マンモスから

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長い筒がそのまま煙突に向って伸びる一昔前のストーブ。
中で薪がゆらゆらと燃えるのを眺めながら書いている。

ここは休暇先のマンモスの山小屋。

サミット(山頂)は標高10,000フィート(約3,000メートル)のスケールを誇るスキーリゾートマンモスは、パウダースノウと、玄人も唸らせるくらいバラエティに富んだコースが遠く海外にも知られ、他州だけでなくヨーロッパからも多くのスキーヤーが訪れる。

幸いにも我がロサンゼルスからはドライブでたった5時間の距離。毎年冬休みになると家族でキッチン付の山小屋を借りて連日スキーをして過ごすことにしている。

そして今夜が最後の晩。

夕食を終え、トランプの最終決戦までの間、子どもたちがシャワーから出てくるのを待ちながらしばしこの休暇を振り返っている。

ボクの誕生日の12月26日に出発したのだけどそれは楽しい毎日だった。

誕生日の夜は、息子が(たぶん)ガムテープと厚紙で拵(こしら)えた財布をプレゼントしてくれた。

カードが2枚分とお札、小銭が少しだけ入れられる。留め具は、爪楊枝(つまようじ)を使っている。実際にお札を10枚も入れると分厚くって曲げられない。不格好だけど何時間もかけて作ってくれたのだろう。どんな気持ちで作ってくれたか思い浮かべてみる。同時に近頃では、たまに顔を合わせると、細かいことで自分の考えを押し通したり、聞き分けがないと大きな声で叱りつける自分を恥じた。こんな頑固で勝手な父親にもよく懐いてくれる。

反省即行動じゃないけど、夕食後はすぐにトランプをしたい気持ちを抑えて(ボクのこと)、日本語学校(西大和学園)の宿題をいっしょにやった。

漢字や読み書き。方程式を使う食塩水の問題は、大きな絵を描いて説明した。正比例や反比例の問題も、自分でできるまでチャレンジした。眠い目をこすって目標のページまでやり終えた時は思わず抱き合った。そして抱きしめながら「マイ人生の一番シアワセな瞬間」だと思った。

息子はアメリカ生まれで、一見日常会話はふつう(のよう)に日本語で話せても、算数の問題を読むところからシンドイ。真剣な横顔を見ながら、改めていつも根気よく子どもたちの面倒を見てくれる西大和の先生方に感謝した。

娘はスキーと寝不足で疲れたカラダを「もういいよ」と言ってもいつまでもマッサージしてくれた。

身内を誉めることは卑しいことだが、彼女のことを良いヤツだなあと思っている。なにか叱った記憶がない。年が離れているけど(当たり前だけど)、いつもヒトを思いやり、努力を口にせず、それでいて度胸がある。毎日「ありがとう」とチャランポランな父に感謝してくれる。まさか皮を剥いだら、立派なお坊さんが出てくるんじゃないかと思うことがある。

つい先週の東海岸と中西部の出張の間にこんなことがあった。
家内に電話をしたら娘が昨夜から高熱でダウンしていると言う。にもかかわらず、前の晩に電話した時に(家内と息子は剣道の稽古で不在)電話を受けた娘は、出張先の父に心配をかけぬよう「みんな元気でやってるからパパも元気で帰ってきてね」と声色も含め、自分がひっくり返っていることをお首にも出さず励ましてくれた。そういうヤツだ。

休暇に話を戻そう。

スキーの方も娘に教わってずいぶん上達した。今さらだけど。

技術というより気持ちの話なんだけど、エキスパート専用のコースの前で行こうか行くまいか一瞬たじろいでいると「パパ、最大のリスクは転けるだけ。うまくいかなくてもコロコロ転がってるうちに下まで着くよ。いこういこう」と娘がニコリ。

目からウロコ。なんてポジティブなヤツだろう。

それ以来、「失敗しても転けるだけ」と呪文のように唱えながら、真下に落ちていくようなコブだらけのエキスパートのコースも、あるいはジャンプ台3連発も、実際ほとんどが失敗で雪煙を上げながら転倒するのだけど、果敢にチャレンジできるようになった。

特にジャンプ台では、下の方から家内やチビが見守る中を(無意識に大声で叫びながら)目から涙を吹き出しながらジャンプ台(と言ってもホンの50センチくらいの高さ)を蹴った。

ひとつ目はバランスを崩しつつも着地成功。

「うぉおおお〜」と叫び声で飛んだふたつ目も辛うじて成功。

しかしもはやそこまで。

叫び声の大きさと成功率に相関性はない。

みっつ目は空中でバランスを崩してカラダも板も空中分解。うつ伏せに激しく地面に叩き付けられたまま数メートル滑り落ちた。

一部始終を眺めていた家族によると、あまりにボクの声が大きいものだから、まわりのスキーヤーやスノウボーダーも呆気にとられて眺めていたらしい。その結末に、哀れむ者、腹を抱えて笑う者、反応は分かれても大いに楽しませたらしい。

食事も日々の楽しみ。基本は冷蔵庫にあったものに少し買い足して毎日自炊。カレーやスパゲッティ、カンタンな炒め物を、家内とボクでテキトウに分担して作る。洗い物は子どもたちも手伝う。ビールやワインは外の雪にブスブス刺して必要な時に出して飲むし、焼酎の氷は、コップを積雪に3回くらい刺して圧縮して調達する。

天然の雪を浮かべて飲むと、大小のわだかまりがサラサラ溶けて流れていく。

飲んでばかりでもない。
ふだん出番が少ないので、なるべく世の中やボクが伝えておきたいことを子どもたちに話した。身近な需要と供給の関係とか、モノを売るときの値段を決めるポイントとか。自分のこれまでの仕事の失敗とその原因とか、将来の夢、目指している経営者像についてもオトナに伝える言葉で語った。

こんなこともあった。日も暮れたガススタンドで、ガス欠した青年が困って頼ってきた。詳しい事情はわからないがこんな寒い夜に放ってもおけない。

何様でもないけど、とりあえず数ドル援助した後、息子から「困ってるのにそれじゃ少ないんじゃないの」と来た。「アナタも若い時さんざんお世話になってるのに」と家内も追い打ち。

一瞬ムッとしたけど、自分が青年の頃、ボクは、友人知人、無縁のヒトに関わらず、金からメシから情けから、呆れるくらい世話になり倒した。その多くは恩も金も借りたまま返していない情けないボクであることを思い出した。

一回、公道に出たけど、ハンドルを切って青年のところに引き返した。そして仲間とランチを一回贅沢するくらいの金額を預けてその場を去った。ちょっとフンパツ。だけど、年末に少し良

いことをして家族の心も温めてもらった。

話の収拾がつかない。
大小の出来事がすべて宝物だった。

そんなこんなの休暇もあとわずか。
この残された時間はトランプで勝ち続けることに集中したい。(腕まくり)