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込山洋一

ホンダ・スピリッツ

 今回、ライトハウスとアロハストリート(ウィンキュービック社)の共催イベント第3弾で、ハワイで初めて小林三郎さんの講演会を実現した。テーマは「ホンダ・スピリッツ:イノベーションが生まれる環境・風土の構築」。おかげさまで大成功に終わった。

講演後は、「ライトハウスのおかげで、これまでハワイでは聴けなかった良質な講演にふれられるようになった」「勇気が出た」「やる気になった」「経営を見つめ直そうと思った」「会社が大きくなって、何のイノベーションを生む努力をしなかったことに気づいた」等、たくさんのご意見や感謝の言葉をいただくことができた。

ロサンゼルスでは昨年の9月に講演をしていただいたのだけど、小林三郎さんは(元)本田技研の主席研究員で、今や世界標準となっている(ホンダ式)エアバッグの開発者だ。現在は中央大学院・戦略経営研究科の客員教授で、年間に100回を超える講演活動でホンダ・スピリッツを世に伝えている。

ボクが人生で聴いた講演の中で、京セラの稲盛さん以外の方では、吉田ソースの吉田会長と並んで「2大・最も魂を揺さぶられた講演」だ。

本当に素晴らしい内容なので、ボクの解釈とともに学びをシェアしたい。

(なお、ハワイのみなさんには朗報です。吉田会長に続く大盛況ぶりに、小林三郎さんは今年11月、吉田会長も来年2月前後に追加講演の予定です。ぜひみなさんの家族や仲間や社員さん、ライバルの会社の人も誘ってご参加ください。きっと聴いた人の数だけハワイが元気になります。いっしょにハワイの日系社会を元気にしましょう!)

さて本題。

本田宗一郎さんは、京セラの稲盛和夫さんと並んでボクがもっとも尊敬する経営者で、近代日本を代表する経営者だ。

お二人は驚くほど思想や哲学、生き様が一致していて、限りなく無私(利他)の人だ。

総一郎さんは40を過ぎて本田技研を34人の社員で創業した。

毎朝ミカン箱の上に立って朝礼して社員に「世界一になる」と言い続けたそうだ。

実際に24年後にホンダはバイクで世界一になった。

宗一郎さんは、「哲学」なき行動(技術)は凶器であり、行動(技術)なき理論は無価値であると説いた。

そして、一貫してイノベーション(革新、創造)の大切さを訴えた。

仕事とは、オペレーション(執行)とイノベーション(革新、創造)の2つから成り立っている。

オペレーションは「論理的に正解を追求し続けること」、イノベーションは、「ユニークな本質の発掘」だ。

業務の95%を占めるオペレーション(執行)に対して、イノベーションは数パーセントに過ぎない。成功率も前者は常に95~98%で、後者は10%に満たない。

残念ながら多くの日本企業は、90年代前半にバブルが弾けて以降、「コストダウン」と「効率化」しかやってこなかったから、ソニーがかつての輝きを失ったように新しい価値を生み出すことができなかった。

「革新」と「改善」を混同しがちだけど、

「改善」は、データを集めて論理的に分析をすることでできるけど、そこに「差」は生まれても、「新しい価値」や「ちがい」は生まれない。

「革新」は、哲学(Philosophy)、コンセプト(Concept)、想い(Spiritual Belief)の3つから生まれる非論理の世界なのだ。

その中で最も大切なのは、強い「想い」。あきらめない、夢を追い、人を愛する強い信念だ。

これ(革新)について稲盛さんは、

「潜在意識のまで透徹する強い持続した願望を持つ」「人間の無限の可能性を追求する」「チャレンジ精神をもつ」「開拓者であれ」「もう駄目だというときが仕事のはじまり」「信念を貫く」

によって初めて生み出せると説いている。

イノベーションを生むには「本質追究」が欠かせない。

企業の、事業の、個人の目的は何なのか?

「企業の目的・存在意義」は、収益を上げる事ではなく、世の中に何の価値を提供するか、だ。

収益は「結果」で目的ではない。「目的」を見誤るから、GMは車作りがお留守になり、エンロンは粉飾決算をして、リーマンは欲が過ぎ、船場吉兆は食べ残しを出して、潰れてしまった。

「目的」と「手段」をキチンと理解しなくてはならない。

例えば、機械性能を向上させることも、コストダウンをすることも、重量ダウンも、「A00」(本質目的、夢)ではない。手段に過ぎない。

宗一郎さんは「本田技研は、技術を研究するところではなく、人間を研究するところだ」と説いた。

人を研究し、「人が求める10年、20年先の主要な時代価値」を追求するところだと。

技術は手段であって、目的は人が求める新しい価値の創造なのだ。

ホンダで交わされる質問はたった2つ。

「どこがホンダらしいんだ(マネをしない。ミニトヨタになったらホンダはいらない)」

「それは世界一か」

それを「一言」で言えなくてはならないそうだ。(素人にわかりやすく説明できなかったら、わかっていないという事)

