先輩たちとの新年会
- 2007.01.03
- 日記

1月3日、今朝は少し早起きをして、年末から着手している新会社のミッションやコンセプトについて、ひとつひとつ言語化している。言ってみれば、将来に渡っていっしょに力を重ねる人たちのルートマップを作るようなものだから、人生を重ねるだけの価値があり、普遍性があるものでなくてはならない。書いては消し、消しては書きを繰り返す。
そんなことで、脳味噌がグツグツ煮立ってきたのでちょっと息抜き。
アメリカの恩師に、(先のブログで書いた)ビルさんと同じくらいお世話になっている方がいる。ライトハウスの創刊時から、アンカーコラム「ロス日記」を執筆いただいている作家の阿木慎太郎先生だ。
ビルさんのおかげで、ボクはアメリカが大好きになり渡米を決心した。最初に描いた経営者のモデルはビルさんだ。それは今も変わらない。
阿木先生は、大人になって一番叱ってくれたし、今でも一番おっかない。おっかない人がいることは幸せだ。(カミサンがおっかないとしたら、それは幸せかどうかわからない)
阿木先生は生き様を通して、品格を持って生きることの大切さを教えてくれた。そして、出版という仕事の尊さ、出版の責任の重さを叩き込んでくれた。恥ずかしながら、会社勤めの経験のないボクに、根気よく社会人としての基本をずいぶん指導してくれた。
そしておふたりから共通して、人間として、男としての美学のようなものを教えられた。ボクの中では、見返りを求めない愛と言ってもいいし、自己犠牲の精神と置き換えることもできる。
ビルさんと阿木先生の存在なくして今の自分はあり得ないだろう。
昨夜は、その阿木先生のご自宅で、毎年恒例の新年会にお邪魔した。
ボクの関連は、ライトハウスの片山と西川、親父、家族、弟家族、なんか多い。参加者の半分くらい。
あとは平均年齢65歳くらいの先輩方。
偶然だけど、参加者のひとりの森田さんという女性は、最初にボクが実習生で来た練習船の乗組員向けに、お土産を販売する会社を経営していた。当時ボクは、森田さんやスタッフに、アメリカで働くにはどうしたらよいか熱心に聞いていたのでよく覚えていたのだそうだ。
それが何ヶ月も経たないで、リトル東京のレストランに入ったら、あの真っ白な制服姿の青年が、真っ黒なサラシを巻いて「へぃ、いらっしゃいっ!!」とカウンターに立っていたから魂消(たまげ)たそうだ。
森田さんはアメリカで一番長いおつきあいということになる。
別の参加者で、数え年で76歳になった小川社長は、ライトハウス創刊の89年からのおつきあい。オフィスを借りるお金もなかった当時、小川社長が持つアパートの一室を、住居(新居)兼オフィスとして使わせてもらった。(当時はそこにルームメートがいたし、時々居候が転がり込んだ)
その後も小川社長が持つオフィスビルに引っ越し、8年もお世話になった。日商の副会頭や、日系社会の要職を数多く務めた小川社長から、ずいぶん大勢の方のご紹介をいただいたものだ。
小川社長もまた、我が子のようにボクにアドバイスをくださる。
「洋ちゃん、けっして驕ってはいけないよ。謙虚に、謙虚に。初心を忘れてはいけないよ。攻めるばかりじゃなく、守ることを忘れてはならないよ。ビジネスは手堅く、守りが大切だよ。これまで築いてきたものを守るんだよ」
小川社長はゼロから巨万の富を築いた人生の中で、数え切れない挫折や失敗を乗り越えてきた方だから説得力がある。
一時ライトハウスを手伝ってくれていた中田さんは、60歳代半ばに差し掛かるというのに元気は一番。昨年はプライベートコースで歩いて164ラウンドしたという。酒量も食欲も、大食のボクが敵わない。
テーブルに収まりきらないほどの豪華な料理をご馳走になった後、阿木先生がスパイスから作る名物のライスカレーを2杯もいただく。つい食べ過ぎたことを後悔していたら、「ひとりで食べるのもなんだから」と、中田さんがお互い3杯目になるライスカレーをよそってくれた。
この人にはかなわない。
そんなありがたい先輩たちに囲まれて楽しい夜を過ごすことができた。
話題は、世界中の旅先の想い出話から、稲尾の三連投、西鉄のクリーンアップ、日本映画の黄金時代と話題は尽きない。どの話も、その方の人生と時代背景をキラキラと浮かび上がらせてくれる。
また戦中戦後のみなさんの都内や疎開先での体験をうかがうと、空襲、防空壕、原爆、ヤミ米、ロシア人がやったこと、戦死といった教科書の中の話が、立体的に現実として浮かびあがってきた。教科書では学べない歴史がある。
一夜明けて、阿木先生にお礼の電話した。
すると、子連れのボクらが午後10時前に帰った後、先輩たちは深夜過ぎまでカラオケで盛り上がったのだそうだ。そのパワー恐るべし!