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what's new

込山洋一

1ミリずつ

あるキッカケでパカッとそれまで見えなかった本質が見えてくることがある。

本質が見えると、人間関係とか情とか、とても大切なのだけど時に判断を鈍らせてしまう要素が霧のように晴れて、光のルートマップが浮かび上がるように見えることがある。

今まさにそんな感じ。
そのことについては落ち着いてから書きたい。

長年お世話になっている方にこう言われた。

「込山さんのこれからの7、8年はとても重要な時期です。50歳になってからではもう遅い。今のこの40歳代をしっかりと生きてください。私はあなたの応援団長だと勝手に思っています。見込み違いにならないよう頼みますよ」

日本で多くの企業を成功に導いてきたその方は電話の向こうでそう言った。

実はこれまでにも多大な応援をしてもらっているのに、誤解や噂に翻弄されたボクは恩を忘れ、その方にとても失礼なことをしてしまった。練れていないボクが逆の立場ならバッサリ関係を断ち切るくらいのことをしてしまったのに。反省。

そんなことで、本来の自分らしい自分が帰ってきた。もうブレない。

読んでいる方にはさっぱり分からない話で恐縮です。
人に迷惑をかけて、ゲンコツを拵(こしら)えながら1ミリずつ成長しています。

06 30, 2007

時代をキャッチアップ

家内が食器を洗う背中ごしに笑いながら言った。

「ひかるちゃん(長女)がね、私が運転してる時にいろんな景色が見えてるからすごいねって褒めたらなんて答えたと思う?こんなこと言うのよ」

「だって私、パパの子だもん。目がお顔の横についてるんだ」

そうきたか・・・・・。

今は土曜日の午後。中庭のテーブルのパラソルの陰で書いている。

ここしばらくは早朝から雲ひとつないカリフォルニアらしい青空の毎日。プールの底を風の影が流れていく。レモンの木はそろそろもいでやらないと特大のレモンが土のうえに落っこちている。


昨晩から友人の川口さんが泊まりに来てくれていた。

川口さんはボクより10歳ちょっと先輩で、アメリカの住友電工の副社長をしている。大学を出てからずっと、中東やアジア、ヨーロッパ、アメリカでの勤務をしてきたので世界の事情にとても明るい。

月に一回くらい、酒を飲んだりゴルフをしては、最近の世の中の動きや大きな出来事について解説をしてくれる。

中東戦争が勃発した時は、ライトハウスのメンバーに中東情勢について特別に講義してくれた。
(100分の1のお返しにもならないけどボクも住友電工の社員さんたちに、仕事や人生についてバカ面で話をさせてもらった)

その川口さんの奥さんのクリスティナさんがしばらくメルボルンに旅行に行っているので、留守番の川口さんはダックスフンドのグッチと、任天堂のWii、そして大きな花束を提げて“お泊まり”に来てくれた。

飲みながらさっそく講義。

あのグーグルマップを開発したのが日本人であること。戦車が時速100キロでデコボコの地面を走りながら、ミサイルの照準を合わせるのは日本のカメラメーカーの手振れ防止の技術が生かされていること。

航空産業や携帯電話など先端技術のかなりの部分が日本からなのに、それをオーガナイズして利益や手柄、業界標準をさらっていくのは欧米の企業という歯痒い現状も知った。

そういえば最近、知人から「世界に一番貢献してて、一番バカにされているのが日本人なんだ」と自虐的な言葉を耳にした。う〜ん、クヤシイ。

食後に任天堂のWiiを初体験した。

ボクはテレビゲームやポケットゲームとは距離を置いて生きてきて、そういう小賢(こざか)しいことはオタクとガキがやることで、遊ぶならオレはカラダを動かすのだと決めていた。が、Wiiは立派にカラダを動かして遊ぶのに驚いた。

息子の剣道から帰ってきた家内もまじって、真夜中に大人がゴルフやテニス、ボーリング、ボクシングに大はしゃぎした。とくにゴルフは海岸沿いの美しいコースで、風を読み、距離感、力加減に四苦八苦しながらラウンドするのは素直に楽しかった。こんなことができるんだ。

みなさんご存知かもしれないけど、ソニーのプレイステーション3は、もっと画像がリアルで、使える手数も多いのだけど、その分複雑で万人向けとは言えず、むしろこのひたすらシンプルに作られたWiiの方がお年寄りやボクのような機械オンチにも親しみやすく売れているのだそうだ。

