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込山洋一

次の一歩

先週は2回、日本の大学とLA(って、この会長室だけど)をスカイプで繋いで、学生たちに講義をさせてもらった。

実際にそこにはいないから、教室の空気や体温が伝わってこない分、少し難易度が高いけど、毎回イマジネーションを働かせて話すようにしている。

それでも通信の発達のおかげで、こうして世界中のどこにいても、講義をしたり、受けることが可能になった。

僕自身、今春卒業したオンラインのMBAで学んだ理由のひとつは、最先端の学びの場で、オンラインの可能性を体感しておきたかったからだ。今や通信技術で大抵のことができるし、教育の分野においては、オンラインの方が優れている部分もある。

僕が人生を費やして取り組んでいることのひとつが、

「日本の若者に、多様なロールモデル(多様な価値観)を提供すること」だ。

世の中には、人の数だけ尊く多様な生き方があって、とりわけ日本の若者が、ふだん接することができない海外で、言葉や文化の壁を越えて、熱く逞しく生きている日本人の生き様に触れさせることで、人生や未来に対して前向きになってもらいたいと願っている。「自分にだってできるかもしれない」と。

そんな思いを持って、ライトハウスは、2000年から日本の大学や専門学校を通して、日本の若者に海外研修を提供している。パートナーやメンバーに恵まれ、ようやく年間に千名を超える学生を預かるようになったけど、研修そのものは「手段」であって、実現したいことは、若者の動機付けや視野を広げることだから、オンラインを含めたテクノロジー(あまり強くないけど)を駆使して、もっともっと多くの若者に気づきを提供したいと思っている。そう、一年間に何十万人の若者に届けるくらいに。

これを読んでくれている皆さん、(すでに大勢の方が協力してくださっていますが) そんな夢の実現に、将来どこかで力になっていただけたらうれしいです。一人でも多くの若者が勇気をもって次の一歩を踏み出せるように。

*ライトハウスの教育事業(LCE)のミッション・ステートメント

若者が、自分らしい「生き方」「働き方」を見出すキッカケがつかめるよう「自分ひとりでは体験できない機会」の提供者として、世界中で挑戦する人・企業と出会い、多様な価値観に触れ、感じる場をつくることで新しい可能性を自覚し、勇気を持って、次の一歩を踏み出すことを応援する。

04 27, 2016

大人の遠足(船釣り編)

この週末は、社長の植野、編集の三木、そして(なぜか)教育の古茂田と僕で、レドンドビーチの釣り船に体験取材に集結した。

ざっくり“大人の遠足”と呼んでいるけど、 自転車でも登山でもキャンプでも、 大の大人が日常から解放されて、自然の中でワイワイやるのは楽しいものだ。

が・・・、毎回そうとは限らない。

この日は朝から海が荒れていて、船が港を出た途端に上下左右に揺れまくり。出港前は威勢の良かった仲間たちも花が萎れるように次々とダウン。最後まで平気な顔で、 「水平線を眺めていたら酔わないから」なんて言っていた僕までがあろうことか、しまいには海に向かってゲーゲーする始末。面目まるつぶれである。

それでも竿を垂らせば、次から次へと魚が釣れる。みな、遠のく意識と、胃袋の底を海が突き上げるのに堪えながら、魚を釣り上げては、カメラを向けると撮影用の笑みを浮かべた(釣果はごらんのとおり)。

下船後は恒例の反省会(飲み会)もなくこの日ばかりは静かに解散。

いつもよりおとなしい夜、誰からともなく互いに“遠足”の写真を送り合った。

その中には、 船底にへばる互いの写真や、美味そうな煮付けや塩焼きの写真があった。(誰にも見せられない僕がへばった写真は、翌日のうちに社内であっさり共有された)

そんな情けない挑戦だったけど、写真を眺めているうちにまた行きたくなった。今度は海がなるべく穏やかな日曜日に。

* この日の敗戦模様は植野がレポートします。ライトハウス(LA版)の6月1日号をお楽しみに!(電子版でもご覧いただけます)

