カレンダー

2009年11月
« 10月   12月 »
 1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
30  

what's new

込山洋一

恥だらけの人生

 

 4連休最後の日。

連休中やや過食気味なので、今朝はいつもより長めに自転車に乗ってしっかり汗を流す。

 

午後はカミサンとクリスマスプレゼントの買い出し。

楽しくもあり大仕事でもある。

 

帰宅したら、娘はパンを焼いて、息子はご飯を炊いて、合作で晩ご飯のおかずをこしらえて待ってくれていた。うれしくて、自転車の消費カロリーにおつりがお札で来るくらい食べてしまった。 

昨日、学生時代の酒にまつわる話を書いたものだから、連鎖的に甘く切ない青春時代が甦った。

 

ボクの卒業した弓削商船高専は、愛媛県の今治からフェリーで2時間、広島側の因島からは20分くらいの瀬戸内に浮かぶ人口2500人の小さな島にあった。

 

ボクらの寮と校舎はその島の中でさらに外れの方にあって、朝から晩まで目にする女性は食堂のおばちゃんと寮母さんだけだった。

みんな母親より年上で、恋をするにはあまりに大人過ぎた。

 

ボクの学んだ航海学科は、外国航路の船長を養成するための学科で1学年が40名、もうひとつの機関長を目指す機関科が2クラスの80名で、全校生徒を合わせても500人に満たない小さな学校だった。

 

ボクらが卒業前の一年間、航海実習に出る直前から男女共学になり、その後は留学生もたくさん受け入れるようになって、数年前に訪ねた時にはすっかり様変わりしていた。

 

そんなわけでボクらの在学中は、学校、食事、クラブ、風呂、睡眠、24時間むさ苦しい野郎だけの団体生活だった。ひとつだけありがたかったのは、国立の学校なので、授業料と寮費(3食付)合わせても1年間で15万円としなかった。1ヶ月じゃなく1年でだ。

だからその分厳しくもあり、成績や出席日数が足りないとスパスパ落とされ、ボクらの同期でいっしょに卒業できたのは6割に満たなかった。

 

軍隊さながらの3年間を経て、4年生になる頃には中学時代の仲間が大学に進み、帰省の度に東京や大阪の華やかなキャンパスライフをうれしそうに語って聞かせる。彼女、車、合コン、スキー、コンサート、すべての響きが眩し過ぎ。バッキンガム宮殿の舞踏会の様子を聞くようだった。

 

休暇を終えて島に戻ったボクは、放課後に後輩を潜らせてサザエを採る人生、寮の食堂に忍び込んで卵を拝借する生き様、闇夜の歩腹前進で近所の大根を抜く青春、その果てしないギャップを埋めるために、ギターを片手に同級生の部屋を回り、みなの国家試験の勉強を妨害するくらいしかなす術がなかった。

 

はてさて。

 

社長ブログにこんなことばかり書いていると、そのうちに閉鎖されたり退職者が出そうなのでこのへんにしようかと思ったけど、慣性の法則でもうひとつ。

 

学生時代のボクらはいつも静かに酒に飢えていたから、誰かの実家で高級なウィスキーを飲ませてもらったなんて聞けば、すぐに泊まりにいって礼儀正しくバカ飲みした。

 

今でも、一人っ子で割と裕福だったK君の親父さんの語りなら、幼少時代から戦時中のご苦労まで実の息子より正確に再現できるだろう。オールドパーのご恩は一生忘れません。

 

Kくんで思い出すのは19歳の時、司馬遼太郎の「龍馬がゆく」に感動したボクは学校を休んでヒッチハイクして土佐の桂浜へ旅をした。

 

途中でルームメイトに借りた金も尽きたけど、現地で出会った屋台の親父さんの家に泊めてもらったうえ、三度の食事も面倒見てもらった。ラーメンとおでんの屋台なのに「何が食いたい」と聞かれて「ごはん」と答え、親父さんはどこかで白いごはんを買ってきてくれた。高知を発つ朝には小遣いももらったのに、住所も聞かなかった自分が今でも情けない。

 

高知を発った後、その金もとうとう尽きてしまい、ヒッチハイクを駆使してKくんの実家に辿り着いた。Kくん不在なので多少は躊躇したけど、遠慮は最初の3分で、気がついたらご馳走を前にKくんの両親に旅の顛末を語って二日酔いになるほどご馳走になった。

翌朝に黙って持たせてくれた5000円をボクは返していないままだ。

 

本当にあの頃は24時間365日、全身恥だらけの人生を送っていた。今から若いヤツらにどれだけ尽くしても埋められやしないだろう。実力もないクセに唯我独尊でどうしようもないガキだった。

 

若い頃はそれで良いのだとは絶対に思わない。礼状はすぐ書いて、借りた金はバイト代が出た日に返して、季節の便りは欠かさず送るべきだろう。

 

思い出したらまた反省してしまった。

自分が若者に厳しい注文をつける割にボクは落第生だったのだ。

 

