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込山洋一

最近の気づき(その2)

今朝はソフトボールのリーグ戦で、ライバルのロビンスと対戦。
来月のJBA(日系企業協会)ソフトボール大会を控えて、今日は全員でつなぐ攻撃を心掛けた。

結果、試合は30−12の圧勝。リーグ戦も単独首位。

ボクもフェンス越えのホームランを含む6打数6安打で、気分良く年に一度の大会を迎えることができそうだ。

JBAの大会は、今年から外国人選手枠が3人から5人に増える。大きな会社は従業員何百人何千人の選抜だから、バースやブライアントみたいなのがゴロゴロ出場してくる。ちょっとやそっとじゃ勝たせてくれない。

今年は一回戦から強豪の島津製作所だけど、実力を出し切ったら十分に勝機はある。
勝って弾みをつけて優勝を目指したい。

はてさて。
今日も昨日に続いて、最近の「気づき」の話。

先月、王さんが監督を務める福岡ソフトバンクホークスのCOOの竹内さんと、ボクが所属するパロスバーデスカントリーでゴルフをごいっしょした。

その時に伺った孫正義さんの経営者像について。

デリケートな話が多いので活字にできないのがもどかしいけど、そもそも球団経営の難しさや面白さを語る竹内さんがとても魅力的な方で、こんな型破りな人たちを束ねるソフトバンクグループの総帥の孫さんってどんなリーダーか訊ねてみた。

第一声が「奇想天外」

ホントに何を仕出かすかわからない。誰も。

そして「大胆」

一方で「緻密すぎるほど緻密」

独断専行のストロングマネージメントと思いきや、

「決して強硬ではない。役員会議も侃々諤々(かんかんがくがく)意見を戦わせる風土に満ちている」のだそうだ。

そして1番感銘を受けたのが、

「情に厚く、人がついていく人柄」と竹内さんをして言わしめる人間性。

戦後に創業した日本企業の経営者では間違いなくトップ経営者のひとりだろう。
同じ時代に生まれたこの偉大な経営者といつかお会いしたい、と強く思った。

今はしっかり自力をつけて、実績を重ね、将来(50歳くらいまでに)いっしょに事業のタッグが組めるくらいの立ち位置に成長したい。

 

08 25, 2008

最近の気づき(その1)

先の石井さんもそうだけど、ボクは経営者や一線で活躍する方にお会いできる機会に恵まれている。

そういう方たちの中で生きていると、自分の至らなさや努力不足を日々痛感する。

こうしてブログの中でありのままの毎日を綴ることは、限りなく生き恥を晒していると自分でもわかっているけど、それでも読んでくださる方に、わずかでもボクの「気づき」や「元気と勇気」がシェアできたらなあと思って書いています。

ということで、シリーズ「最近の気づき」(その1)は、先の出張で、帝国ホテルの支配人Aさんから学んだ帝国ホテルの経営秘話。

遡ること今から何十年も前、ホテル業一筋で経営も堅調な帝国ホテルに、新しく就任した金融出身のその社長は、

「客室と宴会を収益源とするホテルの事業は、将来景気や時代の変化の中でどう変わるかわからない。今、余力のあるうちにこそ、安定した収入が得られるオフィス棟を建てて、景気に左右されない収入源を確保せねばならない」

と、一見畑違いのオフィス賃貸プロジェクトをぶち上げた。

そして、ホテル業に誇りを持つ多くのホテルマンの反対や懸念の声を説き伏せ、オフィス棟の建設を実現した。今どきなら、ホテルとオフィスの融合は珍しくもないが当時としては画期的な発想だったようだ。

結果は周知の通り。現在に至るまで入居率はほぼ100%。完成以来の何十年の経営の中で、オフィスの安定した家賃収入が、不景気の時には経営を助け、好調な時にはいっそう業績を伸ばし、経営をいっそう強固なものにしている。先を見据えた革新的な経営が、今日の帝国ホテルの土台を作っているのだ。

