平凡な風景の中に

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朝会社に行く時に、ホーソン通りを南から北に向かう真っすぐの道路を走っていたら、メキシカンのおじさんが沿道の芝生の種を蒔いていた。

何気なく“緑の多い町で暮らしている”と思って生活しているけど、それは自分で作ったものでもなければ、自分が買ったものでもない。

ふだん見落としがちだけど、沿道の芝生も、季節の花も、街路樹も、手を汚して汗を流して、種蒔きをしてくれるヒトたちがいて、さらにさらに、その向こうに種を集めたり運んだりしてくれるヒトがいて、ボクたちの生活空間に潤いをもたらしてくれている。

そう思って注意してみると、ふだん意識もしない風景の中に、信号があり、標識があり、斜線があり、また自分を目的地に運んでくれる車があり、そのすべては誰かが作ってくれていて、それを運んできて設置してくれるヒトの存在がある。

そういうヒトの中には、機嫌が悪かったり、体調が優れないヒトもいるのだろうけど、家庭や職場で声をかけたり励ましたりして側で支えるヒトがいる。

街路樹の一本も、その向こうの何人ものヒトの「おかげ」があって存在する。

なにひとつ、当たり前じゃない。

ボクたちの視界は、困ったことや急を要すること、面白くないことが占拠しそうになるけど、それはきっと全体の中の限りなく数パーセントでしかなく、実は意識しないと見えない「ありがとう」に包まれて生きているのだと思う。つい、怒ったり、嘆いたり、不満を感じることもある人生だけど。

例えば誰かが、夢に出てくるくらい悩んだり、壁にぶち当っていたとしても、それは生きているからできることだし、越えられるから今その課題が用意されているのだ。

ということで、今週も元気だしていこう!

種蒔きのおじさんにムーチョグラシャス!