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what's new

込山洋一

『編集者」求む

唐突だけど、ライトハウスの経営方針5箇条の3つ目は、

「ライトハウス自らが規範となり、海外の日本語メディアの品質の向上に尽力し、業界で働くスタッフやその家族、友人が誇りを持てる業界、物心ともに幸せになれる業界を創造する」

としている。

同業他社の方が見たら「何様じゃい」「調子に乗りやがって」「やっぱりアホだったか」と呆れられてしまうかもしれないけどボクは本気で目指している(もちろん、共感してくれる経営者が国内外にいると信じているけど)

そのくらいメディアという仕事は小さくても尊く大きな仕事ができるし、人様の人生に貢献できる仕事だと信じている。

その信念はボクの背骨だ。

(LCEの教育や人材業も同様で、「人様の人生に貢献できる」という点では、もっと深く直接的なところでかかわれるだろう)

ライトハウスはもちろん、世界中の日本語メディアが、海外で暮らす人、目指す人の灯台になれたら、もっと日本人は世界中で活躍できるし、多様なライフスタイルを提供することができるだろう。

メディアがそういう世の中の作り手になれたら、文字通り「業界で働くスタッフやその家族、友人が誇りを持てる業界、物心ともに幸せになれる業界」になる。そうすると、更に業界に人材が集まり、更に誌面がパワーアップして好循環を生むだろう。

そう。

人材と言えば、ライトハウスは誌面をもっともっと充実させるために「編集者」を募集しています。ライトハウスとベクトルを重ねられる方、ぜひ応募してください。

jinji@us-lighthouse.com

(すみません、求人広告になってしまいました)

07 18, 2007

ブランド力をつけるには

今朝は週1回の勉強会の日。

昨晩は、ロサンゼルスの出版メンバーの第3四半期「キックオフ飲み会」で大いに盛り上がり、それは良いんだけど、若いメンバーといっしょになって飲み過ぎたようで朝起きると二日酔い気味。プールと朝風呂で思い切り汗を流して出社した。

テキストは先週に続いて本田宗一郎さんの著書から。

ホンダがその昔お金がなくて苦しかった時代、アメリカの商事会社からバイヤーブランドで何万台買いたいという注文が入った。のどから手が出るほど受けたかったけど、ぐっとガマンして断り、アメリカには独自で市場開拓するという選択をした。結果、「自社ブランド」で成功して現代のHONDAがあるという話を朗読。

その後に自分たちに置き換えて「ライトハウスのブランド力をつけるには」というテーマでグループに分かれて議論した。

「ライトハウスらしさ(のある誌面)」
「独自性(のある誌面)」
「自分たちの手足を使って作る誌面(ライトハウスの記事はすべてオリジナル)」
「情報の正確さとその積み重ね」
「プロ意識、プロの仕事」
「プライドを持って仕事をする」
「期待に応え、期待を超える」
「安売りしない」
「親しみやすさと地域社会への密着」
「ひとりひとりの言動、姿勢」
「大切なものを残す一方で、常に新しいものを取り込んでいく革新性」

そんな意見がメンバーから上がった。こうして考えることで、ひとりひとりが自社ブランドの構築を常に意識し、自らがブランドの作り手であってほしい。

ボクはふたつのことを話して補足した。

ひとつは、「せっかくこれだけのメンバーが集まったのだから、想いとチカラを重ねて、かかわる人にシアワセになってもらえる情報誌を創ろう。小さな便利を発信しよう。落ち込んでいる人には、勇気や元気が湧き出るような記事で励ましたい。海外生活の助けになる情報を発信しよう。オレたちの情報によって、ここに暮らす方たち、目指す方たちの生活のハードルを低くしよう。そしてそれを『継続』し続けよう」ということ。

もうひとつは、「失敗や失態を隠さない社風を創ろう。前向きな失敗はしても良い。とにかく隠すな。小さなウソをウソで隠すと、それを隠すためにもっと大きなウソをつかなくてはならない。ブランドは、失敗によって失うのではなく、その失敗を隠そうとしたり、ごまかそうとする「ウソ」や「不誠実」によって崩壊するものだ。失敗をした時には(1)瞬時に公開(報告)して、(2)迅速に駆けつけ、(3)誠意を持って対応することを徹底しよう」と話した。(もともといい加減で弱い自分への戒めでもある)

07 18, 2007

ガンバレ移民!

