21歳の背中

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熱い日が続く。暑い方じゃなくて、熱いほうだ。

昨日は新商品のイベント、今晩は日本の大学生にレクチャー、明日は学校経営者のみなさんにレクチャー。規模の大小に関係なし。どれも真剣勝負の一本勝負なので気が抜けないし、馴れは許されない。

そんな中、昨日は息子の21歳の誕生日だった。

アメリカで21歳は特別な年齢だ。酒もカジノも解禁で、日本でいう「成人の日」に当たる。首を長くしてその瞬間を待っていた息子は、前の夜日付が変わった瞬間から、親友と夜を徹して飲んだらしい。(日本に連れて行った時には20歳だからと堂々と飲んでいたけど)

同じ22日、会社でのイベントを終えた僕は、メンバーに後を託してダッシュで帰宅。よく冷やしたシャンパンでまだ二日酔いが残る息子と乾杯した。

この日息子は、フリーウェイで前のトラックからこぼれた物体を避けきれず、危うく大事故に巻き込まれるところだったそうだ。タイヤはパンク、車軸が歪んで修理代がずいぶん掛かると少し気落ちしている。

僕はその話を聞いて、息子が無事だったことに心で手を合わせた。
強がったところで人間は脆い。毎日の無事は当たり前じゃない。

人間を取り巻く環境は、自分自身の健康や能力に始まって、親、兄弟、パートナー、友人、学校、教師、仕事、仕事仲間(上司、同僚、部下)、生まれた国、時代、様々な要素で構成され、これが時間軸で変化していく。

どれかに恵まれている時にはどれかがうまくいかず、全部良いことも全部悪いこともない。悪いことが続いているようでも感謝すべきことが山のようにあるし、好調続きの時はたいてい何かが蝕まれているから用心した方がいい。

それらを全部引っくるめて、身に降りかかる不運や試練がお金(モノ)で済むことなら有り難いと考えるようにしている。 生きてさえいたら何とかなるから。

お金の心配をして財布が分厚くなるなら大いに悩めばよいけど、 悩みからは何も生まれない。悩むなら考えるか飲む。

世の中には自分でコントロールできることとできないことの2つしかない。コントロールできないことや起きてしまったことは悩まない、自分でコントロールできることだけに集中して精一杯生きろ。

21歳の背中を叩いた。