日本出張(前編)

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この原稿は7月の週末、息子の剣道の合宿をやっている体育館から。

息子はトーランス市の剣道場に所属する豆剣士で、789日の週末、筑波大学から先生を迎えて稽古をさせてもらっている。リーダー格の鍋山先生は日本選手権に10回出場、日本で3位になったこともある達人。同行の奥さんはやはり女性の部で優勝経験を持つ女流剣士。こういう方たちから直接指導を受けられるのは本当にありがたい。

南カリフォルニアだけで何十という道場があるけど、とりわけこのトーランスの道場は先生方やそれを支えるお母さんたちが熱心で、多くの大会では各部門トーランス道場の剣士が軒並み上位に名前を連ねる。またお兄ちゃんたちが驚くくらい下の面倒を見てくれる。言語は英語で人種も様々だけど、みなとても礼儀正しい。昔の良い日本がここにあるみたい。

さてブログの更新は約一ヶ月ぶり、出張で日本に経つ前以来。その間の様子を書いてみたい。

614日(水)

夕刻、成田到着。

梅雨ど真ん中。覚悟を決めて来るも幸い晴れ間も見える東京の空。

日比谷の帝国ホテルにチェックインをして、ロンドン駐在や留学をしていた仲間たちと懇親会。ライトハウスのヨーロッパ進出について意見をもらう。2001年のニューヨークのテロの際、日本からの研修(ライトハウスは出版以外に日本の大学・専門学校向けにアメリカでの研修プログラムを提供している)がすべてキャンセルになった苦い経験から、アメリカでテロが再発した時に備えてヨーロッパにも拠点を設けるべきか検討しているのだ。

意外だったのは、911以降アメリカに限らずヨーロッパでも同じ現象があって、観光客は激減し、修学旅行なども中止や国内切り換えが多かったという。日本に住んでいると「外国」は「外国」らしい。またロンドンの威光もかつてほどはなく、駐在員を減らして現地化する企業が多いという。実際のところは現地に飛んで自分の目と足で確かめよう。

615日(木)

午前5時起床。フィットネスルームで一時間たっぷり汗を流し、今日のアポイントの予習。

この日は終日、日本のフリーペーパー事情に詳しい物流会社の中川氏、中国4都市で情報誌を発行する大西氏、サンフランシスコ、バンコク、ロンドンで情報誌を出す小野里氏の4人で、中川氏が本社を構える池袋サンシャインで終日ミーティング。

みな創業社長だけど40歳前後と若い。各地の様子や成功事例、失敗事例の情報交換する。お互い力を合わせたらどんなビジネスが可能か。それぞれ強みや独自のノウハウを持っていて学ぶところが多い。私個人は、共有の世界サイトを立ち上げ、そこでは職業軸、地域軸で多種多様な職業の成り方、要件、適性、やりがい、収入、難易度などを情報発信することで、これから留学を考えている人を含め、日本人が早い学齢から天職や適職を海外にも広げられる情報環境を創りたい。

夜の会食は話題の「ちゃんこ 若」で。焼酎片手に鍋をつつき熱く夢を語る。勢い年商100億円を越えるのを競争しようと。達成者は何番目でも他のメンバーをヨーロッパクルーズに招待する約束。そうだ、その時はメンバーも連れて行こう。

616日(金)

朝、世界で活躍するジャーナリスト協会を主宰する森氏とホテルで会食と情報交換。

日経新聞の中国支社副社長の市瀬氏の紹介で、元ロサンゼルス支局長をされていた方。昔、ライトハウスを読んでくれていたそう。情報誌の発行を検討されているので、経営的な視点でアドバイスをさせてもらう。ライトハウスのコンテンツ強化でも将来接点が出てきそう。

この日は終日青山のシティクラブでミーティングの続き。何本かの具体的なプロジェクトと宿題をお互い持ち帰る。

大阪入りしてリクルートの学び事業部の責任者中元氏、高野氏、三浦氏と会食。教育事業を99年に立ち上げたときから長年バックアップをしてくれていて、ライトハウスの想いや目指すものを最も理解してくれている仲間たちだ。同世代の彼らのおかげでたくさんの学校との取引が広がった。恩人であり戦友のような存在。グルメでもある高野氏が二件目に地酒のショットバーに連れて行ってくれた。オーナー夫婦がこしらえる珍しい酒肴と思い出話で夜は尽きない。

619日(月)

