相槌を打ちつつ

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0月26日日曜日の朝。

ボクは、友人で大先輩のSさんに会うために、博多に向かうひかりレールスター号に乗っている。Sさんは仕事においても、LCEを応援し、また期待にしてくれている大切なクライアントでもある。Sさんが責任者を務める専門学校で、スタッフや学生選抜のみなさんに「元気が出て、夢を思い描ける話」をさせていただきそうなので、熱い想いと応援メッセージを送りたい。

旅で移動が多いボクは、車窓を眺めながら文章を書いたり、構想を膨らませるのが好きだ。また読書も、ベッドや書斎より移動している方が楽しい。

時々、あぜ道を散歩する親子に目をやったり、富士山に目を奪われたり。

昨日から今朝にかけて、城山三郎さんの「そうか、もう君はいないのか」(新潮社)を読み終えた。

筆者が逝く6年前に先立った夫人との出会いから見送りまでの歳月を綴った回想録。夫人への溢れるような愛情を、あえて淡々とおさえた筆致で綴っていく。

読み進めるうちに、やがて自分たち夫婦が重なり、ラストシーンを読み終えたボクは、まだ夜が明けぬ始発のマリンライナー(高松−岡山)でひとり声を押し殺して泣いた。いや、お恥ずかしい。最近涙もろいみたい。

鼻水が止んだ頃、カミサンと出逢った頃とか、勝手気ままにやらせてもらったこの20年を思った。

「良いダンナさんね」と稀にいわれることもあるようだけど、決してそんなことはなくって、ボクはこれまでの結婚生活の、いや人生のほとんどの時間は、唯我独尊で、我田引水で、見通しが甘くて、依頼心が強くて、どうしようもない人間だったと思う。

今もまともではないけど、それまでの生き方や自分を恥じて、まっとうに生きようと思えるようになったのは40になってからだ。

それなのにカミサンはボクに愛想を尽かすことなく、ボクが本質で考えているか熟考を促したり、誤った(危うい)方に流れぬようカラダを張って制止するヒトだった。

いや、「だった」じゃなくって「である」。

今生きていてくれて良かった。うるさいけど。

わかっているのだ。

ボクはウソもついたけど、カミサンはウソをつかない。何につけ筋も通っているし、ぶれない。

そして、いつも笑い、いつも誰かを気にかけている。

身内を褒めてはいけないけど許してほしい。だってこんな本を読んでしまったのだもの。反省も感謝もするさ。

それにしても本の影響と、出張で離れているからだろう。
だいぶカミサンを美化して考えているようだ。

アナウンスがこだます岡山駅のホームかカミサンに電話した。

「別に用はないんだけどさ」

家内は勝手に受話器の向こうから他愛もない日常を話している。
ボクはしゃべるとまた泣き出してしまいそうなので適当に相槌だけ打っていた。