ボクはその言葉をライトハウスに置き換えた。

「どこがライトハウスらしいんだ」「世界一になれる事か」

講演が終わった今もずっと考えている。一生、自分に、社員に、問い続けていく事に決めた。

それ(価値コンセプト)を導きだすのに、ホンダには「ワイガヤ」という文化がある。

三日三晩郊外の宿舎にこもって議論をし続けるのだ。

発言に、どこかで聞いたような話は許されない。その人の原体験から来るユニークな話でなくてはならない。1つのコンセプトを導くのに、1人が100200ものコンセプトを捻出してひたすらに正解のない議論をぶつけ合う。それを年に何回も実践する。金と時間とエネルギーをそこに掛けるのだ。

実は京セラでも「コンパ」という文化がある。仕事を離れて、夢を語り議論をぶつけ合い、ベクトルを重ねていく文化で、世界中で人種を越えて実践されている。

この話を聞いて、ライトハウス式の「ワイガヤ」「コンパ」を今思案している。

ライトハウスが何のために存在するか、未来に提供すべき新しい価値は何なのか、オペレーションではなく、イノベーションのための議論の機会を今年後半から導入するのだ。

小林さんは「イノベーションは若いヤツの方が豊富だ」「すぐに答えを与えてはならない。徹底的に考えさせるのだ」「自分で考える習慣を若いうちからつけて考える集団になるのだ」とアドバイスしてくれた。

もうひとつ興味深いアドバイス。

10人中9人が賛成するような案では遅過ぎる。9人が反対する中に「ダイヤ」はある。イノベーションは最後はひとりで決めるものだと。

そしてオペレーションでの失敗は許されないけど、イノベーションに失敗はつきもの。

若い人にチャンスを与えろ、若い人が元気な会社は必ず伸びると。

うちはもっともっとメンバーが考える習慣をつけて、失敗も含めて機会を与えなくてはならないと実感。

やれることはまだまだありそうだ。

宗一郎さんの経営観・人生観が伝わってくるエピソードを3つ。

 

1)本業以外手を出さない

宗一郎さんは、銀行や証券会社からどんなに勧められても、本業以外、土地も株も投資もしなかった。そのおかげでバブルが弾けてもダメージが少なく回復が早かった。

これに通じる話が、トヨタやGMは生産性(効率)重視で、アメリカの大型車の工場はすべて専用工場だったため、燃料が高騰して大型車が売れなくなった途端に潰しがきかなかったけど、ホンダの工場はコストが割高でも、大型車から小型車まですべての車種の生産に対応できるように作られていたためダメージがあまりなかった。

恥ずかしながらボクは、2030代まで儲け話に飛びついてしばしばヤケドをした。20代の終わりには後始末に家を手放した事もある。おかげでその大切さが身に沁みてわかる。追いかけるのはお金ではなく、夢とか新しい価値なのだ。

2)現場を回る

宗一郎さんの若い頃は、しゅっちゅう社員をぶん殴るくらいに怒ったけど、愛情が深かったからみんなが「おやじ」と呼んで惚れてついていった。そして年中現場に足を運び社員の肩を叩いて回った。

実はボクは以前に、公開経営問答の席で、稲盛さんに「離れた場所で仕事をする社員たちにどうやって熱を伝えたら良いのでしょう」と質問したことがある。即座に「アンタが現場を回らんで誰が回るんか。当たり前の事を訊くな!」と雷を落とされた事がある。涙がちぎれるくらいおっかなかったけど、ボクの人生の宝物にしている教訓だ。

3)環境対応

90年代に日本に進出したメルセデス・ベンツが、当時としては画期的な、環境に配慮したテレビコマーシャルを流した。その内容は「私たちの工場では、大量の水を使いますが、環境に配慮して元のキレイな水にして川に戻します」というメッセージ性の強い広告。ホンダの幹部が慌てて「うちは大丈夫なのか」と調べさせたところ、どの工場でも「宗一郎さんが工場を作る時に、地元の大切な水を使わせていただくから、必ず元の水よりきれいにして戻すように言われています」と、すべての工場でメルセデス以上の環境対策をしていたのだそうだ。それもそのコマーシャルが流された20年以上前の1964年当時から。

ボクはこのエピソードにふれて涙が溢れて止まらなかった。どこで切ってもブレない。経営は、小手先(テクニック)でも利益でもない、「愛」なんだとやっと腹に落ちた。

小林さんはさらに付け加えた。

「企業で100年残るところはそんなにないでしょう。なのに愛をベースにしたキリスト教もイスラム教も2000年残っているでしょう。それが愛なのです」

「トップも社員も心がキレイじゃなくては駄目です。ピュアな集団は強いのです。偽物はメッキが剥がれて船場吉兆になってしまうのです」

「人間はもともと気高い(Nobleness)のです。収益の話も大切だけど、夢を3回語る間に1回くらい話せば良い。世界の人々に貢献しようとか、子どもや孫の世代に青空を残そうという夢や想いこそが活力の源泉になるのです。そんな想いに人がやる気になった時、アウトプットはかけ算になるのです」

そして最後に、ホンダ文化とは、

・高い自由度(平等/学歴無用/ミニマム・ルール)と、

・熱い議論(前向き/ワイガヤ)と、

・哲学・本質的な高い志(本質追究/自分の思い・志/コンセプチュアル/絶対価値追求/高い目標)からなる、

「ノリのいい知的興奮集団」だと締めくくった。

 

変革しよう。目指してみよう。ライトハウスも。

「ノリのいい知的興奮集団」を!