昨日はよく遊んだので4時に起きてダイニングで仕事をしていたら、早起きの川口さんも6時過ぎには犬の散歩で起きてきて、その後に話題のサイトについてレクチャーしてくれた。

「コミヤマさんはメディアをやっているから若い人たちがどんなことをやっているか。世の中で何が流行っているか知っておくと良いよ。ボクの仕事もそうなんだ。B to B(一般生活者が相手でない)の仕事だけどその向こう側にいるのは“人”だからね」

一方的に面倒を見てくれる川口さんにはいつも頭が下がってしまう。

実際にこんなサイトを訪ねてみた。

世界中の映画(英語字幕付き)を見ることができるサイト。レンタルもダウンロードもできる。

LAの朝からインドやアジアの映画のパラパラと見て歩いた。

http://www.jaman.com

今さら照れくさいけどミクシー(招待がないと入れないので、川口さんにさっそく招待してもらった)

聞きかじりの知識しか無いのに、幹部会議で、会社のウェブにSNSの機能を入れるのだと声は大きいけど自分がやったこと無かった。紺屋の白袴。

アルバム機能についても教えてもらう。
これからは若い人にも混ぜてもらって世の中を肌で感じなくては。

http://mixi.jp/home.pl

契約するとメジャーリーグのすべての試合を見ることができるサイト

http://mlb.mlb.com/index.jsp

そして、さっぱりその面白さが理解できないのだけど、架空の自分のキャラクターを拵(こしら)えて、架空の世界の住人となって、架空の社会で生きていくというサイトの“セカンドライフ”。その住民の数800万人だって。

今の人生まっとうに生きんかいというのは野暮できっと理由や魅力があるのだろう。

http://secondlife.com/

一晩で少し時代にキャッチアップできたような気分の良い朝だった。川口さんに感謝。

中庭に娘がレモン味のカキ氷を持って来てくれた。
遠くのパームツリーが揺れている。

06 30, 2007

義父に伝えておきたかったこと

話が前後するけど、この週末はよくキッチンに立った。

土曜日は冷蔵庫や食料庫の残り物を使ってパスタのソースをこしらえたし、日曜日は本誌に長年執筆いただいている阿木先生ご夫妻をお招きして、八宝菜やシーフードたっぷりのシチューを作って食べていただいた。家内や娘も細々(こまごま)と作るのでテーブルは組み合わせはともかく賑やかになって楽しい。

さて、前々回に続いて、今回も日本での話を。

その2、家内の実家四日市に行った話

出張中の週末、一泊だけ四日市にある家内の実家に立ち寄った。
家内の実家は茶畑の中にぽつんとあって、近所に弟や妹の家族が住んでいる。

70歳代半ばになる義父はこの数年で兄弟が立て続けに先立ってしまい、そのうえ長年続けてきた事業や多くのボランティアから一時に解放されたものだから最近ちょっと元気がない。

「あなた、ちょっとうちの実家に寄ってお父さん元気づけてくれる。お父さん、あなたが行くと元気になるから」

家内も近頃少し元気のない父親を心配している。去年は家内がひとりで実家に帰って、業者さんを呼んでスカイプをセットアップしてもらったりしたがイマイチ機能していない。

そんなことでその日曜日の朝。

八重洲ブックストアに寄って、コンサルタントの阪本さんに薦めてもらったパタゴニアの創業者イヴォン・シュイナードの「社員をサーフィンに行かせよう」(東洋経済)を購入。いっしょに、稲盛和夫さんの「生き方」(サンマーク出版)、本田宗一郎さんの「やりたいことをやれ」(PHP)を購入。ともに尊敬する大好きな経営者だ。

イヴォン・シュイナードの本をパラパラやりながら正午過ぎの東海道新幹線に乗って名古屋で乗り継ぎ、近鉄四日市駅に着いたのは午後3時頃だった。

いつものように両親が迎えにきていて、そのまま3人で長島温泉に向かう。

父には一番最初の接点で申し訳ないことをしている。

ボクは創業してしばらくで結婚したのだけど、当時は起業家とは名ばかりのプー助で、オマケに後でバレるのがイヤなものだから、うちの両親が離婚しそうなことや家庭環境がムチャクチャなこと、ボクのまわりのネガティブな要素をすべて正直に伝えた。

大切な関係だから誠実でありたかったのだけれど、どうも限度を超えたようで父親は心配してぶっ倒れてしまった。いや、一本調子の直球しか投げられなかった自分が今でも悔やまれる。

