地図と灯台をつくろう

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年明けのスタートダッシュで忙しい中、編集長の川嶋と、メンバーの滝井や高鳥が一時にカゼをこじらせた。これ、ほぼ全員(本誌コラム「ロス日記」の執筆者)阿木先生宅での新年会の参加メンバー。

あの日のボクは、お世話になっている先生のお招きをカゼ如きで欠席するわけにもいかず、パーティの途中も15分おきに、手洗いに駆け込んでは鼻をかんだ。

たぶん感染の決定打は地下室でのカラオケ。空気がこもる個室で、背中から脂汗を流しながらみんなにむかって大音(声)量で熱唱した。

ごめん、みんなにウィルスシャワー。

次のシーズンは、みんなからカゼをもらって埋め合わせたい。

そんなカゼも一足先にすっかり良くなり、先週あたりから本来のペースで仕事に取り組んでいる。

年始の幹部会(ライトハウス)では、年末年始のカウンセリングの報告を受けた。

個別カウンセリングではつい課題や反省に話が集中しがちだけど、同じかそれ以上に大切なのが、「労(ねぎら)い、感謝し、期待を伝えること」だと思っている。経営の中でよく「評価」という言葉を使うけど、そのベースに本人への「感謝」と「信頼」があって初めて課題や未来に目が向くというものだろう。

上司への目はキビシイ。顔は笑っていても「この人(会社)は、私の大切な人生の一部を預けるに相応しいだろうか」そういう気持ちを必ず持って接していると思う。
(ボク自身はもちろん)幹部になるほどに、謙虚に、労を惜しまず気を使い、自分に厳しくあらねばならぬと思う。

同時に今年は、幹部を始め、メンバー全員にもう一段高い使命を持たせている。

この変化の激しい時代、不連続の時代に備えねばならないのは、ライバルの同業他社、あるいは多地域や異業種からの参入だけではない。メディア以外にも、インターネットもモバイルも、ウィーも、Uチューブも、それらのライフスタイルに革新をもたらすすべての要素がライバルだ。

移民法、アメリカ経済、日本経済の変化も直接、間接的に経営環境に影響をもたらす。オイルが上がると看板を下ろす店が出るのだ。

そんな中、海外在住者の24時間から、睡眠と仕事(家事、学業)、移動時間を除いた限られた時間の中、「必要」「習慣化」「期待」されて、ライトハウスが「生活の一部」であるためには、時代とともに変革せねばならぬものがある。また時代が変わっても残さなければならないものがある。

こんな難しい時代を乗り切るには、メンバー全員が己に厳しく、弛(たゆ)まぬ努力で自分を高め続け、全員のベクトルを重ね、リスクをものともせぬ「火の玉軍団」であらねばならないと思う。世の中に価値を提供し、心から必要とされる存在であることは言うまでもない。

余談だけど、長いモノサシで見たら、冷静に考えて日本が(かつては栄えた)アルゼンチンみたいに、あっという間に没落して世界に取り残されることだって十分に有り得る。

現実にこの日系社会で見ても、バブルまっただ中の80年代後半、ロサンゼルスの高層ビルの2/3は日本企業のもので、日本のビジネスマンがダウンタウンを勇ましく闊歩していた。高層ビルはおろか、リトル東京のシンボル的存在ニューオータニやウェラコートまでが売却された今の有り様を誰が想像しただろう。

サウスベイの日本語の看板の多くはハングル文字に付け替えられ、アジア移民の主役は中国や韓国に入れ替わった。彼らの逞しさ、ハングリーさに学ぶところは多い。

日本を日本の中から改革する努力も必要だろうけど、一方で、ガッツと才能ある個人(企業)が、世界中のどこだって活躍できる世の中への道筋をつけることも同じくらい重要だと思う。

「情報」や「教育」はそのために、生き方、生きる術(仕事)、生きる国の選択肢を増やし、回り道をすこしでもしないですむよう導くチカラがある。

ボクが生きているうちにどこまで辿り着けるかわからないけど、そのための「地図」と「灯台」を、ロサンゼルスから、サンディエゴから、次なる地域から、アメリカから、いつか世界に広げることに人生を費やしたいという想いに腹が固まってきた。