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込山洋一

遠くで汽笛を聞きながら

■経済紙だけど、スポーツの記事も偏ってなくて面白い日経新聞。

日中に知っておくべき情報を拾って読み、帰宅してから、あるいは夕食のあとにスポーツ面をぼうっと眺めるのが日課。

「アナタっていつもスポーツ面しか見てない」

眉を寄せる家内。

「当たり前やないか。オレはスポーツマンやからスポーツ面しか読まんのじゃ。

スポーツマンで健康。健康が一番。一番のダンナで良かったなあ」

井口(サンディエゴパドレス)のサヨナラホームランの記事を目で追いながらテキトウに応えるボク。

■ 昨夜は出張でサンディエゴに宿泊。毎回、取引をいただいているホテルに泊まるのだけど、今回はダウンタウンで、海まで数ブロックの好立地にあるベストウエスタン・ベイサイドイン(1-800-341-1818)を利用させてもらった。

いつも遅い時間にチェックインしていたのだけど、昨日は営業の合間の、午後の早い時間にチェックインを済ませた。

上層階から埋まってゆくのだろう。遅い時間だと空いているのはたいてい3階か4階で、窓を開けると駐車場が目の前に迫っていたのが、今回は11階(全12階)のオーシャンビューの素晴らしい部屋を用意してくれた。

着岸した帆船が見える。その向こうにヨットが優雅に走っていく。

インテリアもモダンで、大きめの冷蔵庫と電子レンジが完備。家具やカーペットも新しい。

フロントには日本人スタッフが常駐していて、さらにライトハウスや日経新聞が常備しているところもエライ!と、いうことで出張にはぜひおススメしたい。

ちょっと宣伝になってしまうけど、長めの出張や事業の立ち上げ、短期留学なら、スタジオ819とVANTAGGIO SUITESを推したい。ともに全室家具付でおよそ生活や仕事に必要なモノはすべて揃っている 

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さて、話はベストウエスタン・ベイサイドインに戻ろう。

サンディエゴのメンバーとの気持ちの良い夕食会からホテルに戻ったのが午後9時過ぎ。

例によって日経新聞を広げているうちにコクリコクリ。知らぬ間に熟睡していた。

それから数時間、ノンレム睡眠の底のあたりを漂っている真夜中(午前2時くらいだった)

「ぼ〜〜〜〜〜〜〜っ!!!!!」(目覚まし時計1000個分≦その音)

眠りの底から飛び起きて、何ごとか確かめるためにヨタヨタとカーテンを開くと、湾岸を走る貨物列車の汽笛(警笛?)だった。

きっと隣町のヒトも目覚めたと思う。いや、メキシコのヒトも起こしたにちがいない。

こんな時間に鳴らすなよ。

■汽笛と言えば、昔両親がまだ仲の良かった頃、母親からこんな話を聞いたことがある。

「お父さんはね、雄三(弟)が生まれた時(親父は船乗りだった)とっても喜んでね、神戸の港で汽笛を何回も鳴らしたんだって。ロマンチックなところがあったのよねえ」

「ねえ」って。

勝手に汽笛鳴らしてええん?

