転職の相談

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久しぶりに家族で賑やかな食卓を囲んで、ボクは書斎でひとり音楽を聴く。
スピーカーが日本で開発された波動スピーカーというスグレモノで、部屋のどのポジションで聴いても、演奏者の正面に座っているがごとく臨場感を味わえる。
ここはマイコンサートホールだ。

*ボクの書斎の様子

 

 

今日は娘がサラダ、カミサンが主菜をこしらえる横で、ボクがパスタを茹で、空いたコンロで煮物を作った。鍋がクツクツ煮えて、冷蔵庫ではシャンパンが出番を待つ。料理ができるまで、息子は風呂でネコのシャンプーをする。

短い「ふつう」の「当たり前」に見える貴重な時間が心身を癒してくれる。
今日は鍋物の材料を買ってきたから、明日は仲間を集めて鍋を囲むのだ。

夕方、日本の親友の転職の相談を受けた。

Kとは、5年間365日、同じ釜のメシを食った仲間で、考えてみたら30年近いつき合いになる。学生寮の食堂に忍び込んで肉や卵を調達したのも、新入生を海に潜らせてサザエやアワビを採ったのも、コイツはすべて同罪だ。

それでも入学した瞬間から学業についていけなくて、ラグビー一色の10代を過ごしたボクとちがい、Kは努力家で、バレー部のキャプテンで、難しい国家試験も次々とクリアして外資系の企業に就職した。

現在は請われて北欧に本社を置く老舗の財閥系企業に転職して、郊外の一戸建ての家で家族と仲良く暮らしていたが、そんなところへ日本に進出する外資系の企業から「チカラになってほしい」とオファーがあったようだ。

結論からいうと転職は「反対」した。

理由は、
(1)進出しようという企業も、その計画そのものが景気の良かった頃の見立てで、この市場環境の激変で、(その企業の顧客が船会社(物流)であることを考えると)腰を据えて成果があがるのを待つのが難しいのではないかという懸念。

(2)歴史のある現職の企業なら、過去に不況も不祥事もあらゆる試練を乗り越えてきているから、今回のリセッションにも一喜一憂することなく雇用を確保するだろう。その中で会社が期待する以上の成果で応えることが、やがて今回以上のオファーが来た時に、残るにせよ、移るにせよ、自分自身の市場価値を高めることにつながる。

今は時期ではない。自分を磨き抜き、顧客に貢献し、不況を乗り越えるために会社のチカラになる時ではないか。そんな話をした。もちろん、成否はそれらの外的な要素より、本人や家族の覚悟や能力といった内的因子の方が大きいだろう。

イケイケドンドンと人には映る(らしい)ボクだけど、実はすごく慎重だ。

90%大丈夫と思って、うまくいくのはせいぜい五分五分。100%成功すると思っても、それは「はず」で、パズルのピースの調達が遅れたり、サイズちがいやニセモノが来たりする。

「こんな話があるけどどうだろう」なら止めるべきだ。

「どうしてもやりたいけどどうだろう」で、初めて可能性のランプが点灯する。ただそれはぜいぜい登山口で入場券を買ったくらいの話で何の約束もない。
野球が上手な高校生が、イチローモデルのグラブを買ったくらいの話だ。野球でメシが食えるという約束にはならない。

人生に、神風は吹かないし、ウルトラCも必殺技も大リーグボールもない。

それを知って、覚悟のうえで、それでもやりたいのか、それでも好きなのか、それでも折れないなら、絶対ジャンプすべきだと思う。

そんな話をした。答えは本人の中にある。

*石に描いた「笑うヒト」〜身長4センチ〜