06 27, 2010

小さな足の話

 世界的に見て日本人の足の幅は広い。

その中でもボクら兄弟はとりわけ幅が広い。

背が高いとモテるようだし、頭が良いとトクする事が多いようだけど、足の幅が広くて良い事はバスタブで転けにくいことくらいか。

30になった頃、奮発して幅が狭くてカッコいいフェラガモの靴を買った。憧れの靴だった。

だけど、中国の纏足(テンソク)はこんな感じだったかと想像するほど履いてて痛かった。

それでも無理をして履いているうちに、シルエットがツチノコのようになってしまい、悔しいけど誰かにあげてしまった。それ以来、イタリアの靴は履かないようにしている。

子どもの頃から裸足になると「洋ちゃんは立派な足やなあ」とからかわれるので、幅は広いけど肩身が狭かった。

弟も同じ思いをしたと酒を飲んでは笑い合う。

ハワイでぶらりと入った店に、良い靴があったけどぴったりのサイズがなかったので買わなかった話をすると、

「靴ばっかりは出会いやからなあ。ピンと来た時は買うたほうがええで」

意味深そうに返す。

それからしばらく間が空いた後、

「実はな、ボクはずっと27.5とかの靴を履いてたから足は大きい方やと思ってたんや。

それがこの間しっかり幅の広い靴で合わせたら25.5が入ったからショックやったわあ。

25もいけたかも知れんけど、心がボロボロになるといかんから試さんかったわ」

「お前、足ちっちゃかったんか」

「兄ちゃんは言えんて」

「ホンマや」

「オマケにな、ものすごいしっくり来るから買ったんやけど、まだ見慣れてないから足の先っぽが取れたみたいなんや。まだ違和感あるわ」

「しょっぱいなあ。

子犬でも足の大きい犬は大きくなる言うのに、何でワシらは巨人にならんかと思たら。そうかあ。実は足ちっちゃかったんやなあ」

謎がひとつ解けた。

06 26, 2010

2人乗りの全力疾走

 626日の土曜日の朝。

例によって4時に起きて娘をスケートリンクにドロップしてからスタバの片隅を陣取っている。

昨日ハワイの出張から帰ってきた。

ミーティングやイベントや会食で毎日があっという間に過ぎたけど、今回は毎朝ホテルの前のビーチで泳いだ。全身のチカラを抜いて、ただプカプカ浮かんで澄んだ青空を眺めているだけで心が豊かになった。

出張から帰ると、そんな話だけ子どもたちにするものだから「パパは好きな事ばっかりできて良いなあ」と口を尖らせる。

先週の日曜日は父の日だった。

この9月から高校2年生のなる息子は、赤い台紙にワープロ打ちした紙を貼った手作りのカードをくれた。

「パパへ、

毎日楽しい一日を過ごせるようにしてくれてありがとうね。

よく出張に行ってて家にいないことがあるけどその分がんばってくれてありがとうね。

毎日がんばってくれてありがとう。僕たちに笑顔をどんなときでもくれてありがとう。

これからもよろしくね!ハップイーフアーザーズデイ!!!(原文まま)」

小学生でももう少し日本語が上手だと思うけど、生意気盛りの息子がヘタクソな日本語で一生懸命に作ってくれた。

9月からいよいよシニア(高校4年生)になる娘は、水色の台紙に灯台(ライトハウス)の写真のコピーを貼ったカードをくれた。

「パパ、父の日おめでとう!

人生の事でも何でもいろいろと毎日教えてくれてありがとう。

けんかとかたまあにしやすいお互い様だと思うけど、そして私はたぶん育てるのが難しい女の子だけど付き合ってくれてありがとう。

いろいろパパのお蔭様でいつも感謝してます〜!I LOVE U!(こっちも原文まま)」

どっちも怪しい日本語だけど、毎年欠かさず心のこもったカードをくれる。

ハワイ出張の間もデスクに置いて何度も眺めてた。

ボクは躾には(自分を棚に上げて)うるさいけど、子どもたちに何になってほしいとか、どこの大学に行ってほしいとかはあまり口にしない。彼らから相談された時にはボクの考えとして伝えるけど。

