卒業

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木曜日。夕方早めに帰宅して、自宅の書斎から日本(LCE役員会議)とスカイプで会議。役員会後のブレストも白熱して、午後8時にタイムアウト。

LCEは創業期の混沌から抜け出せるのにもう一息。一人前の会社になるのはこれからだけど、一方で、天井知らずの大きな可能性や成長性も秘めていて、「信念」と「妄信」と中間くらいの光を頼りに手探りで走る毎日だ。

会議が終わって、家内と息子が見当たらないので、娘に尋ねると地元の楽団のコンサートに行ったらしい。

家内の作り置きと、シャンパンに合いそうな肴をフライパンで手早く拵(こしら)え、娘と二人の食卓を囲んだ。

娘の最近の学校の様子や、今現在の志望校や職業の希望を聞く。

数学が好きな娘は、科学者か生物学者、あるいはメスを使わない医者になりたいのだそうだ。それが学べる大学を自分の中でいろいろ調べているようだ。少しずつ現実的に将来を考えるようになってきた。

それもそのはずで娘は来月で15歳。

そして来月、6年間もお世話になった西大和学園補習校を卒業する。

あと学校は3日だけ。

教科書にフリガナをふったり、漢字の宿題をワープロで拡大して説明することももう無くなってしまう。子どもが成長するということは、親がチカラになってやれることが無くなっていくことでもあるんだなあ。すごくすごくすごくサミシイ。

ボクは、娘を育ててくれた西大和学園に強い思い入れがある。

ここは先生も職員も熱い。教育に情熱と誇りを持った学校だ。

娘は、補習校の設立と同時の小学校4年生で入学した。4年生が4人、6年生が2人。全校生徒がなんと6人。

12の瞳で漕ぎ出した小さな補習校が、今では全校生徒300人を超える海外有数の補習校に成長した。

生徒が6人の頃、一度授業を任せてもらって「職業」の話をしたことがある。

その授業でボクは、子どもたちが知っている職業を黒板いっぱいに書き出した。そしてその職業はどんな仕事で、世の中にどんなふうに役に立っていて、すなわち世の中はいろいろな職業で成り立っている、キミたちのお父さんやお母さんはそんな世の中を創るひとりだから尊敬と感謝を忘れないでほしい、そんな話をさせてもらった。

あれからもうすぐ6年。図らずも、娘にとって最後の授業を、担任の田中先生から任せていただいた。

「大人になること、社会に出る魅力を子どもたちに話していただけますか」

身にあまる光栄で、娘のクラスメイトの子どもたちが将来に対して少しでも希望と勇気を持ってもらえるような話ができたらと張り切っている。そして、そういう一生懸命なボクを娘のまぶたに焼きつけたい。

最後に、娘の卒業文集に書いたボクの拙い作文を添付したい。

西大和を巣立つ君たちへ

みなさん、卒業おめでとう。

在学期間、滞米期間が、長かった人も、短かった人も、現地校との両立は本当に大変だったでしょう。土曜日の前の晩に眠い目をこすって、宿題と奮闘した人も少なくないでしょう。本当によくがんばりました。私は先に大人になったけどみなさんのことを尊敬します。すごいと思います。
一方で、みなさんががんばりぬけたのが、自分ひとりの力ではなかったことを、いつかこの文集を読み返した時に思い出してください。
つい最近まで日本で勉強してきた人と、家庭では日本語以外の言語で生活している人、その両方が同じ教室の中にいるのが海外の補習校です。
その両方の人たちに力がつくよう、決して肩身のせまい思いをしないよう、先生たちは授業の準備に、そして授業の進行に努力と工夫と愛情を重ねてくれました。一時間の授業より、その授業の準備やフォローの方がうんと時間を要するのです。
君たちを一週間ぶりに迎え、また送り出すために、駐車場に立っていてくれた先生や職員の方たちの思いやりを知っていてください。
そして、時々、泣き言をこぼしたり、挫けそうになることもあったであろう君たちを、励まし、応援し、送り迎えをし、授業料を払い続けてくれた親の愛情を知っていてください。
そう、君たちは、自分ひとりの力だけではなく、たくさんの人によって支えられ、「おかげ」の中で生きているのです。
少し視野を広げてみると、道路やお家も洋服も食べ物もすべて誰かが作ってくれた「おかげ」です。飛行機を発明し、作り、操縦する人がいなかったら今君たちはここにいませんよね(船で来てもいいけど)。

どうか、君たちが大人になっても、まわりへの感謝の気持ちを忘れずに、いつかこの社会の「創り手」のひとりになってください。
そして自分の未来を信じて、夢と勇気をもって生きてください。
大人になるということは毎日がチャレンジでとても楽しいものです。

込山洋一