その先を見通す眼力は、バブル期の土地ころがしとは一線を画する。

バブルに世の中が浮かれている時も、帝国ホテルは決して浮利を追うことをしなかったため、バブルが弾けてもびくともしなかったそうだ。

これを聞いたとき、5年以内(創業25周年まで)の通過目標にしているアパート(社員寮)の購入は決して間違っていないと確信した。

ロサンゼルスもサンディエゴも家賃が高い。
給料が上がっても、家賃やガソリン代もついてくるからなかなか金が残らない。

まずはガーデナ市かトーランス市にアパートを買って、社員に安価で提供して、残りのユニットをテナントで埋めたら、社員はコンドミニアムでもマイホームを買うための頭金を貯められるし、テナントからの家賃収入が安定した経営の助けになる。

社員がいったん定年退職を迎える60歳くらいから、アパートの支払いが1000ドルも2000ドルもあったら、収入がいくぶん落ちるであろう家計にはズシリと重い。

何とかそれまでに、親御さんに援助してもらってでも、貯金と合わせて頭金を捻出してマイホームを手に入れ、60歳までに頑張って支払いを済ませておけば、その先の人生の見通しがウンと楽になる。60歳までは遮二無二働いても、その先はシフトチェンジして、人づきあいや自分へのご褒美に比重を置くこともできるだろう。

ボクの小さな目標だけど、30~50ユニットのアパート購入を48歳(25周年)までに実現したい。プライベートでも、網戸から同僚の声が聞こえたり、短パンやスッピンでゴミ捨て場で同僚と会ったりして不評を買うかも知れないけど。

08 24, 2008

ボクはガッツの塊

ピロリ菌退治のために10日間、毎日抗生物質を飲んでいた。
その間は、薬がキチンと効くようにアルコールは一切禁止。暑い日や会食の時はビールやシャンパンが恋しかったけど、まあ苦もなく10日間過ごすことができた。

そして昨夜(花金)は解禁日。

さっそく、グロサリーストア内を中心に、寿司コーナーの全米展開をしている会社の創業社長の石井龍二さんと、経営談義や人生の話を、沖縄居酒屋「秦」で泡盛や沖縄料理といっしょに楽しんだ。

石井さんはアメリカにおいてボクがもっとも尊敬する経営者のひとり。

もともと会計士のバックグラウンドを持つ石井さんは22年前の34歳で独立起業し、現在では年商400ミリオン(約450億円)を超える企業を一代で育て上げた。

日本食の分野では、紅花も凌ぐナンバーワン企業だ。また、(日本からの進出ではなく)ボクたち移民が創業した会社としても、ボクが知る限りナンバーワンの規模だろう。

そういう偉大なアメリカンドリーマーが、気軽にゴハンに誘ってくれるなんて本当にありがたいしシアワセだ。

昨晩もたくさんのアドバイスと励ましをもらった。

「コミヤマさんはガッツの塊だから。必ず成功するよ。でも決して焦ってはならないよ。決して幅を拡げ過ぎず、自分の原点を忘れずに、地に足をつけた商売をするんだ」

「ボクは石井社長を目指しています。石井社長がボクと同じ42歳の時にはどうでしたか。成長曲線はどんな流れでしたか」というボクの問いに、

「私が創業したのが34歳だったから、42歳の頃なんてまだまだだったよ。創業もゼロからのスタートじゃなくて、マイナスからのスタートだったしね(笑)
(手でカーブを描きながら)
地道な積み重ね、小さな実績の積み重ねを大切にするんだ。そうすると、ある時こんなふうに伸びる時がくるんだ。
見てないようでまわりは見ているから!あせらず、地に足をつけた経営をするんだよ」

そして、

「金儲けはむずかしいし、近道はない。山師も多いから、知らない分野に手を出しちゃいけないよ。たいていはうまくいかないから。
人間は少しうまくいくと自分の力を過信してしまう。そうやって堕ちていった人を何人も見てきたから」と端正な横顔で少し悲しそうに笑った。

