親子の黄金時代

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 日曜日の朝、ロングビーチのスケート場の側のスターバックスから。

例によって娘のフィギアスケートの稽古の間、コーヒーを飲みながらノートブックを広げて午前中を過ごしている。近頃はスタバに代わって、フラプチーノ(キャラメル味)を宣伝しまくっていたら冬眠前の熊のような体型になってしまったので、しばらくはただのアイスコーヒーを飲むことにする。

この子どもの送り迎え、車社会アメリカではハンパじゃない。

通学に始まり、放課後や週末はスポーツにボランティア、学習塾に図書館、土曜日の補習校、たまには息抜きに同級生のお宅に遊びに行ったり話題の映画も見たくなる。さらにグループプロジェクトなんていうのもよくあって、その度に誰かの家に送り迎えが必要だ。

子どもが2人いたらそれが2倍、3人なら3倍の送り迎え。

まだあった。例えば人気の高い病院のボランティアに参加するには、親も相当時間(年間150時間とか)ボランティアに身を投じなくてはならない。

多くのお母さんは仕事を持っているうえ、3割か4割はシングルマザーと聞くからその負担ややりくりは相当なものだろう。

うちなんかも、ボクが週日は戦力にならないうえ、しょっちゅう出張で家を空けているからカミサンは毎日朝から晩まで子どもたちの運転手状態だ。

あまり参戦できていないボクだから大きなことは言えないけど、油断すると親子の関係が稀薄になりがちな日本に比べると、(傾向として)親の負担が大きなアメリカの方が親子の絆が強くなるような気がする。

親子でどんなに衝突しようが、気まずい出来事があろうが、毎日何回か行動を共にせねばならないから、コミュニケーションは避けて通れない。自然と学校であったこと、友だちのこと、趣味の話、旅行の話、将来の夢、少なくともボクが子どもの頃の親子関係の100億倍以上コミュニケーションをとる機会に恵まれている。

だから子どもが塾から帰ってきたら、親に挨拶もなしに2階の部屋に鍵をかけて閉じこもるなんて有り得ないし許されない。

生意気を言っても親の協力なしにはどこにも行けないから力関係が崩れることもない。

またそれ以前に、親が自分のやりたいことや時間を犠牲にしていることを子どももわかっているから根底に感謝とリスペクトがある。親の方も自分の命よりも大切な存在だから、本気で叱るし真っ直ぐに愛情を注ぐ。たまにこっちが言い過ぎたり間違えていたら謝るタイミングは何度だってある。結果、しこりも残らずケンカの延長戦や持ち越しは少なくなる。

我が家では娘が大学に入るまであと1年と9ヶ月、息子は3年と9ヶ月。

家族4人で当たり前のように食卓を囲む週末も、子どもたちをギュッと抱きしめる朝も、後ろから不意に飛びつかれるオドロキも、遅い時間のひとりの晩飯を横から略奪される危険も、もうボクの人生の日常の中ではあと2年もないのだ。

その先の将来は、家族が揃うのは年に数回、もう親子でじゃれ合うことはそうないだろう。

その先どんなにライトハウスが大成功をしても、どんな恵まれた生活ができたとしても、いつかあの世にいく時に「もし戻れるとしたら一番戻りたい(これからの)2年」だろうから、ボクの全力投球の生き様を子どもたちの目に焼きつけておきたいし、彼らが将来迷った時に指針になる言葉を伝えておきたい。

それにしても、なかなか子離れできないボクはどうしたもんだろう。子どもたちはさっさと親離れしていくのに。

親の心子知らず。自分が親になってよくわかる。