母親の長電話

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母親から長電話。

若い頃は常に全国でトップ1%に入るバリバリのセールスレディ。

慕ってくる人はとことん面倒を見る。

一方で、怒るとテーブルをひっくり返すくらい気性が激しく、四国で一番ワガママで、子育てもするけど燃えるような恋もたくさんして、強い酒を好んだ。

僕が知っていることは知らないようだけど、株ではいっぱい損をした。

結婚は2回して2回解散した。

2度目の旦那はできた人で、自分で耕した野菜を今でもせっせと運んでくれるのに、働かない男に魅力はないとつれない。

60歳を過ぎてからは、不登校の子どものカウンセラーをしながら、学校に通って心理士になった。

どんな不登校の子どもも心を開いて学校に通うようになる。そう、自慢してた。

今は福祉施設で、認知症の進んだシニアや、手に負えないと言われる人を一手に引き受けて面倒を見ているらしい。私が看ると介護のステージがみるみる下がる(改善する)んや。
と、ここでも自画自賛が始まる。

昔はそういう母親が好きになれなかったけど、近頃えらいなと少しだけ思えるようになってきた。あの頃父親は失業ばっかりしてたし、やり切れなくて全方位に爆走した母親の気持ちが、今ではちょっとは理解できるようになった。

父親もまた大きな会社をリストラになって、理想と現実が噛み合ないまま、一家の主としての信頼を失い、辛く長い時間を過ごした。失業して誰よりも辛かったのは父親なのに、僕はいたわりの言葉をかけることもなく、家に帰らなくなっていった。

今ではどっちの気持ちもよくわかる。どっちも大切な大切な存在だ。孝行してないけど、生きてるうちにそう思えてよかった。

人間は強くてヨワイ。人や夢のために命を捨てられる強さを持ちながら、人や夢にポキッと折れる。

人は弱くてツヨイ。いつか痛みを忘れる「力」を持っているから。

一方的にしゃべった母親は「もう教会にいかんといかん」と一方的に会話を切り上げた。