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what's new

込山洋一

コブシをチカラをこめて

昨日は関西大学、今日は同志社大学の研修生たちにレクチャーをさせてもらった。
みんなすごく前向きでビュンビュン手が挙がる。表情も豊かで、こういう若者たちにはもっともっと伝えたい、あれもこれも伝えたいと俄然チカラが入る。

近頃の若者は、なんて聞かれるけど、なんのなんの、熱くて気分の良い学生はいっぱいいる。日本の将来は決して暗くない!

振り返れば、国際教育事業に乗り出して10年目になる。
情熱以外はナイナイ尽くしで始めた事業が今少しずつ開花している。

最初の頃にインターンや研修に参加した学生はもう30歳くらいになるだろう。

当時、今よりさらに名もない会社だったライトハウスのプログラムを日本中の大学や専門学校に推薦してくれたリクルート。

リクルートの熱き担当者を信じて、単位のつく正規プログラムとして導入を決めてくれた学校。

道半ばの今もそうだけど、当時からリクルートの学び事業部の営業戦士や学校関係者と世を徹して飲んでは夢を語った。

ちなみに当時、中部北陸の統括部長として、1万馬力で応援をしてくれて、後に合流してライトハウスキャリアエンカレッジの社長を務めるのがターさんこと高畠だ。この事業の主役である。

教育で日本を変えるんだ。日本を救うのは教育しかない。世界中で個人が活躍できる世の中を創ろう。

お開きのタイミングと思ったら誰かが合流して、またそろそろというタイミングで誰かが合流する。終電はとうに過ぎ、しばらくすると始発に乗れる頃やっと解散する。まだ紺色の空を見上げて、必ずこの期待に応えてみせるぞとコブシを握りしめた。ボクは期待に応えたい時、溶岩みたいになった気持ちをコブシにこめるクセがある。

それから数時間の睡眠で飛び起き、朝一番の学校訪問からコンテンツ強化を訴えた。

ほとんどの学校は相手にしてくれなかった。お前だれ?って感じ。

だけど、相手の口から出る「やらない理由」「できない理由」は黄金のヒントだった。それを塗りつぶしていくことで、提案力や研修に磨きをかけることができた。

一日中、断られ人生だったけど、どのリクルートの担当者もイヤな顔もせずに新たな学校の開拓に根気よくつき合ってくれた。一日が終わるとまた天下国家を語って酒を酌み交わした。

現場責任者の鎌塚とボクの日本出張は毎日がその連続だった。

そのうちにぽつりぽつり、任せてくれる学校が現れていった。

それでうまくいきはじめたかと思うとニューヨークの同時多発テロ事件が起き、半年先まですべての研修がキャンセル。涙目になったけど、根拠のない信念が揺らぐことはなかった。試練こそが磨き砂だ。

そうそう、年々参加者が増えた学校が、ある年の研修で質の低いサービスを提供してしまって打ち切りにもなったこともある。たったひとつのミスや学校との連携不足で、それまでの実績も信用も瞬間で吹き飛ぶことを学んだ。

ボクらが頑張るのは当たり前で、あの頃、リクルートの役員から現場の人たちの応援がなかったら今はないかもしれない。

あの見返りを求めない無償の愛と期待、夢を重ねるパッションをボクらは決して忘れない。

そしてその恩返しが、この分野で圧倒的絶対的にナンバーワンオンリーワンのなることに他ならない。大恩は次世代にキッチリ返すのだ。

話を昨晩にうつそう。

昨日は日本有数のマンモス大学の女性経営者と深夜まで語らった。

ライトハウスのプログラム導入について検証するための視察の最終日だったのだ。ありのままを見ていただき、素のままの思いを伝えることができたと思う。

Kさんも心を全開にしてくれて、直球勝負で大学の信念や構想、人生観、若き日のご苦労を聴かせていただいた。

人と人の距離は、会った回数や時間、性別や年齢差などまったく関係なく、価値観とベクトルが重なったら瞬間で埋まるものだと実感した。そして、この方と生きた時代が重なって良かったと思えた。

「失礼ながらうちの教員も職員もライトハウスのことはよく知らなかったの。

それが不思議なことに、日本語を読めない外国人のスタッフにライトハウスを知っている人が多いのね。

とっても良い会社だよ、現地の日系社会でとても信頼されている会社だよって。

それで実際に来てみて、ライトハウスさんの社員や協力してくれている企業、関係者の方たち、研修に来ている学生さんたちに会って、本当にキチンとやっておられることがわかりました。