社員についても、

「会社や社員が大きく成長する中で、居場所を失って会社を去る幹部社員もでるだろう。会社の成長に個人の成長がついてこれなくなって。そうならないようにふだんから厳しく育てなくてはならないんだ」ときっとご自身の経営とかさねてアドバイスをくれた。このことは、多くの成功した経営者が口を揃えて言うことだ。幹部ほど厳しく育てなくてはならないし、100%を求めなくてはならない。

ボクは、石井さんが語るたびに、箸をつけるのも忘れて夢中でノートにメモした。

アメリカ1の成功者のプライベート授業が受けられるなんてこんなシアワセなことはない。オマケにごちそうにもなってしまった(恐縮!)

 

一夜明けて、何度も昨夜のメモを読み返した。

そして「コミヤマさんはガッツの塊だから。必ず成功するよ」と励ましてくれたシーンを記憶の中で何度も何度もリプレイした。

08 24, 2008

お休みの前に

時計の針がそろそろ次の日をまわる。
さっきちょうど、LCEの日本のパートナーの高畠とスカイプ会議が終わった。

インターンシップの受入企業の満足度アップと、参加者(インターン)の達成感の両方を充実させるにはどうしたら良いか、また現在のボリュームの10倍、20倍になってもサービスの質を保つためにはどんなオペレーションとフォーメーションが必要か、等々、短期中期長期のブレストをしていたらあっという間に2時間経っていた。

難解なパズルを、知恵を出し合ってクリアしていくある種ゲームのような感覚で、ボクにとっては漫画本を開いたり、テレビを見るより1000倍楽しい。

今朝は6時半からのメールの送受信に始まって、朝イチでアメリカ側のスタッフ全員の勉強会。主にボクが講師になって、技術的な話から哲学的な話まで毎週のように10年以上続けている。

今朝のテーマは、先週の「マーケティング」に続いて「ブランディング」。基礎知識のおさらいとともに、ライトハウスがどういうブランドを形作りたいかみんなで考える。

午前中はオレンジ郡で弁護士とミーティング。(これは正直、退屈)

午後はオフィスワーク。TO DO LISTを箇条書きにしたスクラッチペーパーを片っ端から塗りつぶしていく。包装用にポッチンのついたビニールを潰していくようでこれも楽しい。

夕方からは会食を兼ねて、NYからのウェブの開発会社の社長のTさんとミーティング。

そして帰宅後、さっきのスカイプの会議で一日がようやく終わった。いや、今日もしっかりやり遂げた。気持ち良い。

世の中の経営環境は厳しいけど、こんな時こそ頭を目一杯使って工夫をするし、経営を強化して、未来の種蒔きをする最高のタイミングだろう。

24時間、夢にも出てくるくらい、ボクたちにしかできないこと、ボクたちだからできることを考え抜いて、未来を思い描く。

若かった頃、想像もつかなかったことが今なら、また、このメンバーならできそうな気がするし、きっと今は途方もないことでも、5年後10年後のぼくたちならできそうな気がする。

これまで散々失敗もしたけど、すべては今と未来のためだったんだなあと実感している。
過去の失敗も回り道も、反省はしても、なにひとつ否定する必要はない。どれひとつ、無駄なパズルのピースがないように。

近頃、ちょっと人生の転機に差し掛かってる気がしている。
いっそう、小さなこと、細かいことに、丁寧に地道に取り組みたい。
 

今日もよ〜く眠れそうだ。

08 21, 2008

みんなで献血しよう!

