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込山洋一

グラウンドの青空

今朝は息子の玄(はるか)のリトルリーグの練習試合があった。

玄のチームは現在1勝10敗。最下位を文字通り独走している。いや、走ってはいないか。

感心(感謝)するのが、監督のジャックは本当に辛抱強く選手を起用してくれる。

もちろん層が薄いから起用せざるを得ない背景もあるんだけど、失敗しても失敗しても見捨てることなく、根気よく長所をみつけ、すべての子どもたちを励ましながらチームを引っ張る。

息子のチームでも、毎回一方的に負ける試合を観戦するのは気が滅入るものだ。

ピッチャーのひとりにジェイクという男の子がいる。

体格には恵まれて球も速いんけど、少女漫画のような瞳をしていて、とにかく気が弱い。コントロールが定まらず四球を出すと、そのつぶらな瞳がすぐに潤む。四球でランナーを貯めては打ち込まれ、そのうちにマウンドの上で泣き出す。12歳にもなって。

そんなジェイクだけど、試合を重ねる中で、少しずつだけど逞しくなってきた。泣きそうになるけどグッと堪える。打ち込まれても四球で歩かせても自分からマウンドを降りなくなった。

それは監督のジャックとチームメイトのおかげだろう。

いつものように不安な顔でジェイクがマウンドに上がると、チームメイト全員が、ジェイクの名前を呼んで励ます。誰に促されることなく、内野から外野から全員がジェイクの名前を呼んで力づける。

「カモン、ジェイク。ユーキャンドゥーイッ!!」

誰ひとり、バカにする者はいない。誰ひとりジェイクを諦めない。

気が遠くなるくらい四球を出しても、打ち込まれても、イヤな顔を微塵も見せず、ジェイクを励まし続ける。

相手チームの最終回のマウンドに上がったのは、好守に加え、強力打線が並ぶ中でただひとり、グラウンドに立っていることが不思議なくらいの肥満で、加えて身体が不自由な少年アレックスだった。

そんなアレックスは顔を歪めて必死の形相でミットめがけて投げる。
不自然なフォームだけど身体のすべてを使ってボールを投げる。

球は遅い。コントロールも決して良くない。正直、見ていて痛々しい。

そんなアレックスを相手チームの少年たちが励ます。四球を続けても、打たれてもアレックスを諦めない。アレックスを励ます声援がグラウンドに響く。

こっちのチームも決して手抜きはしない。真剣勝負で向き合う。
甘い球はブンブン振り回す。

昔、日本の少年野球で見た相手チームを野次る少年も、エラーや四球に舌打ちする少年もいない。あれは大人の鏡だったのではないだろうか。

このグラウンドでは勝つことよりよっぽど大切なことを教えてくれる。

ジェイクやアレックスにとって、このマウンドで仲間たちに励まされ、支えてもらったことは輝かしい人生の財産になるだろう。そして、彼らは人を許せる大人になるにちがいない。人に勇気やチャンスを与えられる人になるだろう。

社会に出て勝ち続けるなんてありえない。

世の中も組織も、当然だけどできるヤツばっかりじゃない。強い者がいたら弱者もいる。誰だって何の弾みで弱者に回るかわからない。世の中みんなが強くなることなんてありえない。

勝つことに長けた人を大量生産するより、人の痛みがわかる人間や、他人のことを思いやれる人、人の幸せを喜べる人で満たされる方が、人類にとっても地球にとっても良いに決まっている。

今日もまたコテンパンにやられたけど、心の中はグラウンドの青空のように清々しい。

04 22, 2007

週末のワイン

今年は雨が少なかったせいか、毎年春になるとパロスバーデスの丘一面を黄色に染めるマスタードの花が例年より控えめだ。

そのことは少し寂しいけど、もう一ヶ月もすると、桜にも似た青紫色の花が可憐なジャガランダ(ブラジル産)が、南カリフォルニアのストリートを鮮やかに彩り、夏がもうそこまで来ていることを知らせる。

大好きな季節の到来だ。

それにしても、ついこの間、初詣に行ったと思ったらもう一年の三分の一が過ぎようとしているのだから時が経つのは早い。

早いと言えば、いつの間にか渡米21年目。日本よりアメリカの方が長くなっていた。小学校の頃は、教室の時計を睨んでもあんなに時間が経つのが遅かったのにどういうものだろう。