昨晩は親父の69歳の誕生会で、お世話になっている方や友人家族が拙宅に集まってくれて遅くまで飲み明かした。

めでたいめでたいと、シャンパンに始まり白ワインでつなぎ、赤ワインでしめるふりをして一転ビールと焼酎で引っ張った。いや、よく笑いよく飲み、実に楽しい夜だった。

今朝は息子を(ブリッジUSAの発行人石井さんが主宰する)サッカーチームに送った後、銭湯に行ってマッサージをしてもらった。ボクはマッサージや指圧が好きで、疲れがたまるといつくかの馴染みの店やクリニックに出向く。

「前回来た時はアナタよっぽど疲れてたでんでしょ」

よく指名するアメリカ在住中国系韓国人のリサ(仮名)はボクの肩に太い指をめり込ませながら言った。

そうそう数週間前に寝不足気味で来た時はマッサージを始めた途端、終(しま)いまで大イビキをかいて眠ってしまい、カラダは楽になったんだけど少し損をしたような気分になったんだ。

今日はじっくり堪能しようとカラダを預けた。

「リサはえらい達者だけど何年のこの仕事をやってるの」そんな話からいつの間にか彼女の身の上話になった。

オバQの彼女P子ちゃんに似たリサは、ボクより2歳若い39歳であること(ボクは聞かないよ)。17歳のひとり娘をアメリカの学校に行かせるために母子で渡米して3年になること。旦那さんはアメリカが嫌いなので、別居して中国で働きながら時々こっちに来ていること。娘はアメリカの弁護士資格を取得するのが目標で、取得したら親子で中国に帰ろうと思っていること。彼女が中国に一時帰国しないのは、不法移民だからいったん国を出ると再入国できないという事情があること。休みは週に一日で、それ以外は朝の9時から夜の9時まで働いていること。

リサの話を聞きながら、別のマッサージサロンで働くミッシェル(仮名)のことを思い出した。韓国の釜山出身の彼女は大学を出てから渡米。両親は年老い、金銭的な支援は望めないし頼りにする気持ちもない。むしろ早く親孝行をしたい。今は看護婦になるのを目標に、看護学校に行くためのお金を働いて貯めている。マッサージの仕事は決して好きではないけど、客の合間の待機時間に勉強できるのが良いそうだ。週に一日の休みは一日中勉強をしていて、息抜きにガーデナのマルカイに行くのが楽しみだと言う。

「えらいなあ、がんばってるなあ」と感心すると、若い頃の吉永小百合のような顔立ちの彼女は屈託のない笑顔で「ライフイズハード」と気丈に応える。

名もない尊敬すべき人たちが必死にアメリカにしがみついて生きている。

確かにアメリカは懐の深い国だけど、それでも異国の地で「移民」が生きていくのは並大抵のことではない。もしその時に、例えば数千ドルの金があったら踏ん張れたのに泣く泣く帰国した若者は多いだろう。ボクも86年に渡米した頃、騙されて金に困って帰国しかけた。断念して帰国した人たちと、今残って根を張るボクの間に「運」以外の差はない。出逢った人、そこにあったチャンス、タイミング、すべて紙一重のちがいなのだ。