04 25, 2016

もうダメだというときが仕事のはじまり

ライトハウスでは毎週水曜日の朝、西海岸の全支局をスカイプでつないで、稲盛和夫さんの語録を教材に勉強会をやっている。
ひとつのテーマについて2回。最初の週は部署横断のグループで、翌週は部署ごとのグループで、8時半から20分間議論して残りの10分を発表にあてる。
昨日のテーマは「もうダメだというときが仕事の始まり」。
僕はこの言葉が大好きだ。
ピンチや八方塞がりの時、この言葉が条件反射的に耳の奥で響き、臆病な僕を鼓舞してくれる。
解説文を引用しよう。
「ものごとを成し遂げていくもとは、才能や能力というより、その人の持っている熱意や情熱、さらには執念です。すっぽんのように食らいついたら離れないというものでなければなりません。もうダメだ、というときが本当の仕事のはじまりなのです。強い熱意や情熱があれば、寝ても覚めても四六時中そのことを考え続けることができます。それによって願望は潜在意識へ浸透していき、自分でも気づかないうちに、その願望を実現する方向へと身体が動いていって、成功へと導かれるのです。すばらしい仕事を成し遂げるには、燃えるような熱意、情熱をもって最後まで諦めずに粘りぬくことが必要です。」
手足を使って頑張ることは誰だってやっている。脳みそに汗をかくくらい頑張ることも多くの人はやっている。でもそれだけじゃ足りない。
熱意、情熱、執念、さらに、もうダメのその先の未来(約束のない未来)を信じきる力が大切なのだと思う。自分の未来を自分自身が信じなくして誰が信じてくれるだろう。絶対に乗り越えられる、絶対にその答えはある。
もうダメだというときが仕事(人生)の始まり、だ。

04 07, 2016

学ぶことは楽しい

3月27日。1ヶ月の日本出張を終えて、ロサンゼルスに帰る機中にいる。

日本では連日クライアントとの面談や、新しい事業の仕込みに日本全国を奔走する日々であっという間の1ヶ月だった。

そんな中、昨日はBBT大学大学院の経営管理修士の学位授与式だった。

48歳でMBAに進んだ動機は、50歳からのゴールデンタイムに経営者として最高のパフォーマンスを発揮するためであり、優秀な幹部たちが思う存分暴れるのを支えられる見識を身につけるためだった。

2年間で3000時間。生まれてこんなに勉強をしたことがないというくらい勉強した。 僕は人一倍飲み込みが遅く、記憶容量も小さいので、 人の何倍も努力しないと頭に入らない。まるでF1レースにママチャリで参戦しているようだった。

それでもBBTのエアキャンパスは僕に向いていて、講義はすべてオンデマンドだから、わからないところは理解できるまで(気兼ねなく)何回でも繰り返し視聴したし、24時間世界中のクラスメイトとオンライン上で交わす議論が、学びをさらに深めてくれた。

また学長の大前研一さんが集めた日本選抜級の教授陣の講義を、自宅の書斎やオフィス、バスタブやベッドの中、通勤の車中でも聴くことができたのも有り難かった。

在学中心掛けたのは、勉強と仕事(経営)を別々に考えるのではなく、すべて日々の事業や未来の構想と結びつけることだった。学びを余すところなく実践に落とし込むことができたし、自然と実践は血肉になって身についた。

それに加えて、日本出張時に会いたい教授には積極的にコンタクトして会いに行ったし、クラスメイトとは時間の許す限り会って親交を深め、時にはシンガポールやインドにも遠征した。

今期の経営学研究科の修了生は61名(うち同期28名)。年齢は29歳から57歳、平均年齢は41歳。多種多様な分野で活躍する幅広い世代の仲間が、同志として、ライバルとして、互いが互いのブレインとして生涯にわたって研鑽を積む。ここで得た仲間たちは一生の宝だ。ずっと大切にしたいし、自分自身がみんなに貢献できる存在でありたいと思う。

帰国後はこの2年間駆け足で学んできた過去の講義や課題図書を、3年くらい掛けておさらいしようと思う。

学ぶことは楽しい。一生学び続けてやりたいことは全部やるのだ。

03 27, 2016

50歳の息子

日本出張の合間、ほんの12時間の滞在だったけど、高松でのミーティングの後、弟と実家に一泊した。

実家では、母親はテーブルに乗り切らないほど料理をこしらえて待っていた。

元気な顔を見せることもそうだけど、今回は運転が怪しくなってきた母親に、運転を“卒業”してもらうよう説得することも目的だった。

個人差はあるけど、73歳の母親の運転(運動神経)は圧倒的絶対的に信頼できない。本人はもちろんだけど、他人様を巻き込むような事故を起こしてからでは取り返しがつかない。