夜中に起こされたのはしびれたけど、なんだか懐かしいシーンを思い出させてくれた。

04 29, 2008

滝に打たれよう

■今朝は書斎でネイチャーサウンドを聴きながら。

昨日ボーダーズで、ジェイクさんのCDといっしょに、「滝」「熱帯雨林」「カリブの海岸」などもいっしょに入手して、さっそく書斎で流している。

水の流れる音や、鳥や虫の鳴き声は気分をやさしく穏やかにしてくれる。なんか森の中にいるみたい。

■「滝(水)」と言えば先週、うちの記事を書いてくれている松村さんが、

「社長、最近(エンゼルフォーレストの)滝に行っていますか。

久しぶりに行ったら、水量も以前よりずっと豊富で、滝に打たれたら危ないくらい(笑)。すごく良かったですよ」

ボクは4、5年前まで、毎月のようにその滝に行っては頭から打たれていた。

始業時間に間に合うように、午前4時過ぎに起きて、途中で仲間と合流して、会社から一時間の国立公園までドライブ。

そこから真っ暗な山道をヘッドライト頼りに30分くらい歩くと、突然その滝が現れる。

真冬など凍るくらいに冷たかったけど、パンツ一丁で滝に打たれると、煩悩や邪念が払われ、すこし心の背骨がまっすぐに矯正されたような気がした。

残念ながら山火事で、数年の間公園自体が閉鎖してしまい、いつの間にか記憶から遠ざかっていたのだ。

数人の仲間に話したら、ぜひ行ってみたいとのこと。5月のうちに久しぶりに滝に打たれてみようと思う。

04 27, 2008

人生のヨロコビ

■今日ボーダーズで手に入れた、ジェイク・シマブクロさんのCDを聴きながら書く土曜日の夜。ジェイクさんには今年の元旦の号でインタビューにご協力いただいた。

■今日は一日、娘をフィギアスケートの練習と日本語の学習塾、バレーのレッスンに送り迎えをする運転手をして、合間に食材の買い物とキッチンや便所掃除をして日が暮れた。

四月なのに日中は30℃を越す暑さで、ビーチのあたりはさぞ賑わっていただろうなあ。

仕事の構想を練るのは、ボクの場合書斎よりキッチンのほうが閃いたりする。

また、消化不良の気持ちのザラザラなどは便所を磨いているうちに忘れてしまったりする。

今日はカミサンが息子に付きっきりで送り迎え。ふだん任せきりの洗い物をスポンジでゴシゴシやっているうちにエンジンがかかってきて、久しぶりに包丁も研いだ。

数ヶ月だけど、86年に渡米した時には飲食店においてもらったから要領はわかる。

鶏の皮(一番切りにくい)がスパスパ切れるくらいにシャープに研ぐと、勢いづいて今度は便器をピカピカに磨いた。

便所掃除をすると心が鎮まって、モノごとを冷静に振り返ることができる。

今週は良からぬことを思ったり、仲間を悪く思ってしまったり(グチも言ったし)、傲慢になりそうな出来事があって、少し(いや、すごく)自己嫌悪気味だったから、反作用で掃除をしたくなったのかも知れない。

この波を逃してはもったいないと、あちこちバラバラに置きっぱなしのCDを整理して、晩メシがしっかりと食えるようにプールでしっかり泳いだ。気分も爽快。

■ところでボクの好物ベスト3は、ハンバーグにパスタ、そしてウィンナー。

ウィンナーあたりは不動の地位というわけではなく、常に焼肉、カタ焼きゾバ、親子丼、餃子、あるいは串カツあたりがその地位を脅かし、ウィンナーにしてみると気が気じゃないだろう。

■日本や海外に行くと、その国その土地のエースカードの料亭や料理でもてなしてくれることがあるけど、ボクにとってはハンバーグが最高得点だから、それ以上は判定不能で、高級フレンチもレバニラもコロッケも、基本的にみな100点と言うことになってしまい、3万円のコースと一皿120円が引き分けたりする(要するにみんなうまい)。

何を食べるか、どこで食べるかより、大切な仲間や好きなヒトと囲むものなら、そこにキャベツ一個とマヨネーズ、ポテトチップスとマグロフレーク缶しかなくても最強最愛のごちそうになる(実際、商船学校時代は金がなくってそれがつまみの定番だった)。

■うちの幹部連中によく叱られるのだけど、ボクは大きなパーティや式典が大の苦手で、それでも立場上どうしても出なくてはならないそれには、顔を出して主催者にあいさつを済ませたら早々に脱出してしまう。

ヒトの集まりや華やかな席が極端に苦手なのだ。

不謹慎だけど、そんなパーティで、後ろ向きな世間話や、つまらぬうわさ話につかまってしまうと、いちおうは眉間にシワを寄せて相槌を打ちながら、自宅の冷蔵庫にビールを冷やしていたか心配してたりする。

そして、ふとトイレに立つような顔をして、そのまま静かにフェードアウトするのがボクのパターンだ。

■ その昔、日本に出張に行って、ベンチャーの経営者などが集まると、銀座や六本木のひとり座って5、6万円するという高級クラブに連れていってくれた。「もう少し未来を語ろう」というより、「アメリカから来たオレのゲスト(交友がインターナショナル)」としての意味合いが強かった。

そういうところには浮世離れした美人がたくさんいて、見ている分には楽しいけれど、実際のところは女の子が入れ替わる度にオウムのように自己紹介をして、そのうちにアホくさい話に合わせるのにくたびれてしまい、さっさと帰ってしまうボクだった。

そして、そういう浮ついた関係そのものからも身を遠ざけていった。

人それぞれだろうけど、ボクは仲間や社員、家族と夢を語ったり、互いの人生を思いやり、冷たいビールで突つく焼肉(焼鳥、餃子も歓迎)こそが人生最大のヨロコビだと思う。

04 27, 2008

この数日のこと

用事がない限りは会社に朝1番早く行こうと心がけているけど、昨日も今朝も、7時10分に着いたらもう西村くんがPCに向って広告をデザインしている。気合い入ってるなあ。

彼はもうすぐお父さんになる。彼にとっても、ライトハウスにとっても、家族がひとり増えることになる。おたがい頑張らんとな。

* *********

デザイナーの山内くんが先週で上がって、正社員からパートナー(外部委託業者)になった。30後半、もともとアメリカで勝負したかったコンピュータグラフィックの世界に本腰を入れて勝負するためだ。

仕事ができても決して鼻にかけることのない謙虚で温厚な人柄は、社内外の誰からも慕われた。

みんなが成功を祈っている。

試練がテンコ盛り待っているだろうけど、自分の未来を信じて乗り越えてほしい。その度に強くなってほしい。

そのうえで、もしももしも、万が一うまくいかなかったとしても、あるいは翼がパキッと折れてしまったとしても、帰れる家がここにあることは忘れないでほしい。

ガンバレ山内!