自分が今、公私に若者と接したり応援する機会が多い毎日の中で、当時のボクの浅知恵で推察していた数百倍も、人生の先輩たちはこっちの下心も泣き所もお見通しのうえで、存分に甘えさせてくれていたことがよくわかるようになった。ボクのおつむの方も少しは歳を重ねているのだろうか。

11 30, 2009

最後にボトルもう一本

 

 連休の三日目の土曜日。

今日は息子の運転手。

 

朝、自転車でしっかり汗を流してから、サッカーをする息子をパロスバーデス高校のグランドにドロップ。待っている間、近所のスターバックスのコンセント付きの席を陣取ってノートブックを広げている。

 

ここはパロスバーデス半島の南端。目の前のパティオの向こうには太平洋が広がる。

水平線の左端にはカタリナ島、沖でボートが真っすぐな白い線を引き、店内ではクリスマスソングが流れる。

 

昨夜は若い連中が遊びにきたのでボクが料理の腕を振るった。

といっても、近頃凝っているホットプレートの鉄板焼きだけど。

 

ボクは若いヤツらを応援することが楽しみでありライフワークだ。

 

ボクが若い頃から(今もだけど)諸先輩方に、それはもう物心の両面でたいへんな世話になってきたから、ボク自身も次のヤツらの面倒をみて、立派に育ててやらねばならないし、いっしょにどこまでも伸びたい。

 

若けりゃ何でも良いかというと全くそんなことはなくて、白けたヤツや気位の高いヤツとは同じ空気も吸いたくないし、視界にも入ってほしくない。

 

むしろ不器用でも一生懸命で、純粋な心、やさしい心を持っている若者にこそ、惜しみなく愛情を注ぎたい。人間に大切なのは、パッションと温かい人柄なのだ。

 

話をホットプレートに戻す。

 

若いヤツらには質より量。味や素材は二の次だ。

先発はベーコンとポテト、タマネギを炒めて、チーズをたっぷり溶かしてマヨネーズでいただく。2品目はウインナーとシメジとモヤシのソテー。トマトベースもいいけど、ここは穏やかに塩コショウで素材を主役に。

 

3品目はガーリックたっぷりで貝柱を炒める。はい、ひとり2個まで。レモンを搾ってね。

 

最後は野菜たっぷりの焼きそばでキッチリ締めくくった。

 

焼肉、焼き鳥、寿司、中華、このあたりは専門店が絶対的に美味いけど、それ以外の料理は和食でも洋食でも仕込みと素材を奮発すれば、家庭なりの味が十二分に楽しめる。

っていうか、冷えたビールかシャンパンがあって、大好きな仲間とテーブルを囲めば何だって美味いのだけどね。

 

寮生活の学生時代、金がある時は肉がほとんどない焼肉、冬場はもっぱら鍋だった。

1ヶ月か2ヶ月に1回、決まって土曜の夜、寮の晩メシを食ってから始めた。あの頃は食うよりも速く腹が減っていたので、何度でも何だって食べられたのだ。

 

みんな極貧学生だったから、ひとり500700円勝負とかで酒も材料もその予算で収めなくてはならなかった。

 

毎回幹事のボクはやりくりがたいへんで、その当時ボクらの島にあった生協に並ぶ大方の食材の値段は頭に入っていた。量で勝負、安いが勝ち(価値)の人生だったから、鍋の中は安い野菜ばかりだった。かすかに浮き沈みする細切れの肉はおたがいに牽制しながら時間をかけて突ついた。

 

あの頃、肉はボクらの存在そのものよりはるかに価値があり偉かった。

もし廊下で寮生が耳から血を流して倒れていても、その隣に肉のパックが鎮座していたら、全寮生は迷わず肉に飛びついて、食べ終わるまで仲間の存在に気づかなかったろう。

 

ちなみにビールは高級品で、貧しく卑しいボクらにはコストパフォーマンスが悪いから、もっぱら飲むのは店頭で一番安い焼酎だった。

 

話はさらに飛ぶけど、実家高松の繁華街に「U」という飲み放題歌い放題で1500円というありがたい店があった。

 

夏休みなどにバイトで稼いだ金を握りしめては仲間と入り浸って、ふだん飲めないビールやウイスキーを気持ち悪くなるまで飲むものだから、毎回店のおばさんは疫病神にも見せないような醜悪な表情をつくってボクらを睨みつけた。

 

それでもボクらはめげないでしぶとく通うものだから、ある日、他の客がいない時に「うちも商売でやっとんや。ええ加減にしまいよ」と怒鳴られた。さすがに申し訳なくなったボクらは「ごめんなさい!じゃあ、最後にボトルもう一本だけ」と控えめにお願いした。

学生時代一番愛した店だけど、一番憎まれた店でもあった。一方的な片思いである。

 

学生時代の酒にまつわる切ない話は尽きない。

11 30, 2009

人生の満足(感謝)度

 もうすぐ娘をスケートリンクにピックアップする時間だ。

ギリギリのタイミングで、フラプチーノのキャラメル味を注文して半分こするのだ。

 

