スポーツから学ぶこと

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連休中日の日曜日の朝。晴れ。久しぶりにブログを書く。

今日は息子の剣道の大会。

8月にアトランタで開催される全米選手権(3年に1回)を前に、今ひとつ調子が上がってこない、というか力不足の息子。

U18部門で優勝候補筆頭の南カリフォルニア代表チームのキャプテンを任せてもらって、肩どころか足の指の爪の先まで力んでいる感じ。

今でもそうだけど、ボク自身が不器用でビビリでアガリ症だから、息子の気持ちがよくわかる。前回はU14(団体戦)で優勝できたけど、その時には「補欠」選手として、勝敗にそう左右しない状況でしか出場しなかったから今回は重圧が全然ちがうのだろう。今回は少なからず「背負わせてもらっている」

(大事なんだけど)自分の成績や進学だけで完結する勉強とはワケがちがう。「人」「期待」「想い」を背負ってるわけだから、人生においてはもっと大切だ(家人と意見が分かれそう)。

あまり認めたくないけど、ボク自身を振り返ると、まぁここ一番に力が出せなかった。それどころか続かない、投げ出す、中途半端。(息子はまだ上等か)

小学校の時に出場した陸上記録会の地方予選では、60mハードルでハードルを倒しながらよろけてゴールした。これは緊張から。

中学のバレー部時代。1年生で早々にベンチ入りさせてもらったのに、2年生の後半に実力で後輩にポジションを奪われ、3年生になる頃には足が遠のき、幼少以来の剣道、そろばん、習字、オルガンに続いてここでも途中挫折。同級生が「帰って来いよ」と何度も説得してくれるのが、惨じめで負担だった。

身体が急速に大きくなって、身体能力も伴って伸びた高専時代(ラグビー部)、それまで何をやっても投げ出していたのが、ラグビーが面白くて「続けること(継続)」に少しだけ自信を持てた。ずっと自分は中途半端でダメ人間と言われたし、自分でも思ってたから、打ち込める自分、継続できる自分が存在することを知ってうれしかった。

でも相変わらず、大きな試合では力が出し切れなかった。

2年生の冬に在学中にたった1回、中四国ブロックで優勝して全国大会に駒を進めることができた時にも本番直前に熱を出してダウンした。朦朧とする頭で観戦しながら、来年こそはこのグランドに立ってやると誓ったが、二度と全国大会の芝を踏むことはなかった。

極めつけは、助っ人で夏に出場した高専大会の陸上競技全国大会。足が速かったボクは四国予選から走る度にタイムが伸びた。四国大会も100mも200mも新記録を出して、全国大会では予選で10秒台を出してあっさり全国記録に並んだ。でも本番(決勝戦)では力み過ぎて、上体と下半身がバラバラになって金メダルを逃してしまった。優勝タイムは5回走って5回勝てるタイムだった。今でも悔しくて夢で見る。「もう一回お願いします!」はない。人生といっしょだ。本番は本番。あの大会でも大切な経験をさせてもらった。

スポーツは個人戦でも団体戦でも多くのことを学ばせてくれた。(プチとリセットできるゲーム機から学べることはどれほどあるのだろう)

息子の話に戻るけど、ありがたいことだ。

「負けたら、みんなに迷惑をかける」

「僕がチームを引っ張らなくてはならないのに」

「勝ちたいのに勝てない」「勝てるべき相手に勝てない」

そんな惨じめな気持ち、もどかしい想い、悔しさや自分に向けての怒り、立てないような痛み、そういうものを剣道から学んでほしい。

痛みを知ることは、人の痛みを知ることにつながる。勝てないジレンマは、忍耐力を植えつけてくれる。負けを知ることは、取り返しがつかないことの怖さを身体で覚える。そして世の中の広さと己の限界を学ばせてくれる。

勝敗は二の次だ。でも優勝目指せよ。