ありがたいのは、少年時代も笑って過ごしたけれど、あの頃の未来の「今」が一番楽しくて幸せなことだ。大好きな仲間と大好きな仕事をして、大好きな人たちに囲まれて、今、こうして健康でいられる。不満をこぼしたらバチがあたる。

さて、先週も慌ただしい一週間だった。

先週に限らず、日本や州外から来客のない週はないけれど、先週はそれに輪をかけて「来客ラッシュ」で、まるで難易度の高いパズルを埋めるような一週間だった。

昼に夜に訪ねてくださるゲストと会食をしたり、ミーティングをしたり、はたまた取材を受けたり。

こちらは年間の数百の来客のひとつでも、相手にとってはそうではない。決してガッカリさせないよう、期待以上であるよう、結果としてライトハウスやLCEを信頼してもらえるよう、ひとりひとりの方と真剣に向き合うようにしている。

その合間をぬって、日本との取締役会(LCE)、アメリカ側の幹部会(LCE)、ライトハウスの経営会議が入る。これに通常の勉強会と、新人向けの営業勉強会2回を実施。

日帰りのサンディエゴ出張では、(LCE が移転して、別々の事務所になったので)両方の事務所に顔を出し、終日クライアントへのあいさつ回りに同行する。サンディエゴ版がもっと地元の方たちに支持していただけるよう様々なアドバイスをいただき感謝。

一昨日の金曜日はちょうど版入日で、メンバーの仕事が終わるのを最後まで見届けたかったけど、あと30分で日付が変わるあたりで電池が切れてオフィスを後にした。編集長の川嶋を筆頭に、編集や制作のメンバーはまだ最後の追い込みをしていた。いや、ありがたい。

そして静かな週末。

いつもは5時半過ぎに起きてメールのチェックで始まるけど、土曜日は7時過ぎまで寝て、息子のサッカーの試合を観戦してから、スーパードライを1缶飲んでイイ気持ちでまたベッドにもぐった。

おかげで、昼にはカラダもすっかり軽くなって、午後は息子と夕飯の食材の買い出しに行ったり、公園でサッカーのミニゲームをゼイゼイしながらやった。

夕食の後は、応援している地元のオーケストラ「アジアアメリカシンフォニー」のユースのコンサートに家族で出かけた。

素晴らしい演奏に導かれて舟を漕いでいたら、息子に肘で突かれて起こされた。せっかく気持ち良かったのに。それでも最後はスタンディングオペレーションの拍手喝采で大満足で帰宅した。

コンサートの余韻を楽しもうとワインセラーから赤ワインを出したところで、友人の石川夫妻から電話。

「近所まで来ているから寄ってくよ」

おぉ、深夜のうれしい来客。すぐに冷蔵庫のチーズを切って、二人が来るのを待った。

石川夫妻は、このブログにも何度か登場しているけど、去年地中海に日蝕を見るためのクルーズの旅を共にした親友。高津家同様、20年近いつき合いになる。

「カンパーイ」

一週間しっかり働いた週末に仲間と交わす酒は格別うまい!

とくに、心身ともにタフだったり、心の底でザラつくことがあったり、ホロ苦い出来事を乗り越えた時の方がうまいような気がする。

今週はそんなことばっかりだったからワインと仲間の思いやりが沁みた。

04 22, 2007

グランドキャニオン谷下り(後編)

5時半に自然に目覚める。

そのまま着替えて、装備を再確認する。朝食は前日買っておいたサンドウィッチとコーヒー、インスタントみそ汁。

カーテンの隙間からのぞく闇が少しずつ青みを帯びて明るくなる。

「日頃の行いだよ!雲がない。今日は晴れそうだよ」

同室の薬師寺さんが振り返って笑った。ラッキー。

午前6時過ぎにゲートを通過。国立公園内に入る。
ブライトエンゼルロッジの前に駐車して各自柔軟体操をする。

6時40分出発。トレイルを一歩一歩踏みしめて歩く。

いきなり段差のある下り道は膝に来る。少し曲げ気味に衝撃を緩和するように歩く。

7時20分、入り口から1.5マイルの地点に911の非常時の電話とトイレがある。
使用した高津さんによるとトイレは清潔。飲料水はない。

8時5分に2つ目のトイレを通過。ここにも911アリ。

8時50分、出発から4.5マイルのところにあるインディアンガーデンに到着。目的地のコロラド川まで残り3マイルだからこの地点で往路の60%をクリア。

ここまでは出発地点から眺めることができる。ビューポイントから眺める景色を下から見上げる。不思議なもので、同じように見える風景も、高度や角度の変化とともにダイナミックに変化する。