やっぱり来てみるものね。自分の目で確かめないとわからない。

これからはうちの大学のチカラにもなってくださいね」

Kさんを乗せた車を見送りながら、ツメがめり込むくらいコブシを握った。
 

08 28, 2009

サウナで語ろう

出版の仕事はアメリカの中で完結するけど、国際教育事業の方はフィールドが日米であることと、顧客である大学や専門学校の要望で、よその会社や個人とタッグを組んでプロジェクトを推進することが多い。

1000倍もあるような大きな企業と組む時も、先方はちゃんと我々をその分野のエキスパートとして尊重してくれるし、もとより我々も心強いパートナーとして全幅の信頼を寄せる。

だから相手の大小、受注関係(発注側、受注側)に関わらず、「学生に最高の価値(体験)を提供する」一点にベクトルを重ねて、チカラ以上の成果を上げてくることができたと思っている。

ボクは威張ることが大嫌いだし、威張られることも好まない。人間いつ立場が変わるかもわからないのに、客であるからとか、規模が大きいとか、立場が有利だからと大きく出るのは卑しいしみっともないことだと思う。誰に対しても謙虚でやさしい気持ちをもてる自分でありたい。

もうずいぶん昔で時効だから書いてしまうけど、大手と言われる企業と組む時、とんでもなく威張り散らすおとうさんと遭遇することも稀にあった。ゲロゲロと思うけど、クライアントのご指名だから拒否権はない。

「オレ様を誰だと思ってる」と。「天下の●●だぞ」と常に言葉に態度で威圧してくる。本質の話、価値の最大化の話ができないのだ。

それでもうちのメンバーの方が大人だから奥歯を噛みしめては屈辱を飲み込む。

ボクはそんな報告を受けると、人間が練れていないから、会社訪問をして机を全部ひっくり返して、サンダルでターゲットの頭を3回張りたい衝動に駆られるが、日本の営業サイドが苦労して受注まで結びつけたビッグプロジェクトを無にすることはできない。

担当者の痛みや苦労を考えたら、ひとり熱くなってる場合じゃない。
相手がどんな輩であろうと、粛々と最善最高の仕事を残すのがプロだ。
そう思ってコブシをおろす。

小学校の時か、弟が近所の悪ガキにやられて泣いて帰ってきた。

「ゆるさん、絶対にゆるさん」

ボクは弟を連れてすぐにそいつの家に行って海まで連れ出した。

冷静に話したかったけど、言葉が足りなくてその場で張り倒した。

許してくれと泣き叫んだけど、気持ちを上手に整理できなくて、ボクはそのまま堤防の脇からヤツを突き落とした。

今ならそんなことは絶対にしない(かもしれない)けど、根本はちっとも変わっていない。メンバーや仲間がやられたら頭の方に血流が集結する。理屈じゃない。日本国憲法でもない。ハムラビ法典なのだ。

ヘンなことを思い出した。

それにしても思う。

大手だろうが、社長だろうが、先生だろうが、隊長だろうが、みんな裸で生まれて裸で死んでいく。そんなもの何の足しにもならない。あの世で社員証や会社のバッジはあまり有効ではないのだ。

だったら看板もバッジも最初から捨てて、素手で勝負して腹で語れば良いのだ。

いつか仕事を離れても、慕ってくれる人、つき合ってくれる仲間、頼ってくれる人たちの存在が、シゴトと人生の通信簿ではなかろうか。言い換えると、「在職中の人間関係」ー「リタイヤ後の人間関係」が大きい人はちょっと切なめ。ではないかな。

背広脱いで裸でサウナで語ろうではないか、先輩よ。

とおびき寄せ、外から泣くまで閉じ込めたりして。

 

08 27, 2009

ガラス細工

幼少は荒くれ者やろくでなしの多い漁師町で揉まれ、10代をガサツで汗臭い男子校の寮生活と船の中で揺られて生きたせいか、男社会しか知らず、女性と接するのに自信がない。

