フリーランスという生き方

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10月29日の早朝。

ボクは今、富士山を左の窓から眺めながら、新潟から名古屋へ向かう飛行機で空を飛んでいる。

紅葉に染まりはじめた山並み。人里離れた山間の集落。

あそこではどんな人たちがどんな暮らしを営んでいるのだろう。

出張も中盤。
昨日は朝から5つの学校の責任者と終日熱の入ったミーティング。

「この学校に入学したからこそ体験できるという研修。
自分たちの机と世界はつながっていること、将来活躍できるフィールドが世界にあることを体感できる研修を創りましょう」とボクはいつも訴える。学校の切り札のひとつになり、学生の人生の転機になるような教育コンテンツを提供し続けたい。

夕方からは新潟に拠点を置く、日本でも有数の学園グループの現場トップのKさんと深夜まで天下国家を語って痛飲した。

ボクは以前からKさんに提案していることがある。

ボクは、世の中に、組織に属する生き方だけでなく、フリーランス(フリーターではない)として生きる選択肢と、そのための教育が必要だと思っている。

それを、1万人を越えるKさんの学園グループに導入して、成功事例(種火)を作りたいし、それが日本中に広がればと願っている。

「フリーランス」

組織に属さず、人を雇わず、自分の身を自分で立てていく生き方。営業もサービスも代金の回収も経理も自己完結。そんな生き方を、いつの日か日本中の専門学校生に学んでもらいたいと願っている。

実学教育の専門学校は、いわゆる“手に職”系で、技術や資格を身につけて社会に出る。

その多くは、中小企業や個人商店に就職して、傾向として組織や社会をどっちかというと下から支える側に回ることが多い。

自分で独立起業したり、心ある経営者の目に留まって出世する人は良いが、そんな人ばかりではなかろう。

多くは、営業も達者ではないし、人づきあいや要領が良い人ばかりではなかろう。だけど、学校で身に付けた知識や技術、資格を活かしてコツコツとマジメに生きていきたいと願っている(と信じている)。

そんな彼らが、例えば自宅をホームオフィスにしたり、あるいは仲間と事務所をシェアしたり間借りをするなど、固定費を最小限に抑えて、自分でビラを配ったり、人の紹介から地道に客を増やし、不得手な人間関係に謀殺されずに、自分がもともと好きで選んだ”手に職“で、目の前の客を喜ばせることだけに集中して仕事と向き合えば、収入は少なくとも仕事で得られる満足や人生の充実感は高かろう。

リストラの心配もないし、上司や部下との人間関係に悩まされることもない。
出産や育児で泣く泣く仕事を放棄することも少ないだろう。

 

フリーターとか失業とはごっちゃにしてほしくない。

会社経営や会社勤務と並列の自己完結型個人事業主なのだ。

今の専門学校教育(大学もそうだけど)では、技術や資格は教えても、ストリートに放り出されて素手で生きていく術は教えていない。専門学校は、大学を目指したり、張り合っている場合ではないし、その必要もない。本来、どっちも世の中にとても必要な存在なんだから。

話を戻そう。

例えは乱暴だけど、ボクは生きるうえで必要なのは、素手で獲物を捕る術であり、外敵から身を守る術だと思う。その基本を学校で教えてほしい。

酒が進んだ頃、Kさんがつぶやいた。

「コミヤマさんの提案してくれた企画書(ストリートで生きられる人づくり学校の提案)は大事にとってあります。世の中を考えたら、絶対必要なのもわかっています。それをオーナーに伝えるために今一生懸命説得いるのです。時間は掛かるけど待っていてください」

ボク自身は豆粒みたいな存在だけど、歴史に残るどんな大きな出来事だって、一番最初は個人の脳味噌の中からスタートする。未来と向き合う人たちが共感する夢ならば、小さな思いは大きなうねりになって世の中を動かすにちがいない。

Kさんのつぶやきを聴きながら「あきらめないぞ、あきらめないぞ」と心に誓った。