フィールドオブドリームス

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昨晩は11歳になる息子のリトルリーグ開幕前のチームミーティングに参加。これは毎年の恒例行事で、(同じチームの選手の父親でもある)監督の家に父兄が集まり、シーズン前に監督の初心表明があったり、同時に役割分担を決める。

押し気味のオレンジカウンティの営業同行から車を飛ばし、時間ギリギリで到着。ネクタイを締め直して、監督宅のドアを開けると、よそのお父さんたちはみんな着いていて始まるのを待っている。ひとりひとりに握手をして自己紹介。何とか間に合って良かった。(これって、毎年新学期に行われる新しい担任の先生と父兄間の「始まり」もいっしょで、新担任は自己紹介や教育に対する考え方、取り組み方、クラスの運営方針を、それこそ身振り手振りを交えて、自分の思いを伝える。もちろんキチンと目を見て。そうやって、直接コミュニケーションを取ることで、父兄全員とブレがないよう最初にガッチリ握る)

この地域の少年野球は、10歳までは学齢ごとのリーグが存在し、毎年ドラフトのような仕組みでチームを新たに構成する。通常、2月に新チームでの顔合わせや練習が始まり、新監督と新しいチームメイトのもと、3月から5月までの30試合近いリーグ戦を戦い抜く。

息子は今シーズンで6期目。
リーグで一番身体が小さいのだそうだ。

青い目の新監督は、私のフィロソフィを聞いてくださいとゆっくり語り始めた。「まあ、ひとつよろしく」ではなく、自分が“そもそも大切にしていること”をキチンと伝える。

説明を聞きながら、自分の少年野球時代の暗くてザラザラした場面をふと思い出した。


最終回裏、2アウト。ランナーは1、2塁(緊迫してるけどタダの練習試合)。味方チームのバッターは、小柄だけどチームで一番頼りになる監督の息子Nくん。が、2ストライクからのバットは大きく宙を切り三振。あと一歩でゲームセット。

とその時、審判も兼務していたアホ監督は、バッターボックスのNくんに鬼の形相で飛びかかり、延々殴る蹴るを始めた。Nくんは赤い顔を歪めてじっと耐える。誰も止めない。誰も咎めない。グラウンドには後味の悪さだけが残される。

そういうシーンが昭和50年前後の四国のグランドでは日常的に許されていた。

たぶん、当時の少年野球にとって「勝利」が第1優先だから、レギュラーは上手な順番で、下手くそは永久補欠のまま出番なし。出られないし、球拾いが面白くないから辞めていく。エースの肩の寿命を考えてくれる監督はどれほどもいない。


勝つためにはその代償として「苦労」「犠牲」「傷み」「忍耐」が要求され、それは仕方のないことなのだ。・・・と、思っていたけど、アメリカの少年野球に触れて考えが変わった。やっぱりどこかおかしい。「鬼コーチ」とか「地獄の特訓」とかって、実際どうなんだろう。もし、全国の監督がそのスタイルをモデルにしているとしたら、星一徹(巨人の星)はつくづく業が深い。

ここでは、子どもたちが毎シーズン心から開幕を待っているし、大人たちは自分たちがそうしてもらったように、最高の舞台を仕込み、最高の環境を運営していく。

仕事では弁護士だろうが医者だろうが、早起きして飾り付けもすれば、ホットドッグも焼く。走って球拾いをするし、トンボ(グランド整備道具)を日が暮れても引っ張る。

大人たちが少年野球で大切にしていることは、子どもたちが「人生の中で、幸せな時間を過ごせること」と「スポーツを通して、心身共に逞しく成長すること」だ。だからどのチームも勝利や優勝を目指すけど、エースも下手クソも、均等に打席が回るし、守備の機会が与えられる。肩を壊さないように、エースでも半分のイニング数以上を投げてはならない規約がある。

毎打席必ず三振する下手クソの子の打席も、大人も子どももみんなが応援する。決してバカにはしないし、そういうことはとても恥ずかしいことだと知っている。偶然にもヒットがでたら、みながコブシをあげて歓喜する。そんなとき、鼻の奥がツンとする。隣のオヤジも鼻の頭が赤かったりする。

練習は激しくも緻密に計算されている。

子どもたちは常に、打つ、投げる、守る、走るで身体を動かしている。気持ちが入っていないと、「言葉」でカツを入れられるけど、失敗を監督やコーチが責めたり、親が叱るのなんて見たことがない。

どうしようもないことは決して叱らないし、むしろ果敢に褒める。空振りしても「ビ〜ッグスィング」「グッドトライ」という褒め言葉がある。

人は誰だって、褒められた方がやる気になるし、長所を見つけてほしいもんだと思う。叱られてやるより、ヒーローになるためのほうが頑張れると思う。

だから、毎試合、毎練習、子どもたちはグランドに着くと一様に、緑のフィールドを笑顔で走ってくる。「ベースボール」は決して、訓練やガマンではなく、子どもたちのその輝く人生を(大人たちのたいへんな裏方によって)豊かにしてくれるためのものなのだ。

お腹が「ぐるる〜〜〜っ」と鳴ったあたりで監督から「なにか質問はありますか」。(おいおい、ぜんぜん聞いとらんかったよ)

「では、みなさんに役割分担をします」

まわりのケビンコスナーみたいなお父さんたちが競って手をあげた。

【込山洋一】