「これは自分の足で歩いたからこそ見ることができる風景だ」と薬師寺さんが興奮気味に声を上げた。

上から眺める景色も素晴らしいけど、やはり額に汗してこそ得られる絶景の連続に一同大感激(と言いつつ不公平のないようお手軽なロバのツアーhttp://www.grandcanyonlodges.com/Mule-Trips-716.htmlもあります)

さて、このインディアンガーデン(標高1,146メートル)にはキャンプ場があり、トイレや水道(911の電話も)を備える。ただし、何があるかわからないから、水はあくまで自前で準備することを勧める。

途中、水筒を持たない小さな子ども連れの親子を見かけた。泣き止まない赤ん坊を背負った夫婦もいた。決して舐めてかかってはいけない。

ちなみにここまでをゴール(目的地)にするハイカーやバックパッカーが多い。ここまでなら往復で6マイル。体調を整え、水や装備をしっかりしてのぞめばハードルは決して高くない。実際、還暦を過ぎた感じのシニアもけっこう見かけた。

我が隊はそこから4.5マイル先のコロラド川を目指して、ズンズンと歩みを進める。

薬師寺さんの表情が少し険しくなってきた。この数ヶ月、平地で荷物を背負って長い距離を歩くトレーニングは重ねたけど、坂を下るときの膝へのダメージは想像をはるかに超えていたようだ。休憩の頻度が増える。玄の口数も少ない。

10時50分、今度は玄が足を挫く。左足を引きずって苦しそうに歩く。

「また来よう。これ以上無理するな。パパと引き返そう」

「ボク頑張りたい。川まで行きたい」

川はもうすぐのところまで来ているはずだが決して無謀な前進をしてはならない。前進か撤退かどうするべきか。高津さんがしゃがんで玄の足を看る。痛むところをていねいに指で確かめ、その辺りの靴ヒモを強めにしめる。

「川はそう遠くないはずだからちょっと確かめてくる」

そう言って高津さんは谷を走って降りた。

数分後、再び高津さんが上気した顔でもどってきた。

「すぐそこだよ。もうひと頑張り!」

耳を澄ましたら確かに水が流れる音が聴こえる。近い!

