南米親子旅 その1
- 2008.04.13
- 日記

4月13日の日曜日。
家内の両親、親父の3人のシニアと弟の雄三、そしてボクというちょっと不思議な組み合わせの南米珍道中から無事帰ってくることができた。
きっかけは(以前このブログに書かせてもらったけど)、生きている間に南米の地を踏みたいという親父の願いを叶えることだったのだけど、もうひとつ、近年身の回りに悲しい出来事が続いて、少し元気がなくなってしまった義父を何とか元気づけたいという願いが加わり、ボクたち兄弟は南米一の添乗員を目指した。
一番心配したのは、旅行社(トラベルオリエンテッド www.traveloriented.com の久保さん。ライトハウスが創刊のペラペラの頃からのつき合い)と相談して行程を組んだものの、連日の大移動と環境の変化や時差に、道中誰かが体調を崩しはしないかだった。
幸い、誰ひとり病気をしたり体調を崩すこともなく、またトラブルやアクシデントもなく、最後までよく笑い、よく食べ、よく驚き、元気に帰ってくるとことができた。
一回では書ききれそうにないけど、旅先のメモをもとに、南米での様子を綴ってみたい。
ロサンゼルスからサンチャゴ経由で14時間、ちょうど日本の裏側の国アルゼンチン(ブエノスアイレス)に来ている。
出発前から、危険物のチェックのところで、親父がパスポートと搭乗券を荷物といっしょに流して検査官を困らせたり、両親が軽い夫婦喧嘩を始めたりしたけどそこは想定内。
無事サンチャゴへ飛ぶLAN航空機に搭乗できた。
幸い席も、両親は窓側に二人並んで、ボクと親父も通路から二人並んで座ることができた。が、後から予約を入れた弟は、気の毒にも後列の3人掛けシートのまん中。それも大きめの男性にはさまれてオセロゲーム状態。悲しい目で訴えてくるも黙殺する。
機中では、日本に行くのと同じくらいの長時間だったけど、ひさしぶりに親父の昔話に聞き入ったり、うたた寝をしているうちにサンチャゴに到着。
両親と親父の顔色も良く、最初の関門をクリア。
出発前に弟と、今回の旅は3人のシニアの健康と感動、安全を第一でいこうと誓い合った。
いいぞいいぞ。
順調に旅が始まったと思ったら、さっそく親父が「乗り継ぎチケット」にあたる半券を紛失。
確認作業の間、うしろに並ぶ人たちをしっかり待たせてしまった。まったく油断ならない。
サンチャゴからブエノスアイレスに向う東西2時間の移動は、雪をかぶったアンデス山脈を越え、南アメリカ大陸を横断する。
朝日を浴びるアンデスの風景はいかにも神々しく、何枚もシャッターを切ったけど、スケールの大きな景色を写真に収めるのはむずかしい。
山脈を越えると、どこまでも続く地平線。地球は広い。アルゼンチンはデカイ。
時々視界に入る集落。そこで暮らす人たちはどんな食卓を囲み、どんな生活をしているのだろう。
きっと家族が助け合い、子どもたちも良く手伝いをするのだろうなあ。
南米の旅は今回で2回目だけど、南米の子どもたちはよく手伝いをするし、家族仲が良い。昔の日本もそうだったのだろうなあ。
土曜日の午後3時半にロサンゼルスを発ってから14時間。
現地時間(ロサンゼルスより4時間早い。日本と12時間の時差)の午前9時半(日曜日)にブエノスアイレスに到着した。
「地球の歩き方」によると、流しのタクシーは稀に吹っかけるようなので、予約タクシー(リムジンバスのように、目的地によって料金が定められていて、乗車前に料金を支払う。ちょっと割高だが安全、とのこと)に分乗してホテルに移動。ちなみに料金は一台88アルゼンチンペソ(1ペソはUSドルの約1/3)。
この国はヨーロッパ系移民が95%もいるからか、車好き、レース好きの熱い血が流れているようで、みなやたら飛ばすし、車間距離をぐりぐり詰める。バスも乗用車も競走しているみたいだ。
ボクらが乗った車も、衝突したら木っ端微塵になりそうな軽自動車なのに、床にアクセルを貼付けるようにして風景を吹き飛ばして走る。
イタリアの多くの運転手も命知らずの暴走族だったのを思い出した。
ホテルまで無事に着きますように。