週末は鹿児島、福岡のクライアントと面会。鹿児島ではクライアントが持つホテルの幹部の方に「仕事と人生」「マーケティング」をテーマにお話をさせていただく。後日、オーナーから「スタッフが自発的に商店街など営業に出るようになった」と感謝のメール。こんな風に想いが伝わるとうれしい。人生は一生懸命取り組まないともったいない。

この日は朝からパートナーの高畠といくつかの学校の企画会議に参加。午後の新幹線で再び大阪へ。一本でも早く次の目的地に着くために、あるいは多くの場合ミーティングが白熱して予定時間をオーバーするから駅ではしょっちゅう走っている。40歳になって重い荷物を斜めに持ち上げてエスカレーターを駆け上がるとは思わなかった。

余談だけど、それで名古屋から新大阪の便に間一髪飛び込み、ニコッと笑ったら東京行きに乗っていたりすることもある。そんな時は新横浜でシュウマイを土産に買って4時間の遅刻を詫びる。

この夜の会食は、元リクルートの役員で今は後進の指導をしている蔵野氏、大阪の印刷協会の会長の南氏と。南氏は元インターンの南君のお父さん。筑波のラグビー部出身で、一代で従業員200人を抱える印刷会社に育てた素晴らしい経営者。会話が隣のビルまで聞こえる。上背があり目方は120キロオーバー。還暦間近で私の3倍以上食べる。「節制してても死ぬときは死ぬ」という持ちネタで霜降り肉をガンガンおかわり。お二人の掛け合いに腹を抱えながら北新地で二次会。帰りのタクシーの運転手が「おかげさんで大阪も景気がようなってきましたわ」

620日(火)

8時半からライトハウスの財務のアドバイザーで、本誌コラムでもお馴染の奥村先生と大阪の事務所で面会。

その後、新幹線に飛び乗り岐阜のクライアントの専門学校へ。着いたら、理事長自らのお出迎えに心が温まる。学校ではなんと学生を集めて待っていてくれた。美容師を目指す学生たちに「夢と仕事」をテーマにお話をさせていただく。「夢を持って。そして夢には目盛りをつけて」キチンと届いただろうか。その後、教職員の方たちと順番に記念撮影。うれしいけど恥ずかしい。会食後、名古屋へ移動。いったんチェックインをしてトライデント専門学校へ。じっくり今年の研修の作戦会議。

最後は、今春まで中京大学の国際英語学部の学部長で、現在は大学院の責任者になった境教授をお訪ねする。今では中部地区一、二の英語学部と評価される同学部とは、遡ること学部の開設前から関わらせていただいてる。今思っても、日本で何の実績もないライトハウスの研修を「募集の切り札に」と推薦してくれたリクルートのメンバーたち、そしてそれを信頼して採用してくれた境教授や将来の理事長の梅村教授には言葉に尽くせないくらいのご恩がある。

ミーティングを終えて、境教授馴染みの寿司屋「気楽」で高畠と三人、今夏の研修成功を祈って乾杯。同学部からは夏に冬に毎年たくさんのインターンシップ生を預かっている。

境教授の頭の中には学生の幸せしかない。天職適職につかせたい、しあわせになってほしい、そういう言葉が小さな身体から自然と出てくる。世代も立ち位置もちがうけど同じ想い、同じ方向を向いているんだと思う。熱い酒に少し飲みすぎ。帰りのタクシーの窓を少し開ける。6月の生暖かい風が頬を撫で生きている実感。この屈強な身体が動くうちに世の中を前に動かすような仕事がしたい。

621日(水)

高畠が持つ中京大学のキャリア講座でゲストとして話をする。ライトハウスのインターン生だった懐かしい顔があちこち混じっている。元気でうれしそうな顔を見るとこっちもうれしくなる。みな事前に驚くほどライトハウスについての予習をしてくれていた。後からのレポートにも両面ギッシリ感想を書き込んでくれている。

「真剣に生きようと思った」「ムダに時間を過ごしてはいけないと思った」「家族を大切にしようと思った」伝えたかったことを真っ直ぐキャッチしてくれたようで心底うれしい。

東京に移動。

青山のシティクラブで、ロサンゼルスジョブフェアを主催している大川氏とミーティング。今後アメリカでの事業構想を伺う。同氏は30歳ちょっとの若さだけど「あの国でこれがやりたい」など留学系情報誌では最大手の会社リーフエイジの幹部。いろいろ学ぶところが多い。