そんなことで、それが父親との最初のスタートだからそれ以上ボクへの評価の下げようがない。

結婚も認めたというより諦めたという感じだったろう。いや、別に期待値調整をするつもりではなかったのだけど。

父親はアパートで会社をやっていた時代も、安い倉庫を事務所にしていた時代も、自社ビルに移転してからも、はたまたその間にいっぱい失敗をしてきたこともみんな知っている。

父親もずっと事業をやってきたから話も合うし何でも話す。

というか、ボクは家内の父親が好きなんだと思う。

だから家内に言われなくても、居心地が良いもんだから、出張の合間にわずかな時間を見つけて泊まるだけでも訪ねて行った。

温泉ではあまりしゃべらなかったけど、帰宅して乾杯したあたりから会話が弾んだ。父はコップ一杯で真っ赤になる下戸だけどそんなことは気にしない。ボクはマイペースで飲むし、父は果物を食べたりお茶をすすってボクの話を聞いている。

いつ何があってもおかしくない歳だから、今回こそ両親に伝えておこうと思っていることがあった。かといって、改まって伝えるのも恥ずかしいし、くすぐったいだろうから会話の流れを見ながらタイミングを待った。

「そうそう、お父さんお母さん、もう来年でライトハウスも20年目ですよ。早いですね。結婚の時はビックリさせたり心配ばっかりさせてしまったけど何とか会社も成長しています。

ホントにたくさんの人たちのおかげで何とかやってこれたけど、ひろみくんのおかげもおっきいです。彼女がよく支えてくれています。結婚させてくれてありがとうございます。

ボクの会社が本当に大成長するんはこれから10年、20年やから、二人とも頑張って健康に長生きしてくれなイカンですよ。頼みますよ!」

何とかうまく言えた。ビールに援護射撃を頼んだけど。

さんざん心配をかけたから、両親には感謝の気持ちを伝えたかった。

父の目のフチがちょっぴり赤くなってぎこちなくビールを注いでくれた。

06 25, 2007

やさしい“兄弟”のなかで

今日は息子の玄(はるか)の剣道のトーナメントの日。

朝顔を洗っている息子をリラックスさせようと、廊下の向こうから「おはよう。元気か!」とでっかい声をかけたら「おねえちゃん、起きちゃうだろ!」とすごく険しい顔で返された。

しょっぱい。

この日のトーナメントはカリフォルニアの19の道場から大人から子どもまで多国籍の剣士が集まって日頃の稽古の成果を競い合う大会(個人戦)。

玄は4−5級の部(高校生以下)に参加する。

前日の特練が終わって師範のクリス先生が豆剣士たちに言った。

「お前たちはどこの道場にも負けない稽古をやってきた。誰にも負けない稽古を乗り越えてきた。その自信を持ってのぞめ!勝っても負けても良い。自分が練習してきたことのすべてを出し切れ。いいな!」

「ハイッ!!」

クリス先生は今年アメリカ選抜チームのキャプテンとして、USが日本選抜を破って初の世界大会で準優勝した立役者なのだけど、頭が下がるくらい後進の指導に力を入れてくれる。そのクリス先生の背中を見て、トーランスの道場は先輩たちが本当に後輩たちの面倒を良く見てくれる。