* *********

週末のソフトボールの対戦相手は、昨年の後期リーグの最終戦(決勝戦)で敗れた宿敵JTB。

この日も最後まで追いついては引き離される大接戦だったけど、最後に逆転して7−8で辛勝することができた。相手チームは「次は必ず決勝で」と悔しさをにじませていた。

かならず決勝でぶつかるだろうからその時は今回以上のチカラを出して完勝したい。

これで開幕4連勝。

打率ベスト10には、ボク(.875)が2位、田山翔くんが5位、瀬尾くんが7位につけて3人も入っている。調子いいぞ。

そうそう、この試合でボクは3打数2安打(2二塁打)だったのだけど、家内や両親、娘が観戦に来たものだから、密かに良いところを見せようと(最初の打席で)やたらとチカラが入り、なんと三振を喫してしまった。その瞬間、恥ずかしさで溶けて地面に染み込もうかと思った。

最終打席に良いところで打てたから良かったけど、ちょっと力み過ぎ。

* *********

同じく週末。

友人で同世代の小林さんが、20年ぶりに出場した剣道大会で見事優勝(南カリフォルニア、北カリフォルニア剣道連盟合同、3−4段の部)した。

実家が剣道場で、大学選手権でも活躍した小林さん。

それでも、20年近く剣道から遠ざかっていて、ずいぶん緊張したというが、昨年末に再開した矢先の快挙だった。

2回戦から決勝までの4回の対戦で、一本も取られることなく勝ち抜いて、その勝利を一番喜んでくれたのは奥さんだと言う。

「カミサンが試合を見るのは初めてで一番喜んでくれました。こんなに株が上がって、大事にしてくれるのは結婚以来初めてかも(笑)。家族の前で勝てて良かった。本当にうれしい」

“うれしい”が伝搬して、ボクもすごくうれしかった。

**********

昨日の朝、家内の両親が帰国した。

少し弱ってきた義父といっしょに過ごす時には「これが最後になっても悔いが残らぬよう」そんな気持ちで接している。

折りにふれ、義父には自分の夢や思いを伝えて、少しでも熱が伝搬して元気になってほしいと願った。

「もう十分。こんな良い思いをさせてくれてありがとう。きっとこれが最後だよ」

と気弱なことをいう両親に、

「これから毎年10年間。年に一回、世界中の行ったことのない国を訪ねましょう!ボクが連れて行くから。それを実現するにはまず体力。帰ったら、よく歩いてカラダを鍛えてくださいね。できる、って思わないとできないし、できると口にしたところから本当にそうなっていくんだから。“もうダメ”は言っちゃダメですよ。いっしょに頑張りましょ!」

少し困ったような顔で両親は笑った。

「そうやな。まず言葉からやな。これからは前向きな言葉を使わんといかん。

帰ったらちょっとカラダを鍛えようかな」

04 22, 2008

ここからが本番

ライトハウス本誌の営業の瀬尾くんが14日連続で広告受注の記録を達成した。

昨日の「営業勉強会」(週に一回30分、金曜日に実施)では、瀬尾くんにスピーカーを頼み、どうして実現できたかについてメンバーみんなに共有してもらった。

一番に「毎日のコツコツ」をあげた。

マメに足を運ぶ、マメに電話をする、マメにメールを送る、営業に近道も裏技もなく、お客さんを思う心と、小さな積み重ねの大切さを訴えた。

そして、「もともと根性論や精神論はキライ」としながら、「結局、最後は、自分に負けたくない、達成してみせるという根性に尽きる」と結んだ。

楽勝の記録では決してなかった。

夜の9時の時点で決まっていなくて、そこから飲食店にアポイントを入れて、受注できた時には夜中の2時を過ぎていることもあった。

日頃から営業勉強会では、プレゼンテーションスキルとか、費用対効果とか、期待値調整とか、小難しいスキルやテクニックの話もしているけど、一番大切なことは相手の心を打つ情熱とか根性、愚直なほどの誠実さだと思う。

そして(その成果に)何の約束も保証もない営業という仕事は、いかに大きな目標やノルマを楽しめる感覚、ポジティブにとらえる感覚を持てるかが大切だと思う。

自分の発する言葉や文字の影響は、自分自身に対しても、まわりに対しても大きい。

言い換えたら、自分の発する言葉や文字をポジティブにしたら、自分もまわりもポジティブになるし、越えられない山も越えることができる。

苦しい悶絶しそうなときほど、成功の映像、やり遂げたイメージを原色で思い浮かべ、絶対にできると言葉にすることが大切だと思う。それをマイルールにするのだ。

実は、瀬尾くんの頑張りは、ライトハウスグループの中の一面であって、ライトハウスも、LCEのメンバーも、すべてのメンバーが本当によく頑張っている。

市場環境でいうと思い切り逆風の最中、ライトハウスは、ロサンゼルス版もサンディエゴ版も、第2四半期は3号連続で前年の売上を上回ることができた。

営業、編集、制作、管理部門がまさに総力戦で、号を追ってチカラを重ね、チカラをつけていく。(課題や改善すべき点もテンコ盛りだけどね)

昨年は創業以来、初めて売上を微減させてしまったけど、こうして20年業績を伸ばし続けるメディアは海外でも極めて希有な存在だと思う。

LCEも教育事業部が4月の目標を突破した。HRも来週中に達成が見込まれる。

この2つの会社はどこまでも伸び続けるだろう。

それもこれも、すべてはメンバー、すべてはヒトに尽きる。

これからが長いのだけど、ボクはメンバーや仲間たちに毎日心の底から感謝している。そして、このメンバーがかわいくて仕方がない。

以前のボクはそういう感覚や愛情が薄かったし、目が外へばかり向いていたように思う。今はすこし勉強をして、中と外の両方に向くようになったけど。

私心や邪心がすぐに顔を出し、時にズリズリ引きずられながら煩悩と戦う毎日だけど、メンバーに恥じない、家族や友、恩師に恥じない人生(経営)を送りたい。

そしてライトハウスやLCEのメンバーを物心ともに幸せにしたい。

04 19, 2008

南米親子旅 最終回

旅はまもなく終わりに近づいていた。

17日の朝、ボクたちはイグアスのシェラトンホテルをあとにした。

シェラトンは、部屋から滝やジャングルがのぞめる美しい風景や、施設の充実だけでなく、スタッフのホスピタリティが本当に気持ちの良いホテルだった。

これはブエノスアイレスでも同様。

温かいサービスでもてなしてくれたスタッフの人たちに感謝。

空港に向うまでの数時間、「鳥と植物の公園」に立ち寄り、世界中から集めた美しい鳥を鑑賞した。ケアが行き届いていているのだろう。鳥たちはみな羽に艶があり、機嫌が良さそうに見えた。

