シャンパンと千鳥足

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夕方、週末に実施するアメリカ大使館との共催イベントで、スカイプを使った遠隔での講演をするためのリハーサルを終え、家路に向けてアクセルを踏み込む。

自宅で留守番をする父親に電話をしても留守電になる。耳の遠い父親の顔が浮かぶ。

珍しく2回目の電話に父親が日本語で応える。

「もうちょっと待っとって。イタリアンに連れて行くけん」

「おーうっ」

まだ仕事から頭の切り替わらない僕に、父親は「ええのう、イタリアンは」と機嫌が良い。

駐車場から店に向かう数分、思いつくうまくいっていることだけ大きめの声で耳元で話す。

歳よりも5歳は老けて見える父親は感心したり嬉しそうに頷く。

チーズや生ハムやピクルスをつまみながらシャンパンで乾杯する。

40年貨物船の船乗りだった父親に昔話を振ると、新幹線や原子炉を運んだ話、酒場での話、雀荘での話、船内での食生活、先立った人たちの話、いつになく饒舌に、時に涙ぐみ、時間の旅を行ったり来たりした。

「次にどこでも行きたいとこ言うてんまい。連れてったげるけん」(次回、行きたいところを言ってください。お供します:讃岐弁)

「そうやのう。ペルーに行きたいのう」

「ええで。ペルーのどこな」

「マチュピチュの遺跡を見てみたいのう」

「よっしゃ。来年連れてったげよ。そのかわり、よっほど歩く練習しとかんといかんで。日本帰ったら毎日散歩して鍛えんといかん。マチュピチュは歩けんとなんちゃおもっしょないけんのう」
(承知しました。来年参りましょう。お言葉ですが、日頃から歩いて鍛錬を積んでください。毎日の散歩を欠かさずに。マチュニチュは健脚でないと楽しめませんからね:同)

ふだん使うことのない国の言葉が出る。

帰り道、夜風の中で父親がつぶやく。

「赤いんが効いたわい」
(赤ワインが神経を麻痺させています)

千鳥足の笑顔が街頭に浮かんだ。