恥だらけの人生

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 4連休最後の日。

連休中やや過食気味なので、今朝はいつもより長めに自転車に乗ってしっかり汗を流す。

 

午後はカミサンとクリスマスプレゼントの買い出し。

楽しくもあり大仕事でもある。

 

帰宅したら、娘はパンを焼いて、息子はご飯を炊いて、合作で晩ご飯のおかずをこしらえて待ってくれていた。うれしくて、自転車の消費カロリーにおつりがお札で来るくらい食べてしまった。 

昨日、学生時代の酒にまつわる話を書いたものだから、連鎖的に甘く切ない青春時代が甦った。

 

ボクの卒業した弓削商船高専は、愛媛県の今治からフェリーで2時間、広島側の因島からは20分くらいの瀬戸内に浮かぶ人口2500人の小さな島にあった。

 

ボクらの寮と校舎はその島の中でさらに外れの方にあって、朝から晩まで目にする女性は食堂のおばちゃんと寮母さんだけだった。

みんな母親より年上で、恋をするにはあまりに大人過ぎた。

 

ボクの学んだ航海学科は、外国航路の船長を養成するための学科で1学年が40名、もうひとつの機関長を目指す機関科が2クラスの80名で、全校生徒を合わせても500人に満たない小さな学校だった。

 

ボクらが卒業前の一年間、航海実習に出る直前から男女共学になり、その後は留学生もたくさん受け入れるようになって、数年前に訪ねた時にはすっかり様変わりしていた。

 

そんなわけでボクらの在学中は、学校、食事、クラブ、風呂、睡眠、24時間むさ苦しい野郎だけの団体生活だった。ひとつだけありがたかったのは、国立の学校なので、授業料と寮費(3食付)合わせても1年間で15万円としなかった。1ヶ月じゃなく1年でだ。

だからその分厳しくもあり、成績や出席日数が足りないとスパスパ落とされ、ボクらの同期でいっしょに卒業できたのは6割に満たなかった。

 

軍隊さながらの3年間を経て、4年生になる頃には中学時代の仲間が大学に進み、帰省の度に東京や大阪の華やかなキャンパスライフをうれしそうに語って聞かせる。彼女、車、合コン、スキー、コンサート、すべての響きが眩し過ぎ。バッキンガム宮殿の舞踏会の様子を聞くようだった。

 

休暇を終えて島に戻ったボクは、放課後に後輩を潜らせてサザエを採る人生、寮の食堂に忍び込んで卵を拝借する生き様、闇夜の歩腹前進で近所の大根を抜く青春、その果てしないギャップを埋めるために、ギターを片手に同級生の部屋を回り、みなの国家試験の勉強を妨害するくらいしかなす術がなかった。

 

はてさて。

 

社長ブログにこんなことばかり書いていると、そのうちに閉鎖されたり退職者が出そうなのでこのへんにしようかと思ったけど、慣性の法則でもうひとつ。

 

学生時代のボクらはいつも静かに酒に飢えていたから、誰かの実家で高級なウィスキーを飲ませてもらったなんて聞けば、すぐに泊まりにいって礼儀正しくバカ飲みした。

 

今でも、一人っ子で割と裕福だったK君の親父さんの語りなら、幼少時代から戦時中のご苦労まで実の息子より正確に再現できるだろう。オールドパーのご恩は一生忘れません。

 

Kくんで思い出すのは19歳の時、司馬遼太郎の「龍馬がゆく」に感動したボクは学校を休んでヒッチハイクして土佐の桂浜へ旅をした。

 

途中でルームメイトに借りた金も尽きたけど、現地で出会った屋台の親父さんの家に泊めてもらったうえ、三度の食事も面倒見てもらった。ラーメンとおでんの屋台なのに「何が食いたい」と聞かれて「ごはん」と答え、親父さんはどこかで白いごはんを買ってきてくれた。高知を発つ朝には小遣いももらったのに、住所も聞かなかった自分が今でも情けない。

 

高知を発った後、その金もとうとう尽きてしまい、ヒッチハイクを駆使してKくんの実家に辿り着いた。Kくん不在なので多少は躊躇したけど、遠慮は最初の3分で、気がついたらご馳走を前にKくんの両親に旅の顛末を語って二日酔いになるほどご馳走になった。

翌朝に黙って持たせてくれた5000円をボクは返していないままだ。

 

本当にあの頃は24時間365日、全身恥だらけの人生を送っていた。今から若いヤツらにどれだけ尽くしても埋められやしないだろう。実力もないクセに唯我独尊でどうしようもないガキだった。

 

若い頃はそれで良いのだとは絶対に思わない。礼状はすぐ書いて、借りた金はバイト代が出た日に返して、季節の便りは欠かさず送るべきだろう。

 

思い出したらまた反省してしまった。

自分が若者に厳しい注文をつける割にボクは落第生だったのだ。

 

自分が今、公私に若者と接したり応援する機会が多い毎日の中で、当時のボクの浅知恵で推察していた数百倍も、人生の先輩たちはこっちの下心も泣き所もお見通しのうえで、存分に甘えさせてくれていたことがよくわかるようになった。ボクのおつむの方も少しは歳を重ねているのだろうか。