そこからカーブを2回曲がったところで突然コロラド川が現れた。

垂直の岩壁の間を、幅にして20メートルのその川が、まるで命を宿しているように、力強く、そしてキラキラと輝きながらロッキー山脈の雪解け水を運んで流れていく。

ここはグランドキャニオンの谷底。

人工物は視界の中に一切ない。自分たちはすべて自然が拵(こしら)えた風景の中にいる。ボクたちはなんて贅沢な空間にいるんだろう。

水は凍りそうに冷たい。

両手ですくって顔を洗うとクラクラ意識が遠くなる。
裸足になって足をつけると疲れも痛みも流れ出してゆく。

さっきまで痛みで顔を歪めていた玄も、うれしそうに水遊びをしたり、みんなのペットボトルを川の流れに浸けて冷やしている。

お腹が空いているのに気づいてドーナツを頬張る。

正午。すっかり元気を取り戻して、今度はすべて登りの帰り道。

幸い玄の足の具合は良くなり、むしろ下りより元気に、坂道をショートカットして急な坂を這って登ったり、思いついては走ってみせた。

インディアンガーデンまで2時間の好ペース。水を補給して最後の4.5マイルにのぞむ。

膝の痛みで薬師寺さんのペースが落ちる。

プレッシャーがかからないよう、少し時差をつけて先を歩いてもらったり、休憩の頻度を増やして、ゆっくり、しかし確実に前進した。不思議な連帯感に包まれる。

途中、観光客を乗せたロバの連隊が何度すれ違う。大きな角(ツノ)の山羊が岩の上からこちらを眺めていたりもする。

時々額の汗を拭いながら振り返ると、出発したときの風景に近づいてゆく。

どうやら、高津さんと覚悟していた、薬師寺さんと玄のふたりをおぶって登る心配は消えつつある。

午後6時10分。
最後のカーブを曲がったら、不意に出発地点の建物が視界に飛び込んだ。

やった、帰ってこられた。無事に帰ってくることができた。

突然、高津さんと玄は最後の100メートルを駆け上がってゴールした。そんなエネルギーが残っていたか。

それから玄は走って戻り、もうそのまま倒れてしまいそうな薬師寺さんの背中を一生懸命に押した。

息子ながら良いヤツだなあとうれしくなった。

薬師寺さんが照れくさそうに、ちょっぴり目の縁を赤くして、玄とふたりでゴールした。手が痛くなるくらい拍手した。ちょっとだけ映画のシーンみたいだった。

50歳男と少年の大自然デビュー戦はひとまず成功に終わった。

国立公園のオフィシャルサイト

04 16, 2007

グランドキャニオン谷下り(前編)

ちょっと話が前後するけど、先週末のグランドキャニオン谷下りの話を書きたい。

2007年4月6日金曜日、早朝パロスバーデスの自宅を息子の玄(はるか、12歳)と二人で出発した。

今回のメンバーは、山仲間の高津さん、そこにホームステイする青年、今年50歳を前に体力の限界に挑戦しようというラスベガス大全社長の薬師寺さん、そしてボクと玄の5人。部分的に初顔合わせの不思議5人衆で、世界の国立公園グランドキャニオンの谷下りを目指す。

この様子は、来月発行の春の増刊号に掲載されるのだけど、ライトハウスブログで一足先に報告したい。

今回の試みは、50歳男薬師寺さんが学生時代以来すっかり運動から遠ざかっている運動不足中年の代表なら、息子の玄は本格的な山のデビュー戦という記念すべきアタックだ。

グランドキャニオンと言えば身近な存在だけど、谷底まで下る「ブライトエンゼルトレイル Bright Angel Trail」は見た目以上にハードで、舐めてかかる観光客が毎年のように脱水症状や日射病で命を落とすと言う。

高度2,091メートルから、コロラド川が流れる732メートルまでの高度差1,359メートル。温度差の激しい日は一日の気温差が摂氏で40度になるというから堪らない。アタックするなら春か秋がシーズンだ。

通常の山であれば下から登って頂上でヘトヘトでも、あとは重力の助けを借りて降りれば何とか麓まで辿り着ける。しかし、今回のように谷下りの場合、勢いで谷底に辿り着いても、そこで体力を使い果たしてしまったらおしまいだ。

そこへ持って来て、途中で命の水を切らしたら、文字通り命取りとなる。

そんな危険なところへ12歳の子どもや体力不足の中年を連れて行くなという声もあろうが、そこは高津さんとボクなら、最悪でも二人をオブって生還する体力は備えていると信じてチャレンジした。

途中、トーランスで高津さんと青年、ネバダ州のラフリンで薬師寺さんと合流して、64号線沿いのグランドキャニオン国立公園から、車で5分手前の村「ツサヤンTusayan」のベストウエスタン(800−780−7234/928−638−2681 *今回はシーズン中のため一泊180ドル程度。スパ、ボーリング場、テススコートなども備え施設は充実)に着いたのは午後4時前。

宿泊施設は、国立公園内(料金所を通過したあと)にもブライトエンゼルロッジ、ヤバパイロッジ、エルトバホテルなどがあるが、通常それらは何ヶ月も前に予約で一杯になるので、多くの人はこのツサヤンに泊るようだ。

ツサヤンはモーテルが5-6軒あるだけの小さな村だけど、ステーキハウスやピザ屋、ファストフード、小さなスーパーマーケットも道沿いにあって不自由はない。

いったん明日の装備を準備して、トレイルの視察に出る。

国立公園の入り口で通行料25ドル(年間パスは80ドル)を払って、目的のブライトエンゼルポイントに直行する。ここは道なりに走っていたら、5分余りで標識が出てくるのですぐにわかる。

一般の観光ツアーなどで多くの人が訪問するビューポイントは、ブライトエンゼルポイント、ヤバパイポイント、マーサーポイント(マザーと呼ぶこともあるが正しくはマーサー)の3つ。

