家出物語

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もう3週間も前の話だけど、恥ずかしながらボクは25年ぶりに家出をした。

25年前の家出は親父の「養ってもらっている分際で云々」という説教に反発してひとりでも生きていけるわいと家を飛び出した次第。あの頃から青かった。

友人の家に転がり込んでUFO焼そばで命をつなぎつつ3泊か4泊目の夜に、自転車で自宅の様子を見に行った。街灯の明かりに親父が外で腕を組んで帰りを待っているのを見て申し訳なくなってあっさり帰宅。

今になって、子どもたちに気持ちがうまく伝わらない時にあの頃の親父のもどかしさが理解できる。

余談だけど親父とは、15年くらい前に(親父の)胃癌の手術をする前後数ヶ月の方が、それまでの25年の通算会話時間より話をしたと思う。その時は焦って、あまり積み上げてこなかった親子の関係を不器用にキャッチアップしようと土壇場でもがくボクだった。幸い今も元気で生きてくれているのが救いだけど。

そして時を経て25年後の今回。

ということは、このペースで91歳以上生きるとしたら後2回くらい家出をすることになる。次回、66歳、91歳の時にはもう大黒柱の時代は終わり、誰も悲しみも困ってもくれないかも知れない。その時には「家出」とは言われず、「徘徊」あるいは「逃避」と片付けられてしまうかも知れない。家出はもうやめにしよう。

今回も理由はよく覚えていないくらいだからつまらぬ夫婦喧嘩が発端だったと思う。しかしちょうど折り悪く、仕事のことで打開策が見えず悶々としていた時期で、ゆとりの無さが重なって、ふだんなら笑って受け流せることにもガマンができなかった。わかっている。すべて自分の度量と謙虚さが足りないのが原因だ。

ボクは外からの試練には強いと自負しているのだけど、身近なところから軽んじられたり、無礼な扱いを受けるとどうにもガマンが足りない。それも思い込みによるところが多いから始末に困る。

その晩は少し酒も入っていたから運転を諦め、荷造りに留めた。2週間の出張の倍ほどの荷物をまとめたからけっこう覚悟をしていた。

当たり前だけど家庭がうまく行っていないと仕事にも身が入らない。情けないけど、その翌日は気持ちがどうにも入らない。

「社長、そういうカタチで進めてよいですか」
「ゴメン、もう一回言って」

社長失格である。

その日は、何かのお礼や事業の相談に来てくださるお客さんが何件もあったのだけど笑顔を作るのが本当に辛かった。相手が誰であっても100%一生懸命に向き合いたいのに本当に失礼なことをした。

前の晩の眠りも浅く、仕事も不完全でぐったりとした気分のまま会社を後にした。

重いスーツケースでチェックインをした安ホテルはいっそう気分を重くした。あぁ、こんなことそうそう無いんだからもう少しまともなホテルにするんだったなあ。

ベッドで天井を睨んでいると、携帯電話が鳴って弟から商売の相談だった。

あまり人の相談に乗るような気分ではなかったが、かといって無下に断るわけにもいかずシャワーを浴びて重いカラダを約束の店に運んだ。

こんなに気持ちが落ち込んだことってここ数年あったっけ?そんなことをアタマの片隅で考えながら、実は結論は決めているであろう弟の話に耳を傾ける。

そうしていると携帯電話がなった。今度はカミさんからだ。

明日の朝の子どもたちの送り迎えについて夫婦で調整しないといけない。遠慮がちに聞こえるそんな内容に、助け舟が来たような気持ちなのだけど、わざと低めの声で「わかった」とだけ答えた。

結論が最後になったけど、そのままホテルの荷物をまとめてその夜は自宅に帰った。

ちょっと珍しい「日帰り」の家出。

親しい仲間に「実は今日家を出ました」とメールを送ったのを少し後悔した。