「お母さんから電話あったよ。健康診断の結果が届いたみたいで、ばっちりオッケイだって。アナタ、日本でも健康診断受けたの?」とカミサン。

「ナわけねーだろ。」とアタマに疑問符を浮かべるボク。
スタンプラリーじゃあるまいし、そんなしょっちゅう受けるかい。

しばらく考えて思い出した。

7月の出張の時に京都で受けた献血の結果だ。

その日曜日はLCEの京都オフィスで取締役会のため、ボクはJR京都駅から運動をかねて、蝉の音を大雨のように浴びて、四条烏丸のオフィスへ向かって歩いていた。

さっき冷たいシャワーを浴びたばかりなのに、額からは滝のように汗が流れ、背中にシャツが貼付いている。

それはそれでサウナに入って運動しているようで気分は悪くない。そこに、情けない表情で、情けなく背中を曲げたオジさんが看板を持って蝉に負けそうな声でボソボソなにか言っている。

建て売りマンションか、パチンコの新装開店くらいに思って、通り過ぎようとしたら「・・・・ケンケツ・・・・」が耳に入ってきた。

50メートルくらい歩いて振り返ると、そのまま情けなそうに通行人に声を掛けてる。

「オレがやったらボンボン献血入ると思うけどなあ、気合いと愛嬌がないんだよ」

腕時計を覗くと、役員会までにはまだ時間がある。

とことこ戻って、

「すいません、ちょっとだけ急いでるんで、10分の特急で献血。(量が)多い方で」

牛丼みたいな頼み方をした。

「いえ、特急と言われても。書類の記入や検診、それから献血ですので30分くらいは見ていただいた方が」

モノイイも情けない。

「喜んで!!10分はキビしけど、急行で行っときまっさ」くらい言えんかい!

「じゃあ、その中間よりちょっと速いくらいでお願いします」

看板のオジさんとエレベータで献血のフロアへ。

看板オジさんが情けない割に、フロアは広くて清潔で、看護婦さんも職員も明るくキビキビ動いている。

(こりゃ、選手交代だな)

クーラーがよく効いて、ジュースやスナックも食べ放題飲み放題。

そんなオジさんでも多少社内では顔が利くようで、ボクはエクスプレスレーン(そんなのないけど)で対応してくれた。

腕をまくって差し出すと、毎回看護婦さんが誉めてくれる。

「(まっ)血管、太いですね!」

そう、ボクは血管が太くて、看護婦孝行な腕なのだ。

学生時代から割と献血は好きだったけど、ある出来事を境に、時間が許す限り、献血をさせてもらうようにしている。

それは今から11年前。親友の奥さんのHさんに、健康診断で乳ガンが発見された。

さらによく検査を進めると、すでにリンパ腺まで転移していて、日を追うごとに入院先のHさんはだんだんと弱っていった。

数ヶ月後、どちらかというと、可能性が望みにくい患者の病棟に移され、その時にはダメージの大きな治療の繰り返りで、体格の大きかったHさんは小さな小さなカラダになってしまっていた。

だけど、ご主人のMさんは決してあきらめず、献身的に看護を続けた。ただ回復を信じて淡々と。
ボクはMさんをあらためて強い人だと思った。

専門的なことはよくわからなかったけど、ある日、体中の血液をずいぶん入れ替えるために大量の輸血が必要になり、ボクはO型とB型の血液を持つ社員や友人に片っ端から声をかけたら、誰もが二つ返事で病院に車を走らせた。みんな、ナンボでも抜いてという勢いで、自分の血に想いを込めて献血した。

そこから奇跡が起こった。

何が起こったのかわからない。

Hさんは驚異的な回復を見せて数ヶ月後に退院した。

ボクたち応援団は大喜びしてボロボロ泣いた。

後日、Hさんがお礼を言ってくれた。

「私、ヨウイチくんの血が輸血されたのが何となくわかったの。それから何だか元気になったような気がする」

もちろんホントの要因は、幼い子どもをこの世に残して去ることができないHさんとご主人の執念にも似た想いが引き寄せた「運」であり、そこに気持ちを重ねたドクターやスタッフの高度な技術と諦めない心に尽きるだろう。