考えたらボクの両親も好きにさせてくれた。

同級生が一様に就職活動をする時も、ボクは世の中の「常識」が理解できなかったから一切やらなかった。

強いて言えば、商船学校の実習生としてアメリカに来た時、「どこでもいいからボクを雇ってください」とお願いしたのがボクなりの就職活動か。

子どもたちに望むこと。ただ健康でいてくれたらありがたい。

欲を言えば、人に迷惑をかけず、やさしい思いやりのある人になってくれたらそれ以上の感謝はない。

だからボクは毎朝毎晩お祈りをする人なのだけど、感謝と反省だけでお願いごとはしない事にしている。それは神社やお寺や教会に行ってもいっしょだ。(節操がないか)

ただある時だけ。子どもが病気やケガで苦しんだ時にだけ例外的にお願いする。むしろ、お願いはその時のためにとってある。それ以外のことはお願いするもんじゃなくて自分で努力するもんだと思ってる。朝無事に目が覚めて、夜眠る時に家族や仲間が無事だったらそれ以上のシアワセはないもの。

そう言えばめずらしく山口の親父から電話があった。

「おう。焼酎のサーバーと焼酎が届いたわい。ありがとうよ」

「良かった良かった、それで飲んだら味が良くなるらしいよ」

ふと小学生の頃、足にガラス瓶が刺さって血みどろのボクを病院まで自転車の2人乗りで全力疾走してくれた若い日の親父が思い出された。

そういえば親父も人に迷惑をかけるなくらいしか言わなかったなあ。

06 26, 2010

チェリーの歯形

 早朝の便でハワイからロサンゼルスへ帰る機内。

弟がこしらえてくれた弁当を開く。

鶏の唐揚げに卵焼きにちょっと多めのマヨネーズ。ボクの好物だ。

ご飯には塩コブと梅干しがのせてある。ご飯はまだ温もりがわずかに残っている。

遅かったろうに5時前には起きて用意してくれたのだろう。

 

弟がロサンゼルスにいる頃はたまに衝突もしたけど15年いっしょにやった。

ボクは攻める一方、弟は城を守った。

それからいったんは会社を飛び出し、紆余曲折の後、今はライトハウス・ハワイ版の責任者として指揮を執っている。

 

昔話になるけど、昭和40年代、ボクらは四国のベイエリアで育った。正確に描写をするなら、チンピラや中途半端な荒くれ者が闊歩する小さな漁師町だ。

ボクは小学校では劣等生でさっぱり自信がなかったけど、放課後になると好奇心旺盛で活発な少年にもどった。

割と正義感は強い方で、鬼退治のつもりでチンピラの家に爆竹の束を放り込んで逃げたり、暴走族のあんちゃんにロケット花火を打ち込んだりした。

稀に捕まる事もあったけど、ものすごく素直に謝るものだから、むしろ相手は面食らって無罪放免で難を逃れたりした。

もう時効だから書いてしまうけど、多くの男の子がそうであったように、ボクも大きな乗り物に憧れて、エンジンを掛けたまま放置されたブルドーザーを操縦したことがある。

ドキドキしながら飛び乗って、いろいろなギアを押したり引いたり適当に操ったら、巨大なロボットが動き始めるように、大きなシャベルが上下したり、キャタピラは音を立てて前進した。

遠くで弁当を食って寛いでいた土方のオジさんたちが気づいて慌てて走ってくる。

もちろんボクは脱兎のごとく夢中で逃げた。

この後、さらに大きな乗り物を動かすのだけど、それはもう10年くらい経ってから書こう。

近所の国鉄の踏切がまだ手動で上げ下げしてた頃、商店街の自動(機械)の踏切まで遠征して、ぶら下がってはどこまで自分を持ち上げられるか実験したりした。電車が来る度に少しずつ先の方に移動しては持ち上がり、機械の限界を身体で覚えた。

そう、毎日が冒険だった。そして側にはいつも弟がいた。

走っても隠れても一生懸命についてくる弟。

弟が小学校に上がった頃、近所の悪ガキに泣かされて帰ってきた時には、そいつを捕まえてボクの手が腫れるくらい張り倒して、最後は海に連れていって堤防から突き落とした。

弟にヘルメットをかぶせて座ぶとんを抱かせて、ボクはよく新しいプロレス技の実験をしていたのだけど、この時ばかりは兄貴のボクを眩しそうに見上げた。こんなことならお安い御用だ。

こんなエピソードもある。

元来ボクは無類の犬好きで、とくにリトリバーや秋田が大好きなんだけど、その時代のボクらの町では少し事情が違っていた。放し飼いで半分野良犬みたいな犬が多くて、とろくさい子どもはたまに噛み付かれたりしていた。幸か不幸かやられてもスー(訴訟)する人も弁護士もなく、犬であろうと人であろうとただ強い者が幅を利かせた。