また、トレイルもいくつかあるけど、ダントツに有名なのが今回のブライトエンゼルポイントから降りる「ブライトエンゼルトレイル」。

実際に数百メートル歩いて、トレイルのコンディションを確かめたり、地図と風景を重ねて見る。思ったより道幅は広く、人の手で整備されている。話には聞いていたけど、観光客を乗せて上り下りするロバの糞がそこここにあって、ニオイと足場がけっこう気になる。

薬師寺さんと青年は長くて深いトレイルを目の当たりにして不安な面持ち。

帰りにスーパーに寄って明日の水と食料を調達する。

水分は大人で最低3リットル。子どもも3リットル近く用意したい。ボクは吸収の良いゲータレードを20〜30%混ぜておく。

食料は息子と二人分で、バナナ3本とドーナツ数個、マフィン2個、エナジーバー4本、ミックスドライフルーツ。これらはすぐにエネルギーに変わる。ホントは山歩きは梅やおかかのおむすびが最高なんだけど、今回は準備の時間がなかったんで、スーパーですべて調達する。

装備についてもふれておこう。

ぜひ持参してほしいのが、

帽子/サングラス/日焼け止め/杖(REIなどのアウトドアの専門店にある)/ヘッドライト(早朝の出発や日中に帰れなかったときのために)/厚手のソックスと底の固い靴(岩や段差から足を守るため)/猛暑と酷寒両方に対応できる服装/地図とコンパス(丸を書くのは役立たない)/ビニール袋(ゴミは自分で持ち帰る)/タオル(汗を拭くだけでなく、首に巻いたり何かと便利)

それと足の爪は前もって切っておきたい。

さて準備も万端でホテルに帰り、みんなでジャグジーやサウナに入って疲れを癒す。

この日はおとなしく館内の食堂でビールと白ワイン、赤ワインを軽めに摂取して、午後10時には床につく。運転の疲れもあって消灯して3秒で夜に沈んだ。

天気予報によると明日はサンダーストームの確率が30%。

04 16, 2007

ライトハウスの新「社是」と「経営方針」

前のブログで少しふれたけど、ライトハウスは創業間もない頃から大切にしてきた社是と経営方針を、20年目を迎える前に、現状に合わせて一新した。

今回は番外編で、新しい社是、経営方針を披露します。

新生ライトハウスがどんなことを大切にしようとしているか、みなさんにも知っていただくことができたらありがたいです。

以下、添付します。

新「社是」

海外に暮らす人、海外を目指す人の灯台(ライトハウス)となる

情報を通して、世界中で「個人が学び、働き、暮らし、活躍できる」世の中を創る

スタッフひとりひとりが、「笑顔」と「思いやり」、「お互いへの感謝」に満ちた職場の作り手になる

新「経営方針 五箇条」

(その1)
1)問題解決、2)潤い、3)勇気と元気、4)キャリア支援、5)広告主のPR、5つの情報発信を通して、個人の「夢の実現」と「生活品質の向上(クォリティ・オブ・ライフ)」、「JOY(楽しさ)とWOW(感動)」に貢献する

(その2)
契約書はゴールにあらず。「顧客事業開発(部)」の名の通り、すべての顧客と「心のパイプ」を貫通させ、視界を共有し、ハートに火をつけ、知恵と労を惜しまず、顧客の商いの永続的な発展に全社員が尽力する

(その3)
ライトハウス自らが規範となり、海外の日本語メディアの品質の向上に尽力し、業界で働くスタッフやその家族、友人が誇りを持てる業界、物心ともに幸せになれる業界を創造する

(その4)
ライトハウス自らが規範となり、海外の日本語メディアとのアライアンスを通して、世界各地の「学ぶ、働く、暮らす」ための情報を万人が得られる環境を整備し、1人でも多くの海外就職、海外移住を実現する

(その5)
地域社会(日系社会、南カリフォルニア、アメリカ)への感謝を忘れず、公私において地域社会の発展に貢献する。そして、関わるすべての人(地域社会、読者、広告主、パートナー、スタッフ、すべての支援者)を愛で包み込み、世界一愛されるメディアを目指す

ずいぶん大きなことを言っているけど、そこを目指してベクトルを重ねて、今日の小さな努力を積み重ねたら、ライトハウスもLCEもいつかホンモノの会社になれると思う。

いつまでも、いつだって、青臭く、泥臭く夢を追いかけたい。

04 13, 2007

ライトハウスのキックオフ

木曜日、ライトハウスとして初めてのキックオフミーティングを開催した。

キックオフとは、ロサンゼルス、サンディエゴの全メンバーが、会社や事業の方向性、見通し、実績を共有することで、大きな流れを理解し、同じ方向に向かってベクトルを重ねることが目的だ。