だけど、ボクや仲間たちの献血も、焼肉を食べた後に出てくるチューイングガムくらいは役立てたかも知れない。

それ以来ボクは、Hさんの褒め言葉の良いとこだけ解釈して、ボクの血が誰かの元気を取り戻す役に立てるかも知れない、そう思うようにしている。

あれから11年。Hさんファミリーとは毎月のように行き来しては家族ぐるみのつき合いをしている。昔のように、いや、ひょっとしたら昔より立派な体格で大きくなったHさんは、息子と週末はテニスコートで汗を流している。

そして少しだけ子育てが落ち着いた今、Hさんは次の誰かに恩返しをするために看護婦になる勉強を始めた。

08 18, 2008

母親の話

若い頃は、いや歳を取っても、酒を飲んでは暴れるし、機嫌良いと、自分が大切にしてるものをポンポンあげて翌朝アタマを抱えていたり、また、ボクが県外の学校に進学したら、長距離電話のその先で「うっ、苦しい・・・ガチャ、ツーツーツー」ウソで倒れる振りをして心配させたり、本当に破天荒な母親だった。

エピソードは尽きない。

ある時は友だちをみんな呼べ、ご馳走するからと、大きなテーブルから落ちるくらい料理をこしらえてくれたけど、仲間たちから母親へのリスペクトが足りないと、10分くらいで「みんな、いつ帰るの」と強烈に不機嫌になった。

ボクは母親のおかげで、グレるタイミングを完全に逸してしまった。

そしてボクは大人になってもしばらくは、地球は母親を中心に回っているかと思っていた。

その一方で、四国の田舎の支店なのに、過酷な生命保険の営業では、市場の大きな首都圏の営業マンが上位を占める中で、日本全国でいつも母親はトップクラスだった。

小学校の頃は、3ヶ月に1回の記念月になると、いっしょになって販促ツールを真夜中までこしらえたり、一日歩いてパンパンになった足を母親が寝るまで揉んだ。寝たかなと、忍び足で部屋を出ようとすると「うぅ、足が燃えるように熱い」と呼び戻された。

「とてつもない目標だけど、私が達成することができたら、3人(母親とボクと弟)で、沖縄海洋博にいこう。いっしょに達成したらご褒美や。達成したらあんたらのおかげや」

そうやって意気込む母親に代わって、早起きして朝ご飯を作ったり、家事を手伝ったけど、達成したら話題を避け、約束は守られなかった。

文句を言うと逆ギレされて、オトナの世界の理不尽を早い段階からインストールされた。

会社を20年も経営していると、むちゃくちゃな人も擦(かす)るけど、母親に比べるとまだ甘いと思う。

そうそう、ウクレレや近くにあるもので殴られたり、飛んでくるから、反射神経がやたら良くなった。スポーツの成績が良かったのは母親のおかげだ。

だけど、もしその舞台がアメリカだったら、チャイルドアビューズ(幼児虐待)で引き離されて、ボクは養子になって遠くの町の知らない両親の子どもになっていたかも知れない。名前もウィリアムとかになって。

あまり悪口を書くと、読んでいたりするので少し誉めると、情に厚いところもあって、頼ってくる人の面倒は必ずみていた。貸したまま、返ってこないカネもずいぶんあったようだ。

誉めてないか。

ボクもその血をしっかり受け継いでいるのだけど、自分のことをしっかり棚に上げて、「ヨウイチ、人間って言うのはね」と読んだばかりの本の一節を生まれたときから知っているような顔でボクに語った。

そんな母親に感謝していることがいくつかある。

ひとつは仕事の姿勢。というか、営業への執念。
四国の片田舎で日本のトップクラスの営業をするってこういうことなんだと学ばせてくれた。(それと振り回された)

もうひとつはボクが中学生の頃にカーネギーの「道は開ける」と「人を動かす」の2冊を与えてくれたこと。この2冊は何年かに一度、読み返しては奮い立ったり、我が身を振り返って軌道修正している。