622日(木)

午前10時、東京大学でアメリカでのリサーチの途中報告。ロサンゼルスと電話をつなぎメンバーの川嶋も参加。詳細をここでは書けないけどワクワクするようなプロジェクトに関わらせてもらっている。このことはいつか報告したい。

午後も取引校をまわる。夜は西麻布の「まどい」で奥村先生、若き事業家で親友の水谷氏と合流。 8月からライトハウスの教育事業「ライトハウスCP」と日本のパートナー高畠の「キャリアエンカレッジ」を統合して日本に本社を構える。この会社でリクルートを超える教育事業を目指す。それにあたってこれまで何社も上場企業を輩出した奥村先生と、やはり20歳代から年商数十億の会社を2つも創り上げた水谷氏のアドバイスをもらう。

623日(金)

中川氏の引き合わせで、東南アジア12拠点に物流拠点を持ち、同時に情報誌を各国で発行する森氏、それと物流会社をやっている松下氏と御殿場で富士山を眺めながらのゴルフ。

運動不足だったのでできるだけカートに乗らず走ってラウンド。汗を思い切りかいて気持ちが良い。ラウンドをしているうちにお互い打ち解けてくる。森氏は「アジアの雄」と噂に聞いていたが、会ってみると(格好や言動は濃すぎるけど)気持ちの良いおっちゃんだった。日が落ちて、箱根の温泉につかる頃にはすっかり仲良しに。それぞれの国の様子について深く情報交換する。国や地域によって進出企業の顔ぶれも、そこに暮らす日本人のバックグラウンドもずいぶん異なるものだと改めて知った。

社長の集まりではふだん口にできない経営課題や悩みがよく交わされる。そんな時、お互いに一生懸命アドバイスをしたり自分の失敗談をオープンに語り合うことが多い。

経営者の悩みで多いのが、長年勤めている人間を昔からの流れで重要なポジションに置いてはいるが、会社の伸びとともに採用環境が良くなり、後からもっともっと優秀な人間が入って来て、業務の難易度も上がり、その人間がお荷物になったり、弊害になってしまった時どう処遇したらよいか。多くの場合、いっしょに苦しい時期を乗り越えたかわいい社員だから判断が鈍ったり先延ばしになり、結果として後から入った優秀な社員が愛想を尽かして会社を去ったりする。

18年近く会社をやっているから、そういう悩みをよく聞かれる。

そんな時答えるのは、まず徹底的な現状の分析をすること。事実を徹底的に洗い出すこと。そのうえで、そのポジションを任せておくことがマイナスであれば、本人と膝を詰めて話し合い、理解してもらい、そのうえで降格させるか部下を持たない仕事に就かせるように勧める。管理職には一番人望が厚い人間を、多少経験が浅くても就かせるべきだと思う。

そのうえで・・・。

その後も空気を下げるようであれば辞めさせるようアドバイスする。酷なようだが経営はサークルではない。管理職には一番熱く優秀な人間が就かなくてはメンバーが腐るし組織も蝕まれる。経営者が生やさしいジャッジをしていたら会社そのものが引っくり返る。そうしたら個人の犠牲ではなく、社員や関わる全ての人の家族にまで影響が及ぶ。管理職は、質はもちろん誰よりも働かなくてはならない。管理職はそういう厳しい立場に晒されているけど、だからこそ管理職なのだと思う。管理職の立場に胡坐をかいたり、その立場にしがみつくことは許されない。常に会社の成長より早く伸びなくてはならない。会社の成長に追い越されたときがそのポジションを明け渡す時なのだ。

実は多くの場合、相談する経営者本人もそんなことわかっているのだ。ただ背中を押してほしいのだ。

余談だが、ライトハウスでは今年から360度査定を導入する。

上司から部下だけではなく、私がメンバー全員からヒアリングを行うことで「上司>部下」「部下>上司」「管理職同僚>管理職同僚」という360度の意見を元に管理職の仕事を立体的に判断する。それは管理職が常に自分を磨き続けるためであり、風通しの良い組織を創るためだ。

この合宿で中川氏のアドバイスが響いた。

会社を大きくするときに「何を“やらないか”を決めることが大切」だという言葉が響いた。これまで曖昧にしてきたことをすべてクリアにしようと決断する。やるべきことはなんだろう、やらないべきことはなんだろう、考えているうちに深い眠りに就く。