最近突然の食物アレルギーで、マグロ、シャケ、カツオ、カニ、キャベツ、白菜、アーモンド等が食べられなくなってしまったけど、ボクにはこれらスィーツと炭水化物、アルコール方面の強力な後ろ盾があるから、人生何も恐れることはない。

 

怖いといえば、しばらく前にボクの目の前に相席で座った青年が、時々苦しそうに咳をするのも「インフルか!?」と本来たじろぐ場面だけど、予防接種を済ませたから怖くない。まさに備えあれば憂いなしなのだ。

 

ボクは人生の満足度を、家族が健康でボクより長生きしてくれたら100点と設定している。

それ以上は追加点であり、感謝以外のナニモノでもない。

 

スタッフや仲間が元気でいてくれて追加点100、事業が成長してくれてさらに80、自分自身が今日目覚めることができてプラス20、ハチに刺されてマイナス0.3、犬に噛まれたらマイナス1.1。ライオンに手を齧られるのは怖くて点数がつけられない。

それでもいつも満足度は100点満点の300500の間を推移していて感謝に満ちている。

 

おっとそろそろフラプチーノを注文しなくちゃ!

11 27, 2009

一念発起

 サンクスギビングディの早朝のスターバックス。

 

コンセント付きのテーブルを確保して、ボクは朝のコーヒーとジャズを楽しんでいる。

午前中ボクは、オレンジカウンティのスケート場でレッスンをする娘の運転手なのだ。

 

そんなことで朝の自転車はお休み。

自転車の相棒のKさんもちょうど今日から東京に治療のため出張。

 

Kさんは日米でクリニックを営むボクと同世代の歯科医。

手先が器用で、かなり腕が良い。

 

ボクの家がパロスバーデスの頂上に近いところにあり、そこから西へ、海を眺めながらまっすぐ自転車で降りたところにKさん邸がある。

 

朝ひと仕事終えたボクがKさんに、SMSで「そろそろいこか」と送信すると、ほどなく「OK」の返信が返ってくる。先に頂上を出発するボクがふもとに着く頃、Kさんが合流して山頂までいっしょに走る。

これが朝の日課。

 

「昨日、先生に褒めてもらったよ」

 

いつもに増して機嫌が良いKさん。

実はKさん、子供の頃からフェラーリのデザイナーになりたいという夢を持ち続けていて、自動車デザインでは世界最高峰のパサデナアートスクールに、40歳を過ぎてから学生として夜学で通い始めた。

 

「その先生は滅多に人を褒めない厳しい人で、学生時代のOさんが発表したスケッチをその場で破り捨てたくらいなんだ。その先生がボクのスケッチを良いデザインだって言ってくれたんだよ」

 

会話のOさんとは、その後に日本人にして同スクールの学部長も務め、フェラーリなど数多くのデザインを手がけた世界的な自動車デザイナー。現在は自ら自動車メーカーを立ち上げて、Kさんにとっては神様のような存在だ。

 

その“神様”の先生に褒めてもらったのだから気分が悪いはずがない。

 

「そりゃチャレンジしない手はないね!」

 

ペダルを踏み込む力が増すボク。

 

先週、こんな話があった。

 

三味線のお師匠さんのご主人のA先生が亡くなって、お葬式の手伝いから帰ってきたカミサン。

 

A先生、大往生だしみんなに慕われてたから良いお葬式だったわ。お坊さんの話が型通りだったこと以外ね。

それよりワタシ初めて知ったんだけど、A先生って40過ぎまで薬局の薬剤師さんだったそうなの。

それが一念発起してロースクールに通って、弁護士になったのが40代の後半。自分の事務所を持てたのは50を過ぎてからだったんだって。スゴイよね。ご家族はたいへんだったみたいだけど(笑)」

 

ボクの会計士のひとりB子さんは、短大を出てデパートの販売員をしていたけど、やはり一念発起して30代で渡米。猛勉強でライセンス取得後、中堅の会計事務所に就職。今は独立を目指して修行している。

会計士としてのキャリアはこれからだけど、下積みが長くて人の傷みがわかるし、常に顧客サイドの視点でモノが見れるからとても助けてもらっている。

 

知人のドクターCさんは東大の医学部を出てそのまま大学に残って研究を続けていたが、やはり一念発起して30代で渡米。限りなくゼロからステップを踏み、40目前で念願の研究職に就き、心置きなくアメリカの先端医療の現場で研究をしている。

 

彼らの共通点はみんな「一念発起」なんだけど、

言い方を変えると、

「一回きりの人生だから、自分を諦めなかった」ってことだし、

「リスクを取った」ってこと、

「夢のために何か大きなモノを諦めた」ってこと、

そして、「自らが後に続く人に道を拓いた」ってことだと思う。

 

彼らは、それまで費やした時間や努力、安定した収入、築いてきた名声や信用、残り時間と体力、自分の可能性・能力、人脈と経験、守るべき存在、貯金の残高、それらすべてを秤(はかり)に載せて、悩んだ末に「一念発起」したのだろう。答えがない人生の難問に、闇を睨み眠れぬ夜を何日も重ねたにちがいない。

 

