原理原則2
- 2008.01.07
- 日記

まだカゼが抜けてはいないのだけど、注射が良く効いたようで、週末は寝巻きにガウン姿で書斎にこもり、重要な仕事をずいぶん片付けることができた。
となりに息子を置いて、補習校の冬休みの宿題(算数)を完成させられたのも収穫。問題ごとに例題をつくってやらせたので多少おさらいにはなったはず。
突然。仕事、というか決断のスピードが格段に速くなった気がする。
年初の「今年の抱負」でも書いたけど、物事を原理原則の眼鏡で観ると、複雑に見えることが実はすごく単純。
ぼんやりアタマではわかっていたけど、言い換えればこれまで単純なことをとても複雑に考えていたことがよくわかる。
それは、直接間接のそれまでの恩義であったり、功労であったり、その人間の精神状態や家庭環境であったり。
相手の台所事情やつき合いの長さ(深さ)が判断や決断を鈍らせたり、遅らせてしまうこともある。情に流される。
もっとマズいのは、無意識に自分の私利私欲や事情、あるいは別個のところの借りや負い目がゴッチャになって話が複雑になっていることがある。
原理原則のジャッジをすることで、その場が気まずくなったり、嫌われたり、人の心が離れたり、人間関係が途切れてしまうこともあるだろう。少なくともその場は。
誰も嫌われたくない。恨まれたくもない。関係が切れるのはイヤだ。
だけど。
だけれども、少なくとも経営者の部分の自分は、決してそれを恐れてはいけないと思えるようになってきた。
第三者が見ておかしくないか、私心はないか、人として正しいか、その三つくらいが適っていたら組織はおかしな方にはいかない。原理原則で考える。「大善」で考える。
それで人に嫌われてしまっても、あるいは疎遠になってもそれは「必然」なのだ。
決して、非情になるということではない。
「小善」ではなく、「大善」で物事を考えられるよう自分を磨くということだ。
そういえば、LCEでいっしょに代表を務める高畠は、出会ったときから一貫して原理原則で物事を考える。時に融通が利かないと思ったこともあるけど改めて一本筋が通っていると思った。