3世代で過ごすハワイ

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ガス欠から一夜。2度あることが3度あっては困るガス欠だが、自分だったらやりかねないと諦めることにした。潔く。

自分は何かに集中すると他のことがさっぱり留守になる。アポイントのドライブでふと気がつくと果てしなく遠くの町を走っていたりする。同乗者がいて「次が降り口ですよ」「わかった」と答えながら、数秒で頭が他に行って、キッパリ通過してしまったりする。同乗者は新鮮な驚きを感じているだろう。あまりこんなことばかり書いていると、中にはスタッフも読んでいて転職の準備など始められると困るから話題を変えたい。

先月はハワイで会合があって、それに合わせて日本から家内の両親、ロサンゼルスに暮らす父親、そしてわれわれ家族で集結した。サーファーたちが愉しげなワイキキの海を見下ろすコンドを借りて7人3世代の合宿生活は始まった。

サプライズの一環として、平均年齢が70歳を超えるシニア3人にはあろうことかバナナボートやパラセーリングを体験してもらった。モーターボートで引っ張ってもらっているバナナボートでは勢いあまってダイナミックに転覆。ライフジャケットで仰向けに流される義母を追いかけ、ボートの底で海水をシコタマ飲んだ親父を慰めたりした。その後の写真はみな表情が固い。

ある日はダイヤモンドヘッドを登ったり、ハナウマベイではシュノーケリングで原色の熱帯魚を眺めたりした。毎日のように囲む大人数の食卓はどのテーブルよりも賑やかで、また温かなテーブルで、みんなの笑顔を見ながら至福の時をかみしめた。子どもたちが逞しく成長する一方で、親たちは確実に老いていく。それを止めることは誰にもできない。せめて、生きている間に少しでも多くの楽しい思い出を共に刻みたい。

創業する前の88年の冬、私は家内の両親に手紙を書いた。

自分はこれから起業するが、自分の生活すら心もとないこと。先で露呈するのが嫌だから正直に話すと複雑な家庭環境で育ったこと。まもなく両親は離婚するであろうこと。だけど結婚を前提にお嬢さんとおつき合いさせてほしいということ。誰にも負けないくらい大きな夢があること。だけど、それはまだ自分には何なのかわからないこと。

その手紙を受け取った義父は倒れてしまった。正直すぎたことを悔いた。

あれからもうすぐ18年が経つ。義父とは世界でベスト100組に入るくらい仲が良い。いつか成功して一番喜んでもらいたい人のひとりだ。

ハワイが初めての父は、ベランダから朝に夕にダイアモンドヘッドやワイキキの海を眩しそうに眺めていた。毎日の暮らしでは、近ごろ耳が遠くて同じ話ばかりする父親をつい疎んじてしまったり、大切にできないことがある。自分のことを棚にあげて、酒が過ぎる父に口うるさくなってしまう自分がいる。時々そんな自分がすごく嫌になってしまうことがある。ハワイに来ても快調に酒ばっかり飲んでいる父に複雑な思いでいることは変わりないのだけど、せめてこの休みの間は嫌なことを言うまいと口をつぐんだ。

楽しい時間はあっという間に過ぎる。

空港からはそれぞれ日本とロサンゼルス、反対方向に発つ。別れる間際、家内の両親はこんな幸せな人間はいないと喜んでくれた。ふたりとも目のふちが赤いので、こっちもついつられてしまう。押されたらボロッと零(こぼ)れそうでこういうシーンはいつも苦手だ。家内の方はなぜかアッケラカンとしていた。