学生時代、女性の多い家族で育った仲間たちは、オンナってのはあつかましくって図太い生き物なのだと訳知りに語った。

えっ、おまえのあの姉ちゃんがそんなこと!?なに、あんな顔してそんなこと考えてたのか!?みな遠い宇宙の話だった。

数少ない女友だちは一様によそいきの顔しか見せてくれないし、規格外の母親はさっぱり参考にならないから、何十年経った今もボクの中で女性は複雑でデリケートな存在だ。

言うなれば、女性はガラス細工、オトコは象が踏んでも壊れないモンだと思ってる。

そんなことだから、カミサンとケンカして勝てるはずもなく、「一勝九敗」のユニクロ状態で、雲行きの怪しい時は自転車に乗ってできるだけ遠くに走ることにしている。

はてさて。

それは娘との父子の関係も例外ではなく、ちょっと弱くてちょっと甘い。

もちろん、お天道さまに恥ずかしい言動やマナー違反、言葉遣いの乱れには瞬時にカミナリを落とすボクだけど、そういう必要も心配もあまりない。

そんなことで、カミサンと息子が里帰りしているこの10日余り、娘のペースで毎日が進んでいる。また、そのほうがうまくゆくようだ。

一昨日のふたりの食卓で、近頃の学校の様子や直近のテストのスコア、志望校や将来の進路について尋ねた。

娘は小児科のドクターか、虐待を受けた子どもたちのカウンセラーを目指している。

難易度が高いのは本人もわかっていて、それは感心するくらい勉強するし、高校生になってからは毎週のように母子で病院のボランティアに入っている。
(病院には、彼女のようなインターンの志望者が多く、親もボランティアで一定時間奉仕することがボランティア参加の条件なのだ)

自分の夢を実現するために今できることに全力を尽くすのが学生の本分だ。
もちろん、その課程で進路変更もいいだろう。
目標をもって邁進したからこそ、得た発見も、失望や挫折もある。

ただボクは何の職業でも良いけど、誰をどんなふうにシアワセにすることが、自分自身がやりがいを感じることができ、自分を社会の中で活かせるか、その軸(基準)は決してブレてはならない。そうやって決めた仕事、選んだ仕事なら絶対に折れないからね。

目先のお金とか、会社の看板やブランドで仕事を選ぶことがいかに無意味であるかは、耳のタコを売って暮らせるくらい伝え続けてきたから本人もよくわかっている。看板やブランドはそこに乗っかるものじゃなく、そこで神輿(みこし)を担ぐ一員となって自らが育み創るものだ。大きな組織でもいっしょ。

チカラが入って、そんなことをつい一方的に話してしまう。

「おまえはどう思う?」

しばらく天井を見た後、

「これだけ頑張って勉強してきてホント良かったなって思える仕事に就きたい。」

娘は言葉を選ぶように言い終えてから、にこっと笑って少し肩をすくめた。

「知識だけじゃなく、頑張り抜いた経験は必ず自信になって身につくんだ。

社会に出て、自分が越えられないかと思うくらいの壁がたくさん出てくる。

越えても越えてももっと高い壁が出てくる。その時に、きっとできるって背中を押してくれるのが、今こうして毎日コツコツ頑張ってる経験なんだ。

頑張ったこと、良いこと、悪いこと、辛いこと、み〜んな自分の血肉になって、人生のどこかで生きてくるんだよ。だから、いつか何かの仕事に就いた時にも、これからの人生の中でも、あぁ、あの時頑張っておいて本当に良かったなって思えるから。大丈夫だ。今のままで良い。」