もっともっとパワーをつけて、「日系」なんて縛りをつけずに、必死で頑張る「無印」「ガッツ&ハート」の移民に奨学金を出したり、スポンサーができる人間になりたい。

そしてヤツらがまた次世代の移民を支援するポジティブスパイラルを自ら創りたい。

07 15, 2007

Mさん、アムステルダムへ

昨夜は創刊間もない頃からお世話になっている広告代理店の会長Mさんの送別会が、レドンドビーチの「チーズケーキファクトリ」で開催された。

26年もの長きに渡ってMさんが会長を務めた同社は、日本でも最大手の広告代理店のひとつで世界各地に拠点を有している。

すでに還暦を迎えた歳なのだけど、赤字のアムステルダム支社を立て直すために抜擢されたようだ。きっとゴルフで鍛えた体力と、若い女の子が大好きと公言するエネルギッシュさで選ばれたにちがいない。

パーティにはMさんのつき合いの広さを物語るように各界で活躍する人たちがテーブルを埋めた。

人が集まるところが大の苦手のボクは、出口に近い席を選んで小さくなっていたら、少し後に着いて、ボクを見つけたアサヒビール社長の都筑夫妻がとなりに座ってくれて少し救われた。

都築さんは同世代なのだけどユーモアと見識を持つ尊敬する経営者のひとりだ。話題は、下ネタから哲学、経済からアウトドアと縦横無尽で、そのうえ決して驕ったところがない。いつもLCEの研修やイベントでは、忙しい合間をぬって時間の許す限り学生たちに話を聞かせてくださっている。

おしゃべりで盛り上がっていると、音楽とともに有名ミュージシャンのモノマネをしながらMさんが拍手に迎えられて入場した。

そういえば、いつかMさんはハロウィーンの夜、ショットバーに「スポンジマン」のコスチュームで突然現れたこともある。

目を瞑ってMさんのネクタイ姿を思い浮かべようとしたけど思い出せなかった。いや、きっとなかったんだろう。

浴衣の司会者が最初のスピーチに都築さんを指名した。そつなく笑いを織り交ぜたスマートなスピーチに大きな拍手がなった。

こういうスピーチができる人が羨ましくて仕方ない。

「続いて、ライトハウスの込山社長!」マイクでいきなり指名された。

「ポンッ」カツラだったら5メートルくらい上に吹っ飛んだだろう。アタマ真っ白。

ただでさえ人前でしゃべるのが苦手なのに、まったく意表を突かれて言葉が出てこない。何とか、長年の感謝とヨーロッパに遊びに行きますとシドロモドロで話した。もう、溶けてバターになってパンに塗られてしまいたかった。もう二度とスピーチはしたくない。

それでもまわりがやさしいのか、意に介していないのか、稚拙なスピーチを突っ込まれることなく会は進行して行った。

「コミヤマさん、知っていますか。Mさんはずいぶん昔から『これからの時代はライトハウスだ。あそこは良いよ。必ずライトハウスがひとり勝ちする時代が来る』って応援していたんですよ」

同じテーブルの方から言ってもらって驚いた。つい最近、別の方からもMさんがライトハウスをベタ褒めしてくれているという話を聞いていたのだ。

もちろんMさんは直接会ってもそんなことを言ってくれたことがない。それどころかよく考えたら仕事の話もあまりしたことがない。

ボクは18年前、Mさんより先に奥さんとガーデナ市のカラオケ屋で会っている。その店には遅い時間に広告の打合せに行っていたのだけど、店のママが気を利かせてお客で来ている奥さんを紹介してくれたのだ。一瞬困った顔をしたけど、奥さんはキチンと旦那のMさんに話を通してくれた

「カミサンにはあんなペラペラのタブロイド刷ってるヤツとは会いたくないって言ったんだよ」

向日葵(ひまわり)の入った花束を両手で渡すと、Mさんはあの頃を思い出して照れくさそうに笑った。

07 14, 2007

花火

少し前になるけど、7月4日の独立記念日はラスベガスで過ごした。

と言ってもカジノではなく、我が家の恒例行事で、毎年ラスベガスに住む友人の薬師寺邸に、ボクが学生時代からお世話になっているビルさん夫妻と集い、独立記念日をいっしょに過ごすのだ。

