フリーペーパー泥棒(後)

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フリーペーパー泥棒の張り込みの金曜日もあいかわらず慌ただしい。

朝は日本や米国内からのインターンの学生たちに、仕事やキャリアについて話をする。「人と比べない、自分のモノサシで生きよう、自分の持っているチカラを信じよう、謙虚であろう」「20歳代にこそ許されること/知らないが許される10年、甘えて懐に入れる10年」そんな話を2時間くらいした。

この日は講演の2階建て。

夕方から米国住友電工のみなさんが来社。
こちらは若手社員から社長まで幅広い年齢層の大人に向けて一時間半の講演。
創業から現在までの話や、生き方とかキャリアについて話をさせてもらった。

みなさん、最初はけっこうガードが固かったけど、途中からよく笑い、よく頷いてくれた。多くの方が熱心にメモを取ってくれて、終わった時にはこっちも全身が汗でビッショリだった。

講演後はそのまま幹部の方たちと会食に流れた。

今晩の見張りに備えて、「軽く」のつもりが経営談義に花が咲き、いや燃え上がり、果ては天下国家の話になって、時計を見たらいい時間になっている。急いでマッサージに飛び込んで眠気を吹き飛ばす。

待ち合わせ場所には防寒着を着た青木くんが先に待機していた。

午後11時から午前の3時半を目安に張り込みをする。

そう言えば、青木くんとはお互いにいつも忙しくてじっくり話す時間もなかった。
話す時は必ずと言っていいほど、目的とお尻(何時まで)がハッキリしているから潤いもなければ遊びもない。

だから青木くんに限らずだけど、仕事以外のバカ話をするゆとりが十分なかった。そういうふだんからのコミュニケーションを取っておくことが、実は信頼関係を築くうえで大切なんだけど。

そんなことで4時間余りバカ話ばかりして過ごした。
青木くんが人気のマジシャンのネタを口で説明してくれるのが可笑しかった。

交通量は午前0時を過ぎ、2時を過ぎると段階的に少なくなる。一方、パトカーは12時を過ぎて、とくに1時から2時の間が多かった。

トラックやバンが来ると、青木くんはビデオカメラのスイッチを入れて、ボクはラックの辺を凝視する。と、一部ずつピックアップして帰っていく。こんな真夜中にピックアップに来てくれる人がいるのだ。

フットボール選手のような二人組が、トラックでラックのあたりに来ると思わず身構え、通り過ぎたら胸を撫で下ろした。アイツらじゃなくて良かった。

おしゃべりをして、温かいお茶をすすっていたら、何だか夜釣りに来ているようだ。
3時を過ぎると車もほとんど通らない。

LALALAのみなさんに告げて、3時半には店じまいをしてその日は諦めることにした。瀬尾さんは怪しい車があるのでもう少し粘ってみるとのことだった。

ボクの車がパロスバーデスの坂を登り切ったあたりで携帯が鳴った。

「コミヤマさん、捕まえました。やはりJでした」

そのまま音を立ててUターンして現場に向かった。この時ほど、無人の交差点の赤信号が歯痒かったことはない。

現場ではパトカーが3台、Jのバンを囲むような形で停めてあった。

Jのバンには英語圏の無料誌が30センチの高さほど埋めてあって、その上に、今盗み始めたLALALAやライトハウス、その他の日本語情報誌が無造作に散らばっていた。そして思ったより大柄でヘアバンドを巻いた日系人のJは、みんなの監視のもと、情報誌をもとのラックに戻していた。

メンバーの顔が浮かぶ。

「許さん」

Jを両手で鷲掴みにして2、3回揺すって、その後に力一杯突き飛ばした。
自分でも驚くくらい、Jは数メートル向こうに飛んでいった。

次の瞬間、

警察に囲まれたのはボクだった。

「ジェイルに行きたいのか」
「ジェイルに行くのはオマエだぞ」
「落ち着いてくれ。怒りはわかるがそれはいけない」

「ビジネスマンがこんなくだらないヤツのためにジェイルに行ってはならない」

深呼吸をして、警察と握手する。

確かにそうだ。ジェイルに行ってる場合じゃない。

その場で森さんたちとこれからの対策を打ち合わせる。今後は、Jが二度と過ちを繰り返さないよう、また自分たちのメディアを守るために、コブシではなく、法律によって解決を目指したい。

みんなと解散したのは4時半をまわっていた。
まだ暗い道を走らせながら、自分たちのメディアは自分たちで守らねばと思った。
そしてこれまであまり意識したことのない、同じエリアの他メディアへの連帯感や愛情が湧いてきた。