とりわけ近所の飼い犬のチェリーは凶暴で、誰彼なく通る者を追いかけては威嚇した。

同じ通りに住むボクは悔しい思いばかりしていたので、ある日、遠くから石を投げつけるフリをしたらチェリーが怒って走ってくる。

逃げ足の早いボクは素早く電柱によじ登って難を逃れたが、逃げ遅れた弟は尻を咬まれてズボンの真ん中にヨダレの歯形が残った。

真っ赤な顔で泣きじゃくる弟と咬まれた尻を見比べて、ボクは腹を抱えて笑った。

1年分くらい笑ってボクは敵討ちをすることにした。

数日後、何時ものように吠えるバカ犬に石を投げつけるフリをしたら案の定こちらにすごい勢いで走ってくる。

心臓がバクバクしていたけど、ギリギリまでためて鼻先を力一杯に蹴り上げた。ビビった分、芯は食わなかったけど、つま先に確かな感触が残った。

「キャインキャインッ」

威勢の良かったチェリーはきびすを返して逃げ去った。これがホントの負け犬だ。

それでもチェリーは正しく凶暴だったけど、ボクに吠える事はなくなった。これこそが力関係だ。

そんなふうに毎日子どもなりの挑戦や勝負があって、いつも側には4歳離れた弟がいた。

それは両親の修羅場の時も含めて。

ボクが中学に上がるくらいまでだろうか。

その後、弟なりにパワーアップして、中学の時には仲間と2人で、繁華街で絡んできたアホな高校生8人をやっつけて街の話題をさらったりもした。

さらに余談だけど、帰省の度にバイトして買った洋服が減っていくので不思議に思っていたら、10年くらい経ってから「ごめん、ボク、兄ちゃんの服売っとったんや」と白状した。

素直に謝ったらボクは何でも許す事にしているけど、例外はあって思い切り殴りつけた。

 

洟を垂らしていつもボクのあとをついてきてた小さな弟。

母親の財布から100200円とボクが拝借してた頃、1万円を抜いて豪遊したのがバレて母親を発狂させた弟。

「宿題はやらない」と決めて、殴られても立たされても親を呼ばれても、本当に人生で一度も宿題をやらなかった弟。

そんな弟がいつの間にか老眼鏡で本を読むようになっていた。

そんなことはもうないだろうけど、今でも弟がやられたら報復に行く頭のてっぺんが薄くなったボクがいる。弟はいくつになっても弟で、やっぱり兄貴はエライのだ。

弁当の卵焼きの甘みが口の中に広がった。

 

 

06 26, 2010

飛び跳ねる着ぐるみ

 6月の週末に娘とドライブ。

来年高校を卒業する娘は、もう1年ちょっとで家を離れてしまう。

だからふたりの時にはできるだけいろいろなことを伝えるよう心がけている。

また彼女もそんな思いを察してか、以前よりも熱心のボクの言葉に耳を傾けてくれる。

その日は「小さな仕事の大切さ」を彼女に話した。

会社は毎日の小さな仕事や地味な仕事、誰もが嫌がる仕事の集積で成り立っている。

コピー取りやお使いが一人前にできない人間に、まともな仕事や大きなことは決してできない。そんな人にはみんなの本気の力が集まらないから。言われたことだけをただやるのは「作業」。そこに工夫や改善ができないか気持ちを込めてやるのが「仕事」だ。せっかく生まれてきたんだから「仕事」をしなくちゃもったいない。

時給でも月給でも「給料分だけやっときゃいいわ」という考え方の人は、決して進歩や成長がない。回りの人にもそれがわかるから、結果として組織にそれほど必要ともされずに転職を繰り返していることが多い。そういう人の回りにはやはり同じような人が集まって、世をすねて、会社や上司の不満をどこに行っても言っていたりする。

一方で、出し惜しみなく全力投球する人、自分の人生や仕事に恥じない「矜持」を持って何事にも取り組む人には、不思議なくらい人やチャンスが集まってきて人生がどんどん好転していく。ライトハウスで過去に取材したアメリカンドリーマーやスペシャリスト、矜持の人たちに共通していることだ。

人は見ていないようでよく見ている。

地味な仕事を一生懸命やる姿勢、人の嫌がることを率先して引き受ける人間を、組織や世の中は放っておかない。多少その人の能力が高くなくても、そこに回りの人間の応援や支援がどーんと集まるから、本人の能力を超えた仕事ができたりするのだ。

意外と多いのが、自分の能力を過信して、謙虚さもなく、スタンドプレーの「良いトコ取り」の人。そういう姿勢だとまわりが離れていくから、能力が高くても、自分の力以上にできなかったり、むしろ回りに足を引っ張られるから、なかなか結果がついてこない。

「だから、おまえは謙虚な気持ちをいくつになっても忘れずに、地味な仕事や人の嫌がる仕事こそ率先して取り組むんだよ。必ずそこに気持ちを込めて」

となりの娘が大きくうなづく。

「パパ、知ってる?