真剣な娘の眼に笑顔がもどる。

「さっ、片付けるか。一気にやるぞ」

キッチンに並んで食器を洗う。

ガラス細工に見えてけっこう芯が強い。あと、気も強い。

あっちに似たんだろうか。
 

08 24, 2009

雑炊人生

日曜日の朝9時過ぎ。
今朝も早起きして、3ホールだけ歩いてゴルフをして、自転車で山を走って、プールで軽く泳いで、お腹ペコペコで娘と朝食をとった。

ボクが泳いでいる間に娘がこしらえた雑炊とサラダと目玉焼きとバナナとヨーグルトのデザート。美味い。

「食事、傾いてないでしょ」と娘。

彼女は時々日本語が怪しい。

「それを言うなら、食事が偏ってないだな」顔を見合わせて大笑いする。

ふだん、ボクは雑炊やおかゆは口にしない。朝ゴハンの雑炊には少しワケがある。

カミサンと息子が日本に里帰りをしたのが3日前。

これを機会にゴハンの炊き方をおしえてちょうだいと張り切る娘。

夕食後良い気分だったボクは、新聞から目を移さずに米の研ぎ方と水の分量だけ伝えた。

「できた!このボタン押したらいいの?」

チラッと見て、そのとおりじゃと答えるボク。

翌朝、炊飯器を開くと、炊きたて独特のツヤツヤがなく、何かコピー用紙みたいな白。

やな予感。

おそるおそる箸でつまんで口に含むと、芯が残っているというより、芯そのもの。
例えるなら、味のない悲しいパエリア。いや、米風味のロウソクか。

そこで記憶がつながった。
娘が押したボタンは「炊飯」ではなく「保温」だったのだ。

そう、大量に作ったロウソクゴハン。
そのままでは食べられないから、毎食雑炊にしていただいている。

子どもに食べ物の大切さを教えておかねばならないからね。もう意地である。

そうそう、それでもうひとつ娘に伝授したのが雑炊の作り方だ。

いつまで続くんだろう。雑炊人生。
 

08 24, 2009

親心子心

3週間にわたる息子のライトハウスでのインターンシップが今日で終わった。

うちのメンバーにはずいぶん世話をかけた。というのは、想像こそしていたけど、実際のヤツのシゴトにふれてしみじみ思った。

昨日のランチタイム、息子がドジャースの歴史について翻訳したものをボクのところへ持ってきたのだけど(それも得意げに)、誤字脱字のオンパレードで、これ最初から訳した方が早いじゃん、というのが正直な感想。

オマエ、推敲して持ってこいよ。

そんな、みんなに面倒を見てもらい、かわいがってもらい、ちょっと甘かったかなとも思うインターンシップだった。本人は働くってたいへんなことなんだねと言うが、1/1000もわかってない。だけど今はふれるだけで良い。

そう、父子の関係には少し変化があった。

まず、3週間前よりふたりの会話が増えた。
それと、ちょっとだけ尊敬の態度がうかがえるようになった。
もひとつ、どうでもいいことで近づいてくる。これ見てとか、これ聴いてとか。例えば、ボクが泳ぐプールサイドでウクレレを弾いてくれたり。(誰かに聴かせたいだけか)

要は親離れしていく一方だった父子の距離がこの夏ちょっとだけ近くなった。

夕方、自宅の息子に電話すると、

「うん、おかげで日本語勉強になった」

「他には?自分でチカラをつけたってこと、勉強になったってこと、どんなことがある?

何がはるかの血肉になったと思う?」

「う〜ん、その話、パパが帰ってからにしよっか」

ってそれオレのセリフだろ。素っ気ない。

ちょっと娘の話。

娘のほうは昨晩帰ると、ひとりで留守番をしていた。
カミサンは息子の剣道の付き添いだ。

「おいしいサーモンが焼けてるよ」

プレートにボクのサーモンとゴハンをよそうと飛びついてきた。

今朝は、夜中の2時までメンバーに(幼稚園児が作ったみたいな)サンキューカードを書いてて、すっかり寝坊した息子におにぎりを作ってやっていた。娘はそういうヤツだ。

身内を褒めるのはバカだけど、娘はやさしい頑張り屋だし、息子もだらしないけど良いヤツだと思う。

彼らには健康で素直に育ってくれること以外望んでいない。というか感謝しかない。毎日おたがい元気なだけですごくありがたいもの。

ヤツらが小さい頃、高熱を出しては「命、私のとかえっこしてください。どうか助けてください」と神さまに祈った。それ以外のことで神さまに感謝をしてもお願いはしなかった。たぶん。きっと。

例え、不器用で(さらに勝手気ままで傲慢で)あっても、世の親が同じような思いで子育てをしたのだと思うと、許せないこととか、耐えられないことなんてないのかも知れない。いや、うちのことです。

子どもたちとの関係がありがたい一方で、両親とは、一本取られたり、気絶しそうな思い出の方が多かった。親子間のシーンを振り返ると画面が白黒になるからなあ。いや、今も続いてるけど。

たまに弟と飲むと、人に語れぬ親子系シビレ話に花が咲く。

よくグレないでマジメに育ったよなと40のおっさん同士肩をたたく。
そして最後は「だけど産んでくれたもんな」に行き着く。やっぱし「ありがとう」なのだ。
 

08 20, 2009

アイスクリームを買いにいこう

日曜日の午後。

午前中は8月にふさわしい熱暑の中、オートバンクに25−5で快勝。
リーグ後期の最初の公式戦を飾った。

週末はたっぷりカラダを動かして、どっさり本を読む。

そう、昨日は午前中ソフトボールの練習とゲーム。午後からは自転車で山を走って、夕方は水泳。寝る前に卓球とバスケットボール。

週日の疲れは、週末にこうして思い切りカラダを動かすと吹き飛ぶもんだ。
ここちよく疲れているから毎日気絶するように眠れるしね。

ふだんは試合の後、若者たちとラーメン屋に寄り道するのだけど、今日は娘が留守番する我が家に直帰。

アタマの芯がイタいくらい冷たいソーメンをこしらえてやる。
(と、言っても茹でるだけだけど)
ボクのソーメンのつゆは、市販の麺つゆをポン酢で割って、さらに庭のレモンを搾って入れる。梅干しを粗くつぶして入れてもうまい。