そして三つ目は、アメリカに行きたいんだけどと相談というより報告をした時、黙って行かせてくれたこと。ずいぶん心配だったと思うけど、記憶の中で肝心なことを反対されたことは一度もない。

今も時々「もう離婚します」とインパクトのある電話で家族を驚かせるけど、高松の郊外で新しいダンナさんと、近所の農家に畑を借りて、花や野菜を育てながら、福祉のボランティアに忙しく走り回っている。
 

08 16, 2008

燃える言葉

今日は8時半には会社を後にして真っすぐ帰宅。

夕食後は、娘の手作りのフレッシュな苺で作ったストロベリーアイスクリームに舌鼓。

一日脳味噌をたっぷり使った夜、甘いものが美味いんだなあ。しばしダイエットは忘れておく。

一息ついて、息子の日本語学校の国語の宿題につき合う。
ボクは昔自分で学習塾をやっていたから教えるのは得意だしけっこう楽しい。

それにしても、アメリカ生まれの息子に、日本の同学年の子どもたちがやっているテキストはかなり荷が重い。むしろ、日本語の進度に合わせたクラスがあったら良いんだけどなあ。ゼイタクか。

はてさて。

今朝は、この夏から初めてインターンシッププログラムで、学生を預けてくれた首都圏の歴史のある大学の理事長始め、大学の幹部の方たちがライトハウスを訪ねてくれた。

理事長自ら、将来どんな展開をしようとしているか、大学の構想や教育方針を熱く語ってくれた。その中でライトハウス(LCE)がどんなカタチで力になれるか、ブレストをする。実績のない会社にもかかわらず、大きな信頼と期待を寄せてくれる。

出版も教育事業もそうだけど、ボクたちを信じて、頼りにしてくれるところには命懸けで応えたいと思う。期待よりさらに上を行くお返しをし続けたいと思う。

逆に業者扱いされて、闇雲に値切られたり、駆け引きから入ると、仕事なので丁寧にソツなく社会人の対応はするけど、せっかくのご縁なのに、どうしてボクたちをうまく活かしてくれないんだろうと残念な気持ちになる。

大学の先生たちが帰り際に「もっと早くライトハウスを知っていたら良かった。力になってください」と言ってくれた。

こんな言葉をかけてもらって燃えないわけがない。

08 15, 2008

レモンの木

今朝は目覚まし時計無しで4時過ぎにスッキリと目が覚めた。

長年構想を練ってきた世界の日本語メディアを結ぶ「世界メディアアライアンス(仮称 世界日本語メディア協会)をいよいよ今年11月1日に発足させる。

メンバーも北米、南米、ハワイ、中国、東南アジアの地域の1番メディアが顔を揃える。

会の目的は、

・同じメディアの経営者同士が、お互いの成功事例や失敗事例を学び、また悩みを相談できる関係を育み、各地域でのいっそうの経営の強化を図る(しっかり稼げる会社になる)
・同時に、メディア間のモラルの向上、ひいては業界のスタッフやその家族が誇りを持てる業界、物心ともに幸せになれる業界を創造する
・コンテンツの協同制作や日本からの共同仕入れによって、コストの縮小と誌面の強化を図る
・海外在住者120万人にリーチできるメディアアライアンスによって実現できる事業を創出する
・同時に、各社が各地域に持つネットワークやインフラを活かしてできる事業を全体でも個別のタッグでも創出する

こんなことを考えている。

そんな構想を膨らませていると居ても立ってもいられなくなるのだ。

一回目の総会でしっかり骨子を固めて、将来は本気でメディアづくりに取り組む多地域のメディアに加わっていただき、強い結びつきを持つ連合体を創りたいと願っている。

そんなことをまとめたり、連絡をしていたらもうすっかり外が明るくなった。

中庭に出て、大きな伸びをすると気持ちが良い。

レモンの木から、熟したレモンを何個かもいで、ギュッと絞ってペリエで割って飲んだら、クワッと目が覚めた。

今日も一日が楽しみだ!
 