大勢の人が歩いていく流れの中にいる方が不安は少ないかもしれない。

大きな流れを逸れると、往々にしてルートマップもガイドブックも存在しない。

それどころか舗装もされていなかったり、道がなかったりする。

クモやコブラが落ちてくるかもしれない。クマに襲われてゲームオーバーになるかもしれない。

 

だけど、いや、だからこそ(!)、自分の「夢」を諦めないで、いくつになってもチャレンジすることって大切なんだと思う。今、舗装されている道も、もともとは無かった道を誰かが切り開き、その上を人が踏み固め、やがて道になったのだ。ボクらも道の「作り手」でいたいじゃないか。

 

トヨタの車の善し悪しを「批評」するのはカンタンだけど、「作る」のは5008000億倍以上ムズカシイ。

 

プリウスの出来具合の議論はランチタイムでとどめて、人生の午後からは自分で図面を引いて、ヘタクソだって「自作」の自動車をこしらえよう。もしも、作りかけで夜が来ても、後に続くヤツがきっと完成させてくれるさ。

 

そんな熱い気持ちでペダルを踏みしめながらKさんに言った。

 

「そうだよ、Kさん。チャレンジしなよ。いつか誰かがKさんのインタビュー記事読みながら、あのKさんって45まで歯医者だったんだって!って驚いてるかもよ」

 

Kさんが振り向いて笑った。

11 27, 2009

ジグソーパズル

カミサンに託かって、近所のファーマーズマーケットに野菜を買いに行ったら市場がパーキングに変わっている。何ごとだ!と思ったら明日であった。
家に電話をしたらカミサンは大笑いしている。それってどうだろ。まあ確かに可笑しいけど。

期待の「プレジデント」はがっかりだったけど、「クーリエ・ジャポン」は期待以上で、世界で日本はどう報じられているか、他所の国(人物)を他所の国がどう見ているか、実に好奇心を満たしてくれて面白い。

今回号は創刊4周年大特集で、
「世界をミステリアスに魅了する!“宇宙人”的NIPPON」

ニューヨークタイムズが取材した鳩山由紀夫首相には書き手の底意地の悪さは感じない。同じくニューヨークタイムズのイチロー評は、読んだNY市民がきっとイチローのことをもっと好きになるだろう。

ハンギョレ21誌が綴る韓国での村上春樹の人気は絶大で、とくに「喪失の時代(原題・ノルウェイの森)」は「韓国では誰もが一度は手に取る作品」なのだそうだ。いっそう韓国人と日本人は気持ちの底の方で抱きしめ合える隣人なんだと思った。

ベルギーのダムン誌では、日本ではあまり知られていないけど、被災地に「紙の建築」を造る“非常時”のスーパースターとして知られる建築家の坂茂(ばんしげる)さんが紹介されていて、世界の尊敬を集めている。もう今すぐ会って取材したい。

イタリアのトゥットスポルト誌によると、スーパーバイク世界選手権に参戦する名門ドゥカティ・ゼロックスに所属するライダーの芳賀紀行さんは「実は欧州で知名度No.1の日本人」らしい。うれしいねえ。

濃野平さんは本場スペインで闘牛士の修行に励んでいて、宮山麻里枝さんが作った映画「赤い点」はドイツ全国の映画館で公開されたそうだ。
参りましたか?ってボクじゃないんだけど。

世界で評価される日本や日本人を読んでいると元気が出てくる。活字はこうでなくっちゃ。

香港のサウスチャイナ・モーニングポストには、ボクらの身近で興味深い記事が掲載されている。

グリーンカードを手にするために・・・
米企業に流れ込むチャイナ・マネー/欲しいのは「利益より永住権」

要は移住したい外国人にとって1番手っ取り早い投資による永住権取得が、投資が欲しい米国企業と中国の投資家の利害が一致して盛んに行われているというレポートだ。

少し抜粋しよう。

【米国企業はこの動きを確実に把握しており、これを利用する構えだ。現在、ほぼすべての地域センターが、中国人投資家の誘致担当者を少なくとも1人は置いている。
北京に本拠を置く移民斡旋会社、マスリング・グループは、米国企業が中国の投資家に直接面会して投資を呼びかける「投資民間フォーラム」の北京での開催を計画している。
「子どもを米国の学校に通わせるため、グリーンカードの取得を望む中国人は、ますます増えています。そんな投資家たちは、投資のリターンをそれほど重視しません」と、ルー・スン副社長は言う。】

読みながら背中に電流が走った。
そうか「移民斡旋」という切り口があったのだ。

海外の日系社会に欲しいのは、「雇用」の創出と、そのために力のある企業の進出や拡大、それに起業だ。そこに「投資(お金の循環)」はセットメニューだ。

大量の投資や投資家をアメリカに連れてきて、鼻血が出るくらい日系社会にお金を循環させて新たな雇用を生みたい。卒業後の留学生や日本からのやる気組が、アメリカで働ける土壌を作りたい。

もう一方で将来コミュニティや国を担う留学生を、大量にアメリカの大学に連れてきたい。アメリカにやり過ぎと警告されるくらい送り込んで、日本の若者をここで死ぬほど勉強させて社会に送りだしたい。