その足で、イグアス最後のハイライト、ヘリコプターツアーにみんなで参加した。これもカジノのおかげである。




ヘリコプターに乗るのが初めての両親は、機体がふわりと浮かぶ不思議な感覚に目を白黒させた。

機体はそのままジャングルを低空飛行で進み、滝の上空まで来ると、今度は機体をナナメにして2度3度大きく旋回してくれた。

空から眺めるイグアスも圧巻で、あらためてそのスケールの大きさを体感した。この風景を見せてやりたいなあと家族の顔が浮かぶ。

「おとうさん、おかあさん、いかがでしたか」

「すごいなあ、本当にキレイやった。四日市の人で、ここに来た人はおっても、空からも陸からも川からも滝を見ることができた人はおらんやろうなあ。ええもんを見せてもらった。ヨウイチくん、ありがとうなあ」

「とんでもないです。そんなに喜んでもらえるんやったら来年もイグアスですね!父ちゃんはどうやった?」

「揺れたのう」

「・・・・・・。」

三日間それは気持ち良くガイドを務めてくれたガブリエルとの別れを惜しみ、ボクらは旅の最終目的地サンパウロに向った。

サンパウロ到着後はボクだけ仕事モードに入らせてもらう。

日系人人口が世界最大の都市であり、移民100周年を迎えるサンパウロでは、両親を雄三に任せ、日系の新聞社2社(サンパウロ新聞、ニッケイ新聞)と情報誌を発行する出版社を訪ねた。

加えてホテルのある日本街では、一世や二世の経営者の話を聞いて歩いた。

世界各地の日系社会の歴史や現状を学ばせてもらうのと、同じ海外のメディアを取り巻く環境や経営の様子を直に勉強するためだ。
(前回の南米の旅ではリマの日系人会館や博物館を訪ねた)

加えて、ボクの構想にある世界中の日本語メディアのアライアンスに向けてのネットワーキングが目的だ。


そんなことで、この旅の最後の二日間は、いろいろな方と出発間際まで面会して話を聞くことに努めた。

とくに注目していた日系新聞社の現状は、読者である日系一世がすでに人口減少傾向にあり、購読数(購読売上)でも、広告営業でも苦戦しているようだ。

二世三世も、ロサンゼルスの日系人同様に現地化していくため購読者には結びつかず、かといって駐在員や新一世、留学生を取り込むための手も打っておらず非常に厳しい局面を迎えている。

これは決して人ごとではない。同じ海外で発行するメディアとして、時代の先を読み、失敗を恐れず先手を打っていく必要性を改めて痛感した。ますます高度でパワフルで柔軟な経営が求められる。

外に出て見えるものがある。

サンパウロの日系社会では、そこへ持ってきて、日本のニュースや番組が即時に入るNHK(TVジャパン/24時間、有料)が人気で、日系新聞社の経営をさらに圧迫しているという。

ある現地在住者の言葉だと「延命してあと5年ないしは10年。時代の役目はすでに果たしたと言える」らしい。

これはパラグアイの日系ジャーナル、ペルーのペルー新報、アルゼンチンのラプラタ報知も同じ傾向だそうだ。ある時代においては移民の心の拠り所であったのだろう。その偉大な功績を讃えたい。

日本からの進出企業で構成される商工会議所の会員企業数は約300社。

未加入の企業もあるようで、日本からの駐在員は5~6000人と推定される。20代後半から30代が多く、駐在員が若年化傾向にある。

県人会は47都道府県あって、沖縄県人会がとくに活動が活発だそうだ。

日本街でも県人会の事務所がそこここにあって、覗いてみると職員らしき人がのんびり新聞を読んでいたりする。

そうそう、広さでいうとロサンゼルスのリトル東京と同じくらいの大きさだけど、日本街は週日から人通りが多く、週末になると人で溢れかえっていて前に進めないほど。

名物のヤキソバを出すカフェやカジュアルな小料理屋、日系の小振りなグロッサリーがどこもよく繁盛していた。

一方で店構えの立派(風)な寿司屋や、団体客を扱うような大きな日本料理店はガラガラだった。

他に手頃な料金で寿司や日本食が食べられるエリアができたらしい。現地の人も日本人も値段に敏感なのだ。

ステイタスについて聞いたところでは、今現在、移民にとって就労ビザの取得が難しく、結婚や出産(子どもの親として)からステイタスを確保する以外にはあまり方法がないようだ(恩赦での永住権の発行が10年に一回くらいあるらしいが)。