ふたりでソーメンをすすりながら近頃流行りの店や音楽の話をする。至福の時。

カミサンは、ボクが息子にはキビしいけど、娘には甘いという。
そう言われてみたらそうかもしれないけど、叱る必要がないのに怒ることもない。
男友達とメールするのが気に食わないくらいだ。地球から男がいなくなってもいい。

充実のランチの後は腹ごなしに晩ゴハンの仕込み。

娘がジャガイモを剥く横で、ボクはカレーに使えそうな野菜を片っ端から刻んでは沸騰する大鍋に放り込んでいく。

名付けて“これでもか野菜たっぷりカレー”。

カレーが完成したら娘とバスキンロビンスにアイスクリームを食べにゆくのだ。

やっぱり甘い(!?)
 

08 17, 2009

判定は?

先月日本に行った時、弟と、親父を温泉に連れていった時のこと。

近頃は良くしたもので、温泉に行くと体重計はデジタル化され、気の利いたマシンなら体脂肪まで瞬時にわかる。

その博多の温泉には「アスリート」と「ふつう」ボタンがあったので、迷わずアスリートボタンを押して台に乗る。と、ほどなくピピーッと電子文字で「12%」と表示。うん、満足じゃ。鍛えてるもんね。

それを隣から眺めていた弟が、

「にいちゃん、アスリートは言い過ぎやろ。ふつうにしときな」

(ケッ!)何を言う。弟のクセに。

言われるまま、ふつうボタンで台に乗ると今度は24%。

乗るんじゃなかった。

職員に尋ねて、「アンタはふつう」と言われたら気が滅入るし、「アンタこそアスリート」と断言されても根拠がない。「じゃあ18%あたりで」と手打ちにされる話でもない。

あれから1ヶ月。気になる。どっちだろう。乗るんじゃなかった。
 

08 16, 2009

ボクらのシゴト

朝6時。ようやく明けてきた外は薄曇り。
書斎から眺める風景は8月なのにちょっと寒そうだ。

メールのチェックが一段落。(と、思ったら片山からの返信がもうこの時間に返ってきた)

最近、外部パートナーにも知恵を借りながら、既存のインフラを使って収益性をアップする方策を練っている。収益性アップというと、リストラやベンダーさんへのしわ寄せが浮かびがちだけどそれだけではない。

まだまだうちなんかは工夫の余地がある。

こんな解答も参考書もないパズルに知恵を絞る毎日は楽しいものだ。

「広告をいただいたお金で発行する無料の日本語情報誌」というのは、「手段」であって「目的」ではない。20年やってこれたけど、次の20年同じビジネスモデルが成立する保証はどこにもない。現に20年前、うちが創刊した時にあった25、6社のメディアで今も残っているのは片手で数えるくらいだ。

マイクロソフトが2兆円の売上を達成するのに25年、グーグルがわずか10年で達成したそうだ。成熟した時代には有り得なかったスピードだし、その光の影では50年、100年と主役の座を占めてきた「大手」企業の凋落も著しい。
10年後の勢力マップにマイクロソフトやグーグルが今のポジションを占めているかどうかもわからない。

ボクら経営者は、抜け出すも転がり落ちるもかつての5倍10倍のスピードということを肝に念じなくてはならないだろう。ぼんやり経営をしていたらアラームを見落としてしまう。ジャッジの遅れは命取りだ。

ライトハウスに話を戻すと、

長いモノサシで見た時、「紙」「無料」「情報誌」というカタチには賞味期限(寿命)があるけど、「異国の不便を解決したい」「異国の生活(人生、仕事)に挑戦したり、渡っていくための情報と選択肢がほしい」「異国での暮しを豊かで潤いのあるものにしたい」「仲間がほしい、自分を高めたい」というニーズは存在し続けるだろう。

カタチを変えたとしてもそこに、情報を取捨選択してわかりやすい言葉で伝える編集のスキルや、文字だけでは伝わりにくい情報をビジュアルで表現するデザイン力、事業者の意図・強みを汲み取り、繁盛に導くコンサル力は必要でありつづけるだろう。