難解なジグソーパズルだけどちょっと解けそうな気がしてきた。
 

11 22, 2009

寒空にダボシャツ

土曜日の朝。今朝の自転車は昨日より一段と寒かった。

朝ゴハンを食べているところに息子がパパのシャツ借りるよとボクのクローゼットへ。

うちのカミサンもチビどもも、ボクの大きめの服が着心地が良いようで、勝手にクローゼットを出入りして物色する。そこは寛大なボクだから許せるとして、家中にボクの服を脱ぎ捨てて、時には年末の大掃除にぐったり衰弱したジャケットが発見されたりするから腹が立つ。洋服に口があったなら、「ヤツらには着てほしくないよ」と涙目で訴えるにちがいない。

この寒空に息子が選んだのは白い半袖のダボシャツ。
肌触りが良くて涼しいから夏は多用するけど、寅さんみたいでオッサン臭いから悟られないようにボクが着ていたそれ。

デニムのうえにそのシャツを着た息子は浮浪児にしか見えない。
それにこんな寒い日。すごくヘン。

だけど、ボクといっしょで「マイワールド」の人だから、人にどう映るかより自分が気に入ってることが大切なようで、出迎えの先生はギョッとしたけど機嫌良く日本語学校に登校していった。上着も持たず。

学生時代のボクそのもので後ろ姿が可笑しかった。
 

11 22, 2009

「金持ちノートの作り方」だってさ

ユニクロとニトリと王将の経営分析が面白くて定期購読を始めた「プレジデント」だけど、その後はあまりに小賢しい特集記事の連発に3号で定期購読を止めた。

だって、「年収2000万円の手帳術」とか言って、年収1500万円以上と500万以上の人の傾向を比較してみたり(稼ぐ人がやっぱりエライというオチ)、上場企業の社長や役員の数を出身校でランキングしたり、どこらへんがプレジデントなのかボクの読解力ではさっぱり理解できなかった。
まあ、どこで切っても出世したもん勝ち。年収が多くて安定してるのがシアワセという身も蓋もない本だった。

それにしてもどうなんだろ、この価値観。

もし世の中がこの内容を求めている(=世の中全体の価値観)としたら、すごく恐ろしいことではなかろうか。

「となりのヤツ」に勝って、「上」を目指してる場合じゃないのだ。
「自分のシアワセ(利益)」を第一優先で追いかけてる場合じゃないのだ。

誰が見たって日本は世界の中で圧倒的な勢いで地盤沈下している。
今の日本は、太平洋に沈んでいく水槽の中で、となりとか上を睨んで競い合っているようで悲しくなってしまう。

絶対に日本人はもっともっともっともっと世界に出なくちゃダメだ。

駐在だって、転職だって、進出だって、投資だって、留学だって、放浪だって、何だっていい。

世界中に人と企業の導線を張り巡らして、どこでだってしぶとく生きていく個人の集合体こそが新生ジャパンの新しいカタチだと思う。4つの島の中に暮らしていてもいなくても、世界のどこにいても「日本人」なのだ。

“「金持ちノートの作り方」3大奇才がそっと教えます”とか、そっと教えている場合ではないのだ。しっかりせい、と。

11 22, 2009

世界の出会いと再会の中で

ロンドンでも深夜まで人と会っているのに、朝の5時前後には目が覚めた。

考えたら、11月2日にロサンゼルスを経ってから、日本時間以降は、上海時間、ロンドン時間(ここのグリニッジが世界の標準時間なのだ。その180度反対側に日付変更線がありますね)と時計をもどしながら移動している。

よく地球を右回りに移動するより左回りの方が時差の関係でカラダが楽だと言われるけど、こうなってくると何だかわからなくなってくる。

出張中とくに気をつけているのが体調管理。

ムダなく、余裕なく、パツパツに予定を入れるので、途中で体調を崩すと後に響いてまわりに迷惑をかける。何より、すべてのアポイントが重要だから120%の自分を出し切りたい。80%の自分しか出せなくて「あの程度のヤツ、あの程度の会社」と思われたら悔やみ切れない。

だから、
例えば冬場だったら、まわりに咳をする人がいたら息を止めて逃げるし、逃げ場がなかったらマスクを引っ張り出す。時には目力全開で相手が後ずさりするくらい睨みつける。

人と会った後は必ず噴射式のノド薬をする。

タバコの煙は極力遠ざける。
カリフォルニアでは考えられないけど、日本やアジアでは煙草がまだまだエチケット違反にならないようで、気管支がすぐにやられてしまうボクにはそこがツライ。
だから、店を選べる時は煙草を吸えない場所を第一優先に選ぶくらい神経を使う。

食事も重要。
出張中は偏りがちなので、意識的に野菜やフルーツ、オレンジジュースを摂取する。
日本だとつい深夜のラーメンとかに心惹かれるけどグッと堪える。(たまに負けて翌朝落ち込むけど)