一方で、“袖の下社会”の側面もあって、ビザに限らず、ワイロでどうにでもなるという現実があるようだ。

また一般に国民の納税意欲がうすく、脱税が横行するから、国は取れるところから取ろうと重税を課し、まともに払ったら成り立たないような重税だからますます国民は脱税するという悪循環があると言う。これはあくまで個人から聞いた意見だけどね。

ちなみに最低賃金は月額で250米ドル(400レアル)で、今年7月から280米ドル程度に上昇するらしい。日系の新聞社だと、メンバーが5~600米ドル、幹部クラスでも900米ドル程度だそうだ。

また日系人はブラジルにおいてとても優秀で、人口比率は1%程度なのに、ブラジルの東大にあたるサンパウロ大学の20%近い在籍数を占めるそうだ。

残念ながら、治安は悪く、ある理容院の店主のおばちゃんはブラジルに来て60年で11回ひったくりに遭ったそうだ。その話を別の経営者にすると「それはその人の引きが強いから。そういうオーラが出ているのです。私なんか2回くらいしか遭ってない」とそもそものレベルが高い。

ちなみにボクは何人かの在住者に「大丈夫、アンタは襲われない。現地人と見分けがつかないし」と勇気づけてもらえた。すごくありがたい。

サンパウロの最後の夜は情報誌ピンドラーマの社長の川原崎さんと、編集長の布施さんの3人で日本街の小料理屋「金太郎」で酒を飲んだ。

おたがい同世代で、自分たちのメディアを愛しているから、最初からメディア経営の本質的な話で盛り上がる。

やはり彼らも、記事の内容、人材の確保、広告営業、印刷の質と料金、配布網、将来に向けての方向性など、世界中のメディアの経営者と同じ悩みを抱えながら経営に取り組んでいる。

ボクはたくさんの方のおかげで、20年も情報誌を発行してこられたから、求められたら惜しみなく経験やノウハウを伝えるようにしている。

少しでも、ライトハウスのフィロソフィや経営のエッセンスを世界中のメディアにも活かしてほしいと願っているからだ。

もちろん、逆に教えてもらうこともたくさんある。

とくにハワイでアロハストリートを発行する上野さんや、NY(ハワイ、上海)でジャピオンを発行する新谷さん、中国5都市でチャイナコンシェルジェを発行する大西さんからは学ぶことが多く、おたがいに惜しみなく経営のエッセンスを提供するし、経営者同士、本音で悩みを話すことができる仲だ。同時に、切磋琢磨し合う良きライバルでもある。

ピンドラーマの二人ともそういう関係が構築できたら素晴らしい。

最後は「おたがいに良いメディア、良い日系社会を創ろう」と握手で別れた。旅の最後に良い縁をいただいた。ありがたい。

それから弟と親父が待つ屋台に走った。

酒があったらご機嫌で、だんだん背中が曲がって小さくなる親父と弟と小さなテーブルを囲んで飲んだ。

思えば、すぐに手が出る暴力親父で、ろくに家族旅行にも行かなかった。子どもの頃は転職が多くて、担任の先生から保険証がまた変わったのと言われるのに毎回怯えた。おふくろとは(どっちもどっちだけど)ついぞ建設的な話し合いをすることもなく離婚してしまったし。

それでも親父は親父で、おふくろはおふくろで、どっちも大切な存在だ。伝える言葉も表現も持っていない二人だけどかけがえのない両親だ。

ひと言くらい当時の文句を言おうと思った頃にはみるみる小さくなってしまって、それもこれもみんな酒の席の笑い話になってしまった。

ふだんなかなか話せないけど、親父に確認しておきたいことがあった。

「酒の席だから本音で言うてよ。なっ。

ボクらが声かけて父ちゃんはアメリカ住んどるけど、英語と車の社会でホンマにアメリカの生活でええんな。楽しんどるんな。

友だちがおる故郷の方がホンマは暮らしやすいと思うとんとちゃあうん?」

質問をぶつけてみた。

耳が遠い親父は少し首を傾げたままボクの言葉を聞いて、

「今が一番シアワセよのう」

と虫歯の歯を見せて、顔をクシャクシャにして笑った。

ひょっとしたらボクら兄弟の気持ちを思って、一番喜ぶ答えを返したのかも知れないと思ったけど、それ以上確認すること自体が野暮な気がして、その夜は焼酎に似たブラジルの酒にライムを搾って、3人の残り時間を楽しむことにした。

裸電球の灯りは少しレトロな雰囲気を醸し出し、ボクら3人も昔の時代に戻してくれているようだった。

飛行機の窓から眺める見慣れたロサンゼルスの町並み。

無事、帰ってくることができた。
健康でトラブルに巻き込まれることもなく、みんなで帰ってくることができた。

と思ったら、まだまだ。

物語の最後はやっぱり親父だった。

通関を抜けて、親父がピックアップしたカバンに麻薬捜査犬が駆け寄った。

あたりに走る緊張。そして疑惑の目は親父に集中した。

しまったという親父の無念の表情。

険しい表情の捜査官。

南米で「入手」したのか。

麻薬捜査犬が鼻をこすりつけたところのファスナーを捜査官が強引に開いた。

旅のクライマックス。

カバンから出てきたのは、食べかけのサンドウィッチだった。

04 18, 2008

南米親子旅 その5

イグアスの二日目。
約束の9時にタクシーのガブリエルとその仲間がホテルに迎えに来てくれた。両親も親父も食欲があるし、睡眠もしっかり取れているようで体調は良い。ありがたい。