元駐在員の薬師寺さんは事業で成功して久しいのだけど、独立してすぐの90年前後はボク同様ビルさん夫妻にずいぶんとお世話になった。

ビルさんは日系人だけど、日本人以上に義理人情の人で、昔からそれは多くの人たちの面倒を無償で見てきたボクのヒーローだ。

ゼロから事業を興して苦労の末に成功を収めたビルさんは人の痛みがわかる。

その昔、掃除をさせてほしいとアポなしで来たメキシカンの少年を学校に行かせて、その後幹部に取り立てたり、アメリカに渡ってきて食えない日本人の若者を支援したり、数え切れないくらいの人たちの面倒を見てきた。

社会の中で決して強くない立場の人たちには特に温かい。ウエイトレス、ゴルフ場でクラブを磨く人、ガードマン、売店やレジのおばちゃん、みんなにやさしくてユーモア溢れる一声をかける。チップもうんと弾む。そんなビルさんをみんなが慕う。

7月4日の6時前に自宅を出発して途中で親父をピックアップして行く。親父はみんなを喜ばせようと前日に釣った魚をクーラー一杯に積み込んだ。

車中では親父が大量に作ったスパムおむすびを頬張りながら走る。

渋滞を覚悟していたのだけどラスベガスの薬師寺邸に10時過ぎには無事到着。まもなくビルさんの夫妻も到着した。

親父が釣ってきたオコゼ(刺身、煮付け)、スズキ(刺身)、コブダイ(刺身)、メバル、タナゴ(煮付け)を手際良くウロコを落としてさばいていく。それを頼もしげにみんなが囲んで「お父さんやるねえ」「このオコゼは銀座でさばいてもらったら1万円じゃ食べられないよ」「ヨウイチは良いねえ。いつもお父さんの魚が食べられて」と持ち上げる。

ふだんはひとりでいることが多い親父の顔が輝く。シアワセそうだ。

親父に対して、生活習慣や細かいことが気になって、つい小言を言ってしまう自分に反省。そういや最近労ってないもんなあ。

このメンバーはみんな料理ができるから、キッチンは流しもコンロもフル稼働。あっという間に15人くらい囲める大きなテーブルが自慢の料理でいっぱいに埋まる。カミさんが独立記念日が近づくと何を作るかうれしそうに思案するのはこの日のためだ。

ビルさん夫妻、薬師寺夫妻、そして親父と我が家4人。ビルさんの71歳から息子の12歳まで、今年もまた無事に、健康な笑顔で集まれたことに感謝してスーパードライで乾杯。親戚があまりいないボクにとっては親戚以上に親戚だ。

夜は日が落ちるのを待って、薬師寺邸のゴルフ場に面した庭で花火をした。
45℃まで上がった昼間の空気がまだあたりに横たわっている。

子どもたちが買ってきた小さな花火。そのむこうの西の夜空に大きな花火が弾ける。

儚(はかな)い花火たちは夜空をカキ氷のシロップ色に染めては溶けていく。子どもたちははしゃぎ、大人たちは懐かしそうにそれを眺めている。

いっしょに歳を重ねるから気づかないけど、子どもたちが成長する一方で、大人は老い、時計の針を刻む分だけ残り時間が減っていく。こうして揃って会えることも永遠じゃない。

慌ただしい毎日だけど、時々立ち止って自分にとってかけがえのない人たちとの時間を大切にしなくてはと思う。

07 14, 2007

カレー男の信念

ボクは会食で食べなかったのだけど、キッチンに昨晩のカレーが残っていたので弁当に詰めて持って来た。食べ終わって食堂に置いてある「さかい」(出入業者さん)の弁当も今日はカレー。