またその四半期に入社したメンバーや復職者を温かく迎えたり、お互いの活躍を讃えあう場でもある。

司会は編集長の川嶋くんで、最初にボクが新しい社是、経営方針5箇条を発表して、それぞれの項目について想いを込めて解説した。

その次に片山から年間の目標を発表した。

今期のライトハウスの年間目標は、

1)「役立つメディア、使えるメディア」を目指し実用性を特化させる

2)売上10%アップ、全メンバーが営業マインドを持つ

3)働きやすい(居心地の良い)職場づくり。自らがその作り手となる

この3つだ。

続いて、組織図の共有や、編集、制作、顧客事業開発(営業)、サンディエゴの責任者から、その目標を実現するための具体的な方策が発表された。みな熱心にメモを取る。

スカイプで参加したサンディエゴの大曽根は、2年前の交通事故から最近ようやく復職を果たすことができた。彼女からのあいさつの時、メンバー全員が割れんばかりの拍手でその努力と勇気を讃えた。鼻の奥がツンと熱くなった。

そして最後は川嶋が「いっしょに新しいライトハウスを創りましょう」とカッコ良く締めくくった。最近、編集長になってから腹回りの貫禄だけ余計だけど、なるほど感心することを言ってくれる。歴代の編集長、編集者に揉まれているうちにホントに頼もしくなった。

20分後、トーランスの「風見鶏」に再び集結して、第2部スタート。

「好きなだけ頼んで良いけど、行儀が悪いから残さぬように」と、小姑のような冴えない社長のあいさつで乾杯。

飲んでいるうちに、みんなあっちに座ったり、こっちで暴れたり。みんなよく笑い、よく新人をいじり、よく飲む。そしてよく食べる。気持ち良いくらいに。

過去のメンバーがいて現在がある。その感謝と事実は変わらない。

ただ、今このメンバーが歴代最高に熱く、最強の集団だと思う。彼らは物心ともに幸せにならなくちゃならない。この船を預かる責任は思い。

04 13, 2007

青空の配達

水曜日は久しぶりにオレンジ郡の配達をした。

実は今年から、メンバー全員による配達を復活させたのだ。

もともと89年の創刊以来、配達はスタッフが分担してやっていた。
それが、業務の専門性が進み、個々人の仕事の量が増え、コストパフォーマンスを優先するあまり、途中から外部の業者さんに委託するようになった。

「いかん」

と昨年気づいた。気づくのが遅かったけど。

配達は言ってみれば、一冊のライトハウスを作り上げるうえでの最終バトン走者であり、読者との接点の場。手に取っていただいてこそ一冊の本に命が宿る。読んでいただけなかったら紙の束に過ぎない。

この4、5年の間に入社した多くのメンバーは、配達という「読者への感謝」「手に取っていただく感謝」をリアルに体験できる機会がなかった。

感謝無くして良い誌面など作れるはずもない。

コスト優先の経営を深く反省して、再びスタッフによる配布をスタートさせたのだ。ただし、業者さんには継続してお願いして、年間でひとりが2〜3回のペースで当番が回ってくる形で。

余談だけど、配達業者の武田夫妻は本当に素晴らしい仕事でライトハウスを支えてくれている。配布だけでなく、ラック回りの清掃や他誌の整理整頓まで責任を持ってやってくれる。

ある休日、ヘアサロンで髪を切ってもらっていたら、

「ライトハウスです!!」

とても明るく元気な声でライトハウスを抱えた武田さんが走って店に入って来た。

こんな気持ち良く配る人が来たら悪い印象を持とうはずがない。こういう人たちのおかげでライトハウスは成り立っている。心の中で何度も手を合わせた。会社はちがえども本当のパートナーだ。

話はもどる。

近所のレンタカー会社で大型のバンをピックアップして、来週からサンディエゴの責任者として赴任する浅倉と印刷会社へ向かう。配達当番は、配布地域もパートナーも毎回変わるようにしている。

印刷所に入った途端、懐かしいインクの匂いが鼻の奥に広がる。フォークリフトでパレットごとライトハウスを積み込んだらさあ出発だ。両腕をぶるんぶるん回してバンに乗り込む。

