ティラの人生
- 2009.05.01
- 日記

我が家の飼い猫の名前は「ティラ」と言う。
13年前、家族がみんな日本に里帰りしている時に、ひとりペットショップに訪れたボク。当時は、犬が飼いたくって、通り沿いにペットショップの看板を見つけては覗いていたのですね。
意に反して、「飼い主求む」の張り紙の奥の窮屈なケージには兄弟なのか、何匹もの子猫が戯れているのにすっかり心が奪われた。「こりゃ、たまらん」
その中で、目に飛び込んできたのが、やせっぽちで瞳の大きな子猫ティラだった。
ティラという名前は、幼稚園の娘が「立派に強く、ティラノザウルスのように育ってほしい」という思いを込めて名付けた。
ダイエットを試みるも、家族の心配をよそに、時差で起床するボクら家族を騙してまで、食ってないフリをして、日に2回の食事をしれっと4回平らげたりした。
まるで学生時代のボク。表情を微妙な変化をつけて、寮の学食で2回並んで食っていた。やはり飼い主に似るのか。
外にいたい時は外で過ごし、中にいたい時は催促し、あのソファー、このベッドと、その日の気分でベッドを決める。
13年も生きているから、うちのチビどもと同じような時期に生まれても、人間でいうなら7、80歳。人生を1日に当てはめたら、今これを書いている午後の11時を過ぎたくらいか。お迎えが来るのはそう遠くないのかもしれない。今まで以上に大切にしてやらねばと思う。
子どもたちも勉強の手を休めては、やさしく鼻をくっつけて接吻をしたり、手足を伸ばしてダラダラの老猫を飽きるまで撫でてやる。
そんな柔らかい光景を眺めるにつけ、こいつもそう悪い人生ではなさそうだと安心する。
ティラと過ごす時間も人生の中で決して長くないし、こうして子どもと身近な距離で過ごせる時間も、実は当たり前のようで永遠ではない。5年先、10年先にばかりに目が行きがちだけど、手を広げた距離にあるシアワセも、時々立ち止まっては噛みしめないともったいない。
日が昇ると、また未来のことばかりに気持ちが向かうけど、ティラを抱き寄せた手のひらに伝わる、温かい体温も、シアワセな人生の1ピースだ。この感触、この温度を忘れないようにしよう。