走り出して10分ほど。国立公園を出たところで、いきなりデモで道が封鎖されている。ガブリエルが事情を聞くと、新しい教育の法案に反対して、地元の親子が一本しかない国立公園への道を塞いで抗議しているのだ。

旅では思いもよらぬことが起こる。焦っても仕方ないので、ガブリエルとおしゃべりをして待った。

「ひとりでジャングルに入るなよ。ここにはピューマもヒョウもいる。コブラもいるから。それもたくさん(ムーチョ)」

「パラグアイでは、ヨウイチのブレスレット(金)やお父さんたちの時計は外しておけよ。狙われるから」

「このあたりの家は50×30メートルくらいの敷地の家が15万ペソ(5万米ドル)くらいする。とても手が出ないよ。あと、車はものすごく高い(だからあまり走っていない)」

「オレの奥さんはカジノで働いている。(誇らしげに)もうディーラーを10年もやっているんだ」

人懐っこいガブリエルとはすぐに心が打ち解け、話も弾んだ。また彼は両親のこともよく気遣ってくれた。

幸いデモは30分くらい経った頃にいったん解いてくれた。

ほどなく、ブラジルとアルゼンチンを隔てる大きな川に架けられた橋を渡る。橋のまん中までがアルゼンチンカラーの青と白のストライプ、まん中から向こうはブラジルの黄色と緑のストライプ。

「おとうさん、おかあさん、ここが国境ですよ。ほら、色がここから変わるでしょ」

橋から眺める、イグアスの川がふたつの大国を分けるダイナミックな風景に目を奪われた。本当に自然が素晴らしい。

ブラジル(ビザが必要)で入管を済ませ、車はさらに隣国のパラグアイを目指して走る。

川沿いの道に入った時、あの対岸がパラグアイだとガブリエルが説明してくれた。

初めての国への上陸はいつも胸が躍る。

パラグアイとの国境もやはりイグアスの川が隔てていて、大きな橋で国境を越える。こちらの国境はやたら混雑していて、自動車の合間を3人乗りのオートバイや、ありえないくらい大きな荷物を前後の荷台に積んだ自転車、いかにもパチもん(ニセモノ)という物売りが狭い橋の上を行き来している。怪しく人間くさいところが面白い。

橋を越えるとそのまま道沿いが商店街になっていて、地面いっぱいに物売りで溢れかえっている。なんかメキシコのティワナの雰囲気にも似ているぞ。

ガブリエルが車を路肩に停めようとすると、馴染みらしい二人の少年が手際よく誘導して、(駐車中に室温が上がらぬよう)フロントガラスに大きな段ボール箱をかけてくれる。なんでも商売になるんだなあ。

ガブリエルが薦める電気屋(この町は電化製品がエラく安いらしい)に行くために雑踏の中を歩く。ボクはひったくりに遭わぬよう、義母のハンドバッグと自分の腰巻きバッグをシャツの中に入れて、その上からさらにパンツをたくし上げて履いたものだから、姿勢の悪い妊婦のような格好になってしまったが安全第一なのだ。

道ゆくパラグアイ人に笑われながら、2、3の電気屋を回って、弟がカメラを買った。ガブリエルは後から店に引き返して、どうもキックバックをもらっていたようだけど、実際3割くらい安い感じがした。すべてにおいてわかりやすいのだ。

少しドライブをして再びブラジルへ。

昨日は川からイグアスの滝を眺めたけど、今日はブラジル側から陸路で滝の真横まで行って眺めるのだ。

ブラジル側のナショナルパーク入口に車を停めて、公園内の専用バスに乗って川沿いにアマゾンの道を走る。途中下車して、1キロ余りの道を歩いて滝に向うと、だんだんと滝の風景と轟音が大きく迫ってくる。




真横から眺める滝のスケールは圧巻で、ナイアガラとは比較にならないスケール。
感動した義母が「こんな素晴らしいところに連れて来てくれて本当にありがとう」と喜んでくれた。義父は「本当にスゴい。本当にありがとう」と笑顔を弾けさせた。

思わず鼻の奥が熱くなって泣けそうになった。今回の旅で何度も思ったけど、本当に来て良かった。

何枚も記念撮影をして、父親に目を移すと、そろそろ行こうというやというさっぱりした顔で待っている。何か期待したボクがバカだった。

この日はまだドラマが待っていた。

ブラジルからの帰路、なんと道路がまだデモで封鎖されていたのだ。ラジオではあと3時間も通行できないと言う。

本当はホテルに戻って、アルゼンチン側からも歩いて滝を眺めたかったのだけど叶いそうもない。

こんなときは気持ちを切り換えるに限る。

ガブリエルの勧めで、近所のカジノを攻めることにした。

ボクはそれほどカジノが好きではないけど、ラスベガスなどで1年か2年に一回、義父や弟とブラックジャックのテーブルを囲んで、勝った負けたと騒ぐのは大好きだ。義母も、ボクといっしょなら義父のギャンブルを容認しているようだ。

カジノは予算を決めないときりがない(そもそも経営者がギャンブルにはまったら会社が傾いてしまう)。ボクは勝っても負けても必ず線を引いて、だらだらやらない。集中力が続くせいぜい30分が勝負だ。

逆に、年に一回くらいのギャンブルだけど、ほとんど負けることがない。

この日は、義父と弟は100ドル、ボクは200ドルと予算を決めて、最長でも40分で止めることにした。義母と父親はゲームに参加しないけど同じテーブルには座らせてもらえた。

