恩人たちを訪ねて

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日本出張折り返し点の東京。

今回は事業を前に進める話だけでなく、過去にお世話になった方たちに、近況報告と感謝を伝えることも重点を置いている。

もちろん、今回だけでご恩の方の100分の1にも会えないのだけど。

元リクルートの役員で東大の副理事も務めたTさんは、1999年に事業計画も経験も実績もなかったライトハウスの国際教育事業を世に出してくれた。大手の学校の理事長や学長に、自ら同行して推薦してくれたご恩は一生忘れられない。

Tさんは今、日本の企業とアジアの若者を結びつけるためにアジアを奔走している。

「コミヤマさん、(教育事業が)いよいよ軌道に乗って良かったなあ!そうや、アジアで良い日本語学校があったら知らせて。買収して、就職までしっかり面倒見れる学校作るから」

赤坂で強く握手をして別れた。

同じく、元リクルート「学び事業部」で中部北陸地区の事業部長だったAさんは、たくさんの学校にライトハウスを推薦してくれただけでなく、後に「ライトハウスキャリアエンカレッジ」の経営パートナーとなるターさんこと高畠一郎との出会いを授けてくれた恩人。

「あの頃、コミヤマさんの構想を聞いて、絶対に世の中に必要になると思ったから自信もって学校には推薦したよ」

昨夜は、成城学園前のAさん宅で深夜まで痛飲した。ずっと気になっていた奥さんの仏前に手を合わせることもできて良かった。

今ではその「学び事業部」の親分になったNさんやTさんとも今回梅田で杯を交わすことができた。

いつも「日本の若者のために」僕らのことを自信を持って学校に推薦してくれた。彼らは一生の親友だ。

米系プライベートバンクの紹介で、当時ビバリーヒルズに暮らすOさんと出会ったのは10年前。
長者番付の上位に名前を連ねたOさんは、無作法で田舎者の僕を日米の社交界に導いてくれた。

時にクルーザーやヨットクラブで、時にプライベートクラブで、時にグリーンの上で、時に新橋のお座敷で、大人の振る舞いや遊び方、酒の飲み方、経営のことを息子のように教えてくれた。

70歳過ぎてなお背筋がピンと伸びて眼光鋭い。明日はそのOさん夫妻に会いに、軽井沢の別荘を訪ねる。

こうして書いていると、改めて、人は人の縁によって生かされているし、人のおかげの中で生きているのだと気づく。

同時に人への感謝や恩を、また次の誰かや次の世代に返さなくてはならないと思う。

毎日有り難いことばっかりだ。