ブラッド・ピットの一番最初の仕事は、エルポヨロコ(チキンのファストフード)で、チキンの着ぐるみを着てお客さんを呼び込む仕事だったんだよ。

(人気歌手の)ビヨンセも、お母さんの美容室の床掃除をずっとやってたんだって」

ブラピ、だからカッコいいんだなあ。一生懸命飛び跳ねる着ぐるみの情景が目に浮かんだ。

 

06 21, 2010

カレーの時代

617日の夕方。

今朝、こんなメールが社内メールで流れてきた。

「ライトハウスメンバー各位

このたび、社内でエコ委員会を発足しようと思います。

エコ委員会とは、社内で出来るエコロジーを考えること、また、それによって
社内のエコノミー(節約、節減)に繋がるということで、エコ委員会と称して
社内で各部署のエコ部員を中心に、会社をあげてエコに取り組みたいと思います。

(中略)

基本的には立候補者の中から選びたいのですが、
もし、立候補者がいなければ、所属長の任命のもと、発足したいと思います」

送り主は副社長の片山。

どうやら発起人は片山と総務の明子さんかな。

なかなか良いではないかと感心した矢先、どどどっと5人が手を挙げた。それも「各部1人」の募集に顧客事業開発部(営業部)からはなんと3人。勝負する気だろうか。

みんながそれぞれ考えて同じベクトルに向かって動く。こんな様子で、社内でも遅ればせながら小さな取り組みが始まる。

一方でライトハウス(本誌)そのものは、創刊以来、年に2回の増刊号の表紙以外はすべてリサイクルできる紙を使っている。近い将来、増刊号の表紙そのものも見直す時期が来るだろう。

ライトハウス本誌(紙)、ウェブサイト、そして電子版ライトハウス(12年内かな)、それぞれの特性を活かした情報発信をする時代がそう遠くないところに来ている気がする。

今の時代、個人も会社も複雑な風や潮を読んで舵取りをするのはホントに大変だ。

だけど、ガチガチの時代や、飛行機も冷蔵庫も電話もカレーもなかった時代を思えば、自由とチャンスに溢れた今の時代に生きられることはやっぱりすごくラッキーだと思う。う、カレーが食べたくなってきた。

追記:

「ワールドカップが観戦できるように、2階(ホール)にケーブルテレビを引くと良い」と伝えておいたところ、「マネ会(幹部会)で話したのですが、もったいないのでまたの機会にということになりました」だって。さっそくエコで却下されてしまった。

06 18, 2010

登山口のあたりで

 ふと外を見るとすっかり夜が明けている。

612日の土曜日。今朝は4時に起きて、娘の弁当をこしらえて、スケート場に送って、スタバでコーヒーを楽しみながらお仕事。

5月の月次決算や、LASD&ハワイの週間セールスレポートに目を通す。

創刊から半年を過ぎたハワイが大健闘。ハワイのメンバーの21年前の(ライトハウスLA版)創刊時さながらの全力疾走と、地元のみなさんやアロハストリートの上野社長たちの強力な応援のおかげに他ならない。LA4年目くらいの水準で推移している。

サンディエゴも着実に数字を伸ばしている。売上の数字そのものより、年間契約の比率や契約更新率、取引件数が伸びていることに価値を感じる。71日号から記事も増え、一部のコラムはカラー化する。あくまでも充実した誌面、お客さんに合った提案に重きを置いて地道な努力を重ねたい。

国際教育事業はこのペースで走り切れば、通年で50%くらい成長できるかも知れない。日本のパートナーたちの長年の地道な営業活動がよくやく実を結びつつある。この事業は、今やっている仕込みが数字になるまで平気で23年掛かる。今の現れている数字は23年、あるいはもっと前からのものだ。また、様々な分野の講師やインターンの受入企業など、多くの社外の協力者のおかげでようやく成り立っている。言い換えたらその分他所から簡単には参入できない。

本丸のロサンゼルス版は、各事業部を支えながら単体でも何とか数字を伸ばすことができた。よく耐えている。

景気のいい時に伸びる数字は信用しないけど、こんな不況時に伸ばせた数字は信頼できる。

だけど目指しているのはこのステージじゃない。ここは通過点であり、むしろようやくエベレストの麓の登山口だ。

しっかりと足元を見つめ、一歩一歩地道な努力を重ね、いつかこのチームを頂上に導きたい。

06 12, 2010

一斉メールは止めようよ

 サンディエゴから帰って来た。

オーシャンサイドからしばらくは道が太くて真っ直ぐだから油断するとすぐに100マイルくらいスピードが出てしまう。要注意。でもキモチ良い。

昔取引のあった若い方から独立の挨拶と今後の事業計画が熱く綴られたメールが届いた。

申し訳ないけど、斜め読みして「ゴミ箱」に捨てた。

どうしてそんな大切な話(宣言、思い)を「一斉メール」で送るのだろう。仮に「要件」「情報」の部分はコピペでも、せめてメールの頭と最後にパーソナルなメッセージを入れたら良かろうに。