あと、小間切れの移動時間など眠れる時にできるだけ睡眠を確保する。

プロスポーツの選手が体調管理や道具の手入れを怠らないのと同様に、ボクらビジネスマンにとってもコンディションづくりとアポイント前後の予習復習は基本中の基本で欠かせないことなのだ。

話をロンドンの早朝にもどそう。

ロンドンはこの季節、外は7時近くまで闇に包まれたままだ。
静かな早朝の時間帯に、日中できなかったメールの返信やまとめ仕事をしているとお腹が空いてくる。

近所のデリの開店は7時。
店が開くのを待ちかねて、フランスパンのサンドウィッチとカプチーノ、それにオレンジジュースを買いに歩く。町を抜ける風は冷たいけど、上海で買ったユニクロのヒートテックの肌着と羽毛のジャケットのおかげで寒さは感じないし足取りも軽い。

上海では毎朝コンシェルジュの社長の大西さんや仲間と近所の食堂に行ってラーメンをすすっていた。

目の前で職人が小麦粉のかたまりを何度も引っ張っているうちにやがて細い麺でなっていく。それを大鍋に沸騰するお湯に放りこみ、いい加減のところでサッと湯切りして、牛肉を煮込んだ辛めのスープに手際よく入れてサーブする。

うまいんだ、これが。

それでいて1杯が10元(150円)くらい。大西さんは、このオヤジごと東京に連れて行って店をやりたいと毎回言っていた。
これに水餃子やトマトと卵炒めをみんなでつつくと朝からご機嫌さんだ。
上海は近代化に伴って物価がけっこう高いようだけど、一本路地に入るとまだそういう店が残っているのですね。

再びロンドン。

ロンドンでは日本語情報誌のトップ3の経営者を訪ねて歩いた。

WMAのネットワークをヨーロッパにも広げる目的と、もしもライトハウスのノウハウや力を必要としてくれるメディアがあったら、何らか経営に関われたらという思いを持っている。これはヨーロッパに限らず世界中だけど。

もうひとつは某社との業務提携のためのナイショの仕込み。
大人になるということはナイショが増えるということなのだ。くふふ。

イギリスとフランスとドイツで発行している日本語情報誌「ニュースダイジェスト」は、政治経済を日本語でわかりやすく解説した誌面づくりで、社長の森さん、編集長の永野さん、副編集長の村上さんが迎えてくれた。
誌面を良くしたい意欲に溢れていて、大量の質問に答えているうちに2時間くらいあっという間に過ぎた。まだまだ伝えたかったし、生意気ながらいくつかのポイントを強化したら面白いくらい伸びる余地のある会社だと思った。

ロンドンで1番広告が入っているのが「ジャーニー」。
元々旅行会社の駐在員の手島さんは、ライトハウスとほぼ同じ88年に同誌を創刊している。ヨーロッパ全体の進出企業のアジアシフトや縮小の影響もあって、近年は広告も減少しているそうだけど、その中にあって首位を堅守しているから経営基盤が1番しっかりしているのだろう。以前からヨーロッパの日本語情報誌の横綱という評判は耳にしていたけど、なるほどこのリーダーにしてという感じ。

話はまたまた飛ぶけど、
海外の日系社会では少なからず、購買力があって、日本語のサービス(商品)や付加価値に対してお金を使える駐在員や新生活者の存在は貴重だ。多くは日系の引越サービスを使い、日系で車を買い、接待やプライベートで日本食を食べ、時々日系のクラブで癒され、日本のスーパーや書店で買い物をして、日本の美容師さんに髪を切ってもらい、日経新聞を定期購読して、日本人のドクターに検診をしてもらい、日系の旅行社で里帰りや出張の手配をする。
そこで使ったお金がそこで働く人たちのお給料となってまたコミュニティにお金が循環していく。この循環していくお金こそが日系社会の「血液」だ。血液が毛細血管のすみずみまで流れてこそ、心身ともに健康な日系社会が維持できる。

これを世界で見ると、上海など勢いのある地域を除いて、ヨーロッパやアメリカの進出企業の撤退・縮小・アジアシフトが、駐在員の数や手当に直結し、日系社会の「血液」の循環にも少なからず影を落としている。それは日本語メディアの経営にも影響している。そう、日本や日本の企業には頑張ってもらわねばならないのだ。

話はロンドンのメディアの話に戻る。

3つ目はベイスポロンドンの社長の渡部さん。同氏と会うのは今回が2回目で世代も近いし話も合う。仲間だと思っているから、遠慮なく踏み込んだ提言やダメ出しをするけど素直に耳を傾けてくれる。これは温厚な渡部さんの人柄のおかげ。
「負けない経営」でいつの間にか3番手につけて、首位の座を虎視眈々と狙っている。経営者としては1番気が合って話も弾む。

