高専時代(宴会編)

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メモリアルデイの昼前、エアラインのラウンジで書いている。

毎度のことなのだけど、出張の日、いや数日前から、子どもたちと離れることを思うとしんみりした気持ちになってしまう。

それはどうやらボクだけではないようで、突然14歳にもなる娘が「パパ、相撲とろうよ」とせがんだり(それに応えて昨日は真剣勝負で6本取った)、12歳の息子が夜中にベッドにもぐり込んできたりして甘える。こんな歳にもなってという気持ちと、いつまでこんな濃密な時間が過ごせるだろうという複雑な気分がある。

昨晩は親父が釣ったオコゼを肴に弟家族とテーブルを囲んだ。
魚がバンバン釣れるこの季節は親父が主役だ。

親父が金曜日に釣り上げた6匹のオコゼは2枚の大皿に大輪の花のように盛りつけられ、アラは煮付けにした。

オコゼは刺身で食べると飛び切り旨いのだけど、ヒレに毒があるうえ、小骨が多いから手間がものすごくかかる。それこそこれだけの量になると半日仕事。家族はそれを知っているからいつもの3倍親父を大切にする。多少親父が飲み過ぎていても片目を瞑る。

ボクの方はお得意の鍋に、この夜は鱈(たら)と牡蛎(かき)、そしてキノコや野菜をたっぷりと入れた。

鍋と言えば、高専時代に寮の仲間とよく鍋を囲んだ。

と、言ってもいつも金のない連中だから、1人当り600円とか、多くて1000円で酔えるだけの酒と具材を調達しなくてはならないから大変だった。鍋隊長のボクは、土曜日の授業中は帳面に
「焼酎1000円、鶏肉300円、白菜120円、ネギ50円、ポン酢150円、榎茸80円、豆腐50円、白滝50円」などと鉛筆で書いたり消したりしながら熱心にその日の宴の準備をした。国家試験に受かるはずがない。

バイト代が入って金があるときは少しだけビールを買って、「オマエ、さっきから見てるけどペース早いんとちゃうか」などと牽制し合いながらチビチビ味わって飲んだ。あの時代があるから、あまり勘定を気にせずに飲めるようになった今もビールは特別な存在だ。日本の夕暮れ時の街で「飲み放題」などという張り紙があったらついソワソワしてしまう。

本格的に金がないときは「1人300円出し」で酒だけを買って、ジャンケンで負けた人間が近所の畑で大根を抜いて鍋に放り込み、それを食堂の醤油で味付けをしただけのシンプルな鍋に耐えた。ダシも取っていないから「不味(マズ)いな不味いな」とボヤキながらも笑って飲んだ。

鍋ではないけど、微妙なのが1人400円予算の時で、そういう宴は酒以外にキャベツとポテトチップス、マヨネーズを買って来る。ポテトチップスの袋を背中から広げて皿にして、そのふちにマヨネーズをたらして、チップスとキャベツをつけながら食べる。キャベツは手でちぎって食べるのだけど段々と皿の真ん中で小さくなっていく。そんな具合だから、キャベツが小さくなってきた頃に、仕送りのサバ缶などスポンサーする者がいたら崇(あが)め奉(たてまつ)られた。

あの頃はいつも金がなかったけれどよく飲みよく笑っていた。良き人生を送っていたのだと思う。そして今も、たまにでも学生時代の仲間と会っては、笑って酒を飲めることに心から感謝せねばならない。

目の前では親父がオコゼの毒で手が腫れた話をチカラ強く語っている。

ボクはスーパードライをグイッと飲み干し、箸でオコゼを4、5切れ豪快にすくって口に放り込んだ。