「カレーづいとるなぁ」

その瞬間稲妻のような衝撃が走った。そう、昨日も一昨日もボクはカレーハウスでカレーを食べている。

「カレー人生」

アホなことを考えている場合じゃない。

今朝は週に一回の社内勉強会の日で、本田宗一郎さんの著書「やりたいことをやれ」の中から「信用を得る」というテーマについて考えた。

宗一郎さんは(1)人間愛、人を愛し、愛されること、(2)約束を守ること、(3)相手を儲けさせる、そして「自分の人生と仕事を通じて多くの人に恩恵を与えること」と説いておられる。シンプルだけど深い。100年後も真理だと思う。

それをライトハウスに置き換えたらどうなるだろう。

「広告主の信用を得るには」という設問で、ロサンゼルスとサンディエゴをつないで、グループに分かれて考えた。

「繁盛する提案をする。それができるようになるために、お客さんやその業界、このコミュニティをもっと勉強しなくてはならない」

「正直であること。絶対にウソをつかない。いい加減なことを言わない。調子のいいことを言わない。期待値調整をキチンとすること」

「うわべだけではない態度を取ること。誠実であること」

「自分たちが顧客(一般客)の時に、リピートしたくなる気持ち、あるいはその逆を考え、分析する習慣をつける。常にアンテナを張り、アタマを働かせる」

「お客さんのやりたいことを何でも受入れるのではなく、自分なりの考えや提案をする。また、おかしい、売れないと思ったら正直に伝える。ただしポジティブな言葉を使って」

なかなか良いことを発表してくれる。だけど実践が大事なんやぞ。
そんなことを思いながら頼もしく見ている。

忙しくっても、日常的にメンバーが考えたり振り返る機会を作るのも経営者の使命だと思っている。自分のことは棚に上げているけど、会社を成長させるには遠回りのようでメンバーの成長にチカラを入れるのが一番だ。いっしょに学び育ちたい。

07 11, 2007

何があっても

昨日は早朝深夜の日帰りサンディエゴ出張で、一日しっかりカラダを動かしたので朝6時まで熟睡した。だけど疲れはまったく残っていない。調子良いゾ。

PCを開いて昨晩のうちにもらったメールや、昨日返事ができなかったメールの返事をする。早朝の静かなこの時間は仕事が捗(はかど)って気持ち良い。

一段落したらストレッチと深呼吸をしてプールでひと泳ぎ。

午前8時には心身ともにトップスピードに入る。

サンディエゴでは朝夕にLCEの大野、日本のパートナー高畠とミーティング。その合間に営業の同行について回る。

ボクのスケジュールは、ライトハウス、LCEのメンバー全員に開放していて、スケジュール管理ソフトのサイボーズを見て、空いているところはメンバーが勝手にボクとのミーティングや同行営業、挨拶回りを入れられるようにしている。

両社ともに、ボク自身は事業のフローに入っていないけど、新人から幹部までボクを活用できるところは自由に使えるようにしている。そしてボクといっしょに過ごす時間の中でより多くのことを学んでほしいと願っている。

サンディエゴ版の同行営業は、ロサンゼルス版を創刊した当時のようでとくに楽しい。

前マネージャーの大野やメンバーが頑張ってくれたおかげで、ようやくサンディエゴに浸透してきたけれど、老舗の「ゆうゆう」の後発で、高額で、そのうえ値引きをほとんどしない方針だから営業もカンタンではない。

昨日もいったん断られた営業先に、3時間空けずに手書きの企画書と事業モデルを携えて走った。メンバーに、営業の醍醐味、スピード感、演出の大切さを背中で見せるためだ。

先方はそういうマーケティングの仕方があったかとえらく喜んでくれた。

大いに納得しつつも「同じ料金でひとつ大きなサイズにサービスしてくれたら、今すぐ一年契約をする」と来たので「ボクたちを信頼してくれて、そのままの金額で出してくれているお客さんを裏切ることはできない」(*やりとりは英語)とお断りした。