ライトハウスのTシャツ。(束を括るビニールロープを切るための)はさみをポケットに刺して軍手をつけたら気分も盛り上がる。

窓を開けて、地面のデコボコを拾って、青空のフリーウェイを走るのも悪くない。

浅倉と二人、配布ポイントに着いたら手分けして走って配る。店にはとびきりの笑顔と大きな声で入る。飲食店ならみんな振り返るくらい元気に。まず他誌を整頓して、ライトハウスを置いて、ゴミを拾ったら、最後にもう一度大きな声で「ありがとうございます!」で店を後にする。そう。史上最強の配達マンなのだ。

配達ルート上で新しい日本の看板を見つけたら、ハンドルを切って店に飛び込む。即、新しい配布ポイントとしてどうか、広告掲載の可能性はないかチェックする。89年にスタートした頃から基本は今も変わらない。

会社に帰るとメンバーが気持ち良く労ってくれる。

「おかげ」で成り立っている会社だと実感できる一日だった。

04 13, 2007

車窓を眺めながら

バスはフリーウェイ5番を南に真っすぐ走る。

日が落ちた頃、バスの真横、目線より少し上に浮かんでいた満月はいつの間にかバスの進行方向に緩やかに昇り、ふと気がついたら車窓からは見えない。

いっしょに走っているようでも、気がついたら先に行って見えなくなってしまった。

何だか親子の関係のようだ。

娘や息子は親以外の自分たちの世界を毎日広げていく。

例えば友だちであったり、学校であったり、遊びやスポーツや将来のことや好きな人のことに。

親は、彼らの忙しく刺激的な毎日のなかで一日一日存在を小さくしていく。

それは極めて健全なことだし、ボクは親として潔く彼らの離陸を見守ってやらねばならないと覚悟している。彼らが振り返ったらそこにいる。だけど気配は感じさせない。

さっき剣道をいっしょにする話を書いたけど、幸せってそんなちっちゃな日常の中にあるものだと思う。

朝起きて家族が元気なこととか、会社に行くとみんながそこにいることとか、部下の尻拭いで背中に汗をかくこととか、仲間から暇つぶしのメールが届くこととか、「ふつう」の集積にこそ幸福は詰まっていると思う。

「ふつう」なんだけど、そこに共通する存在は「人とのつながり」だ。背骨はモノでもカネでもない。他人と自分とのつながりだ。

社員旅行でラスベガスの友人から聞いた、「ロブション」という最高級レストランに行った話を思い出した。

「話のタネに二人で1500ドルのディナーを食べたけど、4時間もかけて料理がだらだら出てきてくたびれた。味は確かに悪くない。だけどこうやって久しぶりの仲間同士で、居酒屋で揚げだし豆腐をまわして食ってる方がずっと美味いよ」

ホントそうだと思う。

きっとその料理も、相手への感謝のテーブルだったり、大切なことを伝える場面なら、史上最強の助っ人として花を添えるにちがいないけど、冷やかし半分で行っても心までは満たしてくれない。やっぱり仲間や家族、大切な人と、バカ話や夢を肴に飲む酒が一番うまい。

相手とケンカしてたり、身内に病人がいたり、虫歯があったらメシなんてうまくない。

大切な人たち、そして自分自身が心身共に健康でこその幸せだ。

話は飛躍するけど、今、自分が無力でも、ポケットが空っぽでも、あるいは借金で首が回らなくても、決して悲観する必要はないと思う。いや、してはならないと思う。

短い人生、有限の人生で悲観する時間はもったいない。まして、もし誰かを妬んだり、恨んだりすることに時間を費やしているとしたらもっと人生の浪費だと思う。ネガティブな心からポジティブな人生は切り開けない。

帳面を開いて、感謝できることを書き出していったら驚くほどたくさんあるはずだ。足りないことを数えるより、身の回りの感謝を見つめたい。謙虚でありたい。

04 03, 2007

サンノゼの剣道大会を終えて

サンノゼの剣道大会が終わって、今まさにこれから出発するバスの中。

海外でもとりわけ剣道が盛んな南カリフォルニア。北はサクラメント、南はサンディエゴの20を超える道場から剣士が集結して日頃の稽古の成果を競い合った。

朝8時に会場入りして約9時間、ようやくすべてのスケジュールが終了した。

こっちは腰掛けて観戦するだけだけど、主催者側の北カリフォルニアの剣道協会のみなさんは早朝に来て準備をして、みんなが帰ってからも後片付け。事前の準備もたいへんであったはずで本当に頭が下がる。これみな手弁当である。