とくに日本では狭い道路に、トラックも自動車もバイクも自転車もいっしょに走っているのだ。そしてそのすぐ脇を歩行者が歩く。

そうでなくても制限速度を大幅に下回る速度で走る軽自動車、(あろうことか)追い越し車線をふらふら走る自転車、今回も地方都市で高齢者の目を覆うような行動を目の当たりにした。近頃は、高齢者の高速道路の逆走が巻き起こす事故も珍しくない。

そんなことで、母親に命を大切にして欲しいこと、他人様を巻き込むことは許されないこと、さらにはその決断は後世に語り継がれるべき勇断であること(ココにとくに響いた)、とにかく言葉を尽くして説得した。

その甲斐あって、来月の車検のタイミングで自動車を手放すことと、電動アシスト自転車をプレゼントすることで気持ち良く受け入れてくれた。 必然性というより気持ちを汲んでくれたのだろう。

翌朝、母親の気持ちが変わってないことを確認して、その場でヤマハの最新のモデルを注文した。

遠足のような弁当を持たされ、玄関に立つと靴がきれいに磨かれていた。50歳になっても息子は息子だ。

03 10, 2016

仕事納めの日に

今日はライトハウスの仕事納め。オフィスはいつもよりゆっくり空気が流れている。

明日からの年末年始は卒業研究のために勉強の日々。といっても、僕にとっては過去のインタビューや資料と睨めっこしながら、海外在住者の困りごとを分析して、誌面や事業に反映させるという本業でもあるのでとても楽しい時間だ。
来年は海外に暮らす方たちが、人生の大切な決断をする時の判断材料となる情報をこれまで以上に発信する予定だ。将来の不安やリスク、後悔がそれによってほんの少しでも軽くなったら情報誌の作り手としてこれ以上うれしことない。
今年も一年ありがとうございました。
2016年もライトハウスをどうぞよろしくお願いします。
笑顔で元気出してまいりましょう!
(写真は会社のクリスマス会より)

12 29, 2015

感謝の50歳

12月26日。無事に50歳になった。
昨夜は遠くの友人や近くの友人、妹家族を含めた”ファミリー”が盛大にお祝いをしてくれた。先週もアメリカの全メンバーと日本のパートナーが心のこもった素晴らしいお祝いをしてくれた。

86年にスーツケースひとつでアメリカに来て、いろんな人に助けてもらい、導いてもらい、応援してもらって、今日の日を迎えることができた。50年を一言で言うと「感謝」に尽きる。ただただ感謝しかない。

この一ヶ月、MBAの卒業研究で30人近い在住者の方にインタビューの協力をしていただいた。その中でわかったことは、アメリカ在住者の最大の悩みは、親の問題(介護や相続)、 自分の問題(老後)、子供の問題(教育)に集約されること。これはアメリカ在住者というよりも、日本とつながりをもったまま海外に暮らす全ての日本人の悩みと言えるだろう。

次の10年は、事業を通してそんな「海外在住者の人生の選択の助けになること」、もうひとつは「日本の若者に世界のロールモデルをシャワーのように提供すること」、その2つに自分の人生を費やしたい。

あと、これまで以上に友人や家族との時間を大切にしようと思う。ひとまずは卒業まで3ヶ月、次の10年戦うための知恵をしっかり身につけるのだ。

12 26, 2015

冷たい手のひら

松山から高知に向かう列車から。
車窓をみかんの木と瀬戸内海がゆっくり流れてゆく。

朝松山を発つ前に、メンバーの実家に立ち寄った。
タクシーを待たせて、ほんの数分だけ。
せっかく松山まで来たので、息子が元気で頑張っていることと感謝を伝えたかった。