それでも「あなたはトップだから決めることができるでしょう。他の誰にも言わないから。他のどこのメディアも大きな割引をくれるよ」と食い下がる。

かなり執拗に値切られたけど、「予算が無いならひとつ上のサイズで、2回出すのを1回にすれば良い。商売がもっと良くなってから2回出せば良いじゃないか。私は割引はしたくない。一番大切なのはサイズの大小ではなく、あなたの商売を繁盛させるには何をすべきかということ。ぜひ考えてほしい。割引はできても、私のような提案ができる営業がいましたか?」とやんわり断った。

最後は先方が根負けして「わかった。たぶん月に一回で希望のサイズでいくよ」
と言ってくれた。店を出る時に握手をして「良い提案をしてくれてありがとう!」と初めて見せる人懐っこい笑顔で送り出してくれた。

今回契約に至らないかもしれない。でも契約書をゴールにするのではなく、こうしてお客さんがどうやって繁盛するか、なにかチカラになれないか、そういう視点でメンバー全員が営業できるようになったら売上はついてくる。

口先や小手先、同業他社の誹謗中傷で得たようなお金は短命だ。自分自身も卑屈になる。そんな営業は絶対に社員にさせない。家族や社員が見て恥ずかしいような営業をしてはならない。同業他社の話が出たらいっしょになって褒めておけば良いのだ。

契約書は、お客さんと担当者、お客さんとライトハウスの末長い関係を創っていく中でのスタートに過ぎない。

「ライトハウスの広告は高い」とお叱りを受けることもある。

少しでも安くご提供できることはとても大切だけど、それ以上に広告主の「お客さん」である読者に支持をしてもらえるように、役立ち、潤い、元気が出る誌面を、常に安定して発行し続けることが大切だと思う。

ライトハウスは数年に一度大掛かりなアンケートを実施する。

そこでわかるのは、アンケートに答えてくれた1700人の在住者は多少の差はあるけどほとんどのメディアをピックアップする。

しかし、「そのメディアが好きか」「そのメディアが信頼できるか」「そのメディアを使って広告を利用するか」という設問には驚くくらい数字に差が出る。

たしかに我が身に置き換えると、大切なモノ(サービス)や大きな買い物をする時は「信頼できる」「好きな」メディアで「比較をして」買いたい。ピックアップしても、「信頼まではしていない」「好きでもないメディア」の広告を利用しようという気持ちにはなりにくい。

幸いライトハウスはどの設問もほぼ90%を超える支持をいただいている。そういう支持を得続けるためにも、もっともっとライトハウスはパワーアップしなくてはならない。現状維持は後退だ。

「ライトハウス、儲かってるやろ」と冷やかされることもある。

実際、創業19年目。高い利益率の会社に育ってきた。企業は売上も大事だけど、むしろ利益率が高く筋肉質の「強い」会社であることの方がずっと大切だと思う。

ライトハウスに限らず、ここに根を下ろす全ての日系の企業や商店がこの20年の間に数々の辛酸を舐めてきた。バブル崩壊、日本企業の撤退、地震、暴動、湾岸戦争、移民法の厳格化、同時多発テロ・・・、自分たちのチカラではいかんともし難い試練を経験してきた。そして残念ながら多くの会社はその波に淘汰された。アメリカ人ではなく移民の我々には有形無形のハンデもある。(だから、次に来る人たちのハンデを少しでも縮めること、ハードルを低くすることがボクらの使命だ)

ライトハウスの教育事業ではテロの影響で半年間売上がゼロだったこともある。自分の判断ミスで大きな損を出して家を手放したこともある。

この先もこれまで以上に多くの試練が待っているだろう。

そんな時にも社員や家族を守れる「備え」が経営だと思う。備えるためには適正な利益を確保せねばならない。身を持って経験してきた答えだ。

つい最近、憧れのビルへ引っ越す話を書いたけど、それだって何かの時には手放せば何百万ドルかのキャッシュは作れる。

商売人の家で育った家内は「なるべくカンベンしてね」と言うけど、「何かあったらお家を売ってもう一回ガーデナのアパートからやり直そ」と言ってくれる。

今のボクにはそのくらいのチカラしかないけど、少なくとも最悪の事態が来てもそれで命をつないで嵐が過ぎるのを待てば良い。

オフィスだってまた創業時のようにアパートや倉庫から始めたら良い。ボクについてくるメンバーを守ることができたら、どんなあばら屋で仕事をしてもちっとも恥ずかしくない。

