南米親子旅 その5

NO IMAGE

イグアスの二日目。
約束の9時にタクシーのガブリエルとその仲間がホテルに迎えに来てくれた。両親も親父も食欲があるし、睡眠もしっかり取れているようで体調は良い。ありがたい。

走り出して10分ほど。国立公園を出たところで、いきなりデモで道が封鎖されている。ガブリエルが事情を聞くと、新しい教育の法案に反対して、地元の親子が一本しかない国立公園への道を塞いで抗議しているのだ。

旅では思いもよらぬことが起こる。焦っても仕方ないので、ガブリエルとおしゃべりをして待った。

「ひとりでジャングルに入るなよ。ここにはピューマもヒョウもいる。コブラもいるから。それもたくさん(ムーチョ)」

「パラグアイでは、ヨウイチのブレスレット(金)やお父さんたちの時計は外しておけよ。狙われるから」

「このあたりの家は50×30メートルくらいの敷地の家が15万ペソ(5万米ドル)くらいする。とても手が出ないよ。あと、車はものすごく高い(だからあまり走っていない)」

「オレの奥さんはカジノで働いている。(誇らしげに)もうディーラーを10年もやっているんだ」

人懐っこいガブリエルとはすぐに心が打ち解け、話も弾んだ。また彼は両親のこともよく気遣ってくれた。

幸いデモは30分くらい経った頃にいったん解いてくれた。

ほどなく、ブラジルとアルゼンチンを隔てる大きな川に架けられた橋を渡る。橋のまん中までがアルゼンチンカラーの青と白のストライプ、まん中から向こうはブラジルの黄色と緑のストライプ。

「おとうさん、おかあさん、ここが国境ですよ。ほら、色がここから変わるでしょ」

橋から眺める、イグアスの川がふたつの大国を分けるダイナミックな風景に目を奪われた。本当に自然が素晴らしい。

ブラジル(ビザが必要)で入管を済ませ、車はさらに隣国のパラグアイを目指して走る。

川沿いの道に入った時、あの対岸がパラグアイだとガブリエルが説明してくれた。

初めての国への上陸はいつも胸が躍る。

パラグアイとの国境もやはりイグアスの川が隔てていて、大きな橋で国境を越える。こちらの国境はやたら混雑していて、自動車の合間を3人乗りのオートバイや、ありえないくらい大きな荷物を前後の荷台に積んだ自転車、いかにもパチもん(ニセモノ)という物売りが狭い橋の上を行き来している。怪しく人間くさいところが面白い。

橋を越えるとそのまま道沿いが商店街になっていて、地面いっぱいに物売りで溢れかえっている。なんかメキシコのティワナの雰囲気にも似ているぞ。

ガブリエルが車を路肩に停めようとすると、馴染みらしい二人の少年が手際よく誘導して、(駐車中に室温が上がらぬよう)フロントガラスに大きな段ボール箱をかけてくれる。なんでも商売になるんだなあ。

ガブリエルが薦める電気屋(この町は電化製品がエラく安いらしい)に行くために雑踏の中を歩く。ボクはひったくりに遭わぬよう、義母のハンドバッグと自分の腰巻きバッグをシャツの中に入れて、その上からさらにパンツをたくし上げて履いたものだから、姿勢の悪い妊婦のような格好になってしまったが安全第一なのだ。

道ゆくパラグアイ人に笑われながら、2、3の電気屋を回って、弟がカメラを買った。ガブリエルは後から店に引き返して、どうもキックバックをもらっていたようだけど、実際3割くらい安い感じがした。すべてにおいてわかりやすいのだ。

少しドライブをして再びブラジルへ。

昨日は川からイグアスの滝を眺めたけど、今日はブラジル側から陸路で滝の真横まで行って眺めるのだ。

ブラジル側のナショナルパーク入口に車を停めて、公園内の専用バスに乗って川沿いにアマゾンの道を走る。途中下車して、1キロ余りの道を歩いて滝に向うと、だんだんと滝の風景と轟音が大きく迫ってくる。




真横から眺める滝のスケールは圧巻で、ナイアガラとは比較にならないスケール。
感動した義母が「こんな素晴らしいところに連れて来てくれて本当にありがとう」と喜んでくれた。義父は「本当にスゴい。本当にありがとう」と笑顔を弾けさせた。

思わず鼻の奥が熱くなって泣けそうになった。今回の旅で何度も思ったけど、本当に来て良かった。

何枚も記念撮影をして、父親に目を移すと、そろそろ行こうというやというさっぱりした顔で待っている。何か期待したボクがバカだった。

この日はまだドラマが待っていた。

ブラジルからの帰路、なんと道路がまだデモで封鎖されていたのだ。ラジオではあと3時間も通行できないと言う。

本当はホテルに戻って、アルゼンチン側からも歩いて滝を眺めたかったのだけど叶いそうもない。

こんなときは気持ちを切り換えるに限る。

ガブリエルの勧めで、近所のカジノを攻めることにした。

ボクはそれほどカジノが好きではないけど、ラスベガスなどで1年か2年に一回、義父や弟とブラックジャックのテーブルを囲んで、勝った負けたと騒ぐのは大好きだ。義母も、ボクといっしょなら義父のギャンブルを容認しているようだ。

カジノは予算を決めないときりがない(そもそ

も経営者がギャンブルにはまったら会社が傾いてしまう)。ボクは勝っても負けても必ず線を引いて、だらだらやらない。集中力が続くせいぜい30分が勝負だ。

逆に、年に一回くらいのギャンブルだけど、ほとんど負けることがない。

この日は、義父と弟は100ドル、ボクは200ドルと予算を決めて、最長でも40分で止めることにした。義母と父親はゲームに参加しないけど同じテーブルには座らせてもらえた。

豪華なカジノで、チグハグな軽装の親子がテーブルを囲んでいて不思議な光景だったと思う。

30分後、ボクは元本が2000ドルになったところですぱっと止めた。義父もアガリで3連勝して800ドルですっぱり。雄三は粘ったけど、親父に「あと何分」と時間を聞かれたあたりから運が逃げ、ひとりマイナス100ドル。

それでもチームとしては圧勝で、大笑いでカジノをあとにした。

その夜、笑顔が収まらない義父と「デモのおかげで小遣いがいっぱいもらえたね」とアルゼンチンでの大勝を祝って乾杯した。

ワインとごちそうが並んだオープンエアのテーブルには、南半球の星座が今にも降ってきそうだった。この景色を子どもたちにも見せてやりたいなあ。

遠くで滝の音が聞こえている。