ロンドンでは同業の経営者だけでなく、親友のふたりとも再会することができた。

ひとりは日経新聞の市瀬さん。
同氏が駐在員として西海岸で販売の責任者をしている時に出会い、その後香港駐在を経て、ヨーロッパ全体の販売を担う今もつき合ってもらっている。
99年当時から、日経新聞とライトハウスがタッグを組んで、日経新聞の購読者にライトハウスを同時配送で届けるというサービスを実現した立役者だ。日経新聞は読者に対してローカル情報を届けるという「付加価値」、ライトハウスは広告主に対して部数だけでなく「質の強化」でおたがいに補完し合った。
それがキッカケでライトハウスのシェア拡大にグンと弾みがついたから、人との出会いはつくづく大切だと思う。駐在員には稀に「会社の看板=自分のエラさ」的な人がいて笑いを誘うけど、市瀬さんは組織を超えて一生つき合える仲間だ。

もうひとりはアサヒビールの都築さん。
長年アメリカの社長を務めた後、2年間からヨーロッパの責任者としてロンドンに赴任。アサヒブランドを浸透させるためにヨーロッパの各国を飛び回っている。ボクとよく似た(ウソです)端正な顔立ちに、物腰は静かだけど熱い情熱と野望を秘めていてむちゃくちゃ芯が強い。
今回はアポイントがパツパツなうえに流動的だったから連絡できないでいたら、偶然その週末に都築さんと会った渡部さん(ベイスポ)の計らいで再会が実現した。

「次回はぜひスーパードライが飲めるパブを案内させてください!すでに500件のお店で樽生を扱っていただけるようになりました」

別れた後、熱いメールをいただいた。

市瀬さんも都築さんもヨーロッパに行っても大車輪の活躍なのだ。

メディアアライアンスの経営者仲間もそうだけど、世界に尊敬できる仲間がいるというのは本当にシアワセだ。
会った時に恥じない自分に成長していたいから高い志を持ち続けられるし、おたがいの苦悩もヨロコビも心から分ち合える。

まさに今回はそういう仲間が世界中にいるいるシアワセを実感する出張でもあった。

はてさて。

合間の時間に書き足してきた今回のブログも、長かった出張もあとわずか。
ヨーロッパからダラス経由であと間もなくでロサンゼルスに到着する。

直近の仕込みもできた。少し先の種蒔きもできた。あとは実行だ。

4年後(ライトハウスの創業25周年)くらい、世界中に、いろんなカタチでライトハウスが事業展開しているイメージを膨らませて、また明日から頑張ろう。
不在中会社を支えてくれたメンバーとともに。

 

 

11 20, 2009

メディアアライアンス(上海手打ちラーメンの巻)

11月15日日曜日。一面がガラス張りの壁の向こうには曇り空の太平洋が広がる。
空と海の境界線は曖昧で、そのまん中を大きな貨物船が南下している。

ボクは今、上海の浦東空港のラウンジでロンドンに向かうブリティッシュ航空の登場時間を待っている。

上海でのワールドメディアアライアンス(WMA)は、期待以上の収穫を得ることができた。

WMAとは、世界各地で日本語メディアを発行する経営者の集まりで、おたがいの持つ経営ノウハウを学び合い、ともに経営やメディアを磨き合うことで、ひいては「世界各地の日系社会をよくしていこう、世界中で個人が企業がもっと活躍できる世の中を創ろう」という同志の集まりだ。

ボク自身21年も日本語メディアの経営をしているので、あらゆる面で改善と工夫を重ねてきたつもりでも、各地域のトップランナーを走る仲間たちからたくさんのことを学ばせてもらっている。

とりわけ今回は、「上海ジャピオン」の若き経営者片岡さんをレクチャーから学ぶことが多かった。やり手と評判は聞いていたけど、IT業界出身の片岡さんはすべてのフローをシステム化することに長けている。

例えば広告費の回収ひとつをとってもノウハウのデパートで、回収率は限りなく100%に近い。うちも98~99%の高い水準ではあるものの、個々人の努力の上に成り立っているところが大きく、片岡さんの話を聴いているととてもシステマチックとは言えない。

またここには書けないけど、査定やカウンセリングのノウハウも学ぶべき点が多かった。あつかましくも、おねだりして人事のエッセンスとも言える業務ごとの評価シートをいただいた。もうボクは片岡さんに5、6年頭があがらないだろう。

比較的歴史の浅いバンコクでナンバーワン「ワイズ」の代表の西岡さんの吸収力は凄まじく、毎回この集まりでコレと思ったネタは、帰国してすぐにさらに改善を加えたカタチで新メディアの発行に結びつける。みんなには「パクリ」と冷やかされるが、その行動力に実はみんな一目置いている。
また、こうして、みんなが持つエッセンスが各地で結実することもこの会の狙いのひとつだ。

2日目の午前中はコンシェルジュの代表の大西さんのリクエストで、同社の上海版の営業のみなさんにレクチャーをさせてもらった。

コンシェルジュは、この上海と香港、北京、大連でも日本語情報誌を発行するメディアグループで、他に中国人の富裕層向けのメディアなども発行している。

ここでは営業の姿勢とスキルの両方の観点から話をさせてもらった。
みなさん意欲的で熱心にメモをとるからこっちもチカラが入る。

夜は両日とも地元経営者やメディア関係者との熱き交流会。
中国大躍進のシンボルとも言える上海には、日本から野望を持ってきている若い経営者が多い。

 

