元旦のジョー
- 2007.01.02
- 日記

新年、あけましておめでとうございます!
みなさんはどんな年末年始を過ごしておられますか。
ボクの大晦日は、友人の高津家、親父、弟家族、弊社片山が拙宅に料理を持ち寄って、紅白歌合戦で盛り上がった。
およそ三世代がテレビの前に集まり、あいつは巧いの衣装が重いのと貶したり感心しながら、ほっぺたを赤くして飲む酒は実にうまい。
ニュースと特別なスポーツイベント以外、ほとんどテレビやビデオを見る時間がないボクにとって、紅白は日本のカルチャーを知る貴重な場。「なるほど、この人が〜さんね」とキャッチアップする。
日本のマスコミが視聴率云々で、もう止めろだの、おしまいだの避難ばかりするのを見ると、とてもやり切れない気持ちになる。
巨人大鵬卵焼きの時代じゃないんだから、これだけ個人の指向が多種多様に広がる中で、国民の半分近くをテレビの前に座らせるなんて、むしろすごいことである。ホントによく工夫してやっていると思う。
紅白の作り手だって、そんな誹謗中傷ではなく、視聴者の感謝が伝わったら、それはそれは意気に感じるだろうし、もっと面白い番組を作ってやろうと頑張れるにちがいない。
何より、紅白に関わるすべての人も、熱い血が流れる同じ人間だ。親兄弟友人もあるだろう。やっている仕事に感謝や評価をされたら、自分たちの仕事に誇りを感じられるし幸せになれる。やっていることが報われる。
トヨタの車を貶すのは簡単だけど、作ることは100兆倍難しい。
評価することと作ることは、同列でも対等でもない。価値がまったく違うと考える。
生活者の「便利」「快適」のための評論はありがたいけど、書き手(作り手)のストレスやコンプレックスといった「悪意」が原動力になったメッセージや情報は、読み手にも伝搬するからいただけない。日本にはこれがあまりにも多い。受け手の心にまでザラザラと悪意が広がってしまい、世の中そのものがギスギスしている。その責任は重い。
その種のマスコミは、そろそろ足を引っ張ったり、アラを探して稼ぐ発想を捨てて、良いところや尊い活動に光を当てて、見る人の感動や共感を得る努力をすればいいのにと思う。
その仕事に就いた時の、志しに燃えるまっさらの自分を思い出して、世の人がハッピーになるような情報発信者になってほしい。
と、自分への戒めも込めて。
いよいよ除夜の鐘が鳴る頃になると、弟も片山も紅白で火がついてしまい、カラオケをやろうと収まらない。高津さんはうちについてすぐに、我が家の音響システムのアップグレード工事をやってくれたから気持ちはひとつのようだ。鼻歌でスタンバイしている。みな、画面のスターと自分をダブらせるから堪(たま)らない。
みんなちょっと今年を振り返るなり、胸に手をあてて考えてほしい。
年越しそばを食べ、仏壇に手を合わせたらカラオケタイム、ノ〜ンストップ。
カミさん、子供は、呆れ半分でいつの間にか姿を消す。
通信カラオケの順番待ちの曲が、減るより早く増える。もうイケイケドンドンとはこのことだ。
眠い目をこすり、10分おきに腕時計を眺めていたけど、午前3時を過ぎたときに諦めた。不思議な現象だけど、後で聞くとカミさんはボクの声ばかり響いていたという。
5時就寝。
元旦から明日のジョーのように真っ白に燃え尽きてしまった。