シマウマ

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今日、 クリスマスに間に合うようカミサンが注文したボクへのプレゼントが届いた。

2週間以上遅れているのはいいけど、箱を開けたらお絵描きセット。

実は絵を描くのが大好きなボクのために買ってくれたそれは、教材のDVDとテキスト、スケッチブックとデッサン用の鉛筆がセットになって入っている。

「基本も勉強すると良いと思ったの。でもきっとアナタはスケッチブックしか使わないかナ」

むこうの部屋から「英語の教材だから、パパの英語の勉強にもなって良いね」と娘。

そうでなくても「教材」というだけでアレルギーなボクは別の角度からの図星攻撃にムッとなる。近頃、般若心経の本を読み始めたけどやはりまだ身についていないようだ。

 

絵の話と言えば、

幼少の頃、テンションが高くて様子がおかしかったボクは、知能の発達を疑われて、専門家に連れて行かれたりした。

極度に集中力が欠乏していて、5分と人の話が聴けなかったから当然授業にも小学1年生からついていけず、学校でも家の中でもプカプカに浮きまくっていた。

担任の先生や近所の大人は顔を歪めてボクを見るし、母親はいつも怒るし嘆くから、けっこうその頃のボクは劣等感が強かった気がする。

ませたクラスメイトが、ノストラダムスが1999年に地球は滅亡すると予言しているのを聞いて、すごく怖いけどどうぜボクはダメだからリセットしてしまうのもいいやと悲観的に考えた。

2年生になる時、同じ市内の学校に転校した。

そこでもしばらくはみんなにバカにされていたけど、何かを発言した時に初めて担任の先生に褒めてもらって、すごく気持ちが良かった。耳がカーッと熱くなって、鼻の奥がツーンと熱くなって、体験したことのない感覚だった。

ボクが生まれた瞬間にきっと喜ばれたのが「白」とすると、その後ずぅ〜っとひたすら「黒」で、その時の先生の言葉が「白」。

で、白と白に挟まれた99.99%の時間がオセロゲームのようにパチンパチンパチンとみんな白にひっくり返った気がした。存在してて良いんだ、ボクでも。一生氷塊で終わると思っていたのに。

そして、小学2年生の時のこの体験が「第一回存在認定大事件」とすると、翌年に絵画コンクールで全国大会で特選を受賞したのが、ボクにとっては「絵画部門天上天下唯我独尊的大事件」だった。

絵の題は「シマウマ」。

今でも原色で思い出す、画用紙いっぱいに描いたシマウマの大群。遠近感に束縛されないダイナミックで斬新な筆致に審査員は心を奪われたのだろう。

ちょっと前まであんなに自信のなかった少年が、この受賞をきっかけに変貌した。

「やってくれると思っていたけど、さすがオレ。すごいオレ」

短い間だけど、本気で画家になろうと思った。

以来、小粒だけど毎年の学内のコンクールには必ず入選した。金賞ではなく、銅賞とか取ろうものなら本気で悔しがった。そして金賞の作品と見比べて、最後は先生の目を疑った。(傲慢!)

自信は人を変えるもので、少年は学校の内外に声をかけて少年野球の小さなリーグを作った。もちろん、ボクは大人のいない、選挙のないそのリーグで理事長でキャプテンでスラッガーだった。

やがて近所の子どもたちの間でもリーダーになって、隣町の小学校の悪ガキと戦ったり、勝てないどころか追いかけ回されたけど、不良やチンピラの成敗に果敢に挑むようになった。

不思議と学校の勉強も、親が家庭教師をつけてくれたのも手伝って、瞬く間に成績が良くなった。

そしてそこで得た自信があれから35年も続いているのだから人生は面白いし、ありがたい。

 

今は(家族以外)費やすエネルギーのすべてを仕事に集中したいから、このお絵描きセットもスケッチブックもしばらくは引き出しで待機だけど、もしも自信を取り戻したいような事態が発生したら、このスケッチブックにまたシマウマを描こう。自信過剰で唯我独尊だから教材は必要ないけどね。