トーランス道場の成績は突出していて、個人戦11−13歳の部門は2位と3位、同14–17歳の部門は優勝、その上の初段〜2段も優勝、3〜4段も優勝と3位と他の道場を圧倒した。

残念ながら期待の息子は個人戦11−13歳の部門の準々決勝で敗退。

本気で優勝を狙っていたから呑気な息子も悔しがった。対戦相手の男の子が結局優勝したのだけど、成長期の彼らの世代の体格差は著しく、上位は170センチを超える立派な体格の子が多くなる。その男の子も大柄で胸板も厚く、けっこうボクといい勝負の体格だった。140センチで一番チビの息子はスピードと精度で克服するしかない。

そんなことで親子は秘密の特訓を決意する。ここで書いているけど。

時間を捻出できるのは早朝のみ。しばらくは朝練で揉んでやることにする。

目指せ、優勝。目指せ、未来のチームUSA!

と、いうことで、ますます早起き人生を歩むことになりそうだ。

バスが走り出した。ロサンゼルスまでの約7時間、バスの旅を楽しみたい。

04 03, 2007

サンノゼの食堂から

昨日は空港と縁のある一日だった。

正午過ぎにラスベガスの空港に到着したのだけど、あろうことか予約が入ってなくて、その日のうちにサンノゼに到着できる便を探して広い空港を行ったり来たり。

空席待ちが取れなくて、ラスベガスを出発できたのは、片山から「ロサンゼルスにみんな無事到着」という電話が入った夕方の5時過ぎだった。

ご存知の方も多いだろうが、ラスベガスは空港の中にもスロットマシンが並ぶ。
出発ギリギリまで名残惜しそうにスロットマシンに没頭する人たち。こういう人がホントのギャンブル好きなんだなあと感心しながら、ノートブックを開いて長い午後を過ごした。おかげで仕事が捗って良かったんだけど。

サンノゼでは、ベイエリアナンバーワンの情報誌「ベイスポ」を発行する小野里さんと会食する予定だったが、時間が押してしまいタクシーでホテルに直行した。

まだ息子たちを乗せたトーランス道場からのチャーターバスは到着していない。

ラスベガスでカラダが鈍っているので腕立とスクワットを各100回。来週末のグランドキャニオン谷下りにコンディションをそろそろ合わせていかねば。

シャワーを浴びて、ひとりでホテルのイタリアンレストランへ行くと、スポーツチャネルでフィギアスケートの大会をやっている。

冷たいビールを飲みながら眺めていたら日本の安藤美姫が登場。

ボクは密かに彼女を応援している。

もうひとりの天才浅田真央のことはあんまり心配していない。放っておいても活躍しそうだし、見ていて安定感がある。それに比べて、安藤さんはどうにもガラスのような脆さを感じる。年端もいかない若者を、無責任なマスコミが叩くのを見ると腹が立つし、放っておけなくなる。

意地の悪い記事を書く記者は、背中に大きく本人の名前の入ったユニフォームを着せて、リンクで順番に滑らせてやろうかと思う。オマエがやってみぃと。

世の中にはボクのように心配するオジさんが多いだろう。

おバカである。平和とも言える。

テレビの画面に戻る。日本で開催の世界選手権のようだ。

画面に向かって前のめりになり、難しいジャンプを成功させる度に拍手を送った。
となりのテーブルは、テレビではなくボクを見ている。いいのだ、そんなことは。

そして見事にフィニッシュ。「よくやった!」

結果はみごと優勝。いっしょになってガッツポーズをした。まわりのテーブルも歓声をあげた。スポーツの感動が国境を越える。

お祝いをしなくちゃとシャンパンを注文。ひとり祝勝会 in サンノゼ。

店中の客にシャンパンを振る舞いたかった。
街に出て、道行く人たちと肩を組んで踊りたかった。

ここは日本ではない。サンノゼ郊外の食堂のテレビ。その画面で若き日本人が世界を相手に踏ん張っている。

後に続こう、誇りを持とうぜ日本人!

04 03, 2007