むしろ個人と企業の国境を越えた流動化(行き来)は加速していくと信じている。日系社会の第3幕はそこまで来ている。

そこにライトハウスの存在意義を見出し続けるための「舵取り」がボクのシゴトだ。

これは国際教育事業のライトハウスキャリアエンカレッジもそうで、海外インターンシップも海外研修も目的ではなく手段だ。

目的は「世界中で個人が活躍できる世の中を創る」ために、その学びの機会を提供する事だ。だから、ボクらは留学業者でも旅行業者でもない「教育コンテンツメーカー」だと思っている。教育こそが国を創るし、世界を救えると思う。

おぉ、外が明るくなってきた。
着替えて自転車に乗らないと。
 

08 13, 2009

借金取りに耐えて

あちこちに借金をするものではない。
取り立てがこんなに辛いものだとは思っても見なかった。

どうしたことか、ここしばらくは敵も意を決したように波状攻撃で携帯電話にかけてくる。

電子マネーの会社、病院、知らない会社、ヒスパニック系の知らないアンチャン。

今日なんか大事な会食中に一時間おきに掛かってきたけど、電話を取るわけにもいかない。落ち着いて話ができない。

そうそう、週末に家族で食事をしているところへかけてきた時には、今度かけてきたら承知しないぞと怒鳴りつけた。そのくらい執拗にかけてきたのだ。

いや、借金をしてるのはボクではない。

ボクがつい数ヶ月前に買ったi-Phoneの電話番号の以前の持ち主が、良からぬヤツだったようで、あちこちに借金やトラブルを抱えたまま電話を解約したか、踏み倒したのだろう。

その電話番号をテイクオーバーしたボクに方々からかかって来ている次第。

そんな番号せめて数年使うなよとも思うけど、おかげでなかなか得がたい体験をさせてもらっている。

人間がかけてくるのはまだ良い。事情を伝えることができるから。

「これこれこういう事情なんですよ」

「そうだったのですか。失礼しました。それはお気の毒なことで」

「いえいえ、おたくの方こそたいへんですね。回収のメドが立ちませんな」

「いやはやなんともせち辛い世の中になったもんです。もうあきませんわ」

「そうおっしゃらず、おたがいに元気出してやりましょう。どうです一杯」

といった心通わせる会話も生まれよう。世の中捨てたもんじゃないと思えるだろう。

最悪なのは自動音声のマシンだ。時に深夜おかまいナシ。

一方的にメッセージをべらべらしゃべり続ける。

ホント借金なんてするもんじゃないですね。ってボクじゃない。

アップルの仕業か、AT&Tの粗相かわからぬが、クールな宣伝を流す前に、頭をクールにしてそのへんも周到にやっていただきたい。株価より大切なモンがあるでしょ。

アメリカ生活23年。修行の場はいたるところにあるなあ。
 

08 12, 2009

サムライスピリッツ

今朝、上海の若い友人から久しぶりにうれしいメールが届いた。

大手企業に勤める彼は一年と数ヶ月前、上海の真っ赤っかの子会社に責任者として赴任した。炎の転校生のごとく、オレが来たからには大丈夫、と思ったかどうかは知らないけど、そこからの悪戦苦闘超級辛酸の毎日を乗り越えて、ようやく先月単月で黒字になったそうだ。

思わずひとりガッツポーズ!

Yさんは「コミヤマさんの立ち上げに比べたら」と言う。
実はそんなことはない。
自分で選んだシゴトを、自分が選んだメンバーと、身内以外に誰の期待もない中で、余計な口をはさまれることもなく、自分の成長のペースで会社と育っていくのだからラクとは言わないけどやりやすいもんだ。実際楽しいことしか覚えてない。

一方組織人は、ヒトが選んだシゴトとメンバーを預かり、会社の期待を一身に背負って、外野のトンチンカンな口出しに耐え、ともすれば前任者や前々任者の失敗やツケまで被らされるのだからたまったもんじゃない。と思う。
もちろん、組織人が失敗して家土地財産までスッカラカンになることはないけどね。

それにしても、日本の企業にはこういう優秀なサムライがいっぱいいるから、資源もない敗戦国にして、ここまで成長できたのだろうなあ。戦後の絶望に比べたら、ほとんどのヒトが屋根のある暮しで、その日食うものに困っていないなら、今の時代、不況だ恐慌だ言っても知れているのではなかろうか。

今一度、ボクらの内に秘めたサムライスピリッツを炸裂させて、新しい時代を創らなくてはもったいない。

サムライスピリッツは野球だけじゃないぜよ。

 

ボクもYさん見習って頑張らねば。
 

08 12, 2009