剣道が強くなることも大切だけど、ヒトを思いやる気持ちや無償で尽くす尊さ、そして礼儀の大切さを自然に学ばせてくれる。

ボクも小学校の時に4年間剣道をやっていたのだけど、同じ武道、同じ生き物の集まりと思えないくらいトーランス道場は素晴らしい。

さて玄の試合のほうは、

一回戦は不戦勝で、二回戦はアタマひとつ分大きなおにいちゃんに一本勝ちで辛勝。三回戦、準決勝もなんとか勝つことができた。

そして決勝。

12歳で学年でも一番小さい方の息子の相手は、ボクよりも背が高いおにいちゃん。

40センチ以上の身長差だけど玄は必死で食い下がる。竹刀のスピードもリーチもずっと向こうの方が上手だけど気力だけで食らいついている感じ。

「パシンッ」

相手の飛び込み面がまともに玄のアタマを打ち込んだ。

「やられた。もうダメじゃ」

となりで淡白に解説する親父にムッと来る。

「パンッ!」

もう時間切れというところで今度は一瞬飛び上がった玄の渾身の面が決まった。

審判の赤い旗が挙がると同時に会場が揺れるくらいの歓声が上がった。

お互いに一本ずつ取ったところで時間切れの延長戦。

が、ここまで。延長直後に鋭い相手の一撃が玄の面に落ちた。

あと一歩だったけど正直息子には良かったと思っている。

ボクに似て、自信過剰ですぐ慢心してしまう性格だから悔しい気持ちを残して終わった方が今は良い。

息子はこの試合に絶対に優勝すると意気込んでいた。そのぶん、練習も頑張ってきた。荒くて不器用な剣道だけど。

試合に負けて泣きじゃくる息子を仲間が一生懸命に慰めてくれる。

長身で男前の青年、金先生は、泣き止むまでずっと玄の背中をさすり、身体を抱き寄せて慰めてくれた。遠くで見えないけど優しい顔で言葉をかけてくれている。

ボクはそれを見ているうちについ二人がにじんで見えなくなってしまった。

そんなこと本当の兄弟だってしてくれない。

やさしい“兄弟”のなかで育つ息子は本当に幸せだと思う。

06 24, 2007

新宿ビアホールのシアワセ

書きそびれていたけど、日本での出張のことを書きたい。
当たり前なんだけど、今回の出張はしびれることやがっかりすることもあったけど楽しいこともうんとあった。

順番はつけられないけど楽しかったことを思い出しながら書いてみたい。

その1、LCEのメンバーと新宿ビアホールで乾杯

ふだん日米4拠点で離れて仕事をしているから、幹部以外の日本のメンバーたちとは顔を合わせるのはおろか直接話をする機会もほとんどない。日本に出張に行っても、東京のオフィスに立ち寄ることは稀で、そのほとんどの滞在時間は営業やミーティングでガチガチにスケジュールが埋まってしまうので、なかなかメンバーとあらたまって話をする機会もない。

そんな中、ある平日の夕方、仕事を早めに切り上げて新宿のビアホールに集まって慰労会をやった。

最初のあいさつで、日頃伝える機会のないメンバーへの感謝と労い、そして今創業期のしびれる最中にいるけど、こんな時こそ気持ちを重ねて乗り切っていこうと想いを伝えて元気に乾杯をした。

古い考えかも知れないけど、メンバーと酒を飲んで語ることは絆を深めていくうえでとても大切だと思う。

笑ったり、泣いたり、共感し合ったり、酔ってからんだり、時に相手の地雷を踏んで後でアタマを抱えるようなチョンボをしたり、それもこれも含めて、ふだん押し込めた喜怒哀楽を、酒を口実にガードを下げて、ざっくばらんに伝え合うことが大切なんだよな。

まだまだ日本のメンバーは少しボクに遠慮があるようだけどいっしょに酒を飲んで、ふだん見られない笑顔を見ることができてとてもうれしかった。

メンバーが楽しそうにやっているのを眺めているとホントにシアワセな気分になる。

誤解されたり、セクハラになるからやらなかったけど、「いつもありがとな」ってひとりひとり肩を叩いて抱きしめたくなった。

まだ別の会食が残っていて8時過ぎには席を立ったのだけど、そのわずか2時間弱が今回の滞在でもっともシアワセな時間だった。

06 24, 2007

ソフトボールリーグ優勝!

久しぶりのトーランスの剣道場から。今日はこの週末のうれしかった話を。

ちょっと日が経ったけど、この週末に(新しく発足した)ソフトボールリーグの決勝戦が行われた。

なんとなんと。

我がライトハウスチームは無敗でファイナルまでの駒を進めることができた。

個人成績も、チームから、ホームランでは田山親子、そしてボクが3位まで独占。それ以外にもベスト10に武田と寺尾が入った。打率も4位から田山親子、編集長の川嶋、そしてボクが4人名前を連ねた。

いや、個人的にも若い人たちに交じってのベスト10入りは自信になった。50歳まではフェンス越えできそうだ。

JBA(日系企業協会)のトーナメントでは過去に苦杯を舐めてきたが、近年の若手の充実や田山親子の加入で急速に戦力が整い、今では他チームに「打倒ライトハウス」と恐れられる(罵られる?)存在に成長した。いや、なんともシアワセ。

そして晴天の決勝戦。対戦相手は一方のリーグ優勝した伊藤忠アメリカ。

結論から言うと、前日の猛特訓もあり、これまでで一番くらい打線が爆発して22−1の6回コールドゲームで優勝を勝ち取ることができた。

勝っても勝っても応援のなかった孤独なチームが、この日ばかりは家族や社員の応援で、愛に飢えたメンバーは大はりきり!

