マヌケのむこうの別世界

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車のドアをロックアップするようなヤツは、トンマとかマヌケのそのさらに向こうにいる別世界の存在だと思っていた。

驕りであった。

夕方、運転しているところへ副社長の片山から携帯に電話。

「ちょっと待ってろよ。トランクのカバンにアドレス帳があるから。一度パーキングに車を停めるよ」

片山が急ぎで連絡を取りたいという方の電話番号を知らせるために、ボクは車を道沿いのモールのパーキングに停めて、素早くトランクを開けてカバンの中のアドレス帳から番号を読み上げた。

「オッケイ、じゃあしっかりな」

バタンとトランクを閉じて、再び車に乗り込もうとすると、あらまぁ、車をロックしているではないか。

習慣でロックしたのだろう。

そこでも事態を呑込めていなくて、ポケットをまさぐる。

が、空っぽ。

中空を見上げながら、今度はトランクを開けようとすると当然ながらロックされている。

ここで大きく息を吸って、再びポケットをまさぐった時、事態の重さに初めて気づいた。

「これがロックアップか」

気を取り直してカミサンに電話すると、

「スペアキーなんてないよ。アナタ前に日本に行った時にカバンごと無くしたじゃない」

そうだった。カバンごと無くしたんだ。

メルセデスはトラブルが起きても、車内の「SOS」ボタンを押すと、瞬時に衛星でオペレーターに繋がり、冷静沈着、どんなときもどこにいても助けてくれる。

パンクをした時も、フリーウェイでガス欠した時も、いつだって迅速に駆けつけてくれて、そのブランドへの信頼に応えてくれた。

だけど、だけど、そのボタンは近くて遠い車の中だ。

そうだ!

AAA(トリプルエー)がボクにはついている。

電話して30分余り。あたりが闇に包まれた頃、AAAのトラックが現れた。

もう漂流先の無人島に待ちかねた救助艇が来てくれた思い。

中からギャングっぽい黒人のでかいアンちゃんが出てきて一瞬たじろいだけど、良いのだ、トランクが開いたら。

期待の視線の中、近代的なツールが出てきて、デジタルっぽく解決してくれるのかと思ったら、薄い下敷きのような板をドアとドアの間に挟み込み、拾ってきたナイロンのような紐を隙間から通している。それを器用に操って、ドアロックのポッチに引っ掛けて引っ張り上げようとしているのだ。まるで車の窃盗。こいつ、本物の元ギャングではなかろうか?

そのうち、

「お前、ここを持ってろ」

とブラザーのアシスタントをするはめに。

AAAのトラックがそこになかったら、いっしょに窃盗してるみたい。

2、30分奮闘してくれたけど、結局この兄ちゃんには開けることができなくて(そりゃそうだろ)、別のAAAの助っ人にSOSをしたらさっさと帰っていった。

ボクは明後日から出張だというのに、トランクに入ったままのパスポートや航空券を取り出すことはできるのだろうか。そうだ、キャッシュを入れた封筒もカバンの中だった。

しばらく待って到着した二人目のアンちゃんも、いかにもヤンチャというかギャング風で、やはり同じやり方でドアを開けようと試みている。

このやり方ではキビシイだろうなあと別の対策を考えはじめた頃、闇を切り裂くアラームの音が響きわかった。

やった、開いたのだ!!やったぜベイビー(古い)

アンちゃんに喜んで駆け寄り、車の内側からトランクを開けるボタンを引いても、一向にトランクは開かない。

えっ!?

盗難防止機能が働いてくれたのだろう。いや、なんて頼もしいセキュリティ。オレ、持ち主だって。

気を取り直して、SOSのボタンを押して、メルセデスのオペレーターにつなぐ。

ここまですでに2時間。

エライなあと思うのがオペレーター。

SOSボタンを押す時はみな楽しい気分では決してなかろう。そんな時に、明るく自信に満ちた声で対応してくれると、地獄に仏、本当にありがたいもんだ。

この日も、明るく頼もしいオペレーター女性が、手際よく最寄りのメルセデスのメカニックにコンタクトをとってくれた。

それを確認して、AAA2号のアンちゃんは「グッドラック」と笑顔で去っていった。
こいつも良いヤツなんだ。人の情けが心に沁みる。

時計の針が午後10時を刻む頃、隣にどうやら彼女を乗せたメカニックが颯爽と到着した。

日系人のそのアンちゃんは愛想笑い半分で、懐中電灯片手に後部座席にもぐり込む。

そしてものの1、2分で「バターン」とトランクは開いた。

駆け寄ってトランクを覗き込むと、あったあった、カバンの横に車のキーが鎮座しているではないか。おぉ、愛しいカギよ。もう二度とロックアップするヒトをバカになんかしません。人の失敗も茶化しません!しばらくは。

腰に手をあててダンスを踊ろうかと思うくらいうれしかった。

「困ったらまた電話しな」と走り去るメカニックにいつまでも手を振った。

そして遅くに帰宅したボクは、トランクが開いた祝いに静かにひとりシャンパンを開けた。