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込山洋一

無事が一番

人生で良いことばかりなんてまったく期待してないけど、うまくいかないことが永遠に続かないことも半世紀近く生きてきたから何となく感じている。半分ずつ良いことと良くないことがあって、身近な人たちが今日も無事に過ごすことができたら100点満点の一日だと思う。無事ってすごく有り難い。
1月30日の今日、大学院の1年次の最後の試験を提出して、シャンパンでカミさんと遅い時間に乾杯をしていたら、日本の母親から電話が掛かってきた。番号が表示される受話器をカミさんが明るい表情で僕に手渡す。
たいてい母親は不満のやり場に困って電話をしてくるのだけど、今日は機嫌が良かった。何時も気の向いた方面に夢中になって、まわりがそれを認識した頃にはすっかり飽きているのが常なのだけど、近頃は短歌に凝っているという。
暗黙の期待に応えて、ひとつ聴かせてほしいと頼んだら、電話の向こうで照れくさそうに詠み始めた。よく意味はわからなかったけど、奥深い美しい情景が広がったと応えたら、次から次へと詠んでくれた。一瞬受話器の早送りボタンを押しそうになった。そして自分が学生時代に、ギターを片手に寮の部屋を回って、新曲を披露したのを思い出した。30年経ってすまぬことをしたことに 気づいた。
3月の日本出張の時に実家に顔を出すと伝えたら、仲間に評判の良い創作寿司をこしらえると声が弾んだ。
人生で自分がコントロールできることなんてわずかだけど、そのわずかなことを日々やり尽そうと思う。
それはさておき明日はゴルフだ。その前にガレージの掃除が待ってるけど。

01 31, 2015

シアトルより

1月23日の朝。昨日でシアトル出張は無事完了。週末は居残りシアトル観光。

僕にとっては、来年で30年になるLAが一番のホームタウンだけど、シアトルに来ると不思議と懐かしいような「帰ってきた」気分になる。

シアトルでの3日間は、終日メンバーの同行で取引先や地元の重鎮との面談。来る度に懐かしい顔が増え、温かく迎えていただける。

大村総領事からは、フリーペーパー大賞の受賞を労っていただけた。また昨年僕が書いたアムトラックの西海岸縦断紀行の詳細まで覚えていてくれていた。日系社会の課題や変化についても真摯に耳を傾けてくれて、改めて情報誌の役割は、海外在住者の幅広い課題解決だと感じた。
進出企業や地元日系企業のトップのみなさんたちからは、ライトハウスへの期待や要望を具体的に聴くことができた。やるべきことは多い。

ランチで立ち寄ったラーメン店の店主は、8年も前にLAで 経営者を目指す若者向けに講演した時の参加者のひとりだった。香港人のパートナーを得て、今では立派な繁盛店のオーナーだ。「これはゴールじゃなくスタートライン。40歳代はとても大事な10年だから。 どこまで事業を伸ばし企業価値を高めてください。ぶれることなく信念を持って」力強く握手して別れた。

そういう僕も50歳代の10年はさらに大暴れするのだ。勝負は50歳代。そして60歳代も勝負。勝負は続くのだ。

01 24, 2015

「行ってきます」

1月3日の早朝、帰省してた息子がオレゴンに帰っていった。

結局、帰省している間は、朝から晩(というより昼から朝?)まで遊んでばかり。公共施設のようにいろんな若者が出入りしていた。

二人だけで過ごしたと言えば、元旦に息子の母校オレゴン大学のローズボールの試合をソファーに転がって観戦したくらいか。

それでも家を出て少しは半人前になってきたようだ。

バイトで少し稼げるようになったせいか、お年玉も小遣いも受け取ろうとしない。
「パパ、大学に行かせてくれていつもありがとうね」とコソバユイことをよく口にする。

子どもたちには昔から元気でいてくれること以外、なるべく望まないようにしている。それ以上望むことは贅沢なことだと思っているからだ。ただ健康で、少しでも人や社会に役立つ人に成ってくれたら有り難い。あとは背中で見せてきたからいい加減なことはしないだろう。

娘もサミシイようで強くハグをした。こいつらは何を話すことがあるのか、しょっちゅう電話し合っているらしい。そういえば、ボクも弟とどうでもいい話ばかりしているけど。。

息子は「行ってきます」と2回言った。
そっか、大半の時間をオレゴンで過ごしても「行ってきます」なんだ。

息子の車が角を曲がって見えなくなってもしばらく腕を組んだままその方向を眺めた。

01 03, 2015