより、静かに目を瞑って感謝しながら飲みたい。ムリに盛りあがる酒は40歳を過ぎて疲れる。

だから、ボクはあまり華やかな女性のいる店には自分から行くことはない。

たまに。

そう、たま〜に頭を真っ白にして遊ぶのも楽しいけど。

せっかく限られた人生の、それも出張中というもっと限られた時間の中で、その夜その人と会っている時間はとても大切な時間だから、相手を知ったり、学んだり、あるいは仲間であれば、夢を語ったり、過去を懐かしむことに費やしたい。

それと、長く利用していて気づいた良いことが2つある。

ひとつは客筋が良いこと。
行儀が悪かったり、だらしない客を見かけることがほとんどない。

いくらホテルが素晴らしくても、そこに集う客が場違いだったり、連れ込みホテルと勘違いしていては空間もブランドも壊れてしまう。

ここではエレベータの中でも、人種を問わず自然と会釈をしたりあいさつを交わす礼儀正しい宿泊客が多い気がする。

何か良い「気」が宿っている感じなのだ。

ちなみに外国からの宿泊客が半分を占めるのだそうだ。

新宿や恵比寿、六本木にはもっと新しくて高額なホテルもあるけど、ボクは伝統のある帝国ホテルが落ち着いていて好きだ。

もうひとつは、日本に出張していると、初めての相手にはたいてい宿泊先を聞かれるのだけど、帝国ホテルと答えるとまず安心してもらえること。

とくにその傾向は年配の方や経営者、大御所のような方ほどその傾向が強い。相手の立場で考えたら、会社の信用であったり、数千万円からの仕事を任せるのだからその選択は重要だと思う。派手であってはならないし、不安になるようなところでもいただけない。

小川さんに失礼を承知でこんな質問をしてみた。

「近年、高級な外資系のホテルが都内では進出ラッシュですが、スタッフの引き抜きや移動はありませんか」

「それが私の知る限りないんですよ。とても手前味噌で恐縮なんですが、職場環境やいろいろな面で恵まれているし、何よりみんな帝国ホテルが好きで入って来たので、他に移ろうという気持ちにならないのかも知れません」笑顔で答えてくれた。

思わずうれしくなった。誇りを持っている人と話すのは気持ち良い。
ますます帝国ホテルが好きになったし、この人と酒を飲みたいと思った。

そして我が身を振り返り、ライトハウスやLCEのメンバーがどこかで同じ質問を受けた時、言葉はちがっても同じように答えてくれるような会社を創っていきたいと思った。

03 08, 2007

球春来る

ちょっと日本で張り切り過ぎたようで、金曜日に日本から帰って来て以来カラダが怠い。

仕事の収穫といっしょに、カゼまでもらって来たようだ。

まぁカラダの方も心得ているのか、このひと月は一日としてダウンできない毎日だったからこのタイミングを待っていてくれたのかも知れない。頑丈なカラダに感謝。せいぜいここ何日は会社で流行らせぬよう注意したい。

みなさんも季節の変わり目、どうぞカラダには気をつけてください。

さて今日は日本での話の前に、週末の出来事を書きたい。

この土曜日は息子のリトルリーグの開幕だった。
そして翌日の日曜日なナント(でもないけど)ボクのソフトボールの新リーグの開幕戦だった。

これからライトハウスチームとして前期3ヶ月、後期3ヶ月を戦い抜く。試合結果や順位もさることながら、打率やホームランの個人成績も競われるという。

「若いメンバーで頼むよ」

なんて人ごとの顔をしてオジサンは密かにワクワクしている。
そう、ひっそりと狙っている。タイトルを。

これでも20歳代はオレンジカウンティのリーグで、六大学や甲子園出身者など、腕に覚えありの連中が多数いるなかで2回ホームラン王を獲得したからね。(鼻の穴を広げて)

自己陶酔はそのくらいにして、ボクのほうの開幕セレモニーは、特攻服を着た関係者らしき青年がマウンドにあがり、フンドシ一丁になって始球式をするという一種独特、個性溢れるパフォーマンスで始まった。ちょっとアメリカ人には説明がつかない。

一方で6年目のシーズンを迎える息子のほうは、各チーム思い思いに飾り付けをしたトラックの荷台に乗り込み、消防車とパトカーの先導のもと、集合場所から球場までの道路をパレードする。

その間は通行を遮断して、沿道を埋める関係者やご近所さんの歓声のなか、子どもたちは勇ましくチームの歌で手を振って応える。

まるで優勝パレードのような盛り上がりで、最後尾は、クラシックのパトカーが懐かしい音のクラクションを響かせて笑いを誘う。

子ども専用の球場だけど、外野のフェンスは地元企業や関係者の看板で埋まり、電光掲示板は「TOYOTA」のロゴが頼もしい。

バックネット裏には二階建てのアナウンスルームがあって、DJがゲームの間に音楽を流したり、選手の紹介をしたりする。

またそのまわりの特等席の10数個のプラスチック製のイスは、リトルリーグがシーズンチケット(プロ野球のシーズンチケットと同じ)で販売して、背もたれのところに目立つようにスポンサーの名前が表記される。

肝心のフィールドは豊かな天然芝で埋められよく整備されている。
初めてフィールドを目にしたボクや弟は目を丸くして驚いたものだ。

少年時代、放課後は、空き地や砂浜で日が暮れるまで草野球をやっていたボクらにとってフェンスのある天然芝球場は永遠の憧れだ。

日本の球場と決定的にちがうのは、バックネット側に5メートル間隔でアメリカの国旗が風にはためいていることだ。

開会式が始まっても大騒ぎしておしゃべりをやめない子どもたちが、国歌斉唱の時には起立して姿勢を正し、キチンと胸に手をあてて国旗に向かう。国家や国旗を国民が大切にするアメリカを羨ましく感じる時だ。

さて、試合の方は3対5で息子のチームが初戦を快勝した。

そして翌日。ボクらの開幕戦も、JTBを相手に20対0で5回コールド勝ちで飾ることができた。30年前に「水戸の怪童」として、茨城県の一部でスターだったエース田山さんの投打の活躍が光った。

ボク個人も4打数4安打。サク越えのホームラン2本はまずまずの出来。ここのところ若手の台頭でオジサンはずいぶん力んでいたからね。

良い状態で開幕を迎えることができた。
50歳まではサク越えホームランを量産したい。
(もう一度鼻の穴を広げて)

まずは記念すべき最初の年の優勝をさらいたい。

03 04, 2007