豪華なカジノで、チグハグな軽装の親子がテーブルを囲んでいて不思議な光景だったと思う。

30分後、ボクは元本が2000ドルになったところですぱっと止めた。義父もアガリで3連勝して800ドルですっぱり。雄三は粘ったけど、親父に「あと何分」と時間を聞かれたあたりから運が逃げ、ひとりマイナス100ドル。

それでもチームとしては圧勝で、大笑いでカジノをあとにした。

その夜、笑顔が収まらない義父と「デモのおかげで小遣いがいっぱいもらえたね」とアルゼンチンでの大勝を祝って乾杯した。

ワインとごちそうが並んだオープンエアのテーブルには、南半球の星座が今にも降ってきそうだった。この景色を子どもたちにも見せてやりたいなあ。

遠くで滝の音が聞こえている。

04 16, 2008

南米親子旅 その4

4月8日、タンゴとフォルクローレ、土地のワインを満喫して、今回の旅の本命、世界一の滝があるイグアスに向けて、ブエノスアイレスを後にした。

大都市のブエノスアイレスとは一転、イグアスの空からの風景はジャングルに浮かぶ小さな町。

小さな空港に降り立てば高い建物がないから空が広い。緑と青の風景。

空港からボクらの宿泊先のシェラトンホテルに向うべく、タクシーの運転手と料金交渉。ひとまずは40ペソで手を打って2台に分乗してホテルに向う。

ジャングルを分けるくねくね道を小さな車の窓を開けて高速で走る。

運転手のガブリエルは、地元生まれの陽気なアルゼンチン人で、町の様子や観光のガイドをしてくれた。

ただ、いかんせんスペイン語とわずかな単語を並べた英語なのでどこまで正しく理解できたか怪しい。

そのやり取り自体が楽しいのだけどね。

結局、翌日のパラグアイとブラジルの二つの隣国観光もお願いしてその日は別れた。

シェラトンホテルは国立公園内で唯一のホテルで、一面ガラス張りの受付カウンターだけでなく、なんと部屋からも轟音とともに水煙を上げるイグアスの滝を眺めることができる。

これには両親はもちろん、無感動な親父の表情もみるみる明るくなった。となり同士の部屋にしてもらったので、ベランダに出て記念写真を撮り合った。

それからボクは、一時間後に申し込んだツアーまでの間、たまった洗濯物をバスタブで手洗いする。

ゴシゴシゴシゴシ。

ボクは、旅行でも出張でも、荷物をコンパクトにまとめるために衣服は最小限にして、どの日にクリーニング(あるいは手洗い)をするか毎回緻密に戦略を立てる。そのやり繰りは、プロ野球の監督がピッチャーのローテーションを練るのに似ているかも知れない(叱られるか)。

そしてその工夫が認められて「それで2週間分の荷物ですか」なんて感心されると、小躍りしたいくらいうれしくなる。

はてさて一時間後に再集合してツアーに参加。

まず荷台に長椅子を並べたトラックに乗ってジャングルを走る。

手を伸ばせば触れられるところに熱帯の植物が迫っているけど、かぶれるとおっかないので見るだけにしておく。それにしても酸素が詰まっている感じで空気が美味い。豊富な水とジャングル。地域全体に良い「気」が宿っているのを肌で感じる。

途中で車を降りて、今度は歩いて坂道を下るとふいに川が現れ、繋がれたパワーボートに乗り込んだ。乗り込む時に頑丈なビニールの袋を渡される。水に濡れても良いように荷物を詰めておくための袋だ。

ボートはそのまま立ち上がりそうな勢いで、豪快にイグアスの滝へ唸りをあげて走る。スピード好きの義父も大喜び。

無数の滝を麓から眺め、同乗の観光客たちが感嘆の声をあげたのも束の間、ボートはザブザブと舳先を滝の中に突っ込んだ。

飛沫(しぶき)なんてもんじゃない。途切れなく頭からバケツをかぶっている感じ。目を開けておくことができない。

ボートがバックすると、青空の下でお年寄りも若者もみんなボートの上で大笑いしている。髪も洋服もビショビショのままで。

そして2度3度とボートが滝に突っ込む度にオトナたちは子どもになって喜んだ。

困った顔をしているのはひとり、うちの親父だけだった。

04 16, 2008

南米親子旅 その3

出張や旅行から帰ったら、どんなに疲れていても、荷物をキレイに片付けないと落ち着かない。

子どもの頃は、机の中にパンや宿題、返ってきたテストを立体的に詰め込んだままでもまったく動じなかったのに。

今朝も帰ってきたら、まず旅でたまった衣服やスニーカーを洗濯機に放り込み、旅の必需品たちを元の場所に収納し、急ぎのメールの返信を済ませ、ライトハウスの最新号に目を通し、ようやくへたへたとベッドにもぐり込んだ。