そしてまた大きくしたら良い。その時はもっと強い会社になっているからね。

ボクは今だって飛び込み営業をホイホイできるし、何回でも地べたから這い上がる腹筋と足腰を持っている。脳味噌はクルミのようにちっちゃいけどね。

それが無印のボクの強みだ。

最初の試練を迎えているLCEには、今まさにボクの知恵と経験を活かさねばならない。

07 10, 2007

家出物語

もう3週間も前の話だけど、恥ずかしながらボクは25年ぶりに家出をした。

25年前の家出は親父の「養ってもらっている分際で云々」という説教に反発してひとりでも生きていけるわいと家を飛び出した次第。あの頃から青かった。

友人の家に転がり込んでUFO焼そばで命をつなぎつつ3泊か4泊目の夜に、自転車で自宅の様子を見に行った。街灯の明かりに親父が外で腕を組んで帰りを待っているのを見て申し訳なくなってあっさり帰宅。

今になって、子どもたちに気持ちがうまく伝わらない時にあの頃の親父のもどかしさが理解できる。

余談だけど親父とは、15年くらい前に(親父の)胃癌の手術をする前後数ヶ月の方が、それまでの25年の通算会話時間より話をしたと思う。その時は焦って、あまり積み上げてこなかった親子の関係を不器用にキャッチアップしようと土壇場でもがくボクだった。幸い今も元気で生きてくれているのが救いだけど。

そして時を経て25年後の今回。

ということは、このペースで91歳以上生きるとしたら後2回くらい家出をすることになる。次回、66歳、91歳の時にはもう大黒柱の時代は終わり、誰も悲しみも困ってもくれないかも知れない。その時には「家出」とは言われず、「徘徊」あるいは「逃避」と片付けられてしまうかも知れない。家出はもうやめにしよう。

今回も理由はよく覚えていないくらいだからつまらぬ夫婦喧嘩が発端だったと思う。しかしちょうど折り悪く、仕事のことで打開策が見えず悶々としていた時期で、ゆとりの無さが重なって、ふだんなら笑って受け流せることにもガマンができなかった。わかっている。すべて自分の度量と謙虚さが足りないのが原因だ。

ボクは外からの試練には強いと自負しているのだけど、身近なところから軽んじられたり、無礼な扱いを受けるとどうにもガマンが足りない。それも思い込みによるところが多いから始末に困る。

その晩は少し酒も入っていたから運転を諦め、荷造りに留めた。2週間の出張の倍ほどの荷物をまとめたからけっこう覚悟をしていた。

当たり前だけど家庭がうまく行っていないと仕事にも身が入らない。情けないけど、その翌日は気持ちがどうにも入らない。

「社長、そういうカタチで進めてよいですか」
「ゴメン、もう一回言って」

社長失格である。

その日は、何かのお礼や事業の相談に来てくださるお客さんが何件もあったのだけど笑顔を作るのが本当に辛かった。相手が誰であっても100%一生懸命に向き合いたいのに本当に失礼なことをした。

前の晩の眠りも浅く、仕事も不完全でぐったりとした気分のまま会社を後にした。

重いスーツケースでチェックインをした安ホテルはいっそう気分を重くした。あぁ、こんなことそうそう無いんだからもう少しまともなホテルにするんだったなあ。

ベッドで天井を睨んでいると、携帯電話が鳴って弟から商売の相談だった。

あまり人の相談に乗るような気分ではなかったが、かといって無下に断るわけにもいかずシャワーを浴びて重いカラダを約束の店に運んだ。

こんなに気持ちが落ち込んだことってここ数年あったっけ?そんなことをアタマの片隅で考えながら、実は結論は決めているであろう弟の話に耳を傾ける。

そうしていると携帯電話がなった。今度はカミさんからだ。

明日の朝の子どもたちの送り迎えについて夫婦で調整しないといけない。遠慮がちに聞こえるそんな内容に、助け舟が来たような気持ちなのだけど、わざと低めの声で「わかった」とだけ答えた。