投げてはエース田山と武田の好投で一点に抑え、打ってはつるべ打ち。なんとサク越えのホームランが5本も宙を舞った。

とくに圧巻はあと3点でコールド勝ちという6回裏。

ランナー二人を置いてデザイナーの西村が打った瞬間にそれとわかる特大のホームランを放った。

シーズンを締めくくる劇的な一発に照れてくしゃくしゃの西村がサードベースを回ってくると、みんなが駆け寄って飛び切りの笑顔で迎えた。ボクはどさくさに渾身のパンチを埋めた。

06 22, 2007

思い描く

水曜日の朝。久しぶりのロサンゼルスの空気は気持ち良い。

昨日2週間の出張から帰ってきた。

帰りの飛行機に乗っている間も帰宅してからも、ちょっと会社に顔を出したのと食事の時間以外、今朝まで眠りに眠った。おかげで気持ちもカラダも軽いこと。特大のカサブタが落ちたように清々しい。

改めて思うけど、カラダの方の疲れを過度に溜め込むと、気持ちまで抵抗力がダウンして、何と言うことのない問題にも差し込まれ気味になる。

そういう時に限って波状攻撃で問題が勃発するからつい八方塞がりのような気分になってしまう。

それが十分な休息を採ることで「さあこい」といういつもの前向きな自分にもどれる。

「越えられない問題は起こらない」「すべては必然」だから、「こんなに複数の、それも難易度の高い問題をいっぺんに迎えることができるなんて、オレもエラくなったもんだ」と笑える余裕も湧いてきた。

今朝は久しぶりの「朝の勉強会」。

テーマは「ライトハウスを通してどんな未来を創れるか」。

「そんなの無理だよ」とか「それって誰がやるの」とか「人が足りない」という話はナシで、自分たちの事業の延長で(あるいはそうでなくても)、こんなことができたら面白いよなというテーマで話し合った。

いや、正確にはいつものようになかなか活発な議論とはいかず、沈黙しがちでアイデアが今ひとつ出てこなくて、結局グループごとの発表はナシで来週への継続テーマとした。

でもそれは全然オッケイで、日常の業務から離れて、未来について考える機会を持つこととか、夢を持つことが大切だと思っている。

この世の中の、飛行機もロケットも癌治療もインターネットも、誰かの頭に浮かんだ「夢」が出発点だ。すべては思うことから始まる。

ライトハウスキャリアエンカレッジという会社も、ボクやパートナーの高畠やメンバーの夢のカタチだ。

89年のライトハウス創刊以来、いろいろな分野で活躍する日本人に取材や営業を通して出会った。そして輝かしい活躍の一方で気の遠くなるような失敗と苦労を乗り越えてきていることを知った。そして大切なことは才能より、自分を信じてやる努力とか信念だと学んだ。人は必ず変われる。人をあきらめてはならない。そう思った。

それから、この成功者たちの言葉に、日本の若い人たちがふれたらどんなに勇気が出るだろう。日本の若者がこの人たちと直接会える機会を作りたい。彼らが学んでいる机と世界はつながっていることを伝えたい。目からウロコをボロボロ落としたい。

そう思うこと、夢見ることから始まった。

「想い」は、2000年1月、大学や専門学校の学生に海外研修やインターンシップを提供する会社ライトハウスキャリアプラニングとして産声をあげた。

まさに、成功者から直接話を聞いたり、アドバイスをもらったり、自ら体験をする海外研修の実現だ。ボクらの研修はどこの業者もマネができないオリジナルの研修だ。

昨年11月からは日本側のパートナーの高畠(キャリアエンカレッジ)と、ライトハウスキャリアエンカレッジを立ち上げ、新たな支援者やパートナー、メンバーが集まって今につながっている。同時に事業領域を、国際間の人材斡旋にも広げた。

どちらもまだまだこれからの事業だけど、教育の方は、北は北海道、南は九州から日本中の学生がわれわれのプログラムに参加するためにアメリカを訪れる。

彼らの感動の涙や感謝の手紙はずっと昔に思い描いた「夢」だ。

人材業では、日本人が世界中で仕事を得られる世の中を実現したい。課題は盛りだくさんだけど、このメンバーなら必ず実現できるし、この仲間たちと実現したい。

ボクの「夢」はこれからもライトハウス、ライトハウスキャリアエンカレッジ、ふたつの会社を通して実現と進化を繰り返す。

挫けている時間はもったいない。

06 13, 2007