みんなオトナになってゆくのですね。

はてさて。話は再びブエノスアイレスに。

アルゼンチンと言えばタンゴ。そしてフォルクローレ。

到着初日の夜はさっそくタンゴにいこう。

どこがおススメかはホテルに相談すると安心。予約もあわせてお願いした。

場所は、タンゴの神様(らしい)カルロス・ガルデスが働いていた市場前に2000年にオープンしたタンゲリーア、その名も「エスキーナ・カルロス・ガルデス」

ホテルを回る迎えのバスに乗って、開店と同時の午後8時半に到着。店内はオペラ劇場のような造りで、たくさんのお客をいっぺんにさばくにもかかわらずサービスも好感。


ショーが始まるまではワインとコース料理で歓談。


昼のステーキに、アルゼンチンはどこでも肉がうまいのかと思ったら、必ずしもそう言うわけでもないことがよくわかった。やっぱり職人の腕か。


それでも肝心のショーはバツグン。さすが本場、さすがプロ。全員大感激。


一名を除いて。

それはうちの親父。

ショーが始まる頃に眠り、閉幕とともに目覚めた。

腕を引っ張って、ひとりひとりのダンサーや演奏者にいっしょに謝って回りたかった。もうしませんと。


昔、ライトハウスで南こうせつさんをお招きして大きなコンサートを主催したことがある。

親孝行がしたくて、最前列のまん中の席を親父に用意したのに、親父はそこでも眠った。

観客がこうせつさんの動きに合わせて手拍子をしたり、いっしょになって躍ったり、ステージが一体になって盛り上がっても、その席の人影はアタマがナナメになったまま動くことはなく、ステージの裾からこうせつさんに手を合わせて詫びた。


はてさて。

二度あることは三度あると言うけど、その翌日の夜、フォルクローレのショーでもキッチリ親父は一番前のテーブルで居眠りを始めた。

それでも帰り道の夜風の中で「音楽は良いなあ」と親父は遠くをやさしく見つめて言った。ご機嫌なのだ。

それはなぜ。

ボクは横顔を眺めながら、「半分の血をありがとう」と心でつぶやいた。

04 13, 2008

南米親子旅 その2

人口280万人、ラプラタ(銀の意味)川の河口に広がる港町ブエノスアイレスは“南米のパリ“と呼ばれ、他の南米の国とはちがった独自の歴史を歩んできたそうだ。確かに車窓からの景色はどこかヨーロッパで眺めた風景とつながる。

さて、ボクたちがブエノスアイレスの町の中心地に位置するシェラトンホテルに到着したまでは良かったけど、あいにく一部屋しかすぐに用意できないとのこと。

もう一部屋のチェックインまで間がある。
ひとまず両親を先に部屋に通して休んでもらって、ボクら(親父、雄三、ボク)は部屋が空くまでの間、近所のカフェで過ごすことにした。


ホテルからほんの50メートル、ぶらりと入ったオープンエアのカフェ。まずはアルゼンチンワインで乾杯。

日曜日の街角は家族連れや若いカップル、楽しそうな笑顔が行き交う。近代的なビルと、ヨーロッパ風の歴史のある建造物、ライダーキックで崩れそうなボロボロのビルが混在し、その隙間から通りに沿って青空が続く。耳をすますとスペイン語が入ってくる。

あぁ、異国に来てるんだなあと実感。

運ばれてきた揚げ餃子のようなカタチをした肉のパイ「エンパナーダ」。これはアルゼンチンの名物料理で、中にひき肉、レーズン、ゆで卵、チーズやハムを詰めて揚げている。

口に含むと香ばしい肉汁の旨味がジュワッと広がり軽く目眩。やってくれるではないかアルゼンチン。ありがとう!

続いて運ばれたステーキにさらにびっくり!!

アルゼンチンが肉の産地として有名なことは知っていたけど、ワラジのようにデカくて味気ない肉を想像していたら、気を失うくらいジューシーでやわらかい、それも肉の味がしっかりしたステーキに思わず感動。こんな美味いステーキは食べたことがない。冷めても味がちっとも落ちない。
つけあわせの野菜も、色とりどりのピーマンとズッキーニ、たっぷりの茄子を炒めて、焼いた牛の骨で取ったダシをベースにしたソースで絡めている。

これまた脱帽、参りましたという感じ。勘定もワインを2本空けて、3人で60米ドルくらい。最初からアルゼンチン株が高騰したよ。


食後に少し仮眠を取って、22階のプールでひと泳ぎする。
プールや風呂に浸かると、水圧で血の巡りが良くなるとどこかで聞いて以来、長時間のフライトの後にはなるべく風呂に浸かったり、こうしてプールで泳ぐ。

まだ秋も浅いアルゼンチンの水は温かいくらい。
ホテルの22階からは海が見える。南半球の大西洋だ。この海の向こうにはアフリカ大陸がある。


夕方、みんなで合流してホテルの近所をウインドショッピングして歩く。


このあたりのショッピングモールにはヨーロッパやアメリカの一流ブランドが軒を連ねる。というか、ニューヨークの五番街やビバリーヒルズ、銀座のそれと遜色がない。モール全体の設計やディスプレイはむしろあか抜けていたりする。3.2で割ると米ドルに算出できるのだけど、ブランド品の値段はそんなに変わらない気がした。


通りに出ると、マクドナルドやディズニーの看板やロゴがイヤでも目に入る。何だかアメリカ商業主義が汚してしまったようで複雑な気持ちになる。

特徴的なのは革製品の店が多いこと。さすが名産だけあって種類も豊富で料金も手頃だ。


義父が手にして買おうか迷っている皮のジャンパーを来月の誕生プレゼントに贈らせてもらった。大喜びしてくれる表情にボクはもっと大喜びした。

04 13, 2008