ジョンレノンの絵

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あと1時間余りで成田に着く頃、

「コミヤマさんですよね、ライトハウスの」

フライトアテンダントの男性に声をかけられた。

「20年近く前にお会いしたのを覚えていますか」

えっ!?覚えているようないないような寝起きの空気アタマで記憶を辿る。

「創刊の頃に広告でお世話になったんですよ。リトル東京で画廊をやっていたAです」

エアラインの制服を着ているので一瞬記憶がつながらなかったけど、89年の創刊当時、まだほとんど広告がなかった頃のライトハウス(正確には「OSAGAWASE」)に広告を出してくれた方だ。広告効果というよりも、根負けして出したというのが本音だろう。

創刊当時は飛び込んで飛び込んで飛び込みまくって広告営業をしていたから、ペラペラのタブロイド紙に広告効果を期待するというより、がむしゃらな青年に根負けしておつき合いで出してくれたお客さんばかりだったと思う。

あの頃の人様の「情け」で生きながらえた時代があるからこそ今のライトハウスを発行することができる。Aさんもまたそのひとりだ。

Aさんとはその頃の思い出に話が弾んだ。

当時からフライトアテンダントと兼業で、その合間に絵画の輸出入を営んでおられるのだそうだ。

「恰幅が良くなったけど当時とかわりませんね。ガーデナのアパートでやっている頃の事務所にも行ったことがあるんですよ。みなさん、一生懸命に切り貼りしていました。まじめにやっているからきっとうまく行くと思っていました。トーランス通りに大きな看板を出しているのも知っています。これからも頑張ってくださいね」

ここまで書いて思い出した。

社長室に飾ってあるジョンレノンが描いたシルクスクリーンは18年前にAさんの画廊から買ったモノだ。当時、買うお金もなかったけど、絵が好きで営業に行っては眺めさせてもらっていたボクにとても安く譲ってくれたのだ。それも分割払いで。

ジョンレノン自らピアノを弾くその絵を近頃では意識もしなかったけど大切な思い出が込められていたんだ。

こういう方たちのおかげで今がある。
もっともっと人との縁を大切に生きていこうと思った。