青空

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土曜日の正午。
なんだろう、10月というのにここ数日のロサンゼルスの暑さ。
朝の自転車から帰って来たらそのままプールに飛び込み、水のシャワーで身体を冷ました。

本当はそれから、5ヶ月ぶりにメンフィスから帰省する娘を迎えに空港に行く予定だったけど、寝坊して飛行機に乗り遅れて夕方になるという。

昔からけたたましく鳴り響く目覚ましにも起きることなく、その音で廊下を隔てた部屋の息子が起こされて、不機嫌そうに娘を起こすのが我が家の早朝の風景だった。まったく進歩していない。よく高校の先生が務まるものだ。

高校といえば、昨日は日本からの高校生に講演をした。
40名くらいの小さなグループだからマイクも使わずに話をした。後ろの端っこの生徒の表情もよく見える。みんないい顔をしている。

自分が若い人に話す時に心がけていることだけど、彼らと同世代だった頃から現在に至るまでの失敗や挫折、弱点や恥をできるだけさらけだすことにしている。それは外部の方にお願いするときも同様だ。

そうすることで、今どんなに活躍している人も、到底届かないように見える人も、自分と同じように若くて悩ましい時代があり、失敗をして、恥をいっぱいかいて、心臓が張り裂けそうな緊張もたくさんして、今につながっていることを理解してもらう。誰にだって何にだってなれることを知ってほしい。

僕にはふたつの夢がある。

ひとつは社是に掲げている「アメリカに暮らす人、目指す人、アメリカでの成功を志す人と企業の灯台になる」こと。ずっと目指してきたことだ。これからもずっと変わることなく、ぶれることなく一生かけて追いかける。

もうひとつは、日本中の子どもに「世界中で活躍する日本人のロールモデルを届ける」こと。「なりたい自分(憧れ、目標)を贈る」こと。

曇りの日も嵐の日も空を突き抜けるといつだって青空が広がっているように、暗く見える世の中も突き抜けたらいつだって青空だ。そう、日本人は世界中のいろんな分野で活躍している。世界の人と働き、貢献し、尊敬されている。そんな「青空」を子どもたちに見せることで、彼らがいつか次の世代の「青空」になれたらステキではないか。

寝ても覚めてもそんなことを考えている。