最後にボトルもう一本

NO IMAGE

 

 連休の三日目の土曜日。

今日は息子の運転手。

 

朝、自転車でしっかり汗を流してから、サッカーをする息子をパロスバーデス高校のグランドにドロップ。待っている間、近所のスターバックスのコンセント付きの席を陣取ってノートブックを広げている。

 

ここはパロスバーデス半島の南端。目の前のパティオの向こうには太平洋が広がる。

水平線の左端にはカタリナ島、沖でボートが真っすぐな白い線を引き、店内ではクリスマスソングが流れる。

 

昨夜は若い連中が遊びにきたのでボクが料理の腕を振るった。

といっても、近頃凝っているホットプレートの鉄板焼きだけど。

 

ボクは若いヤツらを応援することが楽しみでありライフワークだ。

 

ボクが若い頃から(今もだけど)諸先輩方に、それはもう物心の両面でたいへんな世話になってきたから、ボク自身も次のヤツらの面倒をみて、立派に育ててやらねばならないし、いっしょにどこまでも伸びたい。

 

若けりゃ何でも良いかというと全くそんなことはなくて、白けたヤツや気位の高いヤツとは同じ空気も吸いたくないし、視界にも入ってほしくない。

 

むしろ不器用でも一生懸命で、純粋な心、やさしい心を持っている若者にこそ、惜しみなく愛情を注ぎたい。人間に大切なのは、パッションと温かい人柄なのだ。

 

話をホットプレートに戻す。

 

若いヤツらには質より量。味や素材は二の次だ。

先発はベーコンとポテト、タマネギを炒めて、チーズをたっぷり溶かしてマヨネーズでいただく。2品目はウインナーとシメジとモヤシのソテー。トマトベースもいいけど、ここは穏やかに塩コショウで素材を主役に。

 

3品目はガーリックたっぷりで貝柱を炒める。はい、ひとり2個まで。レモンを搾ってね。

 

最後は野菜たっぷりの焼きそばでキッチリ締めくくった。

 

焼肉、焼き鳥、寿司、中華、このあたりは専門店が絶対的に美味いけど、それ以外の料理は和食でも洋食でも仕込みと素材を奮発すれば、家庭なりの味が十二分に楽しめる。

っていうか、冷えたビールかシャンパンがあって、大好きな仲間とテーブルを囲めば何だって美味いのだけどね。

 

寮生活の学生時代、金がある時は肉がほとんどない焼肉、冬場はもっぱら鍋だった。

1ヶ月か2ヶ月に1回、決まって土曜の夜、寮の晩メシを食ってから始めた。あの頃は食うよりも速く腹が減っていたので、何度でも何だって食べられたのだ。

 

みんな極貧学生だったから、ひとり500700円勝負とかで酒も材料もその予算で収めなくてはならなかった。

 

毎回幹事のボクはやりくりがたいへんで、その当時ボクらの島にあった生協に並ぶ大方の食材の値段は頭に入っていた。量で勝負、安いが勝ち(価値)の人生だったから、鍋の中は安い野菜ばかりだった。かすかに浮き沈みする細切れの肉はおたがいに牽制しながら時間をかけて突ついた。

 

あの頃、肉はボクらの存在そのものよりはるかに価値があり偉かった。

もし廊下で寮生が耳から血を流して倒れていても、その隣に肉のパックが鎮座していたら、全寮生は迷わず肉に飛びついて、食べ終わるまで仲間の存在に気づかなかったろう。

 

ちなみにビールは高級品で、貧しく卑しいボクらにはコストパフォーマンスが悪いから、もっぱら飲むのは店頭で一番安い焼酎だった。

 

話はさらに飛ぶけど、実家高松の繁華街に「U」という飲み放題歌い放題で1500円というありがたい店があった。

 

夏休みなどにバイトで稼いだ金を握りしめては仲間と入り浸って、ふだん飲めないビールやウイスキーを気持ち悪くなるまで飲むものだから、毎回店のおばさんは疫病神にも見せないような醜悪な表情をつくってボクらを睨みつけた。

 

それでもボクらはめげないでしぶとく通うものだから、ある日、他の客がいない時に「うちも商売でやっとんや。ええ加減にしまいよ」と怒鳴られた。さすがに申し訳なくなったボクらは「ごめんなさい!じゃあ、最後にボトルもう一本だけ」と控えめにお願いした。

学生時代一番愛した店だけど、一番憎まれた店でもあった。一方的な片思いである。

 

学生時代の酒にまつわる切ない話は尽きない。