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込山洋一

静かなハロウィンの夜

静かなハロウィンの夜。

いや、世の中ではなくウチの話。

家人も僕も忙しさに、飾り付けも訪れる子供たちのお菓子も用意するのを忘れていた。

いつもなら点けている玄関の照明も消し、外に明かりが漏れないようにキッチンも暗くして、気配を隠して食事をした。ふと「逃亡者」の文字が頭に浮かぶ。

その時、
「コンコココンコン、コンコン」
と、威勢の良い玄関のノック。

ぎょっと顔を見合わせる。

息子が玄関脇のガラス戸を確認すると、二人の子供。

家中のお菓子を血眼で探し、仏壇に備えたポッキーをつかみ息子に手渡す。息子からポッキーを手渡された子供たちは大喜びで帰ってゆく。

さあ、また来たらどうする。。手を休めることなく食料庫やキャビネットを探す。

家人が味付け海苔を起案するが却下。整合性もセンスもない。僕はこの機会に日本の食文化普及を結びつけ、まとめ買いした日本のカレーやシチューの箱を渡そうと閃いた。

が、幸か不幸かもう子供たちが来ることはなかった。

来ると困るが、来ないと淋しい。自業自得だけど、ちょっぴり気疲れするハロウィンナイトだった。

10 31, 2015

21歳の背中

熱い日が続く。暑い方じゃなくて、熱いほうだ。

昨日は新商品のイベント、今晩は日本の大学生にレクチャー、明日は学校経営者のみなさんにレクチャー。規模の大小に関係なし。どれも真剣勝負の一本勝負なので気が抜けないし、馴れは許されない。

そんな中、昨日は息子の21歳の誕生日だった。

アメリカで21歳は特別な年齢だ。酒もカジノも解禁で、日本でいう「成人の日」に当たる。首を長くしてその瞬間を待っていた息子は、前の夜日付が変わった瞬間から、親友と夜を徹して飲んだらしい。(日本に連れて行った時には20歳だからと堂々と飲んでいたけど)

同じ22日、会社でのイベントを終えた僕は、メンバーに後を託してダッシュで帰宅。よく冷やしたシャンパンでまだ二日酔いが残る息子と乾杯した。

この日息子は、フリーウェイで前のトラックからこぼれた物体を避けきれず、危うく大事故に巻き込まれるところだったそうだ。タイヤはパンク、車軸が歪んで修理代がずいぶん掛かると少し気落ちしている。

僕はその話を聞いて、息子が無事だったことに心で手を合わせた。
強がったところで人間は脆い。毎日の無事は当たり前じゃない。

人間を取り巻く環境は、自分自身の健康や能力に始まって、親、兄弟、パートナー、友人、学校、教師、仕事、仕事仲間(上司、同僚、部下)、生まれた国、時代、様々な要素で構成され、これが時間軸で変化していく。

どれかに恵まれている時にはどれかがうまくいかず、全部良いことも全部悪いこともない。悪いことが続いているようでも感謝すべきことが山のようにあるし、好調続きの時はたいてい何かが蝕まれているから用心した方がいい。

それらを全部引っくるめて、身に降りかかる不運や試練がお金(モノ)で済むことなら有り難いと考えるようにしている。 生きてさえいたら何とかなるから。

お金の心配をして財布が分厚くなるなら大いに悩めばよいけど、 悩みからは何も生まれない。悩むなら考えるか飲む。

世の中には自分でコントロールできることとできないことの2つしかない。コントロールできないことや起きてしまったことは悩まない、自分でコントロールできることだけに集中して精一杯生きろ。

21歳の背中を叩いた。

10 23, 2015

いいちこの挑戦

昨晩は「いいちこ」でお馴染み三和酒類が満を持して、アメリカ市場に投入した「iichico YUZU(ゆず)」「iichico UME(梅)」のお披露目のパーティをライトハウスのイベントホールで開催。アジア系や日系の主要メディア、コミュニティーリーダー、人気インフルエンサーのみなさんが集まってくれて大いに盛り上がった。

日本の柚子、日本の梅、大分の地下300メートルから汲み上げた水、天然の素材だけを使って作られていて、とてもサッパリした飲み口。ふだんアルコールを飲まない人もクイクイいってた。

この商品が日本の食文化とともに、世界のレストランやご家庭の食卓でも愛される商品に育ってほしい。

10 23, 2015

青空

土曜日の正午。
なんだろう、10月というのにここ数日のロサンゼルスの暑さ。
朝の自転車から帰って来たらそのままプールに飛び込み、水のシャワーで身体を冷ました。

本当はそれから、5ヶ月ぶりにメンフィスから帰省する娘を迎えに空港に行く予定だったけど、寝坊して飛行機に乗り遅れて夕方になるという。

昔からけたたましく鳴り響く目覚ましにも起きることなく、その音で廊下を隔てた部屋の息子が起こされて、不機嫌そうに娘を起こすのが我が家の早朝の風景だった。まったく進歩していない。よく高校の先生が務まるものだ。

高校といえば、昨日は日本からの高校生に講演をした。
40名くらいの小さなグループだからマイクも使わずに話をした。後ろの端っこの生徒の表情もよく見える。みんないい顔をしている。

自分が若い人に話す時に心がけていることだけど、彼らと同世代だった頃から現在に至るまでの失敗や挫折、弱点や恥をできるだけさらけだすことにしている。それは外部の方にお願いするときも同様だ。

そうすることで、今どんなに活躍している人も、到底届かないように見える人も、自分と同じように若くて悩ましい時代があり、失敗をして、恥をいっぱいかいて、心臓が張り裂けそうな緊張もたくさんして、今につながっていることを理解してもらう。誰にだって何にだってなれることを知ってほしい。

僕にはふたつの夢がある。

ひとつは社是に掲げている「アメリカに暮らす人、目指す人、アメリカでの成功を志す人と企業の灯台になる」こと。ずっと目指してきたことだ。これからもずっと変わることなく、ぶれることなく一生かけて追いかける。

もうひとつは、日本中の子どもに「世界中で活躍する日本人のロールモデルを届ける」こと。「なりたい自分(憧れ、目標)を贈る」こと。

曇りの日も嵐の日も空を突き抜けるといつだって青空が広がっているように、暗く見える世の中も突き抜けたらいつだって青空だ。そう、日本人は世界中のいろんな分野で活躍している。世界の人と働き、貢献し、尊敬されている。そんな「青空」を子どもたちに見せることで、彼らがいつか次の世代の「青空」になれたらステキではないか。

寝ても覚めてもそんなことを考えている。

10 10, 2015