ボクは冒頭のあいさつで、

「この上海でも、日本から来た人を食い物にするのではなく、応援して助け合う日系社会を創っていこう。世界中で個人や企業が活躍できる世の中になるよう私たち自らが創り手になろう」

そんな話をしたのだけど、共感してくれた若い方たちが最後まで途切れることなく話しかけてくれた。

夢中で仕事の様子を聞かせてもらったり、悩みや相談にのっていたら4時間近く経っていて腹がぺこぺこ。バフェのフードはとうに下げられていて、気の毒に思ったコンシェルジュの北京支店長の大樹さんがお好み焼きを持って来てくれた。多謝。

ひとりひとりと話せた時間は数十分だけど、心通う人がたくさんできた。

ボクはいつの頃からは自分をさらけられるようになって、人との距離が縮まるのが早くなった。

人生は有限だ。残り時間はどれほどあるかわからない。1日かも1時間かも知れない。それにあの世にお金も名誉も肩書きも持っていけない。せいぜいポケットに隠して缶ビール2缶くらいか。

だったら気取っても大きく見せても仕方がない。

人と向き合う時は、ただありのままの自分で、相手にしてあげられることを一生懸命考えればいい。自然と相手は心を開いてくれるし、相手が喜んでくれたりシアワセになったら、こっちもシアワセな気持ちになれる。

浦東空港に向かうタクシーはやはりハイビームとクラクションと急発進と急ブレーキを駆使するドライバーで、来た時の運転手にまた当たったかとミラーをのぞいたけど別人だった。やはりここは世界のベスト5だ。 

11 18, 2009

アイフォンで眠気を吹き飛ばせ!

日本での仕事は納得のいく成果をあげられた一方で、初日からの呆れるチョンボにキモを冷やした。

バカ話におつき合いください。

日本入りした火曜日の夜は、成田に着いたその足で六本木のインターコンチネンタルホテルに直行。業務提携を検討している老舗のオーナーさんと会食をごいっしょするためだ。

期待通りオーナーさんは尊敬すべき立派な方で、話も弾み週明けに再度話し合いを持つ約束をして別れた。幸先良いぞ。気持ちが高揚したまま、役員の竹内とライブハウスに寄り道して、ホテルに着いた時には時計の針が翌日になっていた。
竹内とは同じ会社(LCE)を経営していても、おたがいに忙しくて年に何時間くらいしかサシで話せない。そんな中、こうして音楽が好きなボクに温かい心づかいをしてくれてすごくうれしかった。

翌朝は飛行機が早いので、5時に起きて羽田空港へシャトルバスで向かう。道も空いていて出発時刻の1時間半前にはチェックインできた。いつもはギリギリに空港入りすることが多いのだけど、この日に限って早めに出発したのが後で幸運につながる。

荷物のチェックを終えてゲート前の売店の温かいうどんをすすって一息。

ここでチョンボに気づく。

待ち時間の間に、アイフォンで貯まったメールの返信をしようと、ズボンのポケットをまさぐると空っぽ。

反対のポケットも、胸ポケットも、ジャケットも、バッグの中も、どこを探してもない。ない。ない。ない。天井をにらむ。

部屋は出る時確認したし、シャトルバスの座席も確かめた。

えらいこっちゃ!

今回は日本だけでなくアジアやヨーロッパを回るのに、アイフォンがなくなったらメールも電話もできない。それじゃ仕事にならない。

最後にアイフォンを使ってからここまでの記憶を何度も辿る。

「!」

ホテルのチェックアウトをして、シャトルバスを待つ間、ビジネスセンターでPCを使ったあの時だ。

急いでホテルに電話する。

事態の大きさを察してくれて、フロントの女性が受話器を置いて走る。待つこと数分。

「ありました!PCの横にありました!」

フロントの女性の弾んだ声。

時計を見ると出発までにすでに一時間を切っている。

「次の便のシャトルは何時ですか。そのシャトルの運転手さんに携帯を持ってきていただくことはできますか。私はいったん外に出てバス停で待っています。もしも間に合わなくても心配しないでください。大丈夫。その時は何とかしますから」

受付の女性がいっしょになって心配してくれるのが受話器越しに伝わってくる。

ここが「日本」なんですね。

結論からいうと間一髪セーフ。

透明のビニール袋に入れたアイフォンを手渡してくれたシャトルの運転手さんにボクは何度もお礼を言った。

朝早いのを見越して空港の側のエアライン系のホテルに泊まったこともあるけど、何より何よりホテルスタッフの誠実で迅速な対応のおかげだ。近頃は過去に会社を食い物にした経営陣の不始末で、日本中の非難に晒されているエアラインのグループだけど、現場を動かしている人たちには罪はないし、その仕事の質は極めて高い。今回もそのホスピタリティに助けてもらった。

はてさて。
そんなことで、初日から眠気も吹っ飛ぶ幕開けとなった。

1にパスポート、2に財布、3にアイフォン。カバンやスーツケースごと忘れることもあるボクだけど、今回はどうか無くなりませんように!って他力本願。
 

11 14, 2009