玄関が開くと、東京駅の雑踏で会っても、すぐに本人の父親とわかるくらいソックリで、背筋がピンと伸びたお父さんと、聡明でやさしそうなお母さんが迎えてくれた。

タクシーの中でいろいろ言葉を考えていたのに、その場になると、元気でやっているけど寝る時間も惜しんで頑張っていると、かえって心配をかけるようなことを言ってしまった。

年老いた両親の手のひらを両手で包むと、少し冷たくて、 ふいに鼻の奥の方が熱くなった。

11 18, 2015

ここにしかない風景

週が明けた月曜日。
新幹線で新山口に向かっている。

今日から、山口、鳥取、岡山、愛媛、高知、香川、大阪を10日間掛けて回る。
各都市の学校グループの親分や経営者との大事なミーティングが控えているので、常に最高のパフォーマンスを出せるように万全の体調管理が欠かせない。

そんなことで、体調を整え、しっかり英気を養うために、この週末は僕が生まれ育った町、香川県高松で弟が経営する宿「望海荘(ぼうかいそう)」を訪ねた。

屋島の山頂に建つこの小さな宿は、10室ほどのすべての部屋から、国立公園に指定されている瀬戸内の島々と高松の夜景が一望できる。

この部屋から眺める夕陽に真っ赤に染まる瀬戸内の風景は、僕にとって、雄大なグランドキャニオンにも、ギリシャの丘から眺める真っ青な地中海にも、燃えるようなワイキキの夕陽にも、はたまた豪快なイグアスの滝にも圧勝の大好きな風景だ。洗い立てのシャツのように心を洗濯してくれる。

良いのか悪いのか、この屋島もそうだけど、望海荘はもっとマイナーなので、多くの観光地のように人で溢れることも無い。僕は移動と人と会うことが日常だから、ここに来た時にはただただ海や島々を眺めてゆったり過ごす。

食事は地元の有機米、讃岐牛、瀬戸内の魚や海苔を使ったシンプルな料理。
立派に美味しいけど、ふつう。それで良い。東京から腕の良いイタリアンのシェフを雇うか、相談を受けたこともあったけど、ターゲット層の多くのお客さんは、寿司もフレンチもイタリアンも天婦羅も贔屓の店は決まっている。そういう店に敵うはずも無いし、勝負する必要も無い。この宿は、東京のどんな名店もホテルも持っていない風景を持っている、そいつ一本で勝負すべきだと助言したことがある。弟に通じたかわからないけど。

そうそう。この宿を訪れるもうひとつの楽しみは整体。
伊藤さんと古味さんという整体名人がいて、東京や関西からも整体を受けるために毎月来てくれる常連がいるくらい。とにかく上手い。そして泣くほど痛い。僕は疲れがたまると、背中が丸くなって呼吸が浅くなるのだけど、みっちり2時間施術してもらうと、青年のボディと入れ替えたみたいに軽くなる。歪んだ姿勢は整い、呼吸が深くなるから目覚めも爽快。

またしばらく全開で戦える。

11 15, 2015

静かなハロウィンの夜

静かなハロウィンの夜。

いや、世の中ではなくウチの話。

家人も僕も忙しさに、飾り付けも訪れる子供たちのお菓子も用意するのを忘れていた。

いつもなら点けている玄関の照明も消し、外に明かりが漏れないようにキッチンも暗くして、気配を隠して食事をした。ふと「逃亡者」の文字が頭に浮かぶ。

その時、
「コンコココンコン、コンコン」
と、威勢の良い玄関のノック。

ぎょっと顔を見合わせる。

息子が玄関脇のガラス戸を確認すると、二人の子供。

家中のお菓子を血眼で探し、仏壇に備えたポッキーをつかみ息子に手渡す。息子からポッキーを手渡された子供たちは大喜びで帰ってゆく。

さあ、また来たらどうする。。手を休めることなく食料庫やキャビネットを探す。

家人が味付け海苔を起案するが却下。整合性もセンスもない。僕はこの機会に日本の食文化普及を結びつけ、まとめ買いした日本のカレーやシチューの箱を渡そうと閃いた。

が、幸か不幸かもう子供たちが来ることはなかった。

来ると困るが、来ないと淋しい。自業自得だけど、ちょっぴり気疲れするハロウィンナイトだった。

10 31, 2015