08 14, 2008

明日の先の設計図

午後11時。や〜っと今日の仕事が一段落。

そうでなくても才能はイマイチで情熱だけの経営者だから「誰にも負けない努力」をせねばと仕事に打ち込んでいるのだけど、ライトハウスもLCEもさらに上をいく頑張りのメンバーや幹部がザクザクいる。本当に頭が下がるくらい。

うまくいくことがあったと思えば、こっちで失敗、あっちで玉砕の毎日だけど、毎晩毎朝このメンバーといっしょに仕事ができてありがとうと手を合わせている。

旅行も自転車もゴルフも楽しいけど、好きな仲間、かわいいメンバーと一進一退で夢を追いかける毎日が、ボクにとっては一番楽しくてシアワセを実感できる。

ボクらの仕事は、お客さんである読者にしても、広告主にしても、また研修生やHRのアプリカントにしても、失望させてしまったらダイレクトに返ってくるけど、シアワセになってもらえたら、それもまたストレートに返ってくるから。ドーンと。

人に喜んでもらえて、さらに人生にかかわれたり、人生の転機を贈ることもできるこの事業にすごく誇りを持っている。

だけど、もっともっと多くの人に良い影響ができるよう、世の中を前に進められるくらいになれるよう、明日の少し先の設計図をしっかり描いてゆかなくてはならない。メンバーやその家族の大切な人生を重ねてもらっているからね。
 

08 14, 2008

ワイン三昧

美味しいカリフォルニアワインをバーカウンターいっぱいに並べて、片っ端から飲み比べたりしたらさぞやシアワセであろうな。

そんな幸運、あるのですね。

日経新聞社の企画で、世界に冠たるカリフォルニアワイン(白)のナンバーワンを決める審査員に選んでもらった。

食の専門家やワインソムリエが居並ぶ豪華審査員に「なんでボク?」という話もある。それは一番本人が痛感している。

そこへ営業の瀬尾くんが「何で社長が選ばれたんですか?」と素朴で失礼な質問をぶつけてくる。

「酒、強いから」は関係ない。きっと酒を愛する気持ちが幸運を引き寄せたのだろう。

選考までのプロセスは、まず日経のスタッフの方たちが入念なリサーチのもと、100本を超える候補をリストアップして、そこからさらに専門家のアドバイスなどをもとに最終選考用に30本に絞り込んでくれる。

この30本をニューヨークとロサンゼルスで選ばれたそれぞれ5名の審査員が、点数とコメントをつけてベスト10を決めるという仕組みなのだ。

そして昨晩が選考の夜。

ボクのとなりは、「レバレッジ」シリーズで有名なビジネス書のベストセラー作家本田直之さん。彼は売れっ子作家にして、投資家にして、ワインソムリエ。
今年2月にはライトハウス主催イベントとして講演をいただき、大盛況&大成功を収めた。

途中本田さんから声をかけられた。

「コミヤマさん、ひょっとして全部飲んでません?」

「い〜え、注いでる量が少ないだけです。でも良い気持ちいいなあ」

「それ、飲んでるよ」

「最後の方、点数甘くなりそう」

そんな楽しいやり取りをしながら30本を吟味。というか、晩酌。

みなさんは専門家らしいコメントを書いていたけど、ボクはと言えば「仲間と山小屋に行く時に持っていきたい一本」とか、「安いのに美味いから10人以上のパーティにおススメ」とか、書いている自分でわけがわからない。ボクのコメントはほとんど採用されないだろう。

はてさて。この様子は、日経新聞(米国版)の9月6日土曜日の号に掲載されます。
ぜひワイン選びの助けにご活用ください。

「幻の〜」とか、100ドルも200ドルもするような豪華なものではなく、ふだんの食卓から、ちょっと特別な日にフンパツできるくらいの、主に10ドル前後から30ドルくらいの範囲で、比較的入手しやすいワインを選んでくれていますよ。
 

08 13, 2008