アジアは広い

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まだ夜が明け切らないインチョンに着陸したのが午前7時。

目を凝らすと空港は一面雪だった。

空港内を行き交う人々の装いは、ほんの一週間あまり前に経由した時より、さらに冬の真ん中に向かっている。

蚊に刺されてTシャツから出た腕をぽりぽり掻いてた昨夜。
あのシンガポールやベトナムの蒸し暑さが遠い遠い昔のようだ。

アジア。広い。

アジアを住処にする人たちは、みな屈託がなく、逞しく、厚かましかった。

鉄砲水のようにスクーターが流れるベトナムの道路では、笑顔を浮かべても誰も止まってくれない。待っていてもそこに信号はない。根性を決めて道路に身を投じるのみ。

ぼんやり道で携帯電話なんかしてると、後ろからスクーターでさらわれるよと何人もの人からアドバイスされた。

そのベトナムで、編集者の女の子が、2年前に修理に出したバイクを転売されてまだ解決しないと嘆いていた。修理屋の店主は謝るけど、補償はしてくれないのだと。意味がわからずフリーズした。

上海の有名ホテルでの夕方、アポイントに焦(じ)れる僕が「なんでまだタクシー来ないの?」とホテルマンに尋ねると、「金曜日の夕方に簡単につかまるワケがないだろう。道路を見ろ。1時間待つこともあるんだから」だって。20分待たされて、ようやくタクシーに乗り込む僕を「ラッキーなヤツだ」と笑って見送った。常識がここでも崩れた。

マレーシアのゴルフ場のキャディは、煙草ばかり吸ってコースのアドバイスを学ぼうとか磨こうという姿勢は見られなかった。一日に数回、時間になると遠くからコーランが風に運ばれてきた。イスラムの国なんだと気づいた。

アジアのどこの入管や手荷物検査の列でも、背中を押され(押されても早くなるわけではないんだけど)、30センチの隙間があったら大の大人が巧みに割り込んできた(叱りつけてもどこ吹く風)。

シンガポールからの機中では、大音量でゲームに興じる若いカップルに「ヤカマシイ!」と怒鳴ったけどケロリとしてた。両親の顔写真が見たかった。

ベトナムのラウンジでは、フォーの作り方を控え室のスタッフに尋ねたら「係の誰かがいるだろ」と投げやりに返された。いたら尋ねています。

僕も負けずに主張したり噛みつくけど、一方ではそんなもんだと呆れながらも、アジアの粗っぽい空気を楽しんでいる自分がいる。

きっと、伝えないとわかってもらえない26年のアメリカ生活に、僕自身も厚かましく鍛えられているのかも知れない。

その点、日本は奥ゆかしく、相手の気持ちを汲み取る文化だ。繊細さと思いやりの国。

と、広くもない空港通路を、Gメン75みたいに(わかんねえか)広がって、ひときわ大声で闊歩するおばちゃんのかたまり。

聴こえてきたのは母国語だった。降参。