母親とご主人のIさん

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3月29日土曜日。今朝もサイクリングと水泳。

パロスバーデスの丘のてっぺんに近い自宅から、スピードにまかせてビアコロネル通りを約10分、海を眺めながら、麓(ふもと)のパロスバーデス西通りまで一息に降りる。

早朝の風のシャワーでいっぺんに目が覚める。

そこで軽いストレッチをして、今度は降りてきた道を再びゆっくりと時間をかけて登る。

行き交う車も少なく、鳥のさえずりや、その美しい姿とは不釣り合いな、孔雀(くじゃく)の潰れたような鳴き声に耳を傾けたり、ふと視界に飛び込むマスタードの群生に目を奪われながら、早朝の自由な時間を楽しむ。

先週の土曜日から昨晩まで、日本の母親とご主人のIさん夫妻が来米。慌ただしくも賑やかで楽しい一週間だった。

到着翌日の日曜日は、弟の家で、誕生日が同じ時期の義妹と家内、長女の合同誕生会。

火曜日と水曜日は一泊でラスベガスに観光。

木曜日はディズニーランド観光。

そして最終日の昨晩は、再び弟家族と我が家に集まり、娘の誕生会と夫妻の送別会を楽しんだ。

空港でチェックインを済ませた後、夫妻の仲の良い様子と笑顔にふれることができて、ボクはひとまず胸を撫で下ろした。

出発までのわずか一ヶ月の間、「二人で行く」(ウキウキ)>「ひとりで行く」(アナタのお父さんの方がまだマシ)>「行かない」(離婚する)>「二人で行く」(この人しかいない)>「行かない」(あんな人とはやっていけない)>「音信不通」>「二人で行く」(ひとりじゃお土産を運べないから)と、例によって母親の気まぐれとワガママに、家族だけでなく、旅行会社の担当者は出発直前まで振り回された。都合5回の変更依頼に身が縮み、ボクはとうとう鬼太郎のお父さんくらい小さくなった。

それでも、ふだん親孝行できない分、弟家族とスクラムを組んで、万全とは言えないまでも、心をこめて二人の楽しい思い出づくりに努めた。

元気な孫の顔を見せることができたし、新社屋やスタッフも見てもらえた。

ラスベガスでは、フンパツして夜景を眺められるレストランでフレンチをいっしょに楽しんだ。カジノもちょっとだけ味わってもらい、アウトレットで二人が行方不明になっても根気よく見つけ出した。

ピックアップの待ち合わせ時間からきっちり一時間以上遅れて出てきたけど、二人きりのディズニーランドも満喫してもらえた。

ただひとつ、最終日まで胸に引っ掛かることがあった。

到着3日目の月曜日、せっかく会社に来てくれた二人を、ボクはメンバーに紹介しなかった。

ネクタイで正装のIさん、メルヘンチックで不思議な格好だけど、目一杯おしゃれをした母親。うれしそうに玄関や社内のなんでもないところまで記念撮影する二人。

そんな二人が社内でメンバーと行き交うたび、紹介に備えて背筋を伸ばすのをボクは黙殺して、さっさと先に歩いた。

「はい、こんな感じ」

二人は喜んで、家内の車で会社を後にしたけど、心にずっとザラザラしたものが残っていた。

パートとはいえ、父親(法事で帰国中)も働く空間に、別れた母親の夫婦を案内する複雑な思い。「母親とご主人のIさん」という言葉への違和感。

だけど、それは自分を肯定するための言い訳に過ぎない。

自分の母親と、そのご主人なのに、家族のようなメンバーに対して、ボクはきちんと紹介しなかったことが後からじわじわ悔やまれた。

そんな思いを、メンバーの西川に吐露したら、

「そんなことにこだわらなくたって良いじゃないですか。お母さんなんだから」

そんな言葉だったと思う。暗い雨雲が覆ったようなボクの心を、彼女の言葉がスカッと晴らしてくれた。

昔からボクは、いろいろな言い訳をつけては、自分の母親を大切な人たちにきちんと紹介してこなかった。父親のこともそうだ。

今回そのまま帰しては取り返しがつかないことになってしまいそうな気がした。

「母さん、Iさん、こないだはごめんな。会社案内したとき、キチンと紹介もできんで。帰る前に、もう一回つきおうて!みんなに紹介したいから」

最後の金曜日、再び正装の二人が弟の車で会社に来た。

出版の多くのメンバーは会議中だったけど、少しだけ中断してもらって二人を紹介した。ボクの声も態度もモソモソしていたと思う。

総務の女の子にも、LCEのメンバーにも、奥村事務所の山崎さんにも、段々と大きな声で「母親とご主人のIさん」と紹介した。メンバーたちは明るい笑顔で礼儀正しく応えてくれた。

その度、昔の時代を生きた二人は深々とお辞儀をして、母親は、担任の先生に話すように「息子がいつもお世話になっています」ともう一度頭を下げた。