週末100マイルの感謝

NO IMAGE

久しぶりに来客のないのんびりした週末。

土日は息子の運転手と化し、昨晩は、友人の高津さんのピアノ、息子のドラム、ボクのギターのビミョーなセッションで盛り上がった。

おかげで今朝も目覚まし時計がなる前にスッキリ目が覚めた。気分爽快。

昨日(日曜日)の午前中は、7月にラスベガスで開催される全米剣道選手権に備えて、南カリフォルニアの2つの剣道協会が合同で主催する強化練習に、息子の付き添いで半日スタジオシティの道場で見学。学年で一番チビの息子は、大きいおにいちゃんたちに混じって4時間みっちり試合と稽古。

剣道に加えて、土日は両日とも午後からサッカーの試合(観戦)で北へ東へ走る走る。2日で100マイル(160キロ)は走ったか。

これ、うちが特別というわけでもなく、車社会のロサンゼルスでは、子どもの手が離れるまでは親が子どもの運転手状態。

学校や塾、図書館、スポーツ、プレイデート、買い物、何をするにも送り迎えが必要で、親の送り迎えは365日途切れることがない。

そんなアメリカ生活で、ボクには土日を問わず出張や来客があるから、カミサンに任せてしまうことが多いのだけど、可能な限りやり繰りをしてわずかな時間でもいっしょに過ごすようにしている。

この送り迎え。高校生(16歳で免許取得可能)で車を買い与えない限り、大学進学まで続く。

不便にして不自由だけど、この送り迎えが親子の絆を強いモノにしているとボクは思う。というか、ボクはこの環境に心から感謝している。

公共交通機関が発達して、たいていは自転車でも用が足せる日本だと、親子のコミュニケーションの機会は学齢が上がるほどに希薄になるだろう。

塾や習い事で、親子の食事や生活の時間がずれ、帰宅してもすぐに自室にこもり、携帯やインターネット、ゲームに耽る子どもが少なくないと聞く。

そんなだと親子喧嘩をして気まずくなっても、仲直りをする機会を逸してしまうだろう。

また、子どもが思い悩んだり、言葉遣いが荒れたり、その場しのぎのウソをついていても、ふだんからのコミュニケーションを取っていなければ、悩みを汲み取ったり、変化を見抜くことはむずかしいだろう。

加えて、子どもの成長期につきあう友人やその周辺の人間関係が、その後の人生に影響を及ぼすことは多い。

ラクな方に流され、大人や社会を恨み、他人に責任転嫁する集団に身を置けば、自然と性根は腐るだろうし、逆に、誠実で努力家の友人や先輩を持てたら、多少本人が頼りなくても、まわりに引っ張られ、磨き合い、頑張ることが当たり前の感覚で成長する。

人は脆(もろ)いものだから、ちょっとしたキッカケで人生が良い方にも悪い方にも左右する。

そんな子どもの交友関係や環境も、日頃からコミュニケーションを取っていたら、仮におかしな方に流されそうになっても、早めに軌道修正ができるだろう。

そう、不自由でたいへんだけど、実はとってもありがたいことなのだ。

そんな理由と、もうひとつ。日々親離れをしていく彼らに、わずかな時間でも(お手本か反面教師かはさておき)ボクの生き様や、哲学、思想を伝えてやりたい。

経営や数字と悪戦苦闘する毎日だけど、彼らの成長のそばで過ごせる日常は人生の宝でありゴールデンタイムだ。