「こいつ程度には一斉メール」という扱いなら理解できるけど、それにしてもその神経がボクにはわからない。

誰がこのメールを読んで心に火が点くのだろう。応援したいと立ち上がるだろう。

どんなに素晴らしい事業モデルが明かされていたとしても、ボクはそんな感覚の持ち主に大切な仲間の経営者や資産家や投資家を絶対に紹介できない。こっちが恥をかくのは火を見るより明らかだもの。

クリスマスカードや季節の便りで同じグッタリ感を持つことがある。

面識はそんなにない方からサインだけのカードが送られるのは仕方がない。逆の立場でもメッセージの書きようがないから。

だけど、ふだん会ったら言葉を交わす関係なのに、サインだけとか、ましてや印刷物のまま送られる便りには心がヒンヤリしてしまう。だったら出さなきゃいいのに。

そもそも年賀状とかクリスマスカードって、「本来なら直接会いにいってご挨拶すべきところを書中で失礼します」ってもんじゃないんだろうか。それを印刷物とか一斉メールで済ますことって、大切な人に自動音声で電話するようなもんだ。ふつう気分を害すると思う。

それと、けっこう多いのだけど、子どもの写真だけのカードにも困惑する。つき合ってるのは当人だから。その人の近況とか決意を知りたい。

仕事をいただいたり、お願いしている間柄では、当たり前だけどそんな感情は顔にも言葉にもしない。だけどそこにその方の「姿勢」を見るし、我が身を振り返ってヒヤリとしたりする。

独立した彼の話の戻ろう。

どれほど名刺を貯め込むのが好きな人でもアクティブな人間関係はせいぜい1000人だろう。

そもそも「独立します。未熟ですがみなさんの力を必要としています。助けてください」

そういう話なんだから、せめて1人に10分はかけてメッセージを書きなよと。

1時間で6人。

創業期なんだから寝ないでやれば少なくとも1日18時間で108人の方へのメッセージを書き上げることができる。

そしたらわずか10日で1000人の潜在応援団を作ることができるのだ。

全然話が逸れるけど、ボクは89年にライトハウスを創刊するとき、電話帳を中心に(自作)アタックリストの2500件すべての会社(お店)に電話とファックス、飛び込みをした。お忙しい経営者の方にはご迷惑だったけど、知恵も人脈もないボクにはそれしかなかった。(結果は1件の受注)

若いその方はすでに大手企業に在籍している時に交換した山のような名刺があるだろうに、なぜこんな時こそ大切にていねいに活かさないのだろう。

ビジネスの成功に、自分のアイデアや才能、努力なんて要素の一部でしかないと思う。ほとんどはまわりの引き立てや応援。「ご縁」のおかげなのだ。

どうして一番肝心なところで手を抜くんだろう。

すごくすごくもったいない。

06 12, 2010

呼吸が止まるその瞬間まで

 サンディエゴのスタバから。

めずらしく午後はこっちでデスクワーク。

午前中は営業同行で、自宅で幼稚園を開業した園長先生とお会いしてきた。

園長先生と言っても、たったひとりの先生で職員だ。

71日号から広告掲載が始まるのだけど、まだどこもやっていない「仕掛け」を伝授させていただいたので、ユニークで個性的な広告ができると思う。(この作戦は自分で実験しながら温めておいたもので、これからうちのお客さんにじわじわご案内しようと思ってる)

ボクはスタートアップの経営者の方と事業を組み立てていくのが楽しい。

何を大切にして、どこを目指していくのか。

強みは何か、弱みをどう強みに変えるか。

徹底的に棚卸しをして、ご本人も気づいていない個性や魅力を、読者に伝わるメッセージに変換するのが広告制作。奥が深いのだ。

膨らませたイメージを持ち帰ると、デザイナーが限られたスペースの中で「表現」する。

余談だけど、サンディエゴのデザイナー伊藤は時々ボクの頭の中のイメージと「同期」してるかと思うくらい「イメージ+」のアートワークを仕上げてくる。そう、「提案×クリエイティブ」はサンディエゴ版の命綱だ。

ロサンゼルスではほとんど分業化されていて、ふだん直接お客さんと膝詰めでお話する機会が少なくなったけど、月に一回訪れるサンディエゴでは、滞在している間のほとんどの時間をお客さんと会うことに費やしている。

もちろんそれはロサンゼルスやハワイや日本のお客さんに対しても気持ちはいっしょで、こちらから手を挙げることはなかなかできないけど、相談をいただいたら必ず一ヶ月以内(可能な限り最速で!)に時間を作ってお話を聴かせていただいている。

それは会社が60倍(今見える目標)大きくなっても絶対に大切にしたいし、いつか今の立場を退いたとしても、呼吸が止まるその瞬間までお客さんの相談に乗り続けることができたらそんなシアワセな人生はないだろう。