結論が最後になったけど、そのままホテルの荷物をまとめてその夜は自宅に帰った。

ちょっと珍しい「日帰り」の家出。

親しい仲間に「実は今日家を出ました」とメールを送ったのを少し後悔した。

07 07, 2007

引越の悩み

今日は7月1日。ちょうど一年の後半戦が今日から始まる。

ちょうどいろいろなことが転機に差し掛かっていて歯ごたえのある後半戦になりそうだ。答えのない無数の選択肢の中で「選択」と「決断」がボクの一番重要なミッションになるだろう。

転機と言えば、トーランス通りのライトハウスの社屋の前を車で通っている方は「ビル売却」の看板ですでにご存知かも知れないけど、2001年からお世話になった社屋から、2008年1月に(ライトハウス創業20年目に合わせて)新社屋に引っ越す予定だ。(ただ、こればっかりは相手があるので流れたり遅れることもあるだろうけど)

今の社屋は、その前に10年近く世話になった倉庫のような(いや、倉庫そのもの)事務所で、家賃や経費を倹約して貯めたお金で思い切って「エイヤ」と購入したのだけど、ありがたいことにずいぶんと値打ちが上がって、もっと良い環境に引っ越せるようになったのだ。

値打ちが上がったのは景気もあるけど、その間会社を支えてきてくれた他ならぬ社員のおかげだから、その分は、社員が目を丸くするような粋な環境を用意することで応えたいと企(たくら)んでいる。

(もちろん、いつかLCEやサンディエゴのメンバーにも、いっしょにいくつも山を乗り越えた先で第2第3のサプライズを用意したい)

あまり書いてしまうと値打ちがなくなるけど、新社屋にはオフィススペースに加えて、「癒しとクリエイティブ」をテーマにしたスペースを拵(こしら)えるのだ。

頭をフル回転で一日中PCと格闘しているメンバーや、外回りでクタクタになって帰ってきたメンバーが、仕事が終わっても居心地が良くって帰りたくなくなるような空間。

あるいは広告主やベンダーさんが遊びにきて寛いでくれるような空間。

あるいは「このままじゃダメなんだよ!」とか「もっと良いもの創らないと」なんてメンバーが口角泡を飛ばし熱い議論を交わせる空間を作りたいと思っている。うちのメンバーはみな気持ちの良いヤツばかりなんだけどちょっとおとなしいからね。

ボクが考えるとせいぜいバーカウンターとボックス席から発想が広がらないから、今回の設計は、ボクの知人で大阪の帝国ホテルや日米の一流ホテルの設計を手がけてきた建築家にお願いする。

ホテルの設計は、ホスピタリティデザインと言って「おもてなし」が大切なテーマ。同氏の「ホスピタリティデザイン」が、ボクのメンバーのためにどんな空間を創造してくれるか、売買契約すら今まさにこれからなのにもう楽しみでしょうがない。

そんな中、少しアタマを悩ませていることがある。

「家具」である。

今もそうだけど、ボクはムダ遣いが嫌いで、創業から10年以上は利益が出ても新しい家具なんて買ったことがなかった。お客さんの会社の縮小や買い換えの時に、トラックでメンバーと引き取りにいったデスクやキャビネットばかり。新しい家具を買うようになったのもこの何年かで、新品といってもIKEAやOFFICEDEPOの質素なものばかりで、よく注意して会社を見渡すと実に統一感がない。バラバラ。

いくらカッコ良い設計をしてもこの家具を持ち込んでは台無しになってしまいそうだ。家具まで予算がまわるよう後半戦もメンバーには頑張ってもらわないと。

あっ、それはボクか!?

07 01, 2007