残されたものがやるべきこと

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受験勉強で寝る時間を削って頑張る娘に、そういう記憶がない父親としてはもどかしい思いで見守るしかない。

「パパがその問題集を全部正解で埋めて、朝までにはすっかりアタマに入ってしまう魔法をかけてやろうか」

つい、いい加減な言葉をかけると、

「う〜ん、大丈夫。その魔法が流行ると世界中みんなが賢くなっちゃうからね。それもいいけど自分で頑張ってみるよ。ありがと!」

やさしくかわす娘。

こうして親子の緩やかなキャッチボールができる時間は有限だ。

なんでもない会話、朝晩のハグ、朝学校に送る習慣、いっしょに立つキッチン。

 

昨日の明け方、沖縄にいる妹(弟の嫁)の父親が息を引きとった。

突然ではなく、倒れてからの時間は長かったし、この日に備える時間としても短くはなかったろう。

救いは、妹が病に伏した父親を半年近く看病できたこと、危篤の知らせを聞いてその日のうちに駆けつけた弟が間に合ったこと。

「お父さんが逝く前に、ありがとうって言えて良かったよ」

いつになく、感情を押し殺した低い声で受話器の向こうの弟が言った。

ボク自身は、妹の父親とそれほど面識もなかったし、80歳も過ぎているので十分に長生きできたと思う。むしろ、母親が20年近かった父親や旦那さんの介護から解放されて、その意味では良かったと受け止める。

それでも、弟の嫁にしてふだん泣き言も愚痴も言わない妹が悲しむことを思うとつらい。

 

気のせいだろうか。

40歳を過ぎてまわりの人を見送ることが多くなった。

ボクは燃え尽きるように生きたい反面、自分の生に対して強い執着はないし、むしろ見送っていくことのほうが辛い。

80も、90も生きて、大切な人、友人や社員、自分よりも若い仲間を見送るなんて耐えられないかもしれない。ライトハウスという会社(メンバーの老後のメドを含め)の道をつけて、子どもたちを一人前に社会に送り出したら十二分だ。

生きているようで、生かされているのが人生だ。

自分でコントロールできるのは、お迎えがいつ来ても後悔しないくらい今この時この瞬間を精一杯生きることだと改めて思った。