人生や仕事の醍醐味は人様に頼りにしてもらえることだと思う。

06 11, 2010

国籍も宗教も超越するフォロソフィー

 今朝はサンディエゴから。

目が覚めて、ベッドの中からiPhoneでメールの返信や急ぎの指示・共有事項を済ませる。

ちょっと横着な気分。

シャワーを浴びて、7時半に近所のスタバに“出勤”。

昨日は京セラアメリカのご厚意で、午後から京セラアメリカの本社ビル(サンディエゴ)見学と社長の講演を拝聴する機会をいただいた。

学んだことをいくつかシェアします。

・京セラでは人件費の高いアメリカにおいては、通信インフラや環境技術、エネルギー、国防など、先端技術や特殊技術を必要とする分野で、複雑で高度な「少量多品種高付加価値」で勝負している。人件費ではとても南米やアジアにかなわない中、日本の生き残りのヒントを見た気がする。中途半端な企業(個人)は、どの分野でもサバイブするのがますます難しくなっていくだろう。受け身ではなく、常に自分を磨くこと、創造的な仕事をすることが求められる。頑張るのは当たり前で、知恵をしぼり、工夫と改善を重ね、モノマネじゃない、新しい価値を自らの手で生み出すのだ。

・上記をワンストップで解決すること。京セラでは、お客さんと膝詰めで構想から開発、デザイン、設計、組立、テストまで完結してしまう。言い換えたら、ここ以外で頼む理由がないし、頼めないということ。稲盛さんの「値づけ(料金設定)は、原価の積み上げからではなく、価値に対してつけるもの」という哲学がここにも。もうひとつ、京セラフォロソフィーの「お客との関係が信頼を超えて、尊敬されるようになったら、値段が高い安いではなくなる」も垣間見た。

・ボクにとって、仏教的な思想・哲学が色濃いと感じている京セラフィロソフィー(京セラ全社員の行動規範・哲学)が、キリスト教の国・多国籍の人たちにどのように受け止められているか興味深かったのだけど、トップ(社長や副会長)自らが答えてくれた。

「京セラフィロソフィーは、日本的というよりユニバーサルバリュー。私たちが両親から教わって来たものとそのまま通じる。個人と仕事の境目はない。一生懸命に働け、正直でなくてはならない、人にやさしく思いやりを持て、人として何が正しいか、これらの価値観・行動規範は、人種や宗教を超えてすべての人が共感するものだ」

京セラではトップの3人は、日本からの駐在員ではなくまったくのアメリカ人(転職の多いアメリカで、ひとりは勤続31年、ふたりは29年)だ。

・京セラフィロソフィーをトップからテンポラリーワーカーまで共有・浸透するために、全社員が毎週必ずフィロソフィー勉強会を実践している。中間管理職以上はそれに加えて週に2回。また、それ以外に「少なくとも」半年に1回、各2日以上の合宿で、フィロソフィーの徹底共有を図るという。

幹部全員が学び、磨き、ブレないようにベクトルを合わせることにどれほど重きを置いているかがよくわかった。ライトハウスも週に3回様々な勉強会をやっているけど、まだまだ踏み込みが足りないと感じた。

・興味深かったのが、日本文化と思っていた「社員間のコンパ」を積極的に実施していること。仕事を離れて、上司と部下がお互いに労い合ったり、夢を語るという企業文化を大切にしている。ただし、事故や交通違反を避けるために「1人2杯まで」というルールも設けている。なるほど。

京セラがまだ創業間もない小さな頃、残業する社員に夜鳴きうどんを振るまい、それを啜りながら稲盛さんは「今に通りで一番、区で一番、京都で一番、日本で一番、いつか世界で一番になろう!」と夢を語って聴かせたそうだ。その思いが遠くアメリカでも時空を超えてしっかりと息づいている。

稲盛さんご自身、自分でも途方もないことを言っていると感じていたけど、それでも伝え続けたそうだ。伝え続けて、世界を夢見て、足もとの地道な努力を重ね続け、今では本当に様々な領域で世界一になり、KDDIと合わせると年商6兆円近い規模になって今もなお伸び続けている。

講演の最後に「稲盛名誉会長が日本航空の再建に取り組んでいることをどう感じているか」と質問がでた。

それに対して、京セラアメリカの社長がこう答えた。

「ドクターイナモリは78歳にして倒産した会社の再建に乗り出した。

人生でたぶん最後の挑戦になるだろう。

私は毎日再建が成功するように祈っている。

ドクターイナモリとこの件で直接話したわけではないけど、日本航空の再建はひとつの企業の再生ではなく、【日本のアイコン】ともいえる企業を再生させることで、すべての日本人をエンカレッジ(励ます)しようとしているのだろう。日本と日本国民のために」

そして最後にもう一度、

「成功を毎日心から祈っている」と結んだ。

 

*盛和塾ロサンゼルスのホームページ